しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? フィリップ・K・ディック著 浅倉 久志訳 ハヤカワ文庫

2013-05-14 | 海外SF
印象的かつ有名なタイトルの作品ですね。
存在は昔から知っていましたが入手したのは社会人になってからだったと思います。
みっともない話ですが会社の寮のゴミ捨て場に捨ててあったのを拾ったような記憶がうっすら....。

ということで長年持ってはいましたが未読でした。

ローカス誌オールタイムベストでは26位、06SFマガジンベストでは14位と日米で評価の高い作品です。
映画「ブレードランナー」の原作としても有名。
私がSFを読んでいた30年前頃はディックの評価はそれほど高くなかったような気がするのですが最近見直されているんでしょうか?。
ハヤカワ文庫もディックの作品だけ装丁変えて出ているし、創元でも最近未訳のものの翻訳版を出している。
ローカス誌ベストでも作家別でアシモフ・クラークと並ぶ4作品が挙げられています(作家別だとハインラインが6作品と最多)し米国でも評価高いんでしょうね。
06SFマガジン海外ベスト長編でも3作品挙げられていて日本でも評価が高そう。

ディックで読んだことがあるのは中学生の頃読んだ「高い城の男」だけ。
第二次世界大戦でドイツと日本が勝ったパラレルワールドを描いた作品ですが、割とオーソドックスなSF作品のイメージがありましたが、本作読んでディックのイメージ変わりました。
一般的アメリカンなSFと一線を画す、かなか個性的な作風ですね。
名前しか知らなかったのでwikipediaで調べてみましたが、ディックは生前不遇だったんですねぇ。
本作でもアシモフの「ロボット3原則」などは軽く無視して独自路線だったんでしょうし、才能はあっても変わった人だったんでしょうね。
死後評価が高いのは幸せかどうか?うーん。

内容(裏表紙記載)
第三次大戦後、放射能杯に汚された地球では、生きている動物を所有することが地位の象徴となっていた。人口の電気羊しかもっていないリックは、本物の動物を手に入れるため、火星から逃亡してきた<奴隷>アンドロイド8人の首にかけられた莫大な懸賞金を狙って、決死の狩りをはじめた! 現代SFの旗手ディックが、斬新な着想と華麗な筆致をもちいて描きあげためくるめく白昼夢の世界!〔映画化名『ブレードランナー』〕

作中の細かい論理性とかなんとか色々言い出せばいえる作品だと思いますが。
(なんで人間と見分けがつかず、人間に危害を加えられるアンドロイドをわざわざ作るのかとか。そういう意味ではアシモフは論理的ですね)
読んでいて自分の常識とかものの見方がぐらぐらと揺さぶられる作品でした。
(要はすばらしい作品だということ)
陳腐ですが、「人間ってなんだろう」ということを考え出してしまう作品ですね。
文章も筋立てもハードボイルド仕立てでなかなか楽しめます。

印象に残っているシーンは、登場人物の人間がアンドロイドに向かって「君たちは知的過ぎるんだ!」と言う場面がありました。
そのアンドロイドがやらされていたのが多分惑星開拓の肉体労働だと思うとなんだかいろいいろ考えさせれらますね。
そういう意味ではプロレタリア小説というかアンチプロレタリア小説というか....。

どこまで意図的に書いているのかわかりませんが全体的にこの作家が持っている情念というか何というか色々なものが小説として昇華されて出てきていて、それが読み手にひびく感じ。

繰り返しになりますが小説としてはいろいろ粗が多いんですけど、なんだか魅力的です。
この作品を高く評価する人の気持ちはよくわかります。

他の作品も読んでみたくなる作家ですね。

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何かが道をやってくる レイ・ブラッドベリ 大久保 康雄訳 創元推理文庫

2013-05-02 | 海外SF
先月ブックオフで購入(どこだか忘れた)
この本は間違いなく実家にあるはずなんですが、改めて購入してしまいました。

実家にある方は小学生くらいの時に入手したのですが、数ページで挫折し未読でした。
ブラッドベリは「火星年代記」も「華氏451度」も持っていて未読だったんですねー。
なんだか背伸びして「俺はブラッドベリもわかる文学少年だ!」ということで持っていたような気がします....。
「華氏451度」で「ブラッドベリは苦手かもしれない」などと言っておきながら、また買ってしまうというのは今でもその傾向は続いているんでしょうね..。

さて本作はブラッドベリのファンタジー(ダーク?)長編で原書は1962年刊行。
本書の「ノート」でも書かれていましたが、ブラッドベリは本来短編作家なんでしょうから長編ばかり読んでもしょうがないのかもしれませんが....。

内容(表題ページ記載)
ある年の万聖節前夜,ジムとウィルの二少年は,ともに13歳だった。そして彼らが一夜のうちにおとなになり,もはや永久に子供でなくなってしまったのは,その10月のある週のことだった。夜の町に訪れて来たカーニバル,その回転木馬の進行につれて,時間は現在から過去へ,過去から未来へと変わり,それと同時に魔女や恐竜が徘徊する悪夢のような世界が現出する。SFの抒情詩人レイ・ブラッドベリが世に問う一大ファンタジー!

この内容紹介どうもいただけないですがどう書いたらいいのかはわかりません...。
少なくとも恐竜は1センテンスしか出てこない。

読後の感想、やはりブラッドベリとは合わない気がしました。
SFの「詩人」といわれるだけあってかなり「抒情」的です。
詩も苦手なので本質的に抒情的な文章が合わないんでしょうねぇ。

特に本作はSF的要素はほとんどなく純粋に幻想小説の範疇になっているため苦労しました。
現実離れした展開もなにかしら(「サイエンス」でも「トリック」でも)定義して説明してくれるだろうと思って読んでいるとと安心できるのですが、それがなく展開していくとどうも安心できない...。
年甲斐もなく読み進めるのにかなり苦労しました。
そんなだから純文学もダメなんだろうなぁあというのを再認識しました。

と、自分とは合わないとは思いましたが、作品自体は傑作だと思いました。
「火星年代記」「華氏451度」よりも「SF」的要素がない分、ブラッドベリらしさが存分に出ているのはないでしょうか。
父と子、闇と光、子供時代のノスタルジー...、全編なんともいえない不安感が掻き立てられ心がざわざわしました。
子供時代の私にはがんばっても読み切ることは不可能だったと思います。
40過ぎても、数ページずつ休み休み読みました。
エンターテインメントを求める小説ではないですね。
厚木淳氏がノートで分野をまたがる作家ということでフレドリック・ブラウンとブラッドベリを比較していましたが見事に真逆な二人ですね。
共通なのは短編が得意なことくらいでしょうか。
厚木氏もブラッドベリを「詩人」ブラウンを「職人」と定義していましたがそんな感じですね。
私は職人の方が合うようです。
余談ですが厚木淳氏が草創期の日本SF出版事情を語っているページを見つけました。
ブラウンとブラッドベリを対比するという無茶な解説の裏がわかって面白かったです。
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