しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

死せる者の書 タニス・リー著 市田泉訳 創元推理文庫

2014-10-27 | 海外小説
「本が好き」献本で頂いた本です。

著者のタニス・リー女史は不勉強でまったく知りませんでしたが「ダーク・ファンタジーの女王」としてファンタジーの世界では有名な作家のようですね。
ファンタジーには疎いのですが興味はあったので「読んでみたいなー」ということで応募して頂戴しました。

本作はパリをモデルにした実在しない都「パラディス」を舞台にした「パラディスの秘録シリーズ4部作」の第3作目、1991年発刊。(作者は英国人です)
第1作「幻獣の書」第2作「堕ちたる者の書」は浅羽莢子氏訳で角川ホラー文庫から出ていたようですが現在絶版の模様です。
創元からは本書に続き、第4作「狂った者の書」も出版されています。

前述の通りタニス・リー初読の私は第1作、第2作をもちろん読んでいませんが本書とは直接つながっている話ではないようで、その辺は問題なく読めました。

内容(裏表紙記載)
パラディスは生者の、半生者の、蘇生者の、死なざる者の都であると同時に、死者の都でもあるのです。婚礼の新床で花嫁が夫の手で殺された。夫が死ぬまで隠し通したその理由とは。(「鼬の花嫁」)周囲の人間が次々と衰弱し死に至るという、不吉な噂が囁かれる女性の正体は。(「美しき淑女」)退廃と背徳の都パラディスに眠る死者の物語8編を収録。闇の女王タニス・リーの傑作短編集。

内容紹介を見ると死者やらなにやらが大暴れしそうな感じですが...。
「実在しない都」を設定しなくても成り立ちそうな抑えめの話です。

とりあえずの読了後の感想「ダーク・ファンタジーの女王」かつ帯にも「闇の女王」と書いてある作者ですので、もっとオドロオドドロしい作品を想像(期待?)していたのですが…。

「それほどではないかなー」という感想で「心の闇」的なものから「妖しげ」な世界へ動いていく途中を垣間見る感じで「見るのも怖い」というダーク感ではなかったですね。

また、短編だからかもじれませんが、割と1アイディアで書いているような…。
この著者の他の作品を読んでいないのでかなり無責任ですが長編向きの作家なのかもしれませんね。

あと感性が「女性的」と感じ、その辺で今一つ作品に入って行けない部分もありました。

例えば男性の性欲やら性描写の描き方には違和感を感じました。

割と直接的表現が多かったように感じましたが、男は主観的にはもうちょっとロマンチックだったりします。(女性から見るとこんな感じなのかもしれませんが….。)
男が女性向けレディス・コミックを読んだような違和感ですね。
でも逆にいえば本書の作品では女性が主人公の作品の方が男性には理解しえない「女」の世界を垣間見るようで興味深くもありました。

ということで各編感想など。

1.鼬の花嫁
内容は裏表紙で紹介。

最後に明らかにされた「事実」はある意味ユーモラスで、作中でもそんな暗示もあり、それほど怖く感じられず、どうも「???」感がありました。
冒頭枕で出て来た鼬の話の方が不気味でした。
婚礼初夜で妻を殺してしまうのでなく、この状況で「あえて」長く暮らしていた方が男性心理的には納得感のある不気味さのような…。

2.悪夢の物語
復讐を意志づけられ育ったジャンは復讐のため植民地の島に渡るが…。

悪夢のような独特な雰因気を楽しめましたが...。
若干の「だからどうした?」感を受けました。

3.美しき淑女
裏表紙で紹介。

「淑女」のキャラ設定が絶妙ですね、この作品の主人公の男性の最後の行動もわかる気がしました。
オチ(謎解き?)も「なるほどねー」で楽しめました。
まとまりのいい作品ですね。

4.モルカラの部屋
旅人が訪れた古い屋敷で、壮絶な死を遂げたモルカラの部屋にまつわる話を聞いて...。

「妖しげな」ことがありそうで「ない」というお話。
「怪しげ」な話が3話続きこの後4話続くわけですが、本作は中休み的位置づけになるのでしょうか?

「妖しげ」なことは誰にでも起こるわけではないが「死は誰にでも訪れる」というようなことを言っていたりします。
情念に正直に生きた女性「モルカラ」には怪しげな死が訪れるが、中途半端に生きているものにも(は?)普通の死が(しか?)訪れるということ???。

5.大理石の網目
パーティで奇術師に「恋された女性」は月夜の晩に....。

ヒロインの微妙にぱっとしない感と奇術師のぱっとしない感の描き方が絶妙でした。

この作者、「ぱっとしない」女性のさりげない「個性」を描くのがとてもうまいですね。
最初にヒロインの運命を明らかにしている構成もとてもうまく、月の光が「大理石の網目」だという描写も詩的かつ絵画的でいいですね。

6.世界の内にて失われ
「奇書」に書かれた不思議な世界にとり憑かれた男がついに辿りついた世界で…。

ドイルの「失われた世界」のオマージュ的作品とも言われているようです。
本書中殆ど「男」しか出てこない唯一の作品。
画的には「きれい」に見えてくるものがあるのですが、物語的には唐突感があるように感じました。
なにか「とんでもないもの」「くだらないもの」にマニアックにとり憑かれるのは、男の性かなぁとは感じたりしました。

7.硝子の短剣
超然とした芸術家と美好男子(イケメン)と美人女優の物語。

男なんてどうでもいいという女性と、男を手玉に取る女性、善意ながらも「男」的マッチョさが出てしまう3人の人間模様が楽しめました。
特に主人公の女性の心理描写はすばらしく楽しめました。

8.月は仮面
小間使いで生計を立てながらひそやかな楽しみを得ていた女性が、骨董屋で買った仮面をつけたら...。

「やりきれない」女性的心理があいまいで、明確に理解できないのですがそれがまたいいですねぇ。
とても「ファンタジー」な作品と感じました。


個人的には「硝子の短剣」「月は仮面」「大理石の網目」の3作が女性の不思議さのようなものが垣間見え楽しめました。
なお私の中での1番は「硝子の短剣」です。

ちょっと入っていけない作品もありましたが機会があればこの作者の長編も読んでみたいものです。

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映画:男はつらいよ 山田洋次監督

2014-10-25 | 映画
ふっと見てみたくなりDVDをレンタルしました。
できればシリーズ全48作完観したいなぁなどと思っていたりします。
(凝り性です…)

「男はつらいよ」映画版第一作は1969年8月公開。
前年に放映されたTV版の人気を受けて製作されたようです。
私が生まれたのが1970年ですからほぼ同じ頃です。

「男はつらいよ」シリーズは好きで小学生時代親に連れられて映画館に見に行ったり、TVで映画が放映されているものをよく見ていました。
1983年12月公開の竹下景子がマドンナの「口笛を吹く寅次郎」は中学生の私が小遣いで見に行った記憶がうっすらとあったりします。

「男はつらいよ」第一作である本作は、小学生の頃文庫本で出ていた「シナリオ版」を古本屋で買っていて何回となく読んでいましたので内容はなんとなーく覚えていたのですが….。
改めて映像で見るのは初めてかもしれない…。

最初に感じたこと、柴又辺りの江戸川の風景今でも見事に変わっていない…。
私は2002年から市川に住んでいるので自転車などでよく柴又・矢切の渡し辺りに行くのですが雰因気は今でもそのままです、ある意味感動しました。

その他感じたことをつれづれ。

冒頭祭りで纏を降る当時41歳の寅さん=渥美清はすごく元気が良い。
シリーズ後半から終盤のあまり動きのない渥美清のイメージが強かったので喜劇役者として油が乗っていた頃なんだろうなぁという動きに感激しました。

前半妹のさくらのお見合いをぶち壊す辺り前後までの寅さんのあまりに「ひどい男」ぶりには見るのがつらくもなりましたが...。
(シナリオで文字で読む分にはそこまで感じなかった)

でもそれが逆に後半のしっとり感につながるわけで、作品としてはいいのでしょうけれどもねぇ。

今回のマドンナ、御前様の娘 冬子さんの寅さんへの態度はひどい…。
おばちゃんも同様のことを言っていましたが、見事にもて遊んでいますねぇ。
この辺もシリーズ後半はもう少しマイルドになってきている気がします。

さくらとの結婚式に博のお父さん役の特別出演で登場した志村喬、存在感ありますねぇ。

「七人の侍」やら「生きる」やらのシーンが思い浮かびなにやらジーンときました。

画像もフィルムならではのコントラストの低さと柔らかな階調、背景をぼかしたりやらなにやらがとても美しく感じました。
デジタル画像はきれいなんですがこういう味は出ないですね。

今の世の中寅さんのような自由人はさらに生きにくくなっている気がしますが、本作では寅さんの「渡世人」としての自由ぶりはあまり強調されていないのでその辺の古びた感じもなく楽しめました。

とにかく寅さん、とても元気と躍動感がありなんとも新鮮でした。
対象的なさくら=倍賞千恵子の落ち着きぶり….も、なにやら感心したりしました。

楽しかったです。

風たちぬ・美しい村 堀辰雄 新潮文庫

2014-10-23 | 日本小説
昨年公開された宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」を今年DVDを借りて見た後に本書が気になっていてブックオフで見かけて購入してしまいました。(ありがちですね)

「美しい村」が1933年、「風たちぬ」が1936-1937年の作品です。
(イギリスではピーター卿が活躍していた辺りの年代なんですねぇ…)

私の中での堀辰雄は武者小路実篤や志賀直哉的な「私小説を書いている人」で「あまり得意じゃないなぁ」というイメージ。

でもwikipediaで掘辰雄を調べてみたら“それまで私小説的となっていた日本の小説の流れの中に、意識的にフィクションによる「作りもの」としてのロマン(西洋流の小説)という文学形式を確立しようとした作家である”らしいです。

内容(裏表紙記載)
風のように去ってゆく時の流れの裡に、人間の実体を捉えた「風立ちぬ」は、生きることよりは死ぬことの意味を問い、同時に死を超えて生きることの意味をも問うている。バッハの遁走曲に思いついたという「美しい村」は、軽井沢でひとり暮らしをしながら物語を構想中の若い小説家の見聞と、彼が出会った少女の面影を、音楽的に構成した傑作。ともに堀辰雄の中期を代表する作品である。

取りあえず読んでみましたが思いっきり自分の体験に基づく作品のような気がしましたが…。
これは私小説とはいわないんでしょうか? 
日本文学なかなか難しいですね….。

純文学もあまり得意ではなく、ということで物語性の少ない本書収載の2作も「楽しく読めた」とはいいにくいのが正直な感想です。

ただ「美しい村」での心象と結びついた軽井沢の情景描写の見事さや、「風立ちぬ」のどこか不気味で重々しい中でのサナトリウムの四季の描写などは大したものだなぁとは感じはしました(小学生の作文のような感想ですが….)

「美しい村」はバッハの遁走曲から思いついたとのことですが、どこか絵画的に感じ「風立ちぬ」の方がなんだか音楽的で短調のピアノソナタのような印象を受けました。

また「風立ちぬ」の「純愛」の「純」な部分はどこか嘘くさくも感じられましたが….。

まぁその嘘くささも含めて楽しむ作品なんでしょうね、「純」愛度は映画「風立ちぬ」の方が「純」に描かれていましたね。
その分単純化された「作り物感」があるわけで...。
(映画は主人公の飛行機への「愛」の方がリアリティがありましたねぇ…。)

実際の人間は「純愛」といいながら色々なことを考えますしもしかしたら裏に「憎悪」のようなものもあるかもしれない。
「嘘くささ」こそリアリティかもしれませんね。

そんなこんなで本書、宮崎駿さん世代の方が青春時代に読むとすっと入っていけた世界なのでしょうが、私はなかなか素直に入っていけませんでした….。

やっぱり「この辺の日本文学苦手」かもしれない。
というのを再認識しました。

単に私の感性がオヤジなだけかもしれませんけれども….。

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ベローナ・クラブの不愉快な事件 ドロシー・L・セイヤーズ著 浅羽莢子訳 創元推理文庫

2014-10-19 | 海外ミステリ
不自然な死」に続きピーター卿シリーズ第4作である本作を読みました。

次作「毒を食らわば」以降はピータ卿の生涯の伴侶となるヒロインハリエット女史が出てきて様相が変わってくるようなのでシリーズ前期の最終作品ともいえる作品です。
「不自然な死」の1年後の1928年発刊。

本自体はこれもブックオフで見かけて購入済みでした。

内容(裏表紙記載)
休戦記念日の晩、ベローナ・クラブで古参会員の老将軍が頓死した。彼には資産家となった妹がおり、兄が自分より長生きしたなら遺産の大部分を兄に遺し、逆の場合には被後見人の娘に大半を渡すという遺言を作っていた。だが、その彼女が偶然同じ朝に亡くなっていたことから、将軍の死亡時刻を決定する必要が生じ……? ピーター卿第四弾。

冒頭に老将軍が死亡していたのをクラブの人間誰もがしばらく気づかなかったというブラックな「おかしさ」(老将軍の息子がピーター卿とクラブで話していたのにねぇ)ちょうど同じころ資産家の老将軍の妹が死んでいて、内容紹介に書かれている通り死亡時刻が問題になる遺言が明らかになるまではとてもテンポよく展開されます。

ピーター卿が弁護士からこの事実を聞いた場面を読んだ瞬間には思わず吹き出しました。
(電車の中だったので恥ずかしかった…)

そこから老将軍の死亡時刻推理が始まります。

ベローナ・クラブでのドタバタやら、キャラ立ちした老将軍の息子兄弟とピーター卿のからみやら、こちらもかなりテンポよく話が展開するのはいいのですが…。
本書の半分ほどで死亡時刻が明らかになり「これって短編だったっけ?」と思ってしまいました。
「この作品この先どうするんだろう?」と心配になる中、後半が始まります。

一応新たな謎として老将軍殺害の犯人捜しが始まるのですが….。
(何か裏がありそうだなというのは前半でもわかりますし、鋭い人なら犯人もその時点で分かってしまうかもしれません)
犯人も後半始まったあたりでほぼ特定されてしまい、あとは共犯がいるかどうかを明らかにするぐらいしか謎はなくなってしまいます。

そこを謎解きというよりもピーター卿はじめ人物描写で読ませてしまいます。
それでもまぁ「面白い」のがさすがセイヤーズというところなんでしょうねぇ。

今回は様々な女性登場人物とそれらの人物と対するピーター卿とのからみや戸惑いがメインになっている感じで、これまでのある意味超然とした名探偵から次作以降は恋に悩む「人間」ピーター卿に変化していく伏線が感じられます。

ピーター卿の友人女性芸術家フェルプスとピーター卿の関係、老将軍の息子の弟の方ジョージと妻シーラの関係、個性的な容疑者アン・ドーランドの「女」を描く手際は女性作家であるセイヤーズならですね。

でも「男」の方もピーター卿と老将軍の息子の兄の方ロバート少佐とのなにげない会話なども印象に残りました。

この少佐も軍人らしくサバサバしてはいるのですが、弟宅から見つかったジギタリスを世間体やらを気にして隠そうとする少佐に対し、何も隠さずあくまでも真実を明らかにしていこうというピーター卿の姿勢には感銘を受けました。
ピーター卿いわく「隠さなければ何も恐れることはない」。
言葉でいうのは簡単ですが実際に貫き通すのは難しそうです…。
特に男は見栄やらなにやらでついつい無理してしまいますね。

ピーター卿は「軽薄」に描かれていますが、のこの辺の信念は時には悩みもしますがシリーズ通してぶれていない。
当たりはやわらかい人物設定ですがピーター卿、結構ハードボイルドな性格ですねぇ。

本作の犯人の動機もつきつめれば「見栄」やら「プライド」が原因な感じがしますし、人が死んでも「不愉快」な事件としか考えない当時のある程度の階級が集まる(男性中心)「クラブ」への批判も全編で感じました。

ジョージ夫妻の問題も、夫ジョージの「男はこうでなければ」という思い込みやら見栄やらから出てきているんでしょうしねぇ。

また、できるだけ正直・中立でありたいピーター卿でも「男」であり「金持ち」であることから完全には離れられない。
この辺自分でも気づいていてもそう簡単に治るものでもなく、葛藤があるところはピーター卿の人間的魅力かと思います。

でも作中のミステリ的設定の方は本作も前作「不自然な死」と犯人は同様の職業ですし、動機も同じく遺産がらみと結構マンネリ化している….。
次作「毒を食らわば」も現時点で読了していますがこちらも動機は遺産がらみ、犯人の職業はともかく方法は「また」毒殺です….。

セイヤーズは本作と次作「毒を食らわば」辺りでミステリーを書くのに飽き飽きしていて「もうやめようか」とも思っていたらしいです。
「謎解き」部分は結構手抜きしたのかもしれませんね。(笑)

本作、ミステリーとしては「短編」的に前半を楽しみ、後半は人間模様を楽しむ作品と感じました。

まぁ批判もしましたが読んで面白い作品ではありました。

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不自然な死 ドロシー・L・セイヤーズ著 浅羽莢子訳 創元推理文庫

2014-10-15 | 海外ミステリ
ワンクッション置いて再びピーター卿シリーズ、第三作「不自然な死」(1927年)です。
本書は「誰の死体?」読了後にブックオフで見かけ108円で購入していました。

読みたいときにブックオフで見かける…「運命」でしょうか?(笑)

内容(裏表紙記載)
殺人の疑いのある死に際会した場合、検視審問を要求するべきか否か。とある料理屋でピーター卿とパーカー警部が話し合っていると、突然医者だという男が口をはさんできた。彼は以前、診ていた癌患者が思わぬ早さで死亡したおり検視解剖を要求したが、徹底的に分析にもかかわらず殺人の痕跡はついに発見されなかったのだという。奸智に長けた殺人者を貴族探偵が追つめる第三長編。

とりあえずの感想ですが...。
前作「雲なす証言」よりミステリー度は高いように感じましたが小説としては「雲なす証言」の方がよかったなぁという感想です。

ミステリー部分も犯人は序盤でほぼ特定されており「謎は」殺害方法がメインになるわけですが殺害方法は現代的に見ればあまりにも陳腐といえる方法です。
(一応伏線も張ってあるのでミステリー的にはフェアではあります。)

ピーター卿も作中で「殺害方法はなにかしらわるわけで最後に考えればよい」と語っていますが、解決すべきは「謎」は動機とアリバイになってきます。

「動機」の方も遺産がらみということは最初から提示されており、それをちょっとした小技で味付けていますがまぁあっさりしたものではあります。
アリバイの方ももそれ自体はわかればあっけないほど単純なです。

ただ犯人の動機は「遺産」という直接的なものだけでなく、罪意識が欠如していて人を殺すことを何とも思わない人間(”サイコパス”ですね)である犯人の特殊な性向が裏にあり、本当はこちらの不気味さを描きたかったんでしょうが…。

充分にはその不気味さを表現できているとは私には感じられませんでした。

またアリバイの方も「同性愛」(女性)の問題が取り上げられています。
作中、犯人とアリバイ協力者の関係もそうですが、最初の被害者であるドーソンとパートナーの関係も同性愛的な関係として描かれています。

サイコパス美女の同性愛など現代のマニア向けマンガや小説ではいかにもありそうな設定ですが、1920年代のイギリスという時代背景ではアケスケにどぎつく書くのははばかられる内容かとも思うのでその辺で物足りなく感じたのかもしれませんね。

ピーター卿自身「自分の趣味、道楽」で犯人を追いつめる行為に悩みがあって、作中で吐露しています。
この辺も犯人の情念とうまく絡み合うと面白そうなんですが….本作では「雲なす証言」ほど成功しているようには感じられませんでした。
(普通の意味では面白いのですが期待値が高いのでこんな表現になっています。)

さらに犯人(サイコパス-同性愛者)や自分の行為に悩むピーター卿の二人と、どこか相似形ながら全然異なる属性をもつ本作から登場のクリンプソン女史(「人の手紙なんか絶対読みませんよ!」と言いながらついつい読んでしまう女性かつ寡婦)を出して対比させているわけですが、そこもあまりうまく機能していないような...。
クリンプソン女史は単独で大活躍

「意欲」としては「雲なす証言」より上かと感じましたがが「ちょっと消化不良かなぁ」という感じを受けました。

ただし、問題提起は現代的ですし、人物を描く作者の筆力は前作同様確かで狂言回しとしてのクリンプソン嬢の活躍もとても楽しめます。
「普通に楽しい」ミステリーとしては、謎が深まる展開で活躍するピーター卿の大活躍も含め読み物としてはとても楽しめました。

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