しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

モンテ・クリスト伯1-7 アレクサンドル・デュマ著 山内義雄訳 岩波文庫

2016-10-23 | 海外小説
感想を書く本がかなりたまっていたこともあり「あまり溜めると書けなくなりそう…」ということで「この機会に」と大著である本作を手にとりました。

本書「虎よ!虎よ!」のモチーフとなっている作品ということもあり、「虎よ!虎よ!」読了後からブックオフで丹念に108円棚を探して昨年には全巻を揃えていました。
7冊揃いで756円!!!!

ネット上で評判見ると物語の原点的な「面白さがある」というような意見が多く「いつかは読もう」と楽しみにしていました作品でしたが、なにぶん大著なため読了に2ケ月ちょっとかかりました…。

さて本書は1844-1846年フランスの新聞に連載された作品、大デュマ(椿姫を書いた息子の方を小デュマというらしい)の代表作といってよい作品です日本では「岩窟王」として有名かと。

他には「三銃士」なども書いていて当時の大流行作家であったデュマですが生活も相当派手で本作モンテ・クリスト伯を模したような相当派手な生活をして、イタリア革命や3月革命にも暗躍、最後にはほとんどお金も残っていなかったようです。

解説にも書いてありましたがデュマには黒人奴隷の血が流れていたようです。
大デュマの祖父が任地のハイチで黒人奴隷の女性との間でもうけた子供が大デュマの父親らしいです。
大デュマの父親は一度は黒人奴隷として売られたりしたようですが、買い戻されてフランスに連れてこられて王政下で陸軍中将にまで上がるもナポレオンに疎まれて…。
と波乱万丈、小説のような人生を歩んだようです。(元ネタwikipedia

「モンテ・クリスト伯」の登場人物にも何人か投影されているような気がします。
日本では佐藤賢一がデュマ三代の生涯を一冊ずつ書いているようですちょっと気になりますね。
松岡正剛の「千夜千冊」でも「モンテ・クリスト伯」を取り上げていますが、この辺の事情を中心に書いています。

内容紹介(amazon紹介文より抜粋)
今も昔も復讐鬼の物語が人々の心を惹きつけてやまないのは、それが幸福と安寧に背を向けた人間の究極の姿だからであろう。世界の文学史上最も有名な復讐鬼、モンテ・クリスト伯。19世紀フランスの文豪、デュマが創造したこの人物もまた、目的を果たすごとに、底なしの泥沼へと一歩足を踏み入れていく。
本名、エドモン・ダンテス。マルセイユの前途有望な船乗りだった彼は、知人たちの陰謀から無実の罪で捕えられ、14年間の牢獄生活を送る。脱獄を果たし、莫大な財宝を手に入れたダンテスは、モンテ・クリスト伯と名乗ってパリの社交界に登場し、壮大な復讐劇を開始する…。


とりあえずの感想としては、19世紀の作品はテンポや展開などにさすがに古さを感じました。
純文学的な作品ではなく娯楽小説ですからそこのところはさらに実感するのかもしれません。
日本でいうと吉川英二や山手樹一郎の作品を現在視点で読むような感じでしょうか。

ただ、主人公エドモン・ダンテスが不幸な流れに呑みこまれるあたりと牢獄での人間形成(牢獄の中でのファリア神父との勉強で十分な教養が身に着けられるというところ、財宝を手に入れるところなどご都合主義な気もしましたが…。)脱獄への執念を描いた序盤は楽しく読めました。

この辺の苦労して財宝を手に入れるところなのどはそのまま「カムイの剣」、書籍などの教養のエッセンスで十分な知識を手に入れるあたりは「賢者の石」に取り入れられている感じ。

中盤3、4、5巻辺りは復讐の仕込みを延々としているわけですが….「長い」。
「こうやって復讐するつもりなんだろうなぁ」というのはある程度読めるので、それを丁寧というか念入りに描写されてダレますし、モンテ・クリスト伯の口を借りてデュマの信念的な独白(ハードボイルド的)が出てきますがこれも微妙に鼻についたり…。

途中読了を何度もあきらめようとも思いましたが...。

なんとか読み続けて終盤に復讐劇を実現させていくあたりは展開も速くなり、ハラハラドキドキ楽しく読めました。
堂々の大団円を迎えたラストはとても感慨深く大長編ならではの醍醐味を味わえた気がします。

復讐される方にもある程度感情移入しますし、「復讐の鬼」だったモンテ・クリスト伯が徐々にいろいろ考えだすという展開の説得力を出すためには中盤のだれだれ感も必要だったのかもしれません。

他全体的におもしろかったのが1800年代という時代を同時代として描いている視点。

当然車はなく移動手段は馬車なのですが、馬と馬車の小説の中での取り扱われようは・ステイタスは驚くほど自動車と似ています。
馬の立派さや馬車の豪華さが、高級車やスポーツカーを自慢するのと同じように扱われれている。(この辺大藪晴彦風!!視点の方が現代的…なのか?)

「アジア」といえばトルコやペルシャが基本で日本や中国はなにやらおとぎの国のような扱い。

ある意味ヒロインといってもいいモンテ・クリスト伯の庇護を受けているエデ、ギリシアのジャニナ地方の太守アリ・パシャの娘という設定なのですが…。
21世紀の日本人から見るとギリシャは分かっても「ジャニナ?」「太守?」「アリ・バシャって誰?」という感じ。
(世界史習った人には有名な人なのかもしれませんが...)
作中なんの説明もなかったので1800年代中盤のフランスでは相当有名な存在だったんでしょうね。

ちょっと調べたら当時のギリシャはオスマントルコの占領下にあってその中で微妙な勢力関係を維持した人のようです。

トルコとギリシャ、ヨーロッパの関係は今も微妙な感じがありますがこの当時も変わらずでいろいろあったんですね。

時代設定がフランス革命後で本作も新聞連載された作品であるように新聞なども発達していて、少なくともフランスの中産階級以上の社会は現代と比べてそれほど違和感はない感じだったんですが、道具立てやら国際情勢が異なる1800年代のフランスの空気を楽しめるのもこの作品の楽しみのひとつでしょう。

ということで最後は
「待て、しかして希望せよ。」

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死せる者の書 タニス・リー著 市田泉訳 創元推理文庫

2014-10-27 | 海外小説
「本が好き」献本で頂いた本です。

著者のタニス・リー女史は不勉強でまったく知りませんでしたが「ダーク・ファンタジーの女王」としてファンタジーの世界では有名な作家のようですね。
ファンタジーには疎いのですが興味はあったので「読んでみたいなー」ということで応募して頂戴しました。

本作はパリをモデルにした実在しない都「パラディス」を舞台にした「パラディスの秘録シリーズ4部作」の第3作目、1991年発刊。(作者は英国人です)
第1作「幻獣の書」第2作「堕ちたる者の書」は浅羽莢子氏訳で角川ホラー文庫から出ていたようですが現在絶版の模様です。
創元からは本書に続き、第4作「狂った者の書」も出版されています。

前述の通りタニス・リー初読の私は第1作、第2作をもちろん読んでいませんが本書とは直接つながっている話ではないようで、その辺は問題なく読めました。

内容(裏表紙記載)
パラディスは生者の、半生者の、蘇生者の、死なざる者の都であると同時に、死者の都でもあるのです。婚礼の新床で花嫁が夫の手で殺された。夫が死ぬまで隠し通したその理由とは。(「鼬の花嫁」)周囲の人間が次々と衰弱し死に至るという、不吉な噂が囁かれる女性の正体は。(「美しき淑女」)退廃と背徳の都パラディスに眠る死者の物語8編を収録。闇の女王タニス・リーの傑作短編集。

内容紹介を見ると死者やらなにやらが大暴れしそうな感じですが...。
「実在しない都」を設定しなくても成り立ちそうな抑えめの話です。

とりあえずの読了後の感想「ダーク・ファンタジーの女王」かつ帯にも「闇の女王」と書いてある作者ですので、もっとオドロオドドロしい作品を想像(期待?)していたのですが…。

「それほどではないかなー」という感想で「心の闇」的なものから「妖しげ」な世界へ動いていく途中を垣間見る感じで「見るのも怖い」というダーク感ではなかったですね。

また、短編だからかもじれませんが、割と1アイディアで書いているような…。
この著者の他の作品を読んでいないのでかなり無責任ですが長編向きの作家なのかもしれませんね。

あと感性が「女性的」と感じ、その辺で今一つ作品に入って行けない部分もありました。

例えば男性の性欲やら性描写の描き方には違和感を感じました。

割と直接的表現が多かったように感じましたが、男は主観的にはもうちょっとロマンチックだったりします。(女性から見るとこんな感じなのかもしれませんが….。)
男が女性向けレディス・コミックを読んだような違和感ですね。
でも逆にいえば本書の作品では女性が主人公の作品の方が男性には理解しえない「女」の世界を垣間見るようで興味深くもありました。

ということで各編感想など。

1.鼬の花嫁
内容は裏表紙で紹介。

最後に明らかにされた「事実」はある意味ユーモラスで、作中でもそんな暗示もあり、それほど怖く感じられず、どうも「???」感がありました。
冒頭枕で出て来た鼬の話の方が不気味でした。
婚礼初夜で妻を殺してしまうのでなく、この状況で「あえて」長く暮らしていた方が男性心理的には納得感のある不気味さのような…。

2.悪夢の物語
復讐を意志づけられ育ったジャンは復讐のため植民地の島に渡るが…。

悪夢のような独特な雰因気を楽しめましたが...。
若干の「だからどうした?」感を受けました。

3.美しき淑女
裏表紙で紹介。

「淑女」のキャラ設定が絶妙ですね、この作品の主人公の男性の最後の行動もわかる気がしました。
オチ(謎解き?)も「なるほどねー」で楽しめました。
まとまりのいい作品ですね。

4.モルカラの部屋
旅人が訪れた古い屋敷で、壮絶な死を遂げたモルカラの部屋にまつわる話を聞いて...。

「妖しげな」ことがありそうで「ない」というお話。
「怪しげ」な話が3話続きこの後4話続くわけですが、本作は中休み的位置づけになるのでしょうか?

「妖しげ」なことは誰にでも起こるわけではないが「死は誰にでも訪れる」というようなことを言っていたりします。
情念に正直に生きた女性「モルカラ」には怪しげな死が訪れるが、中途半端に生きているものにも(は?)普通の死が(しか?)訪れるということ???。

5.大理石の網目
パーティで奇術師に「恋された女性」は月夜の晩に....。

ヒロインの微妙にぱっとしない感と奇術師のぱっとしない感の描き方が絶妙でした。

この作者、「ぱっとしない」女性のさりげない「個性」を描くのがとてもうまいですね。
最初にヒロインの運命を明らかにしている構成もとてもうまく、月の光が「大理石の網目」だという描写も詩的かつ絵画的でいいですね。

6.世界の内にて失われ
「奇書」に書かれた不思議な世界にとり憑かれた男がついに辿りついた世界で…。

ドイルの「失われた世界」のオマージュ的作品とも言われているようです。
本書中殆ど「男」しか出てこない唯一の作品。
画的には「きれい」に見えてくるものがあるのですが、物語的には唐突感があるように感じました。
なにか「とんでもないもの」「くだらないもの」にマニアックにとり憑かれるのは、男の性かなぁとは感じたりしました。

7.硝子の短剣
超然とした芸術家と美好男子(イケメン)と美人女優の物語。

男なんてどうでもいいという女性と、男を手玉に取る女性、善意ながらも「男」的マッチョさが出てしまう3人の人間模様が楽しめました。
特に主人公の女性の心理描写はすばらしく楽しめました。

8.月は仮面
小間使いで生計を立てながらひそやかな楽しみを得ていた女性が、骨董屋で買った仮面をつけたら...。

「やりきれない」女性的心理があいまいで、明確に理解できないのですがそれがまたいいですねぇ。
とても「ファンタジー」な作品と感じました。


個人的には「硝子の短剣」「月は仮面」「大理石の網目」の3作が女性の不思議さのようなものが垣間見え楽しめました。
なお私の中での1番は「硝子の短剣」です。

ちょっと入っていけない作品もありましたが機会があればこの作者の長編も読んでみたいものです。

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日はまた昇る ヘミングウェイ著 大久保康雄訳 新潮文庫

2014-06-26 | 海外小説
ハックルベリー・フィンの冒険」を高く評価していた。ということでヘミングウェイの名前が出てきて読む気になりました。

本自体は「ヘミングウェイくらい読んでないとなぁ」ということで大学四年頃買ったものです。

当時2~3ページ読んでつまらないのでそのままになっていました。
20年以上の積読です(笑)

本作はヘミングウェイの処女長編1926年パリで発刊された作品。
買う時に「どうせ読むなら初期からだよなー」とうことで本作を選んだ記憶があります。

1923-2005タイム誌の英語小説ベスト100に選出されている作品でもあります。

内容(裏表紙記載)
第一次大戦後のスペインの祭礼週間を背景に、戦争で性的不能におちいった主人公ジェイクの爆発する情熱、淫蕩な女主人公ブレットと若い闘牛士との灼熱の恋、彼女を恋する男たちの狂騒などを、簡潔な単語、短文を主にした吐き捨てるようなハードボイルド・スタイルの文体で描く。
明るい南国の陽光のもと、虚無と享楽の淵にただよう“失われた世代(ロスト・ジェネレーション)”の生態を描破した初期の代表作。

とりあえずの感想、「盛り上がりにかける。」

ハードボイルドの祖ともされる短い乾いた会話主体のヘミングウェイの文体は最初面白かったのですが、スペインに行ってから、特に祭りが始まってからはあまりの展開のなさに退屈してしまいました…。
(釣りの場面などはなかなか面白かったですが)

エンターテインメント小説ではないので「面白くなさ」は覚悟していたのですがやはりという感じでした。

ジェイクとブリッドの関係などは、男なら魅力的な女性に「いい人」扱いされて尻拭いさせられる感覚など共感できる所はあるかと思います。
ただ登場人物全体に「本当に差し迫った状況」というものが出てこないので(出てこないような気がする)どうもピンときませんでした。

ある意味唯一女性である「ブリッド」のみが本人の情熱の赴くまま行動することで差し迫った状況に自分を持ってきているということは言えるかもしれませんが…。

なんとも中途半端な状況のある意味情けない男性陣が中心になっているので、なんだかフラストレーションが貯まる。

解説によると第一次世界大戦後の無力感を抱えた「男たち」を描いた作品ということなので「そういう状況」を書いた作品なのかもしれませんが…。

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王子と乞食 マーク・トウェーン著 村岡花子訳 岩波文庫

2014-06-20 | 海外小説
ハックルベリー・フィンの冒険」に続き、トウェイン-村岡花子をもう1冊ということで、本書を秋葉原のブックオフで見かけて購入108円。

小学生の時家にえらい古い子供向けの本があって読んだような記憶もあるのですが定かではありません。
(完訳でなかったかもしれない)

基本ストーリーはほぼ誰でも知っている作品かと思いますが、入れ替わりものの古典ですね、1881年発刊。
ダブル・スター」の元ネタともされる同じく入れ替わりものの古典「ゼンダ城の虜」が1894年ですから相当古い。

内容(表紙記載)
うりふたつの顔だちをした王子と乞食トムが、ふとしたことで入れ替わり、ボロ服で街へ放り出された王子は苛酷な国法に悩む庶民生活の貧しさを身をもって体験する。 エリザベス一世時代のイギリスを舞台に、人間は外見さえ同じなら中身が変わっても立派に通用するという痛烈な風刺とユーモアに満ちたマーク・トウェーン(1835-1910)の傑作。

子供向けに書かれた小説ということであり、訳者の村岡花子も意識して「児童小説」として訳文を作っていますが、中盤から後半にかけて入れ替わった王子が見ることになる状況はかなりシビアで「子供に読ませていいのかなぁ」と思うようなところもありました。

牢屋で親切にしてくれた女性は翌日火あぶりになってるし…。
トムの父親はまったく救いがなくひどい。

根底には「ハックルベリー・フィン」の冒険でもあった、「社会の規範=常識」といったものがいかに「いい加減」かという発想が流れているような気がします。

王子と乞食は服を着ただけで入れ替わってしますし、「乞食」でも「王子(途中から王様)」は務まるが、「王子」には「乞食」は務まらない。

ラストはいかにも児童小説的にめでたしめでたしになっていますが、途中の世の中に対する見方はなかなかダークな部分があります。
本作、ダークな面を強調した訳があれば読んでみたいとは思いました。

あと「入れ替わり」というかなり突飛な状況をなんとか合理的に仕立てようというトウェインの作家的良心と力量も感心しました。
(所々「なぜこうなって、誰も不思議に思わないか」の説明的描写を入れている。)

ちょっとパンチの効いた「児童小説」として、トウェインが好きな人にはお薦めではあります。

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ハックルベリイ・フィンの冒険 マーク・トウェイン著 村岡花子訳 新潮文庫

2014-06-16 | 海外小説
赤毛のアン」は村岡花子訳ではないものを読みましたが…。
「花子とアン」づいていることもあり、村岡花子訳の別の本を読んでみようかということで手に取りました。

マーク・トウェインは「赤毛のアン」の出版時モンゴメリに「かの不滅のアリス以来最も可愛らしく、最も感動的で最もゆかいな子」との手紙を送っていたりして(以後赤毛のアンのコピーとして使われていたようです)まんざら縁がないわけではないですね。

本作では「赤毛のアン」とは違い村岡訳の評判は今一つのようですが私はこれはこれでいいんじゃなかなぁと感じました。
(批判的な意見はハックの一人称が「僕」で「おら」じゃない等のようです。)

本書、中学生頃に「トムソーヤの冒険」を読んで面白かったので直後に「続編」という理解で読もうとしたことがあるのですが….。
当時の私では歯が立たずずっと未読のままでいました。

大学時代に岩波から出ているトウェイン晩年の作品である「ふしぎな少年」「人間とはなにか」を読んでトウェインづいた時期もあったのですがその時には逆に「子供向けだろう」とバカにしていて本書を手に取らなかったような記憶があります。

その頃の本は実家にありますが、今回読んだのは去年ブックオフで105円で買ったもの。

装丁などは持っているものと全く同じで懐かしい…。

昨年本書を買ったのは、松岡正剛の千夜千冊で紹介されていてフッと読みたくなったため。
(ちなみにここで紹介されていたのも村岡訳)

Wikipedaで調べてみたら本書について、ヘミングウェイが「あらゆる現代アメリカ文学はマーク・トウェインの「ハックルベリー・フィン」と呼ばれる一冊に由来する…」と評価しているようで、児童小説としてというよりも「アメリカ文学」の「名作」と評価されているようですね。
1885年発刊ですが、舞台設定は南北戦争前の1835年-40年のミシシッピ川周辺を舞台にしています。(「トムソーヤの冒険」は1876年発刊)
当時の人種差別やらを痛烈に批判している作品として知られているようです。

内容(裏表紙記載)
トムとの冒険で大金持ちになった浮浪児ハックは、未亡人の家に引きとられて教育を受けることになった。固苦しい束縛の毎日―――飲んだくれの父親が金をせびりに現れるに及んで、逃亡奴隷の黒人ジムとハックの脱出行が始まった。 筏でミシシッピー川を下る二人を待ち受けるのは大暴風雨、死体を載せた難破船、詐欺師たち・・・・・・。現代アメリカ文学の源泉とまで言われる作品。

トムソーヤの冒険が「愉快」な作品であったのに対して、本作はかなりざらつく感じを読者に与える作品です。
「児童文学」として子供に読ませることは…親としてはちょっと「どうかなぁ」と思う内容です。
中学時代の私が歯が立たなかったのがよく理解できました。

ということで、とりあえずの感想「トウェインの人間やら社会に対する視点がとても面白い。」

トウェインは晩年「ふしぎな少年」「人間とはなにか」で「ペシミズム」とも言われるようなシニカルな作品を書いています。
上記二作があまりに直接的にその辺書いているのに対し、本作は裏に透けて見える程度で書かれてて趣深かったです。

ハックと逃亡奴隷ジムという世の中のいわゆる常識から離れた極めてシンプルな思考をする人物が旅をしながら世の中を眺めていくわけですが….。

世の中の普通の人たちがいかにおかしなことをしているかがよく見えるようになっています。
途中、詐欺やら盗みやらをして歩いている悪人2人と一緒になるのですが、その二人も世の中の「おかしな」ところに付け込んでいる。
基本「善良」なハックとジム二人と「悪」である二人の対比が興味深い。

でも「善良」であるハックも当時のキリスト教で罪となっていた「奴隷の逃亡を助ける行為」をすることと、ジムとの友情の間で苦悩したりして世の中いかにおかしなことが大真面目にまかり通るかを痛烈に風刺しています。
この本が出版された1885年時点では黒人奴隷制は公には否定されたようですが、人の世では50年位で神の前での“罪”でさえ大きく変わる…。

そんな、なんだかわからない世の中で流されて生きれば楽なんでしょうが、ハックは自分なりのシンプルな見方で世の中をみてしまうのでなかなか馴染めない。
結果いかだでミシシッピー川を流れていく。(笑)

善とか悪とか常識とか...幸せとか不幸、いろんなものを「当たり前」としてとらえない作中世界に頭がグラグラしてきます。

ネットで感想などみていたら最後にトムソーヤが出てきてバタバタする所に「違和感がある」という人もいるようですが、トムソーヤの「現場を知らないで無茶な指示をする上司」的キャラクターが現代的でもあり楽しめました。
子供であろうが無茶な人は無茶だし、トムソーヤのように一見体制に反旗を翻しているようでも徹頭徹尾体制側の存在はあったりする。
またそれが決して「悪い」というわけではない。

舞台設定された時代のアメリカ南部の風俗なども興味深い作品ではあるのですが、人間が抱える問題は時代を超えて変わらないんだなーと考えさせる作品でもありました。

名作です。

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