しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

エスパイ 小松左京著 ハヤカワ文庫

2018-04-27 | 日本SF
こちらニッポン...」に続き、「日本アパッチ族」「復活の日」に続く小松左京の第三長編である本作を手に取りました。

本自体は小学生頃入手したものを実家からもってきていたのでその当時のハヤカワ文庫版のもので読みました。

本作は「漫画サンデー1964年4月8日号 - 10月7日号連載、1965年6月に出版されています。

日本沈没」の映画化の翌年、1974年に東宝で映画化もされています。
映画の方ももテレビで見た記憶があります。
主人公田村が藤岡弘、ヒロインマリアが由美かおるとなんんとも濃い配役で楽しめた記憶があります。

本作ハルキ文庫で復刊されていましたが、「こちらニッポン...」同様 現在絶版です。
ただ「こちらニッポン・・・」と異なりkindle化もされていないので古本、それなりの値段ついています。


内容紹介(本に記載無いのでamazonからハルキ文庫のものを引用)
“エスパイ”―それは、人の心を読み、物体を透視し、意志の力で物体を動かす超能力を持つ者たちの諜報集団である。ソ連首相暗殺計画の阻止を命じられたエスパイの一員・田村良夫は早速行動に移るが、彼の前に現れた敵も超能力者の集団だった!ニューヨーク、バルセロナ、イスタンブール、ウィーン、遂には宇宙へと繰り広げられる国際的陰謀の首謀者・ミスター“S”の正体とは果たして何者なのか。


豊田有恒氏がシリアスなSFよりも小松作品の中では「エスパイ」の方が好きというようなことをどこかに書いていたのを読んだ記憶がありますが....本当?

エスパーとスパイを合わせて「エスパイ」なんとも安直なタイトルです...。
あまり真剣に書かれたものとは思えない...「スパイ」部分は007シリーズの安直なパクリ、エスパー部分もテレパシーやらテレキネシスやら少年マンガ的に使い放題。

まぁ連載が漫画雑誌ですから、意図的にわかりやすく書いたのでしょうが...。

過剰なお色気シーン、「旅小説かい」と突っ込みたくような国際的な活躍(そんなに部隊動かす必然性ないような...)は後の映像化も視野に入れてあえて商業的なところを見据えて書いたんでしょうね。

お色気シーンではマリアが薬で意志をなくされ黒人ダンサーとからむシーンが子ども心には興奮した記憶がありますが...さすがに50歳間近の現代に生きる私としてはムラムラはしませんでした(笑)

小松左京も応募したハヤカワSFコンテスト1~3回までは東宝とタイアップしていたようですし、映画化できるSF作品欲しかったんでしょうね...。

そんなこんなで本作「映画化」前提に書かれたんじゃないかと思いますが、(東宝は1966年には映画化権取得していたようです)そのまま映画化するにはロケ代とかかかりそうで部隊を日本及び地球上に絞ってスケール小さくなったようです。
原作上白人美女のマリア=マリア原田=由美かおるですからねぇ。

SFとしては小松作品のテーゼともいえそうな「超越的意思」が関係しているのですが...。
なんとも泥試合なエスパー達と、地球の悪人達とのギャップが味わい深いです。
そういう意味で読むとそれなりな作品な気もしますが....「超越的意思」も紋切型かつ安直な気はしました。
なんでもかんでも「超越的意思」を出せば高級(っぽい)SFになるのか?は疑問です。

なおこのハヤカワ版誤字がとても多い。(昭和46年8月初版、昭和48年8月6刷)
一例挙げるとP157「うまずく」→「うずまく」、P213「グワッの」→「グワッと」?、P274「東ドツイ」→「東ドイツ」P300「こんどに」→「こんどは」P395「きみで」→「きみは」探せばもっとあるかもしれませんが...誤字見つけるたびにうれしくなっていました。
当時のハヤカワS-Fマガジン含め誤字がひどかったらしいですが、これは現代ではまずありえないレベルですね...、文庫版でまず出たものでもないのにスゴイ。

その他誤字ではないですがP160「「慶安太平記」の丸橋忠也の心境だ」という表現がありましたが...今の読者講談なんか聞いていないでしょうしまずわからないでしょうね...。
時代の変化ですね、現在48歳の私でも小学生時代「講談」の本など読むのが趣味だったのでなんとかというところなので...。

そんなこんな時代は感じましたが...。
2018年現在読む価値があるのかは疑問ですかねぇ。

↓丸橋忠也...大岡越前か江戸を斬るにも出ていたようなですが...若い人はわかるかなぁ、わっかんねぇだろうなぁ。よろしければ下のバナークリックいただけるとありがたいです!!!コメントも歓迎です。
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こちらニッポン… 小松左京著 ハルキ文庫

2018-04-22 | 日本SF
2018年初めて読む本が本書となりました。

これでいいのか...ともちらっ思ったのですが、まぁなんとなく...。
最近微妙に小松左京批判していた感じなので、とりあえず作品読んでみようというところでのチョイスです。

本作が小松左京の代表作とも思いませんが....2-3年前たまたまブックオフで見かけ購入していたものが本棚にあったので手に取りました。

小松左京作品、けっこうハルキ文庫で復刊されているのですが、本作は現在のところ絶版のようです。
本作「朝日新聞」夕刊に 1976年4月19日 - 1977年1月22日連載され、1977年に発刊されたもの。

なおこのハルキ文庫版では解説が瀬名秀明氏でこれが結構楽しめます。
私同様小松左京に微妙に批判的なところがツボにはまりました。

抜粋しますと
「素人ならではのわかりやすさ」「ラストの唐突なオチも一般性を維持するための配慮」「もともと小松は謎の収拾よりもそこから発生する行動のほうに興味を向ける作家だが、後年のSF作品ではそのバランスの悪さが表面に浮かび上がりがち-略」
同感です(笑)

瀬名氏は上記文章のあとまだ存命の小松左京へ「まだまだこんなものじゃないでしょう、作品書いてね」というようなことを書いていますが...小松左京あまりゆかいじゃなかったんじゃないですかねぇ....、

内容紹介(裏表紙記載)
“異変”は突然の出来事だった。新聞記者・福井浩介はある朝、普段とはまったく違う光景を目にする―いや、「世界」はそのままなのだが、そこからは「人間」の姿が一切消えてしまっていたのだ!福井の他にも何人かの“消え残り”が確認され、この異様な事態の究明に乗り出すのだが…。人類消失という極限の状況下、人はいかに行動し、文明はいかに機能するのかを描く異色SF長篇。


本作、まったく未読のつもりで途中まで読んでいたのですが、途中新興宗教の教祖的女性が「三種の神器」云々といっているところに見覚えがあったので、小学生頃図書館で借りるかするかで少なくともこの辺までは読んだんだと思います。
記憶ってあいまいですね...。

作品の感想ですが。

シミュレーション小説としてはよくできているとは思いますした。
突然「日本及び世界中から相当数の人間が消えたらどうなるか?」という設定は魅力的ではあります。
著者の電力やら各種インフラへの様々かつ該博な知識に裏付けされた作中のいろいろ事件楽しくは読めましたが...なにかこう小説的な意味で「軽い」感じはしました。

いわゆる「SF小説」ではなく、堺屋太一が書くようなシミュレーション小説という感じで文学的な「葛藤」がないというか...。

前述の通り電力機構やら地震やらなにやらの豊富な知識は盛り込まれているので新聞小説としてそういった情報を得て、仮説としてドラマを置いてみて「考える」というのにはとてもよい作品なんだと思うのですが、「文学」はある程度まで「人間」を通常では思いもよらない形で切り取りなにかしら人間及び人間となにかとの間の意外性を発露させる部分があって欲しい気がします。
(うまく言えていませんが....)

多くの人が分業で動かさないと回らない近代社会と個人、皇居に忍び込んで三種の神器を持ち去り日本をまとめようとする団体との葛藤など掘り下げればドラマが生まれそうなテーマも書かれていますがさわりだけ書いているだけで深く書き込んでいません。

この辺の堪え性のなさがいかにも小松左京の長編小説という感じですね...。
(また批判してしまった)

ネット上でもあまり評判のよくない強引なラスト、これまで書いてきた事象の起きた原因をこれで説明するのはちょっと反則なんじゃないでしょうか.....。
なんちゃってメタフィクションじゃねぇ...正直ずっこけました。

これだったら事象の起きた謎は謎のままにして残された人間たちが「新文明を築いていくんだ!」というラストの方がよほどよかったような...。

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辺境5320年-宇宙年代記2 光瀬龍著 ハヤカワ文庫

2018-03-28 | 日本SF
本書が昨年(2017年)最後に読了した本となります。

消滅の光輪」で締めようと思っていたのですが、思わぬ速さで読み終わってしまったため本書が締めの1冊となりました。

本書は「宇宙救助隊2180年」に続いて、SFマガジンに掲載されていた宇宙年代記もの短編をまとめた「宇宙年代記2」という位置づけです。

Kindle版で買った「宇宙年代記合本版」に収載されているのですが....。
つい紙の本が欲しくなりamazonで古本を購入しました。

この後同じくハヤカワ文庫版の「カナン5100年」も勢いでamazonの古本で入手してしまったので、Kindleで買ったのはほぼ「東キャナル文書」と「喪われた都市の記録」のためだけという感じになってしまいました....。

なかなか21世紀人になりきれません。

「宇宙救助隊2180年」の感想でも書きましたが、光瀬龍の「宇宙年代記」なんとも滋味深くしみじみと楽しめます。
「男臭い」ワンパターンではあるのですが、今読んでもかなりのレベルだと思うのでお薦めです。

各編内容紹介と感想など-()内はSFマガジン掲載年月です。

○巡視船2205年(1963.10)
1人での長い巡視船航海に飽き飽きしてきたなか遭難船を発見し....。

星新一の「妄想銀行」の感想で書きましたが同書収載の「遭難」と設定似ています。
「オチ」はショート・ショート的ワンアイディアですが、最初の飽き飽き感と遭難者の壊れ具合パニック感が絶妙でその辺を楽しむ作品です。

○落陽2217年(1964.8)
火星の東キャナル市で観光写真を売るサイボーグはかつて有名なキャプテン・シライだが...。

本作と「市2020年」「戦場2291年」似たような世界観で書かれています。
宇宙開発に大きな役割を果たしたサイボーグたちが受難で「人間」ともめる。
地球で戦争がはじまりそう、本作ではまだほのめかしですが結果いいように使われるというパターン。
本作はキャプテン・シライの「男」の美学的な味わいを楽しむ作品かと。

○市(シティ)2220年(1969.5)
東キャナル市で労働を強いられるサイボーグたちは「市民権」を条件に地球の戦争への協力を求められるが...。

人権ですねぇ....。サイボーグ優等生「トーゴ」のインサイダー感と運命がなんとも哀しい。

○戦場2291年(1963.4)
地球の戦場で戦うサイボーグによみがえる海底での作業、宇宙での作業の記憶とは....。
そして最後に対峙した相手は?

フラッシュバック的効果とサイボーグ、戦場という設定を使った「うまい」作品ですが本質的に中身はあるのだろうか? 味わいはあるんですが...。

○スーラ2291年(1962.11)
第二次統合戦争の後見捨てられた宇宙植民地に着いた調査船が見たものはサイボーグ化された...。

設定はショート・ショート的です。
それなりに味わい深いのですが...初期作品だけに煮詰め方が甘い来ました升。

○エトルリア2411年(1969.1)
遭難した宇宙船に残った老宇宙士を救助したがその正体は?

ミステリ風味で気持ちはわかるのですが、話がわかりにくく難解にしすぎかと。

○連邦3812年(1963.3)
外惑星連合の宇宙船に厳しく当たる地球の秘密とは?

「なんだかひどいやつだなぁ」という地球政府主席代理クンヌイ・ハンの苦悩最高でした。
本書では一番好きな作品です。

○カビリア4016年(1963.6)
シティから脱出した元部下を追う調査局長に神文のようなメッセージがどこからともなく...。

これまた難解なような....まぁこちらは理解を求めていない感じがありますが....。
電子頭脳の問題なのか人の心の問題なのか....。

○辺境5320年(1963.9)
地球連邦が惑星連合に求めた譲歩はなんなく認められた、その秘密とは、サシャシティで見たものは....。

クラークの「都市と星」の安直なぱくりのような....。

個別に書くと結構けなしていますが....。
設定は安直感のある作品もありますが、独特の「男臭さ」「男の哀しさ」的な世界は楽しめます。
女性向かどうかは「???」です。

個別の感想にも書きましたが本書では「連邦3812年」が一番ひびきました。
そこも含めて完全に整合性は取れていないのですが、全編読んだうえで「宇宙年代記」での世界観を楽しむのも一つの楽しみ方な気がしました。

あまりにサイボーグの哀しみを強調しすぎる感はありましたが....。
まぁそれも個性かと。

↓「哀戦士」....は違う話ですね、よろしければ下のバナークリックいただけるとありがたいです!!!コメントも歓迎です。
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消滅の光輪1-3 眉村卓著 ハヤカワ文庫

2018-03-25 | 日本SF
ほんとうは小松左京全集の「SFってなんだっけ?/SFへの遺言/未来からのウィンク」を図書館で借りて読んだのでそちらを書かなきゃなぁとも思っていたのですがなんとも書く気がおきなかったので「小松左京自伝」とそれほど感想変わらないので、記事には書かないで割愛します。

さて本書、「覆面座談会事件」流れで興味を持った日本SF作家第一世代の作品として手に取りました。
もっとも本書の発刊は1979年と覆面座談会事件の10年後の作品です。
SFマガジン連載は1976年2月-1978年10月、当初は中編のつもりで連載したらしいですが延々と連載が続けられ結果大長編となったそうです。(元ネタwikipedia司政官シリーズ

覆面座談会で俎上に上げられていた「EXPO'87」を読んで厳しめなことを書いていて「眉村卓こんなものではないだろう」という思いもあり代表作である本作を手に取りました。

SFマガジン国内長編オールタイムベストで'06年28位'14年でも28位と安定した人気をもつ作品です。

本作はこれまで未読でしたが、図書館通いをしていた小学生高学年の頃(80年頃)分厚い単行本の本書を読もうとして何度か借り出した記憶があります。
(ハヤカワ文庫の初版が昭和56年-1981年-なので当時は文庫出ていなかったような気がします)
眉村卓はジュブナイルのイメージが強くなんとなく親しみやすい気がしていたのですが....。

当時の私には歯が立たずでそのたび数ページ読んで返すが続いていました。
私にとっては今回当時のリベンジともなったので感慨深いものがありました。

本自体はブックオフと古本屋1と2,3別々に見かけて108円・100円でハヤカワ文庫版を購入。

現在は創元で文庫2分冊で発売されており容易に入手が可能なようです。

司政官シリーズは1971年から中短編7作品が書かれており創元文庫で2008年「司政官全短編」としてまとめられておりこちらも割と容易に入手できるようです。

本書と並ぶ長編、1996年星雲賞受賞の「引き潮のとき」(1983年ー1995年SFマガジン連載)は(こちらも長いようで早川で単行本5分冊で刊行)文庫ではでていないのでamazonで調べたら一冊辺り6000円前後とかなり高い....。
文庫化かKindle化を望みたいところです。

本作冒頭の献辞に「アイザック・アシモフ氏へ」とあります。
3の鏡明氏の解説から引きますが「最初に<アイザック・アシモフ氏>へと書いたのは、アシモフ氏の「宇宙気流」で住民を退避させる話があるでしょう、一年かそこいらで。あれを読んであれっと思ったことがあるんです。そういう作業が現実に可能であるかどうか」(SF宝石創刊号での矢野徹と伊藤典夫との対談で著者が語ったとのこと)
ということが動機で書き出されたようです。

アシモフの作品の中でも割とお気楽な作品である(私の個人的感想)「宇宙気流」を読んでそんな感想をいだく発想が素晴らしい。
確かに大変でしょうね....。
その辺の回答は確かに本書を読むとよくわかります。(笑)

それを自分事と捉え、組織の人間として実現する立場として描いた著者のインサイダーSF論の象徴的作品といえるのではないでしょうか。

ちなみにインサーダ-SF論興味をもって調べたら覆面座談会事件の1年前のSFマガジン1968年2月号の日本作家特集の「新春SF放談会 SF人がこう評価する」にその源があるようで思わず入手してしまいました。

眉村氏熱く「インサイダーSF論」を語っているのですが誰にも理解されずで可哀想な気がしました。

なお座談会の他の部分で評論家の斉藤守弘氏が山本周五郎とSF作家比較的な話やら「最近のSFには発見性がない」などと発言して険悪なムードになりかけていいました、この辺が1年後の火種になってくるんでしょうねぇ..。

内容紹介(裏表紙記載)
1:
若き司政官マセは、初めての担当惑星となる1325星系唯一の惑星、ラクザーンについての情報を受けとっていた。最初の入植以来、わずか50年で異常なまでに繁栄しているラクザーン。だが、まもなくラクザーンの運命も終焉を迎える。太陽が新星化するというのだ。全住民、全企業体のすみやかな異星への移住---それは、かざりものとなりさがってしまっている司政官にとって、とてつもなく困難に思えた・・・・・惑星を覆う壮大なドラマを背景に、体制内で真摯に生きるひとりの司政官の生きざまを見事に描き出し、泉鏡花文学賞に輝いたSF巨編。
2:
太陽新星化にともなう全住民退避という課題を与えられた惑星ラグザーンの司政官マセは、かざりものの司政官から、絶対権力者たる司政官へと変貌をとげた。
そして緊急事態対策会議を乗りきり、住民投票により移住先を決定することに成功する。投票日当日、ロボット完了から次々に送られてくる投票経過報告。だが先住者ラクザーハはひとりとして投票所に現れない。結局、投票は植民者だけで終わった。やがて、ラクザーハ説得のため、マセは科学センターのランとともに先住者居住区を訪れたのだが・・・・・・泉境花文学賞受賞に輝く眉村SFの白眉
3:
1325星系の惑星ラクザーンの司政官マセは、太陽の新星化による全住民退避計画を推し進めていた。 すでに390万人の住民が移住先の惑星ノジランに旅立っていった。だが、通貨ラックスは日ごとに下落し、ロボット官僚や司政設備は頻繁に暴徒に襲われるようになっている。そして、ついに首都ツラツリットに大規模な暴動が起きた。治安部隊はすでに辺境地の暴徒鎮圧に赴き、いない。堅固な司政庁の壁も多勢の反乱者によってつぎつぎと打ち破られていく。しかも、反乱者たちは連邦軍の装備を身につけていた・・・・・・泉鏡花賞受賞に輝くSF巨編ここに完結


読後の感想、とても面白かったです。

時間が取れたこともあり1-3ほぼ1日で読み通してしまいました。(小学生のころが嘘のよう)

「もったいない」とも思ったのですが....手を止めることができませんでした...(笑)
日本SFの歴史に是非残して欲しい作品と思います。

筒井康隆の文学的才気あふれる作品とも小松左京のスケールの大きさもないですし、今どきの作家の「うまさ・たくみさ」もないかと思いますし、ヒロイン ランとのラブストーリーも何ともぎこちなくなのですが....。

ただただひたすら真面目に「インサイダー」の人間として奮闘を続ける司政官マセの姿を描いていく内容にはなんとも身につまされるものがあります。

50近いサラリーマンの私から見ると青臭いところもあるのですが、30前後くらいのちょっと大きい仕事を任されたサラリーマンにはかなり共感するところがあるのではないでしょうか。

無理矢理移民を進めていって最後の暴動が起こる辺りでは「どうなっちゃうの?」とはらはらしましたがまさか、ああいう風にもってくとは....。

あそこまでマセに頑張らせた後のベテラン司政官カデットのざっくり感...全部ひっくりかえしちゃう展開はなんともやりきれないところがありますが...。
まぁその辺もこの作品の味ですね。

ラスト近くの挫折感含め全体的に新人司政官の成長物語としても読めますね。

上記のとおり全体的にはよくできたすばらしい作品だと思うのですが何点か気になったところ。

冒頭、先住者ラクザーハと人類は「混血可能」との記述があったのですが...。
混血児はどこにいってしまったのでしょう?

そもそも現代の生物学(人類学?)の常識からするとかなり近接した種でないと混血できないはずなのですが...。
ラクザーハは太古の昔に移住した人類の設定????。
全体からすると細かい話なのですが気になってしまいました。
当初中編のつもりだっとのことなのでその辺深く考えていなかったのかもしれませんね。

ラストのラクザーハの話。
「移住できない」謎についてはいいと思うのですが、人類との哲学的な生き方の違いというか、精神体・超越者的概念を持ってくるところは日本SFにありがちともいえる「幼年期の終わり」的抹香臭さで私的にはいただけませんでした。

この部分もっとぼかしてか「そんなことも考えられるかなぁ」くらいにほのめかす程度でスマートに処理すれば現代でも十分通用する不朽の名作になったと思うのですが....。
ここ部分があることでなんとも古臭い感じがしました、大長編(「果てしなき流れの果に」「百億の昼と千億の夜」と同様)

にしてしまったのでついつい書いてしまった、もしくはもともとこの辺のテーマを中心に書こうとしていたのか?

最後ちょっとけなしたようですが....とても面白い作品です。

おじさん目線でのお薦め読書層は30前後のサラリーマンなのですが、ほんとにウケるかどうかは「???」です。(主人公と一体化するとどっと疲れるとは思いますが...。)

最後になりますが、ロボット官僚機構を使って植民惑星を司政官を統治するというスタイル。
著者はかなり頭をしぼったのでしょうがなんとも興味深い設定です、他の司政官シリーズも是非読んでみたいなと思います。
(そのうちですが....)

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百億の昼と千億の夜 光瀬龍著 角川文庫Kindle版

2018-02-12 | 日本SF
これまた「覆面座談会事件」の流れで手に取りました。

本作は'06年SFマガジン国内長編オールタイムベスト1位'14年同3位の日本SF界きっての定番作品です。
小中学生の頃に読んでおり社会人になってから萩尾望都にはまりマンガでも読み、その頃読み返した記憶もあります。

マンガの方は小学校低学年頃('77~78年)少年チャンピオンで連載されていたのはうっすら記憶にありますが、当時の私にはレベルが高くで読んではいませんでした。

当時のチャンピオンでは同じく光瀬龍による「ロン先生の虫眼鏡」も連載していたんですねぇ、こっちは読んでました。(懐かしい)
その他当時のチャンピオンは「ブラック・ジャック」やら「がきデカ」「マカロニほうれん荘」「ドカベン」など連載されていて全盛期でしたねー、これまた懐かしいです。

今回再読にあたっては手持ちのハヤカワ文庫 旧版ではなく。

48億の妄想」で実感したKINDLE版で読む時代性がなくなる感覚を味わおうとKIDLE版を入手し読みました。

安さにひかれ角川文庫版で読んだのですが....。

ハヤカワの新版は19993年にラスト部分加筆され「決定版」になっているんですね....。
知らなかったのでとても残念です。(今度どこかで立ち読みしよう...)

本書は「SFマガジン」に小松左京の「果てしなき流れの果に」の後をうけて1965年12月号から1966年8月号まで連載された作品です。

日本SFの記念碑的作品が当時相次ぎSFマガジンに連載されていたんですねぇ。
が...覆面座談会ではこの2作もあまり評価されていませんね....。

この2作、基本的には同じ世界観を描いている、というか同じ話を違う内容で書いたといような気がしています。
クラークの「幼年期の終わり」の影響絶対受けているのと、「超越」「宇宙を超える概念」的なものが主題になっています。

地球上での進化に超越的なものが関わるという概念は「2001年宇宙の旅
ともかぶっています。(映画公開1968年ですからほぼ同時代)クラーク的発想、当時のSF界ではやっていたんでしょうかねぇ。
前にもどこかで書いた気がしますが、そんな重い主題を小説でストレートに書くのはあまりスマートではない気が個人的にはしています。

そんなこともあり本作、何回か読んではいますが私の中での評価はずっと低かった作品でした。
(萩尾望都の漫画は名作と思っていました)

内容紹介(amazonより)
ギリシアの哲人プラトン、釈迦国の王子悉達多、ナザレの救世主イエス。彼らは世界の破滅を感知し、この世界を外から支配する超越者の存在を知る。幾千億の宇宙と人類の存亡をかけ、紀元前の過去から未来までの時空間の中で、彼らは巨大な力に戦いを挑んでいくが……宇宙の創世と終焉、神と人間、時の流れの非情さをテーマに、壮大なスケールで描く日本SF小説の金字塔。


今回の読み直しは、短編集「宇宙救助隊2180年」を読んで、私の中での光瀬龍の評価が従来よりかなりいい方に変わっていたこともあり新たな視点で読めてた気がします。

「果てしなき流れの果に」もかなり展開がとびとびな作品でしたが、本作も時代も場所もストーリーも非連続にどんどん切り替わります。
本作、ラストのある種の安直感が受け入れがたいものがあったのですが、長編として「ストーリーが成り立っていない感」もあり「名作」とは思えなかったのですが...。
今回読んでみて後段の辺は解消されました。

本作は連作短編として読むんだろうと思いました。

そういう眼で読むと各章なかなか味わい深く、楽しめました。
それぞれの背景のダイナミックさ仕掛けの巧みさ堪能できました。

[第五章 喪える都市]での、サイボーグ同士の戦闘シーンなど「ハイペリオン」のシュライクとの戦闘シーンのような鮮烈さでとても60年代の作品とは思えませんでした。

長編としての全体の完成度というより各章での世界観・イメージを楽しみ、全体としてのなにやら感慨めいたものを味わう作品と思いました。

ラストはもっとぼやかした方がいいんじゃないかなぁとは思いましたが…まぁそこが全ての作品ではないんでしょうね。
ということで納得できました。

「覆面座談会」でいえば「無常感」でしょうが、無常感というよりも「運命」と運命に抗う力との葛藤とある種のあきらめを描いている作品なような...。
ハヤカワ版で著者のあとがきをちらっとみたら興福寺の阿修羅像を見て、絶対勝てない帝釈天に戦いを挑む阿修羅王の姿を描きたかったというようなことが書かれていたのでまぁそういうことなのかもしれません。

それを「無常感」というのかもしれませんが....(笑)

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