しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

宇宙救助隊2180年 宇宙年代記1 光瀬龍著 ハヤカワ文庫

2017-12-31 | 日本SF

これまた「覆面座談会事件」流れで読みました。

光瀬龍作品は「百億の昼と千億の夜」と随分と昔に「征東都督府」を読んだくらいであまり読んだことがなく(あとジュブナイルの「夕ばえ作戦」は読んだことがある)私の中ではあまり評価の高くない作家でした。

「覆面座談会事件」の記事を書き時に「よく読んでもいないのにネガティブな評価を書くのもなぁ」ということもあり手に取りました。
本書は60年代にS-Fマガジンに不定期で掲載されていた短編を「宇宙年代記」としてまとめたものです。

本自体は神保町の古本屋さんで見かけて購入するだけしていましたが

長らく読む気もなく放置していました。
今回日の目をみてよかったです。

恒例の内容紹介は....書いていないのでなしです。
ちなみに手持ちのハヤカワ文庫版見ると昭和50年6月初版です。

現在は角川でKINDLE版「宇宙年代記合本版」として長編含めシリーズ全作収録されたものが出ています。

本書は「宇宙年代記1」となっていますが初出順でなくタイトルの年代順で構成されています。
ですが「シリーズ」と銘打っていてもそれぞれの話は独立しており基本世界観も統一はされていません。
いずれも「地球人が宇宙に出て活動しているようだ」というのが共通点でしょうか。

本書一読後の感想としては「いいなぁ」というもの。
本音を言えば「いいなぁ」の前に「意外に」がつくのですが....「意外に」を付けるのが「失礼だ」と思うくらいよかったです。

「覆面座談会」では光瀬龍を「無常SF」と茶化していましたが、そんな風に茶化すのが失礼ではないかというほど各作品いい出来でした。

基本的に全作品アシモフの短編の平均値を超える出来と感じましたし、なんだかしみじみ「いい」んですよねぇ....。
(もちろんアシモフ、外すときとんでもなく外すのを入れた平均値です)

文章もこなれていますし、眉村卓の「EXPO'87」的な硬さがなく完成されている感じでした。

惜しむらくは「とびぬけていい」というのがないくらいでしょうか。
完全に光瀬龍という作家に対する評価がひっくり返りましたSF作家第一世代恐るべしです。
(言い訳すると豊田有恒が「あなたもSF作家になれるわけではない」で光瀬龍は宇宙年代記シリーズなんかより「夕ばえ作戦」などの方が面白いと書いていたのを真に受けていました)

amazonなどでのネット上の評価も高いですね

早速「宇宙年代記2」のハヤカワ文庫版「辺境5320年」を入手してしまいました。
現在未読ですがこちらの方に各作の初出が書かれています。
(解説は福島正実氏!!)
こちらが2になっていますが1の本書収載作品より初出が古いものもありました。
併せて2冊の構成ということなんでしょうね。

なお本書収載の「晴の海1979年」が光瀬龍のデビュー作となります。

-各編紹介・感想 (初出)-
シティ0年(1963.5)
閉鎖された都市では疫病が蔓延し....。

ありがちなアイディアではありますが...因果応報な感じがよく出ています。

ソロモン1942年(1963.10)
ソロモン海戦(?)でのゼロ戦とグラマン機との戦闘とオーバーラップされる未来都市のテレパシーが使えなくなったことによる混乱....。

テレパシーパートはバビルの塔を模しているかと思いますが、うまい!!

晴の海1979年(1962.5)
月面で起こる正体不明の事件は....。

パニックものとしてはありふれた展開ではありますが、乗務員のあきらめなさ感がそそります。

墓碑銘2007年(1963.1)
危険な航海から何度もただひとり帰還してきたトジの次なる航海は...。

孤独な宇宙船員トジですが...ひどい仕打ちだなぁとおもいながらもそれでもあきらめない姿いいですねー。

氷霧2015年(1963.2)
木星探検隊がみたものは....。

木星が舞台ですが、20世紀前半の海洋探検ファンタジーのような趣のある作品です。
パイロット・ファーム2029年(1964.1)
金星開拓地の農場の危機は取り除いたが...。

サイボーグもの、意外な原因が判明するミステリータッチです。
これまた男くさい....他の作品も全部「あきらめない男」系なのでそう意味ではワンパターンなんですね。

幹線水路2061年(1962.10)
内海となったタリム盆地の水路からの水の流れがとだえ...。

水路監視員は果敢に謎の解決に向かいます..これまた「男」!

宇宙救助隊2180年(1962.8)
宇宙の英雄、宇宙救助隊の活躍の裏には....。

サイボーグものといってもいいでしょう...男たち頑張ります。

標位星2197年(1962.10)
引退近い標位星のキャプテン・ノアの最後の仕事は...。

これまた英雄的はたらきをする男の話です。

各話の感想書いていたらそれなりにワンパターンなのがわかりました...うーん。
すべていい話なんですが...「男臭い」です、私の好みなんでしょうね。

どれもそれなりにいいのですが、男臭さが比較的薄い「ソロモン1942年」、孤独なトジの姿が光る「墓碑銘2007年」が良かったと思います。

kindleで「完全版」も買ってしまいました...いつ読もう。

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小松左京自伝 実存をもとめて 小松左京著 日本経済新聞出版社

2017-12-30 | 日本SF
これまた「覆面座談会事件」流れでいろいろ調べている中で本書の存在を見つけて購入しました。
日本SF史を紐解くと小松左京の存在感の大きさが目立ちます。

日本沈没」は日本SF市場最初にして最大のベストセラーでしょうし、万博のプロデュースやら未来学やらいろいろ露出が多く世間的なポピュラーさでも日本SF界ではピカ一(だった)でしょう。
(今ではかなり忘れられているでしょうが....)
前にも書いたかもしれませんがちょっと前の立花隆や今では池上彰のような存在でしょうか。

ただ日本SF界にとってはその存在は功績ばかりではないような...。
日本での現在のジャンルとしてのSFの閉塞感の一端には小松左京の早川書房との対決やらも影響していそうな気がします。
(早川よりのS-Fマガジンの記事など読んでいるからかもしれませんが)

1980年代の角川映画とSFの関係(ハヤカワ文庫からなだれをうっっての角川文庫への移籍等)、野生時代、徳間書店から出ていた日本SF専門誌「SFアドベンチャー」など小松左京の存在大きかった気がします。

時代もバブルでしたが...あまりに狭い世界で日本SFを発達させて来て、SF作家第一、第二世代の後にポピュラーなSF作家もしくは「SF」も書く作家が出て来にくくなかったんじゃないかというようなところもあります...。
日本SFバブルとでもいうような状況を生み出して、その後が失われた時代になってしまったような...。

村上春樹などは小松左京曰くの「大文学」としてのSFとして捉えれば十分SF作家な気がしますし、マンガやらアニメやらでこれだけSF的なものが普及している国ですから本来日本人はSF好きなんだと思うのですがねぇ。
(別な文章で見ましたが小松氏 村上春樹の評価低かったようです...)

本書は2006年に日本経済新聞紙上で連載された「私の履歴書」をまとめたもの+小松左京研究会の同人誌「小松左京マガジン」に掲載された小松氏への聞きだした「自作を語る」「高橋和己を語る」を合わせて2008年に出版されたものです。

これも絶版なのでAmazonで古本を入手。

内容紹介(「BOOK」データベースより)
1973年に発表した『日本沈没』が大ベストセラーとなり、2006年にはリメイク映画も公開され話題を呼んだ、日本SF界の巨匠・小松左京。その原点とも言える、戦後の焼け跡から始まった青春時代、文学との出会い、SF作家の道を歩むに至った契機とは、どのようなものだったのか?また、今なお輝き続ける膨大な作品群を生み出した執筆の舞台裏では、どのような着想や人々との出会いが第あったのか?文学の枠を超え、宇宙とは、生命とは、そして人間とは何かを問い続ける作家の波瀾万丈の人生と創作秘話。


第一部の「私の履歴書」の方はいかにも「私の履歴書」な感じで(意味不明?)無難に書かれていることもありSFへの言及が少なくそちら方面ではもの足りません。

でも小松氏が戦前の関西の上中流階級の子どもとして育ち、京都大学といういかにもな当時の教養人として育ったのはよくわかりました。

この頃の同様に旧制高校ー新制大学という流れの作家では星新一やら(一高ではないですが)北杜生やらと同じですね。
小松左京氏の場合、理系でなく文学部で共産党に入党してしまったりして就職に失敗するあたりが違ってくるわけですが....。

全体的に「当時としては最高の教育を受けたんだ」という自負のようなものを強く感じました。
その辺が後の万博やら未来学やらに積極的に関わっていくことにつながるんでしょうね。
もちろんかなり頭のいい人で好奇心旺盛だったというのもあるんでしょうけれども「自分は京大出の知識人」という意識は影響していたのではないでしょうか。

SF作家としての小松左京としてはその辺時間とられてしまったのが惜しいところです。
同じ関西出身の手塚治虫(大阪帝国大学医学部卒)などはアニメで若干時間はとられたのでしょうが文化人的活動はしなかったので質、量ともに圧倒的な作品群を残せたというのもありそうな...。
まぁ創作に対する執念の違いかもしれませんが。

第二部 自作を語るでは作品成立の裏話が書かれており小松ファンには楽しめる内容になっているのだと思います。
ただそれほど深くは自作をそれほど深くは掘り下げず周辺事情中心なので物足りない人には物足りないかもしれません。
「日本アパッチ族/復活の日」では福島正実氏を怒らせたいきさつなど語っています。
「日本アパッチ族」は「本格SFじゃないのでいいかと思った」そうですが....「未踏の時代」での記載みるとどうでしょう...。

前にも書きましたが私的には小松左京の長編はどこかで最後の方放り投げる雑さがあって正直それほど好きではありません。(作者本人も放り投げているのを認めていますしねぇ....)

「覆面座談会」でも溢れるほどの才能を「レムに匹敵する」とまで評価された人なのに惜しいですね...。

ただ自作を語るを読んでいると、なかなか面白そうなのでそのうち読んでみようかなぁとは思っています(特に短編)いつになるかは???ですが....(笑)

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EXPO’87 眉村卓著 角川文庫

2017-12-30 | 日本SF
これまた「覆面座談会がらみで読み出しました。
本作、座談会では酷評とはいえないまでもかなりけなされていました....。

眉村卓氏の作品は角川文庫で出ていたジュブナイル作品(「ねらわれた学園」やら)を小学生時代かなり読んでいました。

本書も当時角川文庫に収載されていたのは知っていて「ちらっと」気になっていなのですが、「大人向け」ということもあり敷居が高く買わず、読まずでした。

今回35年越しの再会です。
1968年発刊の作品、絶版のため本自体はamazonで古本で入手
このカバー懐かしい....。

内容(表紙折り込み記載)
人類文明の祭典”万国博”が三年後に予定され、各社が新製品の出品をめぐり、激烈な競争をしていた。大阪レジャー産業にも”夢を作る装置”に財閥関係企業から不当な圧迫が加わった。
が、剛腹な専務は、総合プロダクションを使って反撃を開始した・・・。
 しかし謀略合戦は、企業間だけにはとどまらない。男性優位の文明を一気に覆そうと、万博反対を叫ぶ女性の党の画策。マスコミ操作で自己満足に生きる”ビッグ・タレント”。そして産業コントロールのために育成された能力人間”産業将校”の思惑・・・。社会は今、巨大な渦となって動きはじめた・・・。
 産業文明を鋭く抉り、人類のあり方を考察する問題の近未来社会SF


「覆面座談会事件」では
”E 三章までは面白かったな。でもそれからが……伏線が陳腐だし、第一あの催眠術が困っちゃうな。あれが、結局一番大きな役割を果すものになってるからね。未来の経済の動きそのままが出てくる未来SFとして、最初すごく期待したし、結構も悪くなかったと思うんだけど……。”
と評されていますが....。

私もまったくの同感でした。
出だしは「近未来」の感じもいい感じで出ていて「産業将校」もネーミングは別としてサイバー・パンクっぽい感じで「オッ」と思ったんですが...。

催眠術が出た辺りで完全にいつもの眉村卓の「ジュブナイル」と同じになっていまた....。
「産業将校」とコンサルティング会社の山根氏、ビック・タレントとの知恵を絞った戦いなど楽しみだったのですが...。

最後は催眠術でなんとかしてしまうのか思うと安直感が拭えませんでした。
ジュブナイルで美少年が高校の生徒会長に催眠術使うのならありかもしれませんが、政党やら財閥系企業の幹部に催眠術使って支配権手に入れるって...どうでしょう?

が....、「産業将校」同士の会話が常人に理解できないものなことやら、創造者の意図に反して自己増殖していくところなど今の「AI」をめぐる懸念そのもので着想はいいと感じましたが、当時の眉村卓氏の筆力ではここが限界だったんでしょうね.....。(文章もなんだかおかしい部分が目立ちました)

文明論的なものも書かれていたのですがストーリが安直な中で語られてもちょっと薄っぺらに感じました。

財閥系の会社の経営陣、大坂レジャー産業の専務なども源氏鶏太のサラリーマン小説的な紋切り型だったような気もします。

全体的にけなしてしまいましたが発刊年の1968年当時ではそれなりに目新しかったのかもしれませんし、着想は買いなのですが、現代視点でみると読む価値が低い作品な気がしました。

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日本SF論争史 巽孝之編  勁草書房

2017-12-30 | 日本SF
これまた「覆面座談会事件」がらみで入手しました。
結構高いので買おうかどうか悩んだのですがamazonで古本を入手しました。

「調べてみよう」などと思わなければまず買わないし読まない本なので入手しただけでなかなか味わい深いものがありました。

何やら入り込んではいけないものに入ってしまったような...。
SFには興味あっても「SF論争史」に興味ある人…少ないでしょうねー(笑)
といいながらも本書は第21回(2000年) 日本SF大賞を受賞しています。
SFファンの間で需要はある程度あったんでしょうが...。
(日本SF大賞って...)

編者の巽孝之氏はその奥様の小谷真理氏とならび2014年の大森望氏をめぐるSF作家クラブのお家騒動の 中心人物としてネット上やらで有名になった人です。
(私はそれまでお名前知らなかったです)

日本は「和」の国とはいいますが…いざ趣味やら小集団の集まりだと小党派に分裂してまとまらないケース多いですよね...。

思い入れの強い人が多いんでしょうかねぇ、新しくは民進党やら、空手もなかなか統一組織ができずオリンピッック競技に採用されるのにテコンドーに遅れとってますし…。
剣道もいろいろ流派あるようで。

いろいろ「いわれ」や「こだわり」はあるんでしょうが…どこかで割り切って組織化しないと日本を代表する組織とは認められなにくいような気がするのですが….。
その辺「柔道」を日本のみならず世界的にまとめた嘉納治五郎先生は偉大だったんでしょうねぇ…。

SF作家クラブの騒動も現実世界は「勧善懲悪小説」ではないのでどちらが「正しい」かは「???」ですし、まぁどちらが正しいというわけでもないのでしょうが…。
私のような「コア」ではないSFファンにポピュラーなのは大森望氏かと思いますので本書の編者巽氏よりも大森氏寄りに見てしまうかなぁ…。

その辺大森望氏側にいるであろう山形浩生氏の論考リンクしておきますので興味のある方はご一読を。
本書とセットで読むとなかなか味わい深いかと。

本書の構成は巽孝之氏はあくまで編者として中立な立場から1963年から1997年までのSFに関する論争を取り上げています。
内容(「BOOK」データベースより)
これが論争の花道だ!安部公房、小松左京、筒井康隆、笠井潔、大原まり子…現代のSFをつくりあげた論客による、各時代を代表するSF批評全21編を収録。SFの成果を豊穣な思想史として位置づける。

文学における「論争」に真実・真理はないので(と私は思います..)どうも泥試合になりやすいですね…。

初期の論争は「少しでもSFを広めよう」ということで無理やり論争盛り上げた感もあるようですがが、基本文学作品の価値は読んだ人それぞれだと思っています。

私的に「つまらない」と思った作品でも評論で「ここはこういう取り方ができる」というようなことが書かれているのを読むと、ふっと眼からうろこが落ちた感じで「おもしろい」と思うことがあります、
でそういった意味で基本「読み巧者」である専門家の意見は役には立ちますが、ジャンルの「本来の在り方」などを「論争」しても結論はでないような気がするのですが…。

そういう意味では本書収載の中では伊藤典夫氏の“「スコッティはだれと遊んだ?」ーオースン・スコット・カード「消えた少年たち」を読む」”が一番面白く読めました。

この人の読み方は「深い」というか「すごい」というか…。
評論集など出版されていれば是非読みたいところですが、これだけ各所にいろいろSF関係の文章を出しているというのに本は一冊も出していないようです。

なんとももったいないというか残念というか…。

これだけ深く読める人の頭の構造は常人には計り知れませんが職人肌な人なんでしょうねぇ。

またこの「論争史」読んでみると日本SFにおける小松左京の存在の大きさを改めて感じます。
編者の立ち位置の問題もあるのかもしれませんが、「日本SF」のメインストリームに居続けた人ではあるんでしょうね。

なお論争の中で筒井康隆にも触れている人はいますが…。
星新一に触れているのは覆面座談会流れの山野浩一氏の「日本SFの原点と志向」だけでした、扱いにくいんでしょうねぇ。

以下個別に紹介と感想など

序説 日本SFの思想 巽孝之
第一部SF理論のハードコア
第1章 安部公房
「SFの流行について」 1965年
「SF、この名づけがたきもの」 1966年

「仮説」の文学としてのSFの可能性を論じています。
 安部公房が現在どれほどポピュラーなのかわからないのですが...。
「SF作家」というよりは純文学の作家に分類される作家ですよね。
 昔よく読みましたが「仮説の文学」よく表現されていたような気がします。
 日本のSFも「ジャンンル」に閉じこもるのでなく安部公房氏のような表現まで含有する方向で発展していたらまたずいぶん違ったのではないかなどと思いました・。
 
第2章 小松左京
「拝啓イワン・エフレーモフ様ー「社会主義的SF論」に対する反論」1963年

日本のミスターSF小松左京氏の「社会主義敵SF論」批判です。
「科学」を取り込んだ文学=SFが「明日の大文学」に寄与するという論に対して、「SFこそ大文学になりうるもの」との立場での小松左京氏の反論です。
安部公房氏と同様な内容かと、若き小松左京氏のSFに対する熱気が伝わってくる文章です。
 
「”日本のSF”をめぐってーミスターXへの公開状」 1967年

朝日新聞に載った「日本のSF」なる匿名の記事に対する反論です。
記事は「日本のSF」への批判というよりも小松左京氏の「復活の日」及び「未来学」に入って行っていることへの批判という感じの内容です。
「復活の日」読み方によってはかなり外連味のある作品な気もするので、この評者の気持ちもわかるような気もするのですが....。
これまた若き日の小松左京氏の勢いが伝わってきます。

第二部論争多発時代
第1章 福島正実
「未踏の時代」 1977年
「SFの夜」 1966年

未踏の時代」収載の荒氏への反論を収載したもの。
「SFの夜」は当時の福島氏に対する批判を受けた感じの近未来小説です。
「SFの夜」なかなか楽しめました。
 
第2章 石川喬司
「ハインライン「宇宙の戦士」論争」1967年

矢野徹訳の旧版「宇宙の戦士」には「ハインライン論争」収載されていたのですが、新版ではどうでしょうか?
「マッチョ」なハインラインに対するSFマガジン読者からの批判を収載し論評しています。

第3章 山野浩一
「日本SFの原点と志向」 1969年

「覆面座談会」ででた論拠を論文的にまとめたもの。
日本SFは英米の模倣から離れて独自進化を歩むべきというもの。

第4章 荒巻義雄
「術の小説論ー私のハインライン論」1970年

カントやらなにやら引き合いに出してハインライン論を展開していますが...。
「なにやら前向きなことを書きましょう」ということを観念的に表現しただけのような...。

第5章 柴野拓美
「集団理性」の提唱」 1971年

宇宙塵を主催したSFファンダムの草分け柴野拓美によるSF論。
氏の定義ではSFとは「人間理性の産物が人間理性を離れて自走することを意識した文学」とのこと。気分は
なんとなくわかりましたが....まぁ柴野氏はそう思うんでしょうねぇという感想です。

第三部ニューウェーヴ受容後
第1章 田中隆一
「近代理性の解体+SF考」1970年

ベーコンやら(食べ物ではない)プラグマティズムやら持ち出して議論してますが....。
私には用語を無意味に持ち出しているようにしか見えませんでした...。

第2章 川又千秋
「明日はどっちだ!」 1972年

要は従来の「センス・オブ・ワンダー」なSFからニューウェーブやらなんやらいろんな方向に散らばっていくということをいっているような・・・。

第3章筒井康隆
「現代SFの特質とは」 1975年

いろいろ前衛的な手法も試している筒井氏のSF論。まぁ「いろんなSFの形があるよねー」ということでしょうか。
氏のSF論としては「虚構船団の逆襲」の方が面白い気がしました。

第四部サイバーパンク以前以後
第1章 笠井潔
「宇宙精神と収容所ー小松左京論」1982年

果てしなき流れの果に」とクラークの「幼年期の終わり」を対比して論じています。
これまたヘーゲルやらマルクスやらハイデッガーやら出して論じていますが、前出の田中隆一氏の文章よりはわかりやすかったです。
小松左京自身、マルクスーヘーゲル、カミュ-サルトルに影響されているということはいっているのでまぁそうなんでしょう。
ただ「幼年期の終わり」に代表される「超越的なもの」を出して何かと対峙させるという考え方は日本のSF作家(に限らない?)好きな展開な気がしますが....ちょっと「安直では?」などと思っています。

第2章 永瀬唯
ブルース・スターリング「真夜中通りのジュール・ヴェルヌ」訳・解説 1987年

前述の山形浩生氏の論文で徹底的にバカにされている文章ですが....。
解説部分はサイバーパンク礼賛(?)なのでしょうが...いまいち意図が伝わってきませんでした。 
「スペキュレイティヴ・アメリカー思弁小説の父ハインラインとアメリカ保守の理想」 1998年
前述のブルース・スターリングのヴェルヌに対する試みに模してハインラインを評したのでしょうが....一般論だなぁとは感じました。

第3章 伊藤典夫
「スコッティはだれと遊んだ?」ーオースン・スコット・カード「消えた少年たち」を読む」1991年

ひたすら愚直に作品を解剖していきます。
「ピータ・パン」との関連性などその深い読みは上質のミステリーを読んでいるようです。
「消えた少年たち」読んだことがないのになんとも感心してしまいました。
(なおここで評されている「消えた少年たち」は短編版の方で長編とは設定等全然ちがっているそうです。)
伊藤典夫「評論集」是非出版して欲しいです。

第五部ジェンダー・ポリティクスの問題系
第1章 野亜梓
「ジャパネスクSF試論」 1993年

日本SFの問題を「天皇制」から論じていますが...。
 日本人のメンタルのどこかに天皇制が影響を与えているとは思いますが...SFとしてどうなんでしょう?

「花咲く乙女たちの「ミステリ」」1995年

「やおい」=「やまなし、おちなし、いみなし」の少女の少年同性愛マンガからSFにつなげていますが....「まぁそんあ見方もあるかねぇ」という以上の意味があるのでしょうか?

第2章小谷真理
「ファット/スラッシュ/レズビアンー女性SF読者の文化史」1993年

アトウッドの「侍女の物語」やらティプトリーら女性SF作家、作品論を女性の立場から展開しています....がちょっと強引なようには感じました。

第3章大原まり子
「SFの呪縛から解き放たれて」1997年

女性SF作家である氏のSFとは何かの自問結論は「SFとは二十世紀に花開いたひとつの美学なのだ」自身でもなかなか結論でていないようです。
本稿追記で(1999年9月)で大原氏が「現在進行しているのは、ジャンルの解体ではないか」というのは同感でした。

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