これまた「
覆面座談会事件」がらみで入手しました。
結構高いので買おうかどうか悩んだのですがamazonで古本を入手しました。
![](https://c1.staticflickr.com/5/4579/38152482291_724d920e10_n.jpg)
「調べてみよう」などと思わなければまず買わないし読まない本なので入手しただけでなかなか味わい深いものがありました。
何やら入り込んではいけないものに入ってしまったような...。
SFには興味あっても「SF論争史」に興味ある人…少ないでしょうねー(笑)
といいながらも本書は第21回(2000年) 日本SF大賞を受賞しています。
SFファンの間で需要はある程度あったんでしょうが...。
(日本SF大賞って...)
編者の巽孝之氏はその奥様の小谷真理氏とならび2014年の大森望氏をめぐるSF作家クラブのお家騒動の 中心人物として
ネット上やらで有名になった人です。
(私はそれまでお名前知らなかったです)
日本は「和」の国とはいいますが…いざ趣味やら小集団の集まりだと小党派に分裂してまとまらないケース多いですよね...。
思い入れの強い人が多いんでしょうかねぇ、新しくは民進党やら、空手もなかなか統一組織ができずオリンピッック競技に採用されるのにテコンドーに遅れとってますし…。
剣道もいろいろ流派あるようで。
いろいろ「いわれ」や「こだわり」はあるんでしょうが…どこかで割り切って組織化しないと日本を代表する組織とは認められなにくいような気がするのですが….。
その辺「柔道」を日本のみならず世界的にまとめた嘉納治五郎先生は偉大だったんでしょうねぇ…。
SF作家クラブの騒動も現実世界は「勧善懲悪小説」ではないのでどちらが「正しい」かは「???」ですし、まぁどちらが正しいというわけでもないのでしょうが…。
私のような「コア」ではないSFファンにポピュラーなのは大森望氏かと思いますので本書の編者巽氏よりも大森氏寄りに見てしまうかなぁ…。
その辺大森望氏側にいるであろう山形浩生氏の論考
リンクしておきますので興味のある方はご一読を。
本書とセットで読むとなかなか味わい深いかと。
本書の構成は巽孝之氏はあくまで編者として中立な立場から1963年から1997年までのSFに関する論争を取り上げています。
内容(「BOOK」データベースより)
これが論争の花道だ!安部公房、小松左京、筒井康隆、笠井潔、大原まり子…現代のSFをつくりあげた論客による、各時代を代表するSF批評全21編を収録。SFの成果を豊穣な思想史として位置づける。
文学における「論争」に真実・真理はないので(と私は思います..)どうも泥試合になりやすいですね…。
初期の論争は「少しでもSFを広めよう」ということで無理やり論争盛り上げた感もあるようですがが、基本文学作品の価値は読んだ人それぞれだと思っています。
私的に「つまらない」と思った作品でも評論で「ここはこういう取り方ができる」というようなことが書かれているのを読むと、ふっと眼からうろこが落ちた感じで「おもしろい」と思うことがあります、
でそういった意味で基本「読み巧者」である専門家の意見は役には立ちますが、ジャンルの「本来の在り方」などを「論争」しても結論はでないような気がするのですが…。
そういう意味では本書収載の中では伊藤典夫氏の“「スコッティはだれと遊んだ?」ーオースン・スコット・カード「消えた少年たち」を読む」”が一番面白く読めました。
この人の読み方は「深い」というか「すごい」というか…。
評論集など出版されていれば是非読みたいところですが、これだけ各所にいろいろSF関係の文章を出しているというのに本は一冊も出していないようです。
なんとももったいないというか残念というか…。
これだけ深く読める人の頭の構造は常人には計り知れませんが職人肌な人なんでしょうねぇ。
またこの「論争史」読んでみると日本SFにおける小松左京の存在の大きさを改めて感じます。
編者の立ち位置の問題もあるのかもしれませんが、「日本SF」のメインストリームに居続けた人ではあるんでしょうね。
なお論争の中で筒井康隆にも触れている人はいますが…。
星新一に触れているのは覆面座談会流れの山野浩一氏の「日本SFの原点と志向」だけでした、扱いにくいんでしょうねぇ。
以下個別に紹介と感想など
序説 日本SFの思想 巽孝之
第一部SF理論のハードコア
第1章 安部公房
「SFの流行について」 1965年
「SF、この名づけがたきもの」 1966年
「仮説」の文学としてのSFの可能性を論じています。
安部公房が現在どれほどポピュラーなのかわからないのですが...。
「SF作家」というよりは純文学の作家に分類される作家ですよね。
昔よく読みましたが「仮説の文学」よく表現されていたような気がします。
日本のSFも「ジャンンル」に閉じこもるのでなく安部公房氏のような表現まで含有する方向で発展していたらまたずいぶん違ったのではないかなどと思いました・。
第2章 小松左京
「拝啓イワン・エフレーモフ様ー「社会主義的SF論」に対する反論」1963年
日本のミスターSF小松左京氏の「社会主義敵SF論」批判です。
「科学」を取り込んだ文学=SFが「明日の大文学」に寄与するという論に対して、「SFこそ大文学になりうるもの」との立場での小松左京氏の反論です。
安部公房氏と同様な内容かと、若き小松左京氏のSFに対する熱気が伝わってくる文章です。
「”日本のSF”をめぐってーミスターXへの公開状」 1967年
朝日新聞に載った「日本のSF」なる匿名の記事に対する反論です。
記事は「日本のSF」への批判というよりも小松左京氏の「
復活の日」及び「未来学」に入って行っていることへの批判という感じの内容です。
「復活の日」読み方によってはかなり外連味のある作品な気もするので、この評者の気持ちもわかるような気もするのですが....。
これまた若き日の小松左京氏の勢いが伝わってきます。
第二部論争多発時代
第1章 福島正実
「未踏の時代」 1977年
「SFの夜」 1966年
「
未踏の時代」収載の荒氏への反論を収載したもの。
「SFの夜」は当時の福島氏に対する批判を受けた感じの近未来小説です。
「SFの夜」なかなか楽しめました。
第2章 石川喬司
「ハインライン「宇宙の戦士」論争」1967年
矢野徹訳の旧版「
宇宙の戦士」には「ハインライン論争」収載されていたのですが、新版ではどうでしょうか?
「マッチョ」なハインラインに対するSFマガジン読者からの批判を収載し論評しています。
第3章 山野浩一
「日本SFの原点と志向」 1969年
「覆面座談会」ででた論拠を論文的にまとめたもの。
日本SFは英米の模倣から離れて独自進化を歩むべきというもの。
第4章 荒巻義雄
「術の小説論ー私のハインライン論」1970年
カントやらなにやら引き合いに出してハインライン論を展開していますが...。
「なにやら前向きなことを書きましょう」ということを観念的に表現しただけのような...。
第5章 柴野拓美
「集団理性」の提唱」 1971年
宇宙塵を主催したSFファンダムの草分け柴野拓美によるSF論。
氏の定義ではSFとは「人間理性の産物が人間理性を離れて自走することを意識した文学」とのこと。気分は
なんとなくわかりましたが....まぁ柴野氏はそう思うんでしょうねぇという感想です。
第三部ニューウェーヴ受容後
第1章 田中隆一
「近代理性の解体+SF考」1970年
ベーコンやら(食べ物ではない)プラグマティズムやら持ち出して議論してますが....。
私には用語を無意味に持ち出しているようにしか見えませんでした...。
第2章 川又千秋
「明日はどっちだ!」 1972年
要は従来の「センス・オブ・ワンダー」なSFからニューウェーブやらなんやらいろんな方向に散らばっていくということをいっているような・・・。
第3章筒井康隆
「現代SFの特質とは」 1975年
いろいろ前衛的な手法も試している筒井氏のSF論。まぁ「いろんなSFの形があるよねー」ということでしょうか。
氏のSF論としては「虚構船団の逆襲」の方が面白い気がしました。
第四部サイバーパンク以前以後
第1章 笠井潔
「宇宙精神と収容所ー小松左京論」1982年
「
果てしなき流れの果に」とクラークの「
幼年期の終わり」を対比して論じています。
これまたヘーゲルやらマルクスやらハイデッガーやら出して論じていますが、前出の田中隆一氏の文章よりはわかりやすかったです。
小松左京自身、マルクスーヘーゲル、カミュ-サルトルに影響されているということはいっているのでまぁそうなんでしょう。
ただ「幼年期の終わり」に代表される「超越的なもの」を出して何かと対峙させるという考え方は日本のSF作家(に限らない?)好きな展開な気がしますが....ちょっと「安直では?」などと思っています。
第2章 永瀬唯
ブルース・スターリング「真夜中通りのジュール・ヴェルヌ」訳・解説 1987年
前述の山形浩生氏の論文で徹底的にバカにされている文章ですが....。
解説部分はサイバーパンク礼賛(?)なのでしょうが...いまいち意図が伝わってきませんでした。
「スペキュレイティヴ・アメリカー思弁小説の父ハインラインとアメリカ保守の理想」 1998年
前述のブルース・スターリングのヴェルヌに対する試みに模してハインラインを評したのでしょうが....一般論だなぁとは感じました。
第3章 伊藤典夫
「スコッティはだれと遊んだ?」ーオースン・スコット・カード「消えた少年たち」を読む」1991年
ひたすら愚直に作品を解剖していきます。
「ピータ・パン」との関連性などその深い読みは上質のミステリーを読んでいるようです。
「消えた少年たち」読んだことがないのになんとも感心してしまいました。
(なおここで評されている「消えた少年たち」は短編版の方で長編とは設定等全然ちがっているそうです。)
伊藤典夫「評論集」是非出版して欲しいです。
第五部ジェンダー・ポリティクスの問題系
第1章 野亜梓
「ジャパネスクSF試論」 1993年
日本SFの問題を「天皇制」から論じていますが...。
日本人のメンタルのどこかに天皇制が影響を与えているとは思いますが...SFとしてどうなんでしょう?
「花咲く乙女たちの「ミステリ」」1995年
「やおい」=「やまなし、おちなし、いみなし」の少女の少年同性愛マンガからSFにつなげていますが....「まぁそんあ見方もあるかねぇ」という以上の意味があるのでしょうか?
第2章小谷真理
「ファット/スラッシュ/レズビアンー女性SF読者の文化史」1993年
アトウッドの「
侍女の物語」やらティプトリーら女性SF作家、作品論を女性の立場から展開しています....がちょっと強引なようには感じました。
第3章大原まり子
「SFの呪縛から解き放たれて」1997年
女性SF作家である氏のSFとは何かの自問結論は「SFとは二十世紀に花開いたひとつの美学なのだ」自身でもなかなか結論でていないようです。
本稿追記で(1999年9月)で大原氏が「現在進行しているのは、ジャンルの解体ではないか」というのは同感でした。
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