某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

オスカー・ワイルド夫人の死因

2015-06-01 02:48:53 | 健康
(また途中で飛んで入ってしまった。殆ど書きあげていたのに、ごく一部だけ。訳が分からない。未完のものを消せるといいが、それも出来ない。こまったものだ。)
 ワイルド夫人は40歳で亡くなったから、死因について色々とり沙汰されたらしい。階段から落ちて背骨を傷つけた為とか、亭主(オスカー)にうつされた梅毒の為とか。私が気になったのは、ここにも梅毒がでてきたからだ。
 夫人の死因は、孫(オスカーに孫がいるのだ)の筋からの確かな情報として、筋肉が硬化して激しい痛みにさいなまれ、歩行も困難になり、治せるという医者の手術をうけてなお悪くなったためだと言う。別の医者が、あの医者の手術は危険だからやめろと忠告したが駄目だったとか。亭主(オスカー)はホモで二年?も投獄されたほどだから、梅毒に感染する危険はまずなかろう。だから、梅毒説は多分為にする悪い噂だろう。
 「ドラキュラ」の作者ブラム・ストーカーはオスカー・ワイルドとダブリン大学トリニティ・カレッジで同級生だったが、オスカーがやたらあちこちに旅行していて、フィアンセをほったらかしにするので、彼女をブラム・ストーカーが取ってしまった、という話を聞いたことがある(トリニティ・カレッジのブラム・ストーカーを研究していた学生から。)それが本当なら、夫人は後からの人になる。
 梅毒で死んだとされる人には、シューベルトやニーチェがいる。だが、私は、シューベルトの死因を発疹チフスだと思っていた。なぜなら、敗戦後ラジオが未完成交響曲の冒頭の部分を流し「シューベルトは発疹チフスで死にました。皆さんDDTで虱を退治しましょう」と放送していたからだ。シューベルトは貧乏だったから虱にたかられて発疹チフスになったとしたのだろう。当時は日本中虱だらけ。東京の大きな駅では進駐軍が乗降客の頭から服の中までDDTをぶっかけていた。皆嫌がったから、ラジオで宣伝したのだろう。DDTで具合を悪くした人も多かろう(やがてDDTでは蚊も死ななくなった。私がロンドンに留学していた時、DDTに代わる殺虫剤を研究する人と懇意になり、DDTの恐ろしさ、代わりを作るむずかしさを散々聞かされた。)それなのに、いつからか死因は梅毒になった。シューベルトをおとしめる為の噂だろうか。梅毒だと時に凄まじく頭が冴えると言う。ニーチェがその典型で、『ツァラトウストラかく語りき』は梅毒の産物だと言う人さえいる。しかし、これも為にする噂ではないか、と思う。
 本当に梅毒で終りを汚した人もいる。ウインストン・チャーチルの父ランドルフはそうらしい。昔ダブリンでみた映画、Young Winston,というタイトルだったか、チャーチルの伝記映画に重要な事実として描かれていた。ランドルフは北アイルランドのユニオニストを激励して「自治(ホーム・ルール)はローマの支配(ローム・ルール)」と唱え、民族派の自治権要求に反対して北アイルランドをイギリスに留めさせた政治家だ。病気は気の毒だがやっぱりな、と思ってしまう。
 今は,医学生でも見る事の出来なくなったほど、梅毒は退治されたらしいが、戦後まで日本でも猛威をふるっていたらしい。黒沢の映画に、梅毒患者の治療で誤って自分の体を傷つけて感染した若い医師が人格を疑われる話があった。人類の敵、善良な市民の敵。病気が感染者の人格まで貶めるという点で、今はエイズがその位置にいるのだろう。人類の敵はやはりウイルスか。
コメント
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