児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

長崎のアウトリーチコーディネーター育成講座

2010年03月09日 | 各地にて
21年度の長崎ブリックホールでのアウトリーチコーディネーター講座は、3月7日に最後のミーティングがあってあとは報告書だけになった。担当してくれた野田さんほか、手間がかかる事業だったと思うのだけれど、2年目の今年は色々と収穫があった(わたしは結局4回顔を出したくらいになってしまったけれど)。1年目は何はともあれやってみよう、ということが優先していたのだけれど今年はかなり様相が違う。ちゃんとステップになったようにおもう。
これは基本的にはボランティア(サポーター)的な人の育成を考えてスタートしているけれど、彼らの中から市の委託を受けて実行する人たちが出来てくることも視野に入れている(市がそこに踏み込むかどうかはさておき・・)

昨年~今年のおおむねの進行は
7月 講座(アウトリーチ意義、実際の作業についてのレクチャー、相手を知るための手法の話し、班分けなど)(児玉、桜井)
7-8月 各班ごとに3回程度のミーティング(ターゲッティング、調査など)
9月   おおよそ固めたアウトリーチ計画のプレゼン(児玉)
9-11月 各班ごとに3回程度のミーティングと実施先への説明及び決定(演奏家とのミーティングを含む)、演奏家との下見など。
12月 アウトリーチ経験の豊かな演奏家を招聘して体験したり話を聞く講座(白石)
1月から2月 各班ごとに実施。
3月  2年目のグループの計画による田村緑のアウトリーチを実施(児玉)。
    総括ミーティング(児玉)

である。ことしは各班が相手先を決めるのに、一定のマーケティング的調査をしたのが画期的。わたしはボランティアのコーディネーターは、その人が普段の生活の中で持っている問題意識の延長線上にアウトリーチ先があるのが一番良いと思っている。社会的な市民ボランティアのあり方として自分の身の回りの人たちを豊かにしたいと考えるのは大事である(個人の我が儘になるとまずいのだけれど)。子どもがいれば教育に、両親が年をとってくれば福祉とかに興味を持つのは自然だし、その意識の中で音楽をアウトリーチする対象を考えるのは、社会的な意義と同時に個人的な意味も持つので長続きするのである。極端に言えば市が直接やるのはそこで果たせない問題を解決すればいいともいえる。
ただ、日常の中で、これだけの手間を一つのアウトリーチにかけるのは時間的にも案外大変だろうと思う。プロデュース全般に言えるのだけれど、手をかければかけるほど良いのできりがないのだ。何処で見切るかはかなり重要な技術である。

でも、数多くやり過ぎているわたしとしては、かなり示唆に富んだミーティングだった。10数年やってきても、まだまだ整理が出来ていないし、現場での細かい気配りなどプロとしてのノウハウはまだまだ足らないことが分かった部分もあるから。自分とは違ったところで専門性を持っていたり、新鮮な感覚を持っているいるボランティアを大事にするのはこういうことがあるから必要なのだと再認識した次第。
(写真はガラコン前日の3月5日に西町小で行った田村緑のアウトリーチ)





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