児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

一年数ヶ月ぶりにブログ復帰します

2015年01月05日 | 徒然
フェイスブックが便利すぎてどうも健康的で無い気がするので2015年からブログ復帰しようと思います。両方できるかどうかは??ですけど、できるといいなあ。まずは手紙形式ではじめますね。
ついでに、サボっているフィールドノートの方もまた少しづつあげていくことにします。いろいろなものを入れるとここ8年ほど年間100回程度の現場にいることになりますが(明らかに多すぎ。もっと別の方向から考えないとね)、まだまだ新鮮なことにもつきあえるので。
アウトリーチプログラムは、それぞれの演奏家が自分と本気で向き合い、時間と才能を削りながら個性を出して作っていくものなので、安易に真似をされるのが嫌、という気持ちは痛いほど分かります。それですこし控えたということもあるのですが、でもそういう人は決してアウトリーチで成長はできないでしょう。


Aさん---

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

2015年はいろいろな意味で変化が大きい年になりそうな予感がします。
それは、世の中のこともいろいろありそうですが(表面的にはなくても深い部分では、今まで当たり前だったことが当たり前でなくなる、という時代の底流がどこで吹き出してくるかという時期に来ていると思います)、私自身についても同じだろうと予想しています。ただ自分の深い部分の水脈が未だよく分かっていないかもしれない。無いかもしれないしね。

時代がかなり危ない状況にあるのは、芸術や文化の分野で生活している人間は一番気にしなければいけない。昨今のように、人間の一つの本能である競争心や生活向上心や単純化の気持ちなど換算しやすいものを中心に日常のムードが作られているなかで、複雑系ともいえる芸術文化がどういう位置を占めるのか、人間にとってどういうものなのか、またどのように提示するのか、ということが問われている気がします。そういう危なさを20世紀終盤まではあまり意識しないで仕事ができたことは幸福だと思うけれども、今はそこまで考えないといけないでしょう。1998年に札幌のラボの最後に「芸術の社会への活用がこのように一般化し、手法が開発されてきたけれど、手法には善悪はない。それ故にそれを扱う人の見識が問われる」というようなことを話した記憶がありますが、手法が両刃の剣であるというその話が10数年を経ずしてよりリアリティを持つようになるとは考えていなかった。

今年は珍しく年末新年と8日間の休みになって、エク・プロジェクトの年末のミーティング以外はほとんど家に居ました。
家に居ても別にすることが沢山あるわけではないのですが、ほとんど毎日朝11時近くまで寝ていたので(宵っ張りも久しぶり)、日常復帰が大変かもしれません。まあ自分の部屋の片付けも例年よりはいささか片づいたかな、という程度。ここ数年いくつかの事由から、荷物を狭い我が家に持ち込んだのでますます狭くなったからとはいえ、もう少し整理をしないといけない。元旦に長男が久しぶりに家に来て予言をして帰ったのですこしせかされてる感もある。

今年の最初の仕事は芸大の授業でさっき学校に行って帰ってきました。5日からと言うのはかなり早いと思うのですが、助手の人が「来年は4日からですよ」。自主的な問題の発見と研究という大学院だから当たり前とは言いながら、こちらからテーマを準備して教えるというよりは、比較的いい(良い?)加減な授業をしてもう6年目です。大学院はある程度絞られた専門分野が対象だと思うのだけれど、アートマのように実学的で多彩多様な範囲の学習の場合、様々な興味を持つ学生が来ているのに対して、自分が一番得意なことを、細かい知識として話すというのは考えられない(というのはいいわけか?)。それを話してもずれてしまう感じがします。本来は学生の問題意識を補強、激励、助言することとなので、それをなまくら四つでやっている感じがあります。実践の場所で経験してもらう方法は非常勤だとなかなか難しいのでそれしかできないかも。悩ましい。まあ、ワークショップ化しようとしながらどうしても教えてしまうもう一つの大学(大学2年生の必修授業)との違いかな。

明日からはいわきです。いわきは2007年からですからもう8年目を迎えます。思ったよりも長い。とはいえ、今年、年度を超えるといい歳になるので、一昨年くらいから少しづついわきアリオスのその後についての準備活動に入っています。芸術活動のプラットフォーム作りを含めて市民の期待に応えるのは当然として、ある意味で期待してくれている全国のホールの人たちにも「昔は良いホールだったんだけどねえ」と言われないようにしないといけないと思う。まあそれほど心配してはいませんが・・・
まあ現場を仕切らない悲哀というのはありますね。

では、いずれゆっくり。



茂木大輔とシーサー

2013年11月24日 | 徒然

いわきはちょうど紅葉がどんどん落ち始めて、晩秋の雰囲気が漂っています。アリオスの前の公園の雰囲気も良い。こういう時期は好きです。
昨日は茂木大輔さんの「オーケストラ面白名曲ガイド」2回目。山響とも2回目。「絶世の美女クララに捧げる二人からのラブレター」ということで、シューマンのピアノ協奏曲とブラームスの交響曲第1番を取り上げました。クララの名前をこの曲のそこここに隠し、場所によってはクララと連呼するような二人の作品をその解説をしながら聴いてもらうと言う趣向。
茂木さんは、視覚的に提示出来るプロジェクターを使うことによって、不要なしゃべりを少なくするとともに、音楽の時間の流れに寄り添うように情報を提示出来るやり方としてうまく活用して聴き手を音楽の世界に誘導する方法がかなり磨かれてきたように思います。音楽は時間芸術ですから、先に全部話してしまっても意外と思えきれなかったりするのです。それをうまく回避している。
それだけでなく、茂木さんが大学にまで入って指揮を本気で勉強してきた成果はオーケストラのドライブに間違いなく現れていて、昔よりもオケの音が澄んで綺麗になったような気がします。山形交響楽団もドイツの小さな都市のオーケストラの良さを置き換えたような雰囲気のある演奏でした。
終了後の家路につくお客様の顔を見ているとその日の演奏の充実度がわかるのですが、今日は出色のコンサートの一つだったと思えます。シューマン、ブラームスとクララの愛情の話はロマン派の時代を代表する特別なテーマで、人の感情を刺激する効果はとても大きいとはいえ、帰るお客様は興奮するでもなくニコニコするでもない、穏やかな充実感が見えました。あるお客様に、しばらく東京にいて色々なオケを聴いたけれど、山響はもっと呼んで欲しい・・・と熱く言われましたが、まあそういう発言は嬉しいことです。

これとあい前後して、那覇市の協働によるまちづくり推進協議会がいわき市に震災の支援の一環として贈られたティーダシーサーがアリオスに設置されました。大事なものだからちゃんと管理出来るところに起きたいといういわき市の意向で、アリオス内の2階カスケードの一角に配置することになったものですす。写真を見ての通り大きなものです(実はもっと巨大だと思っていてびびっていたのですが)。モダンなロビーとの不思議な調和を感じていただければ・・・です。
茂木大輔とシーサーは全く関係ないのですが・・・。

秋-③

2013年11月16日 | 徒然
11月は26日27日と足立区のわたなべ音楽堂でアウトリーチスキルアップ講座。
個人の建てた小さなホールで70人も入れば一杯な場所だけれど、10数人での講座にはちょうど良い。この二日間は、アウトリーチの概論、演奏家のキャリアマネジメントからみたアウトリーチ。アウトリーチの作り方Seeds編。そのあとグループで話し合い。翌日は加藤直明と白石光隆の模擬アウトリーチを見て、児玉、箕口、白石、加藤で座談。思ったより面白い話しができた。そしてグループで話し合いの後、アウトリーチプログラムの発表、検討と続く。できあがったプランは毎回色々と違った問題があり、問題点が見えやすいものと見えにくいものがある。それをどう整理するかがなかなか大変なのである。
29,30日は北海道の上ノ国。江差追分で有名な江差の一駅手前である。帰ってきて30日は平塚での勉強会第1回。終了後電車に飛び乗り羽田に。途中電車が遅れ冷や汗をかくが何とか徳島行きの最終の飛行機に間に合う。徳島まで行ってそこからローカル線で鴨島という駅まで行く。鴨島のホテルは予想以上にしっかりとシティホテルのようだった。ここは邦楽の事業だが、直前まで土曜日に行うワークショップの尺八への申し込みが無くて一瞬まずいぞ、と対策を考える。でも終わってみれば尺八も6人、箏も20人ほどで思いの外うまく行った。金曜日に行った小学校の先生やこどもがずいぶんきてくれた。この小学校の教頭先生は良く出来る先生で、いつもこどものことが頭から離れない典型的な先生。色々と工夫をしておられるように思う。終わってからすぐに熊本に移動。熊本では翌日の夕方からオーディションで昼間は時間が合ったので、水前寺公園と熊本城に行く。ほとんど初めての観光かもしれぬ。オーディションは最初ははらはらしたけれど終わってみればきちんと3人が選ばれた。彼らの研修は来年3月だが楽しみである。
熊本のあとは島根に移動おんかつフォーラムのシンポジウム。今回はチーフコーディネーターに津村さんになっていただいたので気楽といえば気楽。今までと少し違うシンポジウムになった。こう言うように違ったジャンルの感覚による組み立ては新しさがあって良い。音楽の守備範囲や許容範囲の広さがこういうときに活きるのだとか思う。とはいえ、ワークショップとアウトリーチとが両方とも新しい概念を付加し、少し前の感覚ではついて行けないくらい変わってきていることは間違いない。より効果を重視する姿勢になっていることに改めて気づく。
翌日6日は北九州でステージラボの打合せをOさんと。そのあと、北九州の人、活水の卒業生たちと会って呑む。7日は広島で今年やった研修事業の仕上げとなる会に参加。廿日市と呉の担当者の事例発表がとてもきちんとしていて驚く。ランスルーで話したことやそれによって翌日の本番で演奏家のすることがどう変わり、それがこどもの反応をどう引き出したか、ということを細かく発表してくれて、若い人たちの見ての理解力や情報収集の能力を思い知る。その場で適切なことを言って演奏家の信頼を得ることは今の私の仕事では非常に重要で、かなり集中力と人間力のようなものが試されるし、そこの対応にはそれなりに自信があるが、比較的瞬間芸的になってしまう傾向があるって、それを整理して伝えることに関しては若い人とはほとんど戦えない。ちょっと考えてしまった。終了後すぐに岡山経由で児島まで。おんかつの倉敷市児島の事業で翌日に琴浦西小と東小に松本蘭と新居由佳梨と一緒に行く。心配していたよりもスムースに事が運んでいるようで安心した。お互いに良い刺激になっただろうか。
写真は児島の松本蘭と新居由佳梨。

秋-②

2013年10月23日 | 徒然
10月から12月まで移動ばかりが多い時期。
10月8,9日は広島県の財団の事業の二つ目は呉市。ここは地元の演奏家を組織化してアウトリーチ的な事業をはじっメタばかり。最初は学校とかではなくコミュニティに出かけていくミニコンサートだったので演奏家の皆さんがアウトリーチでも演奏を聴いてもらえば良い(逆に言えば演奏をする機会を財団が作ってくれる)という認識だったような気がする。学校で始めるとなかなかそういうわけにはいかない。違ったミッション性を引き受けることになる。7月の研修の時はきっと混乱したのではないかと思うけれども、しかし演奏家は目標がわかると力を出す。今回の二組も途中からアーチスト魂のようなものに火をつけてこどもと対峙してくれたのでまあ方向性は見えたかな。前日のランスルーの時にたまたま学校の音楽の先生が会館に打合せに来ていて、モニターで見るランスルーの模様を見ながら「あ、これは普通に演奏を聴くのではないですね・・」と言って帰って行ったという話を聞き、実際に訪問した学校でも「これは少し違うようだ」と思ってもらえたかなと思う。良かった。
10日から北海道の増毛での道の財団の派遣事業。これはアウトリーチではないけれども、北海道はまだ会館もきちんと整備できていない自治体も多いし、演奏家が行く機会もそれほど多くないことを考えると、北海道がこういうコンサート派遣をするのはある意味理にかなっているかもしれない。とはいえ、演奏を聴いてなにかを心の中に生み出すのはそれなりの経験値が必要で、その点に関してはこどもも大人も一緒と言うことも出来る。アウトリーチの手法を磨くことはこういうケースでも大きく役に立つことはおんかつのアーチストを見ていてもよくわかる。ジャズとかポピュラーの演奏家は話しをしながらコンサートを進めるのが常識だけれど、それが上手であるということとイコールではない(後述)。3年目になる演奏家はずいぶん慣れたなという感じではあるが、話しに関してはやや物足りないのは、もっと出来るはずという気持ちがあるから。
富山の室内楽フェスティヴァルは直接的には仕事ではないが、11月に奈良で行うアウトリーチ事業の演奏家の様子を見ておくためにはこの機会は大事であろう、ということで短い日程だったけれど出かけた。奈良でやるグループが経験をしてきていることが不用意に多いのではないか・・と言う危惧があるからでもある。まあ美味しい酒が理由でもあるけれど・・・
そのあとの長崎(16,17日)は今月一番心配だったスケジュール。加藤直明、中川賢一、東海千浪さんというトリオは、大学の先生の希望で組んだ「オリジナルがない編成」であるが予想外にうまく行った。まあ手練れであるから・・・。長崎大学と活水女子大の学生も12月にアウトリーチを実践するに当たってずいぶん参考になったと思うし、昨年よりも反応が良く、やはりやってみるものだなあという感想。
そのあと小松島にいって、邦楽の事業。これは別に書くつもり。
帰りに神戸の灘区民ホールによって衣川さんと会って帰京。ここの館長さんは元神戸大学の教授でなかなか強い意志を持っているように思えた。
今日はいわき。
写真は長崎





秋・・・①

2013年10月05日 | 徒然
気がついたら、一ヶ月ほども更新をしていなかった。
この一ヶ月に何をしたかというと・・・
札幌で道が登録応援する演奏家(HAFアーチスト)のオーディションがあり、指揮者の円光寺さんと審査。木管5重奏のボロゴは慣れたプレゼンテーションをして立派。しかし、すでにずいぶん道の文化財団の仕事を引き受けて普及などの活動をしている。他の二つのグループはある意味これから、ということで、そこからは財団の判断にゆだねることにした。彼らには来年4月に2日ほどコミュニティ事業の手法などの研修会を開き、そのあと道内に派遣することになる(そうだ)。
いわきではピアノの木田さんのアウトリーチのためのランスルーを18日にして、実際に学校に行っていただいたのは10月1日、2日。1日の2校の中学校を見せてもらったけれど、彼女の語り口は音楽と同様に自分自身と向き合い確認をしていくような感じがする。そのことは昨年のオーディションから明確で、東京のようにスピード感がある場所よりもいわきの方が特徴が活きるかもしれない。いわきではもう一つ、ピアノマラソン。幼稚園くらいのこどもから音大を卒業して帰ってきている人、グループで楽しんでいる女性の集まりなど、様々な30名ほどの出演者が集まり、ピアノと自分との関係が見えるような演奏を約4時間ほど、そのあとゲストの小川典子さんの演奏。小川さんとはもう30年近くになるが、国際的なピアニストとしての「格」を感じる演奏で、それでも仕事をするたびにまだ底が見えないな、と思わせてくれるピアニストだ。そして庶民的(と言って良いかどうか)なキャラクター。
いわきから東京で3時間ほど寝てすぐに徳島へ。徳島では邦楽の活性化事業。合宿のように4日間アウトリーチプログラムを作り実際に学校に行く。この局面は毎回どきどきする。しかし、演奏家は明確な目標が見えたときの瞬発力はすごい。いつも感心する。学校ではそれぞれの個性がちゃんと出ていた。伝えるということは難しそうだけれど、本当に色々な方法があって、伝えようと懸命であることが案じられれば、それを理解する力がこどもでもちゃんとあるということを確認できる貴重な機会。
そのあと北九州から長崎に行って、打合せと長崎のアウトリーチ事業。これも地元の演奏家によるアウトリーチ。ここは、研修で一気に成果を出すというよりも、2年間ゆっくりと見ていけるのでその良さもある。
そしていったんいわきに戻り,すぐ広島県の廿日市。ここでも二人のアーチストのアウトリーチのランスルーから実施までを見る。
演奏家は本当に個性的で、一人として同じアプローチは出来ない。だからAさんに話すこととBさんに話すことは両方聞いたら矛盾しているように見えてスタッフとしては混乱することが絶対にあるはずだ。それでも私としては、「あ、このタイプね」とある程度はパターンというのがあるから短時間でなんとか出来るのだけれど、でも山の3合目くらいまでしか同行できない気がする。でも3合目まで登れば,そのあと他の山に登ってしまうことは無いだろう・・・、と信じる。
昨日は久しぶりに東京で半日近く時間が出来、新しくした車(中古だけど)の試運転。そのあとNHK交響楽団に行って有馬賞の式典に参加。
秋はまだまだ続きそう。10月は北海道に2回、九州に1回、中・四国に4回、北陸に1回、いわきに3回。
写真は、長崎永野さん、廿日市前田くん、工谷さん。






メディアリテラシーということ

2013年08月03日 | 徒然
大学は今年の前期の授業が全部終わって9月末まではほっと一息。10月からは芸大だけ。
昭和音大では例のごとくレポート課題をだした。「新聞や雑誌などに最近掲載された文化芸術に関する記事について1500-2000時程度で論じなさい」というもの。感想になってしまうのは、読むだけなら楽しくていいところもあるのだけれど点数がつけられない。なので書き方をある程度限定するようにして(論理的な文章をきちんと書くために考えるということなのだけれど・・・)、そのためにまあ簡単に書き方を1時間の半分を使ってせつめいしたのだけれど・・・
論理的な文章の書き方の一つの例として
1,そのことを文章にするわけ
2,それに対してどのように認識したか
3,それに対してまず自分はどのように思ったか(仮説を立てる)
4,その問題に対して他の人はどのように主張しているか、主張すると考えられるかを探すこと
5,他の人の意見に対して自分はどう感じ、どのように考えたか。それによって仮説はどうなったか。
6,その結果、まとまった自分の意見を主張する(提案する)

とか・・・。まあ話したことがキチンとは伝わらないなというのがまず第一の感想だが、それはこっちの説明力不足を否定できないかもしれない。そして、採点を先生個人の主義主張によって左右しないように、主張内容の正当性については採点の基準にしない、と言ったので、たとえば「富士山の入山料について」というのも一応文化の問題としてきちんと読むことにしたし、そこはあんまり問題は無い(?)。まあ富士山の世界遺産は文化遺産としてだからね。

でも、じつは一番気になったのは、記事へのあまりにも素直な姿勢。ここに書かれていることにはいろいろな見方があるだろう、だからこの問題は、この記事だけで論じるのでは本当の姿は見えないのではないか、そのために異論を探すことで自分の考えが固まる、というイマジネーション(と努力?)が不足しているようなのだ。神をある程度客観視することを覚えて都市化した近代人にとって、そのようなあまりにも当たり前な(少なくとも私には)感覚への欠落感は、私としては外からは見えないほどかもしれないけれど深いところでちょっと傷を負ったような気分。
メディアリテラシーは、簡単にマスコミや他人にだまされないというディフェンシブなリテラシーと、それを上手に活用することで相手を納得させようというオフェンシブなリテラシーがあるけれど(リテラシーは技術だからそのこと自体に善悪はない)、少なくともディフェンシブな方は大人にとってかなり重要なスキルだと思うのだけれど・・・。



菅家奈津子さんのアウトリーチ

2013年06月30日 | 徒然
いわきでのアウトリーチ。6月18日からはメゾソプラノの菅家奈津子さん。菅家さんとはおんかつの宮古島が最初の出会いだけれど、その頃はアウトリーチで何をやるかの答えを自分の中に見いだせないでいたかのように思えた。それでも声自体の魅力があるので毎年何カ所かでおんかつ関係のホールに行って活動していく中で自分のテーマのようなものを見つけ出していったようで、最近の「音楽の力」シリーズはなかなかよい出来だと思う。音楽の力はだいたい一回のアクティビティでは時間的に4つくらい紹介するくらいなのだけれど、音楽の力自体はまだまだ色々と考えられるので、相手の年齢や状況に合わせて自在に変なが可能なのもアウトリーチにとっては向いた手法だと思う。今回も6回のアウトリーチのうち、小学校全校の小規模校から低学年、高学年と2回のところ、山の学校、海の学校といろいろな変化があり、その上学校の先生からのポジティブやネガティブな要望(先生は子供のことを最優先に考えるので「こういうことをして欲しい」というのも「こういう話はちょっと・・・」というのもあるわけです)にも臨機応変に反応し修正していけるのである。アウトリーチのあり方は演奏家のやりたい曲というものから組み立てていく方法もあってどれが正しいと言うことはないのだけれども、学校ごとに背景や状況が大きく違うアウトリーチでは、対応力という面では優れた組み立て方だと思う。
次はまた新しいプログラムを披露してもらいたいと思う。


ボロメオ、ベートーヴェンチクルスの最終回

2013年06月19日 | 徒然
カルミナの後に行ったサントリーホールでのボロメオのベートーヴェンチクルス最終回(第5夜)。
5回の最後にやっと聞きに行くことができたが、聴き手としてはかなり出遅れている感は否めなくて、すでにそこにある熱気のようなものを感じながら聴くことになった。カルミナの時に感じた客層の新しさと比べてこっちはかつての第一生命ホールの客層をぎゅっと集約したような雰囲気。ただしさすがに最終回でほぼ満席。どちらも好もしい感じだったけれども、サントリーホールの主催公演であるという意味はかなり大きいように思える。客層は同じなはずなのに一種の華やかさのようなものがある。さすがである。このベートーヴェンチクルスは今年で3回目なのだけれど、この室内楽フェスティヴァルの企画の背骨のようになって、その質感を保証している感じがある。アカデミーとベートーヴェンが2つの心棒になっていれば企画全体としては揺らぐことはないだろう。もちろん経済的な問題とかハードルはいくつもあるであろうが、少なくとも自分がしっている日本の室内楽のフェスティヴァルでは一番充実しているだろう。良い形で継続していくことを望む。
ボロメオは、作品132で始めるというかなり重い構成で最終日をスタートさせた。その後7楽章をアタッカで演奏する作品131、そして大フーガ付きの作品130。ほぼ3時間になるコンサートをものすごい緊張感で演奏した。しかしこの緊張感は少なくとも私にとっては、ニコラス・キッチンを正面から見て、彼の音楽に没入している様を見るだけでも心地の良い緊張感。聴く側も全く集中が途切れることがなく聴けたとおもう。音楽の経験ではよくあることとはいえ、このすごさはたぶん現場にいなければ理解できないだろう。どれも凄い演奏だったけれど、131の終楽章の追い込みなど、ロックのコンサートを聴くような爆発的な盛り上がりかたをした。
かつて、グリーンハウスが「昔はボザールトリオの演奏家では今のポップスのコンサートのように女の子がキャーキャー言っていた」という話をしてくれたことがある。ちょっと信じられないのだけれど、こういう演奏を聴いてしまうと、確かにそういうことはあるかもしれない、と思えるような経験。もったいないのでだれか音かDVDにしませんかねえ。

カルミナ・クアルテットのいま

2013年06月18日 | 徒然
いまシベリアの空焼けて朝もや森を包む・・・(流刑人の歌=ロシア民謡)
という懐かしい歌が聞こえてきたような気がした。
今回のカルミナ・クァルテットは1988年から数えて11回目の来日(だと思う)。第一生命ホールに約500名の聴衆。よく入ったなという印象。Wさんと話していたのだけれど、弦楽四重奏団がメジャーレーベルと契約し招聘する事務所と一緒に日本での客層を開拓していくというスタイルで紹介できた最後の弦楽四重奏団歌もしれない。招聘する事務所というのが彼らの場合にはカザルスホールだったというのが、ある意味良かったのか逆にリミッターとして働いたのかよくわからない。けれども、世に支配的だった弦楽四重奏や室内楽への常識を越えて、世界では変わりつつあった弦楽四重奏という音楽へのアプローチの本質的変化?の可能性が紹介されるという嚆矢になった団体の一つであることは間違いないと思う。それゆえ室内楽ファンの中にも好き嫌いは案外あったような気もする。
さて、カルミナはレパートリー作りにきわめて慎重、というかレパートリーが少ない団体である。それはいわゆる今風ではないかもしれない(彼らにベートーヴェンチクルスを頼むのはたぶん何十年早いか、彼らから別のアイデアが出てきそうな気がする(昔ボンでやったチクルスは5つの団体で全曲という構成で、そのディレクションがカルミナだったとおもう)。要は一つの作品をすべて舐め尽くしてしまうような彼らの曲への解釈の仕方があるのかもしれない。
しかし、今回の公演の前半で弾いたベートーヴェンのハープとショスタコーヴィチの第8番は、彼らにとって(少なくとも日本では)初めての演奏。両方とも未知な音がたくさん聞こえてくる個性的な演奏だと思ったけれど、ハープではいままでの彼らよりもロマン的な演奏のように聞こえた(マティアスに少しロマンティックな方向?と聞いたらそうでもないような顔をしていたけれど)。それはショスタコーヴィチでも同じ。整理が行き届いてクリアーな演奏と言うよりはもっと複雑になって行く感じがある。ああいう微妙なとこにつれていかれたあとに聞こえてくる歌はショスタコーヴィチの手法ではあるのだるけれども、ついほろっとしてしまうのは私の個人的問題でもあるかな。

後半のアメリカはあまりに自在で、危ない感じすらある。これが長く続けている四重奏団によく起こることのように壊れる方向でなく、ぎゅっと完成していったらまたすごいアメリカになるという予感に満ちた演奏ではあった。おそれいる芸。でもそれよりアンコールのハイドンのウイットがとんでもなく凄くて短時間だけれどもあとを引くような楽しみに満ちていた。

このあと、サントリーでのボロメオのチクルス最終回を聴くのはかなり体力(肉体的にも精神的にも)のいるタフな週末ではありました(ボロメオについては次回)




アウトリーチからの宿題 お話その2

2013年05月25日 | 徒然
前回の続きです。なお、このお話は主に公共ホールの職員向けのおはなしですので、そのことを頭に入れてお読みください。


アウトリーチからの宿題 その2

2013,5,16 三田市 郷の音ホール
音楽ホールネットワーク協議会年次総会後の研修プログラムで
児玉 真


 アウトリーチについては最近私なりの歴史認識をしていてまずそれをお話ししたいとおもいます。
 出かけていく演奏というのは昔からありました。それは主に慰問演奏というスタイルをとっていたし意識も大体その線上にあった。でもそもそも西洋音楽は明治政府が国策として導入したと言う歴史があります。ですから初めから普及しないといけないものだった、ということはあります。それはさておき、第2次大戦後1950年くらいから各地にできたオーケストラによる学校公演という形を頂点として外に出て行く演奏会が行われるようになりました。この時代は演奏する場所も少なかったし、聴く機会も少なかったので良い音楽を聴いてもらう機会を作る、ということが一番の目標だったしそれで良かった。
 しかし、その後演奏を聴く機会は飛躍的に増加しました。生の演奏だけではなく、放送やCD、DVDなどもできて、聴く機会そのものに対してはかなり良くなった。ただ一方で東京への一極集中もずいぶん進みましたので、未だにそういう問題を抱えているところもたくさんあります。
 公立の文化会館も多くできましたが、1990年代に入ってそこにソフトがないという問題が浮上してきた。でも、善悪は別としてソフトはお金さえあればできるのです。しかしお客がいなければイベントは成立していかない。だから普及をして行くことが重要になった。その為のプログラムが求められるようになった。その流れの中にアウトリーチというのが生まれてきた、といえると思います。だから、この時代以降のアウトリーチは機会のない人に聴いてもらう、という以上のことが求められているのです。
 さて、アウトリーチをどんどんやっていくと新しい展開が見えてきた。それが100%良い方向と言えるかどうかは判然としないのですが、アウトリーチと言う手法が、社会の諸問題を解決、改善するツールとして芸術の力がクローズアップされてきました。アメリカのオバマの文化に対する方針にも似たような傾向が見られていると思いますが、これが今の新しい状況だと思います。これには、ちょっと心配になる部分はある。それは、芸術のちからが「そこにすでにある」もの(商品?)という感覚で認識されている気がするからで、そこには、パフォーミングアーツの基本である、アーチストと一緒に作ったり、育っていく、と言う時間的な観念が抜けているのではないかという危惧のようなものです。これが私のアウトリーチの歴史的認識です。ですから、いま音楽のアウトリーチには3つのフェイズがある。
  1、 音楽芸術の普及という視点
  2、 芸術文化振興法の文化権の理念による音楽を享受できない人に届ける
  3、 そして、社会の諸問題を解決できるツールとして音楽を届けること

 そんな中で痛感していることは、アウトリーチというのは「ホールのルール、またはコンサートのルール」を共有している演奏家、スタッフ、聴き手という閉じた社会で行われるものではなく、違うルールを持った社会との関わり合いによって出来る企画」だということです。ですから、長くやっていますといろいろとカルチャーショックというようなものに出会います。ホールでは良くやった方法として、いやアーチストはわがままですからこうしないとダメです、というやつ。ということは、アーチストは社会のルールを超えた超越的な存在ですから・・・ということですね。しかし、それにはそれなりの理由があるので、本当はアーチストのわがままなわけではない(事も多いけど)。
 しかしこのやりかたはもう通用しないと思う。客もわがままになったから?それもあります。お金を出しているから? 金権主義? それも無いとはいえない。でも結局は良いものを創る、聴く、見るために必要なことをみんなが共有しないといけない。

 アウトリーチを始めた人間として気になることがいろいろあります。これらはダメだという意味で言っているとは限らないのですが、じつは私の中でももやおやとしていて解決できていないことでもある。たとえば・・・
 1,アウトリーチは「演奏家が出かけていく」だが、それは目的ではないのでは?
 2,アウトリーチの質感というものをどのように担保すればよいのか(自分流の考え方はあるけど)
 3,音楽を聴く,と言う行為の把握の仕方の食い違い
 4,集客改善圧力への明快な答え
 5,公演とアウトリーチの分化(アーチスティックなことの大事さへの思考の違い)
 6,アウトリーチの浸透は価格破壊を起こしていないか(ラフォルジュルネ、ワンコインとともに)
 7,ホールの仕事と言うよりも学校教育(または福祉)の仕事ではないのか?
 8,そもそも聴くと言う行為は人間にとってどういうことなのか(そうでないと人数が多い方が良いという意見に反論できない)

他にもあるかもしれないけれど、これらには、もちろん私にそれなりの考え方がないわけではありませんが、行動するものとしては共有できないと仕方がないのです。

 むかし、算数とかで、鶴亀算とか和差算とかいろいろな解法を勉強しましたよね。手法を勉強すると、それを使って問題を解く宿題というのを良くやらされました。でも、中学になるとそれがあっさりとXYZで解かれて肩すかしを食ったような気がしました。アウトリーチも一種の手法です。もちろん手法もどんどん改良しないといけない。でもそれが実際に目的を持って使われて始めて役に立つと言う面もある。私は音楽は目的になり得ると思うけれどもアウトリーチは手法であると思っています。
 今日、宿題と言う言葉を使いましたけれど、それは課題とはちがって言いっぱなしがきかないと思えるからです。「これはアウトリーチの課題である」というのは自分の問題としては外にあるものの感覚です。でも、宿題は私に何らかの行動を迫ってくるところがある。少なくともそれを感じている、ということが今日のメッセージです。でも筋道を教える訳にもいかない。自分でもわからないことが多すぎる。こう言うのってどうしていけばいいでしょうか。

 私がこの協議会でしゃべるのも多分最後なので、今日は成功事例を話すとかではなく、アウトリーチということに対して自分の今いる場所をそのままお話ししてみました。はなしがあちこち飛びましたが、長時間ありがとうございました(どっとはらい)