本当は9月25日にN響の定期でいわき公演の予定だったブロムシュテットさんだけれどキャンセルになってしまった。それで洗足学園のオケを振ると言う話しが急に持ち上がった。
マエストロの希望で行けなかったいわきの人を公演に呼びたいと洗足学園から話しがあったのが7月。洗足学園がバスを出してくれて、市民の希望者100名ほどが26日の前田講堂でのチャリティ公演に招かれた。チャリティということで当日の会場では義捐金の呼びかけもあって、それはいわき市に寄付されることになった。ブロムシュテットさんと洗足学園に感謝である。溝の口の駅にはセシル・ウーセを連れて行った時以来だから30数年ぶりくらいになるが、駅前が変わっていてビックリ(当たり前ですね)
開場前にいわき市民を先に会場内に入れてブロムシュテットさんから話しがあった。私は間に合わなかったのだけれど、彼のメッセージを聞くとヨーロッパという文化の中で音楽芸術の社会性というものに対する社会の認識がしっかりしているのを感じて、少しうらやましく感じる。
10年少しくらい前にN響のチェリストとして活動していた三谷さん(ペレーニが大変好きでそれで話しが合ったのだけれど、若くして亡くなってしまった)と話していて指揮者の話になったときに「ブロムシュテットは吸い込まれるような音楽だ」と言っていたけれども、26日夜の公演を聴きながら確かにそうかもしれないと思う瞬間が何度かあった。洗足の学生のオケは決してすばらしいテクニックに支えられているとは言わないけれども、彼の指揮で彫りの深い説得力のある演奏をした。ひたすら上手い演奏とどっちに聞く価値があるかというのは難しい問題だけれども、やはりこっちの方がメリハリがあって後に残るような気がするのも確かである。まあそれがブロムシュテットの力なのだろう。
マエストロの希望で行けなかったいわきの人を公演に呼びたいと洗足学園から話しがあったのが7月。洗足学園がバスを出してくれて、市民の希望者100名ほどが26日の前田講堂でのチャリティ公演に招かれた。チャリティということで当日の会場では義捐金の呼びかけもあって、それはいわき市に寄付されることになった。ブロムシュテットさんと洗足学園に感謝である。溝の口の駅にはセシル・ウーセを連れて行った時以来だから30数年ぶりくらいになるが、駅前が変わっていてビックリ(当たり前ですね)
開場前にいわき市民を先に会場内に入れてブロムシュテットさんから話しがあった。私は間に合わなかったのだけれど、彼のメッセージを聞くとヨーロッパという文化の中で音楽芸術の社会性というものに対する社会の認識がしっかりしているのを感じて、少しうらやましく感じる。
10年少しくらい前にN響のチェリストとして活動していた三谷さん(ペレーニが大変好きでそれで話しが合ったのだけれど、若くして亡くなってしまった)と話していて指揮者の話になったときに「ブロムシュテットは吸い込まれるような音楽だ」と言っていたけれども、26日夜の公演を聴きながら確かにそうかもしれないと思う瞬間が何度かあった。洗足の学生のオケは決してすばらしいテクニックに支えられているとは言わないけれども、彼の指揮で彫りの深い説得力のある演奏をした。ひたすら上手い演奏とどっちに聞く価値があるかというのは難しい問題だけれども、やはりこっちの方がメリハリがあって後に残るような気がするのも確かである。まあそれがブロムシュテットの力なのだろう。