児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

オーディション

2011年05月29日 | 各地にて

今年は広島市での演奏家と一緒のアウトリーチについて話すという機会は無いみたいだけれど、尾道、宮崎、北海道で一緒に考える機会が出来そうでそれはそれで楽しみだ。

今年はこの5月から6月上旬は私にとってはオーディションの季節である。この間北海道の財団でテープを聴き、昨日は宮崎で、今日はまた札幌に来ている。その間に地域創造の音活のオーディションもあって、これは100人を超す応募がありテープ審査もなかなか大変である。

オーディションの審査はいつも緊張する。理由は簡単で自分の耳にそれほど自信が持てないから。それと、最近はそれなりに何をやるのかを理解して、意欲満々な人が多いように感じる。良いことではあるが、空回りしている人も居るみたい。まあ審査は毎回びくびくものであるが、最近になって案外多くの人がそうなのだと言うことに気がついて、いくらか気が楽にはなっている。それと、ふたを開けてみると審査員同士でそんなに極端に評価が割れる事は滅多にないので、自信はないなりに何となく判るものだなあ、というのが感想。ただ、審査の基準はいつもかっちりと作りきれないのが少し皆さんに申し訳ないような気がする。本当ならば、決まった演奏家を育てることに集中する方が気は楽なのだけれど、まあ仕方がないことなのだろう。


狩野一信の五百羅漢図

2011年05月20日 | 徒然

今日は珍しく一日OFF。両国の江戸東京博物館には2駅で行けるのに04年に越してきてからまだ一度も行っていないので何しろ行ってみようということで行ったが、結局常設の方に行かず、芝増上寺に残っていた、狩野一信の五百羅漢を見てきた、幕末の絵師だけれど、きわめて個性的。伝統の絵の様でもあるが、同時に日本のごった煮文化が色濃く反映され手居るように思う。それだけではなくヨーロッパの絵画の影響をかなり受けているであろう不思議な100幅の羅漢の絵は一枚の絵におおむね5人の羅漢が描かれいる。印象はかなり強烈で宗教画の影響も受けながら近代的な認識の仕方も感じられる。羅漢が彼らの持つ仏像や鏡などの聖物からでる光のビームで悪者や異獣等を懲らしめているところなど、なんか漫画の世界を見るようでもある。100幅をみるとそれだけでかなり疲れてしまうのだけれど、行った甲斐のある展覧会だった。本来は江戸の生活を再現するなどの常設展示の方を見ないといけないのだけれど、大江戸線でとても行きやすいことがわかったので今度はちゃんとそっちをを見よう。

展示はある意味で判りやすく面白かったけれど、絵の解説の方はやや受け狙いが見えすぎて、個人的にはどうもいまいち。まあ、あの絵は若い人たちにはアニメの世界にそのまま通じているものであるかもしれないが・・

 


いわき5/19

2011年05月20日 | いわき

昨日今日といわき。前週末の北海道の異様な寒さとは大違いの気候になって来た。アリオスは5月の連休の時に避難所でなくなって2週間、落ち着いてきた。とともに、やっと仕事が動き始めている。16日からはやっとチケットの払い戻しが始まった。長い人は2ヶ月以上も待たせたことになる。申し訳ないことだ。修理のスケジュールも多分そろそろ判ってくるだろう。それで会館が使えるようになる時期が出てくると、またいくつかの調整とかをしないといけない。予算のQがでれば、6月になると「おでかけアリオス」のアウトリーチやワークショップもはじめることが出来る状態になって来ている。4月から出かけていっては話を聞いて来るヒアリング(というよりは、実はお互いに話をしていること自体に意義があるのだろうけれど)ばかりだったこともあって、事業へ早く動きたい,というのがスタッフの一番の思いだと思う。特にこういう時には、やらない方が良い企画というのはほとんど存在しないので、ついつい過重な分量を背負ってしまいがちでそっちの方が心配になるところもある。などなど、徐々に様々なことが鳴動してきた感じ。

災害から立ち上がっていく時の動きを救助、復旧、復興と分けた人が居たけれども、概念としてはこういうことを言う人も必要。今自分が動いていることがどう言うことなのか、というメタ的なみかたをするのも大事かもしれぬ。でもその中でどんどん動いてしまう(しまえる)人もいる。ある意味ではうらやましい。そういう見る前に跳ぶところから何かが見えてくると言うこともあるだろう。

NPOなどによる活動もだんだんと変化していっているみたい。、街の未来像を見据えていたり、今回のことがきっかけになった地元の人同士の新しいネットワークが出来た、という人もいる。じつは既製のものではないそれが一番活性的なネットワークであって、そういう人たちが次世代のいわきをリードしていくのだろう。ただ70日が過ぎて、そろそろ、総掛かりでなんでも、という感じではなく、適切な役割分担という感覚かなと思うようになって来た。アリオスのように外の人間との関係を作る役割のセクションではどんな出会いのストーリーが生まれるようにするかだと思っている。

 


武蔵野音楽大学~札幌

2011年05月15日 | 各地にて

昨日は武蔵野音楽大学の授業。マリー・シェーファーのサウンドスケイプの話と、子どもの想像力の発現になる5枚の絵を使ったお話づくりの話をしてから、みんなで近くの森にでかけて、聞こえる音を(なるべく詳しく)全部書きだそう・・という新しい授業の試み。まあ、10人という人数と、武蔵の丘陵の中にある校舎だから出来ることでもある。都会では考えられないけれども、林の中に来るとおもったよりも人工のおとが少なく、構内を走るバスの音が一番大きく耳障りであることに気がつく(生徒はどうだか判らないけれど)。

その後で、それぞれが書き出した音の中から、気持ちの良いもの嫌なものを含めて5つの音を取り出してファンタジーを書いて貰う。かなり難しいかと思ったのだけれど、みんなすらすらと書き始めた。50分くらいの時間をあげたのだけれど、最後まで書いていたのが数人。絵と同様に音というのもかなり想像力を至芸するのかもしれない。

授業のあとで2時間かけて羽田空港に。入間基地から飛べると本当に便利なんだけれど・・・。札幌では北海道の文化財団が北海道各地に送り出したい演奏家のオーディションの1次。みんな水準が近くて選抜に苦労する。うーん。まあテープ審査なのでなるべく多くの人に弾く機会をつくってあげたいという審査員の意見で甘い点数になったけれど、2次は苦労するかもしれない。

 

 

 


北九州の4つのアウトリーチ

2011年05月14日 | 各地にて

一昨日、昨日と北九州市の4カ所で小学校でのアウトリーチを行った。2年目の4人はそれぞれ、昨年とはまた少し進歩しているようで嬉しい。今年度はそれぞれあと一回だけしか見られないと思うけれどまあ一定の水準になっていて、後はそれぞれが工夫をしていけばいいと思う。工夫をするその部分については「何をやるのか」の意識が明確であれば、あんまり一回一回の出来不出来をとやかく言う物ではないと思う。

フルートの西村麻里子さんは音楽も顔つきも柔和になって来ている感じがする。「話す」といういたずらな緊張から少し解放されてきたかのよう。話し方も工夫も悪くない。こちらの言いたいことを伝えるという意味ではきちんと出来ていると思う。ソプラノの山科佳子さんは型ができていて安心してみていられる。高校で教えている経験の表れか、子どもとの会話は一番。ただ,その場その場の心の動きが良く見えてしまうタイプなので、子どもにもばれるのではないかと少し心配なところもある。クラリネットの吉田尚子さんは、まだ考えすぎの感じもあるけれども、進行にきちんとした山場をつくっているので構成はかっちりしていると思う。その構成力をもっと話し方や内容のバランスにマッチさせるともっと良いだろう。全校生徒20名ほどの小規模校で、サンサーンスの生き方という比較的重い話題をメインに持ってきた割には低学年の子どもたちがついてきていたのには吃驚した。ソプラノの江崎桃子さんは、基本的に子どもののりを良くする方向での構成を考えていて、それはひとつのあり方。どこかでもう少しちょっとしんみりさせたりする局面もあって良いような気もするけれども、それは私の嗜好だろう。子どもがノリノリになった後、学校の希望もあってふるさとや日本の歌メロディを入れたのだけれど、この展開はなかなか難しいと思った。

いずれにしろ、4人4様で、2日で4回のアウトリーチに立ち会う身としてはとても楽しめたし、安心できるパターン化の良さとは違う充実感があるのは地元演奏家を見ていく楽しみのひとつでもある。演奏家も含めてアウトリーチは如何に飽きないか、一期一会の感覚を維持していけるかが大事なのだと思う。

北九州は来年度から地元のこの事業OBの演奏家でアウトリーチ事業を続けると言うことだ。財団の担当がある程度演奏家と話せるようになって来たし、地域との関係も特に学校との関係がずいぶん良くなってきているので、それも宜しいかと思う。


いわき駅前ラトブでのイベント

2011年05月05日 | いわき

こどもの日の今日、いわき駅前のショッピングビルであるラトブではいわきを元気にしようというイベントが行われた。いわきは今日も元気「Smile iwaki Again」という企画。今日はラトブ一階のスペースで何人かのコンサートがあったが、そのうちのひとつはアリオスの人脈によるクラシックの演奏。

群響の主席のコントラバス奏者とギターの演奏(写真)。いわきを元気にしようという街作りの団体が音頭を取って行われた。いわきを元気に、というのは誰でもが思うので,それに参加してくれる人は貴重だ。けれど、この会でその目的に近づけたかどうかはやってみないと解らないという部分がある。それでも、ひたすらこういうことに熱意を持ってくださる演奏家がいることは有り難い。

ただ、こういう時期はそれほど長く続かないかもしれない、そのときにこそ政策の出番かもしれない。


岩手県北上にて(北上、前沢、大船渡)

2011年05月04日 | 各地にて

先週は北上市にいって打合せ。北上市、奥州市、大船渡市で行う予定だった今年の事業の研修会を個々でやるはずだったのだけれど、震災で延期をすることにした。とはいえ、現地の雰囲気を知らないでやる事も不安があって一度様子を聞かせてもらおうという趣旨ででかけた。ちょうど東北新幹線が全通する直前で、羽田から臨時便で花巻空港へ。花巻空港を使うのは多分2度目。北上川の川に沿って作られた滑走路である。前の時には、ぐるっと北側の方に回って降りたような記憶があって、その真下に花巻農業高校が見える、という立地だったような気がするのだけれど(何しろ間違いなく20年以上昔のこと)。

北上のさくらホールは新しいホールだけれど、非常に熱心。出来る直前にNPOの人と市議会議員さんとがトリトンアーツネットワークを視察にきて色々と話をしていった事がある。特にトリトンのサポーターシステムに非常に興味を持って,感心してくださった記憶があるが、今回の震災についての岩手県の各会館の情報はここから聞いたことも多く、情報センター的な役割を持ってくださったと感じている。もちろん公文協の幹事である県民会館も各会館の被害状況を写真付きで情報収集し纏めてくれていて(今回さくらホールで頂いた)、それは有り難い情報だった。ここも、ロビーの天井から少しものが落ちてきたり下らしいが、もう回復している(多分5月から開館)。ここは「被災地ではない」という気持ちの持ち方でやろうとしているようだが、北上川沿いのさくらは満開でとてもきれいだったとはいえなかなか祭りにはならないみたいだ。

奥州市は合併で市内に開館がいくつもあるが(水沢とか)、前沢ふれあいセンターは小粒だが良い企画をしていたと記憶がある。今は地元商工会が指定管理を受けていて、事業についてはなかなか厳しいものがあるようだ。でも担当する二人は熱意がある。ここは隣の建物がまだ避難所になっていて、もう少し時間がかかるかも。前沢は4月9日の余震でのダメージがあって被害を受けた建物がそばにあるといっていたが、会館はそれほどではないようだ。

翌日大船渡を訪れた。途中陸前高田にもよったけれど、ここはテレビで映されているのと本当に同じ。海産物で観光地としても賑わっていたという話だけれど、やっとがれきが整理されたという段階。何もないので言葉もでない。

大船渡は比較的深い入り江の奥の町で、少なくともリアスホールのある入り江の南側は低いところとそのちょっと上との被害の落差が大きいという感じがした。高田とはやはり印象が違う。大船渡リアスホールはまだ出来てから数年しかたっていない新しいホール。新しいのと丘の中腹にあったおかげで津波の被害はなく、建物もそれほどではないようだけれど、舞台と客席の境目のあたりにダメージがあり、どの程度の修繕が必要かまだきちんと業者が来て把握するという段階に至っていなかった。会館もほぼ全部が避難所となっていて、会館の館長さんも担当者もその対応で事業どころではない感じ。避難所へのアーチストの訪問もいくつもあって、その対応もしているとのこと。有り難いけれども大変そう。ただ、今回の事業そのものへの意欲は強く感じられて力強い。7月に行う予定の研修会にも是非出たいと言っていて、実際のアーチストの訪問は12月はじめなので、意義のあることが出来そうな予感。沖縄の方なのでなんかウマが合いそうに思った。

大船渡へは行けて良かった。なんとなくだけれども感覚的に納得した事がいくつかある。到底東京にいては解らないと思う。楽観的過ぎても悲観的すぎてもいけないその感覚はやはり現場でしか感じられないように思う。中越の時にも1年半後とはいえ自家用車が土砂崩れに巻き込まれて川に落ちた現場の横を通った時に感じたある生々しさは強烈な印象だったが、そのことと音楽がどのようにコミュニケートできるのか・・・。それができる能力を持ったアーチストでないと超えられない事かもしれない。

今はいわきにいるけれど、いわきでも色々と動きがある。ただアリオスの事業として行うにはもう少し把握をして行かないといけないだろう。想像力の問題。