児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

小出郷文化会館

2008年08月30日 | 各地にて
久しぶりで小出郷文化会館に出かけた。この時期は小出郷が長く受け入れているアートマネジメントの学生のためのセミナーがあり、1週間、本当に遊ぶ暇もなく様々な視点から芸術文化の状況、会館のこと、事業のこと、企画のこと、サポーターのことなどを学ぶ。短期間に本当に多くのことをやるので学生も大変だろう。しかし、受け入れる小出郷(魚沼市)も大変なはず。今年は7人の学生のために市の文化振興課がこぞって協力するスタイルだから、担当する榎本さんだけでなく、愛情が無くては出来ないことだ。でも、伝える側もかなり自分を振り返る良い機会になるはず。それも意識しての講座していると思うけれど、それでもまあ偉いことだ。他の会館ではまず不可能。それをよしとする桜井館長はじめ経営側の視点は他にないことだ。
ここにはずいぶん前からきたいと思っていたのだけれど、いつも仕事があったりで時間がなかった。今年は無理をして時間を作ってきたのだけれど、来るだけの意味がある時間が過ごせた。こういうことをしないと自分のいろいろな可能性が広がらない。自己に対する投資というか、衰えないための方法というか、こういうことはまだまだ自分にとって必要なのである。
学生達が泊まるのはお医者さんである庭山さんのおうち。民泊である。これも若い人が来てくれることが嬉しくて堪らない庭山さんの好意で成立している。
今回は、2年前の昭和音大の生徒が参加するというので、遊びに行ったようなものだが、最後の日の企画の発表のゲスト審査員というのをやる羽目になった。
みんな思ったよりもきちんとした企画書を書いてきているのですこし吃驚。もちろん、キャリアがないので、考え方と具体的な企画のギャップがあったりするのだけれど、それは、体で覚えていくものだ。
(写真は、最後に撮った写真。7人の学生、榎本さん、庭山先生と)


スチューデントプロデュース

2008年08月28日 | 徒然
足立区西新井のギャラクシティで今年3年目のスチューデント・プロデュースコンサートの準備が始まっている。この企画は地味であるが、注目すべき企画である。担当の方は時間的な拘束の長さや進行を常に先読みし、その上その通りにならない・・ということを乗りこえてやるので大変だとは思うのだけれど、それを決断する財団の人はかなりえらいと思う。ここの財団も、指定管理者制度の波を受けて、来年以降またいろいろと、業務の見直しとかしないいけないみたいでちょっと心配である。こういう教育的なプログラムは極力残していって欲しいのだけれど。
トリトンで吉野さんと高校生プロジェクトをやっているときに、関西のあるホールの館長クラスの方にその話をしたことがあって、なんでそんなことをやっているのか・・といわれて答えに窮した記憶がある。確かに、ある方向性の考え方の中では全く理解できないことなのかも知れない。

今日はチェロの渡辺玄一と3年目になる白石光隆がみんなの集まっているところにやってきて、話をしながら進めていた。
今日のテーマは二人のことを知ることだったみたいで、多分前の週にみんなで話し合われた「二人に聞きたいこと」のリストで質問をし、二人が答えるという回だった。特に渡辺君は非常に誠実に答えてくれていたけれど、誠実すぎてみんなが欲しいものが受け取れるだろうか・・と心配したのだが、若い人の感性は、そこからいろいろなものを引き出そうとしていたみたい。最後に二人がアメリカで国連のビルで演奏したプログラムを見せながら(写真)、カザルスの国連コンサートの有名な「カタロニアの鳥はピースピースと鳴く」の演説の話しをしたのだが、全員がとても真剣に受け取って、演奏を聴いている様子が嬉しかった。
そう言えば「鳥の歌」も久しぶりに聴いた。ちょっと懐かしい。最近は、あのころのように「純粋に企画をする」と言うことがほとんど無くなってしまっているような気がする。年齢とか立場上の必然(若い人が育つように、とか)というのはあるのだと思うが、ちょっと考えてしまったりして・・・。


長崎・城山小学校のアウトリーチ(白石光隆)

2008年08月24日 | アウトリーチ
白石光隆さんのソロのアウトリーチは久しぶりである。と言うより直接現場に居合わせたのは初めてかも知れない。小高い丘の上にある城山小学校は、3年ほど前に行った山里小学校と並んで爆心に一番近い小学校であった。今も当時の校舎の一部がそのまま建っていて、そこが資料室になっているそうだが、今回は土曜日だったので見ることは出来なかった。その校舎のとなりに建っている図書館と小さなホール(何室と呼ぶのか?だけど)のある棟でコンサートを行った。育友会主催なので、前に子ども達が座り、後ろにお母さん達が腰掛けるという感じで約100名弱。
ここの準備を中心的にやって下さったグループの中心にいたのが、長崎の初代の登録演奏家としてアウトリーチをお願いしていた北川クミさん。彼女は演奏家としてもだが、聴く側としてもこの事業の良き理解者だとおもう。ずいぶん前に保育園に行ったことがあって、そこでも彼女は中心的に動いてくださった。あのときのお子さんが小学生になったので、今度は小学校から申し込んだみたいだ。自然体で準備してくださるのがとても気持ちがよい。
白石さんは、北川さんから渡された「かよこ桜」の本を読んでとても感動して、一曲変更してコンサートをした。グラナドスの「嘆き、またはマハと夜鳴きウグイス」。夜鳴きウグイス(ナイチンゲール)が鳴く美しい声を大事な人に心を伝える方法として感じていたヨーロッパの人たちの思いについて話をした。アウトリーチのようなことをやっていると、こう言うテーマを感じたときについ直接的な反応をしてしまいがちなのだけれど、彼は、さりげなく大事なことを伝えようとしていた。こういう大人の表現は、直接的であるよりもよほど豊かである。本来はそうだったんだよなあ。そんなことも、現代の症状の1つか。


長崎・先生向けのアウトリーチ(研修)

2008年08月24日 | アウトリーチ
22日に長崎市で小中学校の音楽の先生にアウトリーチを体験して頂いた。
長崎市ブリックホール(文化振興課)と教育委員会が協力して、夏休みの研修の一環として計画したもの。今年は2年目。
はじめに私が30分ほど話しをし、そのあと、ピアニストの白石光隆さんに1時間のプログラムをやって頂いた。最後に30分ほど、私と白石さんが話し質問を受ける、と言う進行で約2時間半ほどである。
私の話では、アーツinエデュケーションとしての横浜と神奈川の試み、アメリカのTA(Teaching Artist)について館単な話しをし、学校でのアウトリーチでどんなことを行うのかを「アートリテラシー」(特に鑑賞能力)獲得を本物のアーチストによって伝える、という考え方で行っている授業の色彩が強い、と言う話しをした。最後に旭山動物園の思考回路がアウトリーチと似ていることを話して30分(というのは無茶だったな。大体40分弱)。
白石さんは集まった約30名の先生達に対して、ピアノの周りに集まって頂き、通称「三枚おろし(ハンマーの機構を開けてしまう)」をして、先生に触って頂いた。このようなやり方と話しかけの仕方で行うと、「狭いところで少人数で・・」というこの事業の趣旨が見えてくる。先生にそのことをわかって頂くのはとても大事だし、実体験をして頂くのが一番良い。経験的にいうと、構えていないときの先生というのはとても感度の良い聴き手なのだ。
まあ、研修というよりは楽しんで頂いてしまったかも知れないけれど。
白石さんのプログラムは正統的なクラシックプログラム。話しも、説明として話すこと、メッセージとして伝えること、自分から感じてもらうこと、などが整理されていてとても気持ちがよい。
曲は、グルックのガボット、ドビュッシーの水の反映、ベートーヴェンの6つの変奏曲、ショパンの即興曲3番、ラフマニノフの前奏曲、グリークのトロルドハウゲンの婚礼の日、ファリャの火祭りの踊り。
翌日のアウトリーチの様子はフィールドノートにいずれ載せるけれど、何しろ話のテンポが速くてメモしきれない・・・。

「芸術文化のまち尾道」

2008年08月19日 | 徒然
尾道市に行ってきました。
瀬戸田との関係はずいぶん前からあったのだけれど、因島市、御調町などと尾道市に合併し、瀬戸田のベルカントホールも市の西野端っこの方になってしまった。
尾道市役所にいったら、ちょうど近くの吉和太鼓踊が、市役所に奉納に来ているのに遭遇。子どもがきちんと参加しているので、こういう伝統も守られているのだろうか。
まあ、子どもは自動的にそれに参加しているので・・という感じだと言っていたけれど、あとは振る舞いものとかに魅力があるのかな?
でも、都心に住んでいると無い光景ではある。こっちはせっかくの富岡八幡のお祭りを振って広島に来ているのでまあ何も言えないのですけれど、こういう小さい行事もとっても大事。

そうそう、150頁ほどの「尾道市総合計画」という冊子の表紙に堂々と出ているキャッチコピー。
「活力あふれ感性息づく芸術文化のまち尾道」~ともに高めあう尾道文化の創造~
素晴らしい!。




はじめの一歩

2008年08月15日 | いわき
いわきではお盆の時期を活用して、舞台技術関連の初心者むき講座をしている。
いわきはきちんとした舞台がなかったからか(古い市民会館はあったわけだけれどあんまりその辺に感心が言っていなかった節がある)、舞台ものについては市内にそのノウハウが蓄積されていないのである。きちんとやらないと本当に危ない!と言うことも含めて、ちょっといい加減なところがあったように感じられる。アリオスのスタッフの一番心配していたのもそこで、この舞台技術初心者コースは、今後、市民と一緒にいわきで何かを作っていこうと言うときに必須の前提条件とも言えるとセミナー企画なのである。人を育てるのは時間がかかるし、その中で本当に質感に拘り、リードする人が出てこないとその先の創作にはなかなかたどり着かないのだ。その為の時間はアリオスにとって大事。
はじめ舞台の方から「はじめの一歩」という企画の名前を聞いて、トリトンの「はじめのいっぽ」とダブるのではないかと思ったけれど、実は世田谷パブリックシアターではやっていた企画らしい。トリトンでは2001年のオープニングの時に「しつないがく・はじめのいっぽ」(はな・はと・まめ・ます)という企画をやった。そのときは、小学校の小学1年生の教科書の最初の4つの言葉をタイトルにして、室内楽を来たことのない人に聞いてもらおうとした。たしか、アメリカとます、だったと思う。アメリカはなんと木管5重奏ヴァージョン。
とはいえ、このときも苦戦したなあ。昨年から、お昼の時間の短いコンサートで再開し、室内楽と言うよりもソリストでの企画として行っている。
「千里の道も一歩から」なのか「百里の道は90里が半分」なのかはわからないけれど、はじめのいっぽという言葉には、続けることを前提とした響があって、3年たったら、「セカンドステップ」が用意されるのが本当のような気がするのだけれど、その辺を企画で上手くやっている会館はあまり多くない(新潟がいちばん戦略的かな。でも違う層がいると言うことかも知れない)。そうそうステップの感覚を持っている人がそんなにいないからか。

いわきのはじめの一歩は年間2回とかのペースで続けていくことになるだろう。ここのスタッフのキャリアは素晴らしい人たちが多く、はじめの一歩ではもったいないような人たちばかりであるので、先生には事欠かないのだ。

質を感じると言うこと(エクセルシオのアウトリーチの話)

2008年08月11日 | 徒然
質というのは主観的なものだから基準にしにくい、と言うことは事実だとしても、最近は質にはあんまり拘らない人が増えているような気がする。まあ、私が若かったときもきっとそう言っていた大人がいたに違いないけれどね。戦後の第一期漫画世代としては、あの頃夢中で漫画やテレビを見ていたのとは、今は違うように感じるが・・・。社会全体が漫画の質というものを考え始めたのはもう少し後のように思われる。

さて、質の話しである。アウトリーチなどをやっていることで、いろいろな質感への感覚が変わってくるということはありそうなことだ。まず、聴く方ではなく当事者側のほうから変調を来してくるのである。だから、自分自身で意識的にそれを思考の俎の上に載せ、検証する気持ちがないと危ないのだ。何しろ、アウトリーチでは、誰も「あんたは下手だ」と言ってくれないし、聴き手の通常の意思表示方法である「来ない」ということをアウトリーチは想定していない訳だから。油断大敵。
演奏の質だけではない、企画の質、というものもある。これは実はもっと難しい感性を求めるかも知れない。しかし、一方ターゲットが明快なアウトリーチ活動は、企画をブラッシュアップして質感を高めるには良いツールでもある。

さて、今年「音活見本市」から格上げされ?、「地域創造フェスティヴァル」になった夏のイベントは、なかなか充実していた。まだ企画としては統一感が充分ではなかったような気もするが、そのことはさておき、今回はその中の講座の一つで「アウトリーチのプログラム(曲目構成と進行案)のブラッシュアップ」を演奏家と話していくということをやってみた。約1時間45分ほどの講座の中で。まず活動を紹介し、ヴィデオを見てもらい、それから架空の進行プランをもとに話しを始めた。ディレクターやコーディネーターが演奏家と「サシで」音楽パフォーマンスについて語る訳である。もちろん、音楽そのものの話しはあんまりしません。性格付けはするけれど・・・。まあ、地域創造では音活フォーラムと言う企画があり、そこではコーディネーターは演奏家と共に実戦的にプログラムづくりをしていくわけだけれど、それは演技指導のようなものになるので、かなりの労力と時間を要求される。今回のは、演奏家とコーディネーターが経験が有り、具体的なイメージを持てる状態であれば、そこのところはオンザテーブルで話せるのではないか、ということなのである。それと共に、ホールの担当者がその役割をすることで、演奏家を知り、音楽を知り、パフォーマンスを知ることができ、それは一種の能力に繋がっていくはずなのだ。

今回付き合って頂いたのは、クァルテット・エクセルシオのセカンドヴァイオリン奏者山田百子さんで、彼女は昨年、今年とエクセルシオのアウトリーチのプログラムを考える担当をしている(これは各メンバーが順番でやってきた)。考えるだけでなく、現場でも聴き手に対する責任をその人が持つ、と言う考え方である。オーボエ奏者のご主人が「うちのは最近、ヴァイオリンを持っている時間よりも、パソコンに向かっている時間の方が長いかも」といっているくらいだから、常に「何をするのか、どうするのか」を考えているのだろう。彼女との対話でも、私が考えていないようなことまで考えている局面が何回かあった。スイッチが入ったときの演奏家の勘の良さは素晴らしい。こういう人は、企画の質感にもきっと気がついているに違いない。エクのアウトリーチプログラムの進歩は、こういうところからも生まれているのだろう。

まあ、最後は演奏が良くないといけないのだけれど、アウトリーチも形を作るだけだと魂は入らないし、形が出来ないと魂を入れることが出来ない、ということだと思う。




夏の日の原爆小景

2008年08月09日 | 徒然
 林光さんとは長いつきあいである。といっても始めは大学生の時の合唱曲との出会い(黒い歌、忘れまい615、たたかいの中に、などなど)。そのあとカザルスホールでこんにゃく座をやったり、御喜美江さんに曲を書いて頂いたり、そして第一生命ホールでの東混。もちろんそんなに親しくしてもらったわけではないけれど、ずっと周辺にいたことになる。
 昨日は本当に暑かった。東京も猛暑日だったらしいし、北関東では37度を超える気温だったようだ。
 「8月のまつり」という企画は原爆小景のためにある。林さんが原爆小景を毎年やろうと思って始めたのが多分1980年くらいだからもう30年近くになる。第一生命ホールやイイノホールなどでやり始め、途中(1989年くらいかな)からカザルスホールで毎年行うようになった。第一生命ホールが晴海に出来てからはここを拠点にと考えて下さるようになり、こちらも共催という対応を続けてきた。昨日(8日)は29回目。また来年もやるということになっている。
 原爆小景以外は毎回工夫をして少しずつ位置をずらせていくような選曲が続いている。オープンハウスの時にも書いたけれど、こういう企画はマンネリと言えばマンネリであって、それが祭り(イベント)の基本である。最近は芸術でも文化でも、変わることが良いことだという風潮が強いし、変わらないという悪弊もあるわけだけれど、そのためにみんなが追いかけ回されていることも間違いなくて、変えすぎているのだろう。苔が着かないから傷もつきやすいし。
昨日の東混の演奏は、ひたすらきれいな演奏だった。僕は原爆小景を聴けなかったのだけれども、あれもきれいすぎて・・と言っている人がいた。確かに後半のロルカや日本抒情曲集も、若い歌手達の声は不思議なきれいさで演奏されていて、僕にはそれが現世との距離を感じてしまったのだけれど、どうなんだろうか。まあ個人的な感傷かも知れない。来年聴かないかもしれないからね。
 それも、指揮する側が意図的に毎年演奏スタイルを変えようと意図しているとは到底思えない。でも、時代とか、歌い手とか、場所とかいろいろな要素が自然に作用して変化を作ってくるのだろう。そういう変化を変化と感じられない人にはきっと意味はないのだろうけれど。
 中国文化の泰斗であった宮崎市定が「中国の歴史上では革命が語られるときは意外と変わっていなくて、継承を歌うときに大きな構造的変動があった」と書いているのだけれど、それが歴史を見ると言うことかも知れない。
今日は話が飛びすぎるな。閑話休題
林光さんのCD選集がでた。すごい。入っていない曲もあるけれど、全20巻のCDと書籍。オーケストラ室内楽から合唱、歌、映画音楽などまで入っている。ブレヒトソングが入らなかったのが残念だけれど、僕が合唱団に入って最初の会合で上級生が歌ってくれた「黒い歌」が初録音で入っていたり、立川市立幸小学校の校歌(谷川さんのすてきな詩。この朗読を聴いて、いわきアリオス人たちが谷川さんに詩を書いてもらおうと思ったのだ)心がとても動くのである。多分、似た世代の合唱をやっていた人は、必ずと言って良いほど原爆小景の洗礼は受けているはずだ。(写真のように、昨日の8月のまつりでも売っていたが、その場で44100を払う人は少なかったようだ、暑い中持って帰るのも大変だし)

鈴木秀美さんのバッハ

2008年08月02日 | いわき
いわき。
鈴木秀美さんのバッハ2晩のコンサートである。91年だったか彼が帰国して本格的にデビューをするというときのカザルスホールでのコンサートを聴いている。台風が来る前というとても湿気が多いときで、カザルスホールをキンキンに冷やして湿度を下げ、張り紙をしてお客さんにお詫びしながらの演奏会だったはずだ(主催ではないのでそんなに詳しくは知らないが)
あのときから変わらないのは、湿度だけ下げる(又は上げる)という空調はホールではあんまり聞かないという状況。日本でオリジナル楽器をやるような会館にはあった方が良い設備なんのだけれど・・・
10月くらいの時期にホールが暑いので冷やすと、外気を入れて一気に湿度が上がってしまうというところもずいぶんある。会館は省エネとの戦いでもあるので難しいのだろうけれど、オリジナル楽器ではその影響が非常に大きい(特に弦楽器の中でも大型のチェロの影響は一番大きいかも知れない)ということを、設計の人にも分かってもらっていると良いのだけれど・・・。いわきでもこの問題を挙げた記憶はあるのだけれどしばらく忘れていた。
まあ、こういう悪態は「そういうことを知っててなんでこんな夏のど真ん中にやるの?」と言われると言葉がないのだけれどね。

昨日の演奏は素晴らしかったみたいである(何しろ満席で聴けないのだ)が、鈴木さんは17年間でずいぶん湿気に強くなった、そういう弾き方が出来るようになった、とは言っていた。
今日は昨日よりもすこし湿気が多いみたいである。毛布を多めに用意して冷房を強めて本番に突入になると思われる。
写真は、空気にならすために少しでも楽器は舞台の同じ環境に置いておいた方が良い、ということで舞台に放置された5弦のチェロ(もちろん6番用)