児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

10年間の由布院

2007年07月29日 | 各地にて
1997年の8月に松山のステージラボで集まった音楽コースの人たちは少し個性的な人たちが多かったようだ。それまでに例のない8月という時期の選択。無理をせず15名という少人数でのコース。音楽祭を作ってみよう、と言うテーマと由布院音楽祭の加藤事務局長の参加などいくつかの理由があってのことだろうが、そのときに「来年は由布院にボランティアに行こう」と言いだしたのが広島県の某財団の方で、その後毎年来ている。
コースの人で10年間来続けたのは二人だが、彼らは由布院の町の人(行政、市民の両方ともに)に認知され、良い関係が出来ているみたいだ(もちろん私はそういう立場ではないが)。これはとても良いことだと思う。
今年は、そのきっかけから10年になる。ずいぶんと昔になってしまった。実際、その間に音楽監督の交代とか、町の人の参加メンバーの若返りとか、ボランティアのメンバーが変わって来たこととか変化もあった。でも、その変わり様の緩やかさは独特の時間的な判断があるのだろう。東京人の常識からすれば考えられないほど遅く緩やかな流れであり、変態である。
今年も、明日が最終日。今年の大きな特徴は久しぶりに本当に若いSQが来ていることか・・。彼らのロザムンデを聴きながらいろいろと思いだしたりしていたのだが、やはりハレーSQやエクセルシオが出てきた時とは若干の違いを感じる分野である。あの時代よりも環境が良くなっているとは言いにくいが・・。

歌舞伎しか知らない人間ですよ

2007年07月29日 | 徒然
JALの機内誌7月号で、中村勘三郎の平成中村座のNY公演のことを書いている。
その中に「3才からこれまで半世紀、歌舞伎しか知らない人間ですよ。だからこそ自分の居場所に閉じこもっては駄目なんです。外へ外へと出て行って、人と巡り会って刺激を受けないと。その刺激の全てが体に蓄積され、勘三郎という役者を動かしているんですよ」
と言う言葉がある。なんたる自信。
半世紀も歌舞伎しか知らない、と言っていることには2つのことが隠されている。
一つは、歌舞伎の世界が半世紀それだけ知っているほどの価値があること
もう一つは、他を知っているから歌舞伎しか・・と言えるということ
彼は、前回の公演では歌舞伎の表の美しさでなく、情を動かしている世界をNY出店用とした。今回の公演では、英語で人情芝居(一人ごとの台詞)を聞かせると言うことに挑戦している。
さて、歌舞伎しか知らない人間とはなにか?
それは、どんな経験も歌舞伎に結びつけねば気が済まない性格、という意味だろう。このような性向は何かで一定以上のことを為している人間の共通項でもあるように思うがどうなんだろうか・・・

願います(それぞれの文化)

2007年07月23日 | 徒然
人がいるところ全て固有の文化が形成される。それも面白い。実際、複数の人間がいればそれは社会であって、それぞれのルールというのが成立するが、なかなかなじめないものも多いし、すっと当たり前になってしまうものもある。しかし、お互いが主張し合うような集団で形成されていくルールには、お互いのことを気にしつつ常識は生まれていくのだが、不特定多数(という観念的な)相手に発する言葉遣いには「状況」というのもが含まれないので、かえって個性が出るケースもありそうだ。
トリトンアーツネットワークは晴海の新しいオフィスタワーの中にいるわけであるが、トイレに行くとこう書いてあって、ずっと気になってるんですよねえ。「ご注意願います」(トイレットペーパー以外のものを流さないでください)。
この間、ホールのバックヤードに人が入らないようにする時にどんな掲示を出すかという話になり、きっと役所のホールならば「関係者以外立ち入り禁止」と書いてある。民間の感覚では、こういう命令型は馴染まないので「ここより先は関係者以外の立ち入りをご遠慮ください」「ここより先は入らないようにお願いします」とか書きそうだ、云々(第一生命ホールも同様である)。
こういう日常の中に文化はあらわれる。この「願います」ヴァージョンはここに来てからあちこちで見かけるが、なかなか微妙だと思った。形としてはお願いだが、あんまりお願いしているように感じられない。その辺が日本語の微妙さか?
この件、言語学的に整理をしてくださる人がいればご意見願います。

オープンハウス

2007年07月16日 | 徒然
今年も第一生命ホールのオープンハウスが終わり(と言うことは月島の草市も終わり)いよいよ本格的な夏。とはいえ、昼前まで晴れていた空の雲行きがだんだん怪しくなってくるのはやはり梅雨だからか・・

などと言っていたら、また新潟で地震。昨年、長岡で乗ったタクシーのおじさんが「うちの家のねこが、3年前の地震以来揺れるとビクッとする(そのネコは全員が買いものに出ていて留守だった家の家具の陰に隠れて震えていたそうだ)」と言っていたのを思いだし、あのネコは今日はどうしているだろうか、と思った。小学校の子どもも、まだ何人かカウンセリングを受けていると言っていたし、それはとてつもない経験なのだろう。何人かのご老人が地震で体調を悪くして病院に来た、と言う話もわかるような気がする。
音楽活性化事業で行った寺泊もすぐそばであるが、情報が入ってきていない。確かあそこは長岡市になって居るはずで、長岡市のはずれの寺泊の情報は、直接ではなく長岡市でまとめられてから上がってくるので時間的にずれが出るのだろうか。

さて、オープンハウスである。
住宅展示などでは随分前から使われていたとは言え、ホールの内覧的な企画にオープンハウスと言う言葉を使ったのは日本では第一生命が初めてだったように思う(初めてだから偉いわけではないけどね)。ボストンのを見てきた箕口さんの発案であるが、バックステージツアーをよりパフォーマンス化するという感じであって、これは私たちの基本的な指向とも合致する。それは「物よりも人」という思考。それは前のホールが上手くいかなくなったときに一番感じたことでもあり、言葉よりも拡がって欲しいと思うこと・・。
今年は、サポーター(97名)もお客様(729名)も昨年を超える人数が集まってくれて、この企画の方向性が定まってきたという感じを持った。数では某サントリーホールの全く敵わないがそれはそれ。お客様も「この日は、ホールでやっていることを気楽に、子連れで、自由に、いろいろと楽しめる・・」という感じで来てくださっていたような印象。子連れの数が例年よりも多かったように感じられたのも嬉しかったこと。
あと、バックステージツアーのリーダー兼解説役を買って出てくれたDLの社員の方たちが「自分たちのホール」を説明している姿をみて、6年前の目標の一つでありつつなかなか果たせなかった「ホールは社員の社会貢献の場所である」ということを思いだしてとても嬉しかった。

 ※ 写真は舞台技術のスタッフの説明(ロープの結び方)の様子


夜のバス

2007年07月13日 | 徒然
東京といわきの関係は、「朝はいわきからのバスが早くから有り、夜は東京発の遅い便がある」という関係である。私は乗ったことがないのだが、23時東京駅発の高速バス(夜中の2時に着く)は混んでいるらしい。
今の仕事の都合だと、常に逆になっているので、少し不便な感じがある。
若いころは夜のバスに乗るのはちょっと憂鬱な感じを持ったものだが、最近はあんまり感じないのは、単に慣れただけなのかどうか。
昨日もいわきから綾瀬まで2時間半。ちょっと本を読んで少し寝てと言うのが大体のペースになってきた。すでに4月から13,4回は往復しているが、電車よりも慣れてきた楽に感じられてきた。
バスにはいろいろな人が乗り込んでくる。それぞれに何か意味があるような雰囲気があるのは気のせいにすぎないだろうが、電車に乗った時に感じる周りの人の薄い空気感とは随分違うような気がする。静かだが濃いのである。
途中の友部SAで必ず休憩がある。何故かほとんどの人がバスから降りてトイレに行ったり自販機に行ったりする。でも、平日の夜のSAはまた違った雰囲気があって、10分の休憩を待たずにみんなとぼとぼと帰ってくる。
まあ、自分もそのように見られているのかも知れぬ。

アウトリーチセミナー

2007年07月08日 | アウトリーチ
木曜、金曜と熊本でアウトリーチセミナーというのをやってきた。講師は私と熊劇の本田さん。
熊本地域の演奏家、会館の人、プロデュースを目指す人などが対象。とは言っても、今回は演奏家がどうのように考え、何を、どの様な手法ですればいいのか、というアプローチ法のセミナーである。20名近くのかたが集まった。実演家は約半数。
地元の演奏家がどのようにアウトリーチ先を見つけるのか(多分、内容よりもその方が演奏家には緊喫の問題意識だろうが)ということについては今回はふれていない。トリトン・アーツ・ネットワークが作ったハンドブックには、そのようなことも意識されているが、残念ながら現在時点では、それぞれこうすればいい、といって簡単にできるような状況にはまだなってないのである。地域による違いも大きい。
NPOや財団や自治体などのようにミッション性を持った団体が、社会に働きかけてその必要性を認識してもらい、そして同じミッションを演奏家にも持ってもらい、その上でそのノウハウなどをもって質的な向上をはかられなくてはいけない、ということを考えると、日本中に広まるまでにはまだまだハードルがあるだろう。
しかしである。一方、すでに行われていることもたくさんある。具体的に言うと、演奏家が学校や、幼稚園や、老人施設などに行って演奏する、と言うことは全国各地で本当に多く行われていて、それら全てをアウトリーチと言えないこともないので難しい問題だ。

さて、今回行ったのは、
1,アウトリーチの歴史的、社会的な位置づけ
2,アウトリーチ活動を取り巻く状況とミッション
3,どのようなことをするのかの実例の紹介
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4,学校での実践例の見学
5,演奏家の熱意と個性を活かしたプログラミングの検討

である。本当はワークショップ的に実践(たとえばランスルー)を採り入れると一番良いのだろうが、それには時間もなく対象も広かったし、あまりに架空の話になるのでちょっと難しいだろうと思い行わなかった。それに、そのためには時間も足りない。というわけで理屈から内容までを2日で駆け足でたどる形になった。

とはいえ、このような事業では、動機(ミッションと言い換えても良い)が重要である。それ故、アウトリーチを定義しようと試みた。それも、現象に名前を付けるのではなく、歴史的な位置づけから今実行するべきことという視点をもっての定義である(ほとんどミッション)。これは、研究者的にはやや偏っていると思う。だって「じゃあこれは違うのかい?」との実例をもとに、問いが多く寄せられたら答える術がないからである。
それでも、今必要なのは良い実例を多く作ることであり、そのことを明確にするために定義があった方が良いだろうと思った。

考える中で思ったこと。
今アメリカではアウトリーチという言葉を使うのをちょっと躊躇しているような感がある。たとえば五嶋みどりのミュージックシェアリングでは「コミュニティ・エンゲージメント」という言葉を使う。アウトリーチが提供者からの一方的なヒエラルキーのある活動、と思われることを嫌い、また、それ以上の関係を現場から作り出そうという意思の表れであろう。
でも、それはこの活動をやっていく中で必ず出てくる気持ちであろうと思う。実際、地域創造の音活では比較的広い解釈でアウトリーチといっているけれども、如何に地域や子どもたちなどとの関係を作っていくか、その準備にお互い(演奏者とコミュニティ)が何をするか、ということを大事にしている。
しかし、やはりこれは芸術的な活動の一部であり、芸術の存在価値を感じてもらうという意味で普及活動の一部であることにかわりはない、ということだけはハッキリしていると思う。だから、まず芸術家側がその持っているものを出すことからしか始まらないのではないか、と思われる。これは五嶋さんの活動でも確認できる基本であるように思う。

このセミナーは理屈のあたまと現場のあたまと両方使うので、案外疲れるが面白いと言えば面白い。8月下旬にもう一回、福岡で同じようなセミナーをする。地域によって状況も反応も違う。どうなるだろうか。楽しみ。


昭和音楽大学のアーツインコミュニティ

2007年07月03日 | アウトリーチ
昭和音楽大学のアーツインコミュニティ事業は来年に本格的にカリキュラムすべく、今年は実験的に取り組む。
全体としては「地域と学ぶ」と題された講演会などの実施と「地域をつなぐ」という派遣プログラムと言えばいいだろうか。
先週と今週の2回で、アウトリーチの考え方と仕方について話をした。先週は座学、今週は実際のプログラム案をもとにした私と学生との討議。演奏家のやりたいこと、伝えたいことをベースに方法論を考える、というつもりだったが、なかなか思うようにはいかない。
それでも、3組の学生たちと話せたのはなかなか良かった。モデルプランを渡したためなのかわからないが、みんな思いの外きちんと考えていて好感が持てる。こういう話はアウトリーチにだけ役立つのではなく、常に必要なスキルだろう。
こういう授業は、出てくる内容によって替わるという意味では、出たとこ勝負、とも言える。始まる前はかなり緊張する。しかし、その場での解決ですむから逆に楽な面もある。まあ、こういう瞬間芸的な仕事をするのは良くないのではないかと思いつつ、でも実際に予定調和では面白くないし・・
と言う悩ましい授業だった。まあこう言うのは面白いと言えば面白い。

いらっしゃいませー(響ホールフェスティバル)

2007年07月01日 | 各地にて
一昨日昨日と北九州市の響ホールフェスティバル。

開場時にロビーに出てみると、主催者である財団の専務と事務局長が入り口の正面に立って「いらっしゃいませ」と大きな声を出している。今年から、職員が声出しを積極的にやろう、と言うことを確認したのだろうか。実はカザルスホールでも第一生命でも行っていない。だからとっても新鮮。25年ほど前に、コンサートエージェンシームジカ(一昨日倒産してしまったが)が、アルバイトのレセプショニストを雇い、日比谷サービスに替わって案内をしていた時代がある。帰りがけに「ありがとうございました」とみんなが大きな声を出していたのを見て新鮮に感じて以来。東京ではそれまで無かったのですよ。
まあ客商売だから当たり前とも言えるが、あれは貸ホールの立場ではしにくい。これはどこでもやるべきだ・・とは言わないが、やはり主催者の工夫の一つであろう。

さて、響ホールはシューボックスのホールだが、やや幅の広い、空間感の豊かな会場である。音響的にいうと、音の最適ポイントを探すとか楽器のバランスの取りやすさという意味では、他のシューボックスの会場と同様に、決して簡単ではない。昔、数住さんの時代に動物の謝肉祭とかメンデルスゾーンの八重奏曲の様な大編成の室内楽では、並び方に奥行きが必要なので、位置取りが難しかった記憶がある。
しかし、良いポイントを見つけると音響はとても良く、聴く人の満足度は極めて高いだろう。その意味では、ホールに良い耳を持った舞台技術者がいて、常にアコースティックを聴いて的確なアドヴァイスをしてくれるようなことは大事かも知れない。

響ホールフェスティバルは、オープン以来行ってきたのだが、今年から交代で三人の演奏家(野平一郎、松原勝也、佐久間由美子)にディレクションを任せると言う手法で再構築し、発信性、創造性の高い企画を少し冒険でもやっていくことにしている。ホール主催事業全体としては、逆に親しみのあって客の来やすいコンサートも導入し、企画の色彩のグラデーションを豊かにする、と言う考え方である。政令指定都市の会館としては、他にもやるべきことは数多くあるが、現在のリソースではちょっと困難だろう。きちんとしたプロパーの育成が重要。
今回のフェスティバルは野平さん。横川晴児、漆原啓子、向山佳絵子、それと林美智子の5人の出演者。今回は、結果として20世紀室内楽の大名作集になっていて、それもクラリネット入りの曲(兵士、世の終わり、コントラスツ、カトレーンⅡ)をここまでいちどに聴ける機会もほとんど無いというものだ。横川晴児さんも、初めての曲も含めこれだけ一気にやるのは貴重な体験だったと言っていた。全体にコンサートがモノトーンになるのを気にして来て頂いたメゾソプラノの林美智子さんの歌がとても良く(確かに玄人筋で話題になっているだけのことはある)、とても充実感のある2日になっただろう。
この企画で満席は望めないものの、良いお客さんが集まった。
来年は松原勝也さんである。山下洋輔や渡辺香津美とのコラボレーションと、中国の作曲家高平氏と高橋悠治さんを迎えてのコンサートがある。今年とは違ったトーンの楽しさを作れそうな気がする。どこに3年の軸としての統一感ができるか、というのは、これは企画側の密かな楽しみ。