長崎市では今年度、文化振興課担当者が試みとして、教授の賛同を得て、長崎大学の音楽科の学生の活動の一環として、アウトリーチを取り上げ、招聘している音楽家との交流を行うことにした。
5月の末に一度訪問して、学生のアウトリーチ(附属小学校)を見学させていただきそのあと少しミーティングをした。第2回目の今日は古部賢一、瀧村依里、小澤佳永のトリオが午前中にランスルーの形でアウトリーチを見学し、午後は逆にトリオの小学校へのアクティビティを見学してもらい、夕方1時間半ほどのミーティングを試みた。
アウトリーチとは何だろうか、教育なのかそうでないのか,というような意見も出たし、その場合は何の教育なのかなど、本質的な語論もしつつ、アウトリーチを実践する(子どもの前に立つという意味)演奏者としての具体的な姿勢とかプログラムづくりの技術的な基本的部分についての話もした。
基本的にはみんな真摯にこの事に取り組んでくれているのは嬉しいし、その議論の場に活水女子大でアートメネジメントを学んでいる学生達(ブリックのサポーターでもある)も参加して話をできたことは長崎にとって意味があることに間違いない。何人かは夜の会食にも参加していろいろと話したけれど、こういう空気があること自体に10年アウトリーチをやってきてたどり着いた地点を見るような気がした(もちろん、まだまだゴールにはなっていないのだけれど)
とはいえ、教育学部という場所での音楽活動というのは編成にしてもなかなか当たり前には行かないので大変そうだな、というのが印象。みんなに熱意のあるのが大きな救いである。トリオのメンバーにしても、私としても若い人達とつきあえた充実した一日であることは間違いない。
しかし、音楽だけを見てもアウトリーチという一つの言葉の中に含まれる多彩な概念や解釈、目的や手法など本当に整理は難しい。東京芸大の授業でもいま、アウトリーチに関する質問を軒並みカードに書いてもらって整理をして議論、講義をしていこうと試みているが、そのメモを見ても、KJ法が使えるのか自信がなくなるくらいに似ていても微妙に違う問題提起が出てきている。どうやって整理しようか・・・という感じでもある。
写真は本日の、古部賢一(Ob)瀧村依里(Vn)小澤佳永(Pf)の上長崎小学校でのアウトリーチの様子。
5月の末に一度訪問して、学生のアウトリーチ(附属小学校)を見学させていただきそのあと少しミーティングをした。第2回目の今日は古部賢一、瀧村依里、小澤佳永のトリオが午前中にランスルーの形でアウトリーチを見学し、午後は逆にトリオの小学校へのアクティビティを見学してもらい、夕方1時間半ほどのミーティングを試みた。
アウトリーチとは何だろうか、教育なのかそうでないのか,というような意見も出たし、その場合は何の教育なのかなど、本質的な語論もしつつ、アウトリーチを実践する(子どもの前に立つという意味)演奏者としての具体的な姿勢とかプログラムづくりの技術的な基本的部分についての話もした。
基本的にはみんな真摯にこの事に取り組んでくれているのは嬉しいし、その議論の場に活水女子大でアートメネジメントを学んでいる学生達(ブリックのサポーターでもある)も参加して話をできたことは長崎にとって意味があることに間違いない。何人かは夜の会食にも参加していろいろと話したけれど、こういう空気があること自体に10年アウトリーチをやってきてたどり着いた地点を見るような気がした(もちろん、まだまだゴールにはなっていないのだけれど)
とはいえ、教育学部という場所での音楽活動というのは編成にしてもなかなか当たり前には行かないので大変そうだな、というのが印象。みんなに熱意のあるのが大きな救いである。トリオのメンバーにしても、私としても若い人達とつきあえた充実した一日であることは間違いない。
しかし、音楽だけを見てもアウトリーチという一つの言葉の中に含まれる多彩な概念や解釈、目的や手法など本当に整理は難しい。東京芸大の授業でもいま、アウトリーチに関する質問を軒並みカードに書いてもらって整理をして議論、講義をしていこうと試みているが、そのメモを見ても、KJ法が使えるのか自信がなくなるくらいに似ていても微妙に違う問題提起が出てきている。どうやって整理しようか・・・という感じでもある。
写真は本日の、古部賢一(Ob)瀧村依里(Vn)小澤佳永(Pf)の上長崎小学校でのアウトリーチの様子。