児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

アリオス、初めてのピアノコンチェルト

2008年09月27日 | いわき
9月26日、いわきの大ホールで読売日本交響楽団の演奏会があった。いわきアリオスにピアノコンチェルトが入るのは実は初めて。ホールにとってピアノ協奏曲は案外ハードルが高いのである。オーケストラは山台を組み100人近いメンバーを並べるわけだから、舞台上の何処が音がいいとか言うことはあんまりお構いなしになるのである(そう言う気持ちではないだろうが、位置関係をそんなにいじるわけにはいかない)大体ピアノは舞台の前っ面に置くしかなく、そこは舞台の中で一番音が良い場所と言うことはまずない。多くのホールでは、後ろの壁に近い管楽器の音が一番良く反射してくるわけだ。音量のバランスはとても難しい。オケも判っていて修正しようとするのだけれど思うようにいかないことも多い。20年ほども昔、セシル・ウーセというフランスのピアニストがN響と前田講堂でやったときは本当にピアノが出てこなくて苦労した(というかどうしようもなかった)。もう少し後ろに置けば・・と思うのだけれど物理的に不可能なのである。それに、その頃はN響にああしたら・・とか言える身分でもなかったのだけれども。
今日はリハーサルを聞いて安心した。三浦友理恵さんは小さい体つきだけれど思い切りの良い演奏をしていたのもあり、ほとんど問題がなかったのだ。プロが、それもたくさんの似たようなホールでの経験をしていく中でやってきたことなのだから決定的にダメということはあるはずもないか? それでも秋から冬にかけてピアノ協奏曲がいくつもある(一番の目玉は11月のゲルギエフのロンドンフィルである)のでほっとした。
ホール全体の音は半年がたって少しづつ音のブレンドが良くなってきたように感じられる。反響板はしょっちゅう使っているわけでもないので、エージングには少し時間がかかるかも。でも、昨年秋、まだ完成したばかりで初めて音が出たとき(見学会でアマチュアだけれどもヴィオラを弾く人が、ちょっとだけと言って音を出してくれた)の、触るとそこが切れて血が出るような張り詰めた、ピリッとした緊張感はなくなっているのだけれど(あれは気のせいだったか?)、落ち着いた豊かさに変貌しつつあるのだろう。


吉見から北九州へ

2008年09月27日 | 各地にて
吉見を見た夜に北九州に移動。翌日(24日)は地元演奏家によるアウトリーチプログラム、今回は3人がそれぞれ小学校へ。
北九州は終わったあと、小一時間時間を取って復習というか反省会をやるので、流れをきちんと見ていないとコメントが出来ない、という案外過酷な条件なのである。まあそれが価値だと思ってもらえないと私が行く意味が無くなってしまうので、一生懸命にならないと行けない。まあこちらだけでなく、演奏家も大変なのだけれど。
本当は6月にやったときのことを詳細に記憶していて、その上で発言できるのが理想なのだけれど、これだけ色々とあると、何処でどんなことがありどんな話をしたかと言うことの記憶があんまり明瞭でなくなっていたりする。同じ事を言うのもまずいけれども、反対のことを言う可能性も無いとは言えない、それはもっとまずいだろう。でも、こっちも全く同じ地点に留まっているわけではないし、子どもの様子から本人の様子まで前と同じというわけではない。それも含めて生ものなのであるから、そう言うことが無いとも言えないのだ。
今回のピアノ、フルート、ソプラノの3人は前回のことを基本にしつつ、修正をしてきている。話すことに関してはそれぞれてんぱった様子もなく、自然になったような気がする。それだけでも第一の段階はクリアしているといえるだろう。今回は学校の希望にも対応しているのだけれどその程度というのがなかなか難しい。先生や学校の都合、そのときにやっていること、子どもに判って欲しい目標など、先生によってずいぶん違うわけだ。音楽のむずかしいところは、先生もその思いを正確な言葉(または演奏家に判ってもらう言葉)に置き換えるのが難しいと言うことだとおもう。言葉同士でなんか本質の周辺をまわっているような感じになることもある。そう言うときにこそコーディネーターの役割があるとも言えるだろう。
工夫は、
ピアノの早川さんは、トルコ行進曲でベートーヴェンのも使って対比を考えていた。彼女のポイントは月光の2,3楽章に持っていく部分なので、そこへの行程が大事である。
フルートの田室さんは、ライネッケのウンディーネという20分の曲をどう聴かせるかがポイントであるが、3,4年生というのがちょっと辛かったかも。オネゲルの牝山羊の踊りは、言葉で様子を書いてそれをめくりながらの進行。これが意外と面白いのである。歌の松谷さんは全体の構成をすこし変えてきた。ペールギュントの物語の絵本を読み(ピアノ演奏あり)、最後にソルベイグの歌を聴かせる趣向。なかなか良かった。グリークは彼女の聴いてもらいたい曲なのでそのくらい手間と時間(15分くらい)をかけても意味があったと思う。それよりも、一回目は台本を書いてそれを全部覚えてきた・・と言う強者なのだけれど、今回はそこまでをせず、そこに座っている子ども達との対話を大事にしているのが良かったかも。
写真は、門司区の小森江東小学校の音楽室からの展望。関門海峡が一望のいい場所である。向こう岸は下関である。そしてその前の島が巌流島。ああ此処なのね。と言う感じ。タクシーの運転手さんが、武蔵がこっち側の山にいて、そこから舟をこいで巌流島に行ったのだ,と言っていた。

さて、最後に打合せをしたのは昨年までの登録だったピアノの笹部さんで、小学校でのアウトリーチのアイデアに、3つの抽象画を見て、題名のない3つの小品(練習曲みたいなものか・・)とを結びつけてもらう、と言うアイデアをやりたいのだけれど・・と言う相談。
こう言う相談は本当に嬉しいのだ。常に何を伝えたいかを考え、その手法を工夫してみる、というのは「音楽を聴く」という行為をいろいろな形で示し、体験してもらうことに繋がるのだから、もしうまく行かなくても充分に意義があると思う。あんまりいいアドヴァイスをしてあげられなかった気がするけれどうまく行くと良いね。

福島青衣子(ハープ)と吉見町

2008年09月25日 | 徒然
埼玉県吉見町は吉見の百穴で有名であり、小さい頃から場所の名前は知っている。私は行かなかったけれども、遠足の名所である。ただ、実は埼玉県のどの辺にあるのか地理的な位置関係は意外と知らなかった。9月23日の秋分の日、初めての訪問。あまり便利とは言えない立地だけれど、いい会館ができている。空から見ると面白い形。これは設計の人の何らかの意図があるのだろうが、なんだろう?会館の人に聞いても判らなかったけれど・・。
会館の山口氏は、2月池袋のステージラボの参加者。彼は直営会館の職員であるけれども、柔軟な思考と企画に対する思い切りの良さは他の人とと少し違っていた。私のように比較的論理的に会館の企画を考えて行くと、基本的には「何をやるべきか」という方向になってしまいがちで、それには良い面もあるが悪い面もあるのだけれど、彼はそのバランスが上手だという気がした。
音活で、ハープの福島青衣子さんを選択したのもその感が働いているのだろうか。
今日は福島さんの初日。まず会館の和室で、ホールのサポーターのための小公演と交流会、というのは案外良い選択だったかも知れない。ホールに愛情のある人たちに受け入れてもらうのはとても重要だし、それだけでなく演奏家にとっても町や会館とのつきあいにおいて最初のハードルが低いのである。
サポーターとの関係が良好な会館は埼玉県では富士見があるが、此処もなかなかである。サポーターのメンバーと、それを上手く導いているように見える館長の息の合い方もなかなかのようだ。交流会では、館長がそばとうどんを打ち、サポーターがそれぞれ料理を持ち寄って、楽しいランチタイムになった。
福島さんは、まだ話しなどの持って行き方は工夫が出来ると思うけれども、独特の雰囲気を活かすと案外受けるかも知れない。吉野直子に聞いた話しでは、彼女はこういうことをとてもやりたいと思っていて音活に申し込んだとのことだから、これからどのように素の自分を出していくか楽しみである。
ハープは3台持ってきていて、アイリッシュとグランドと小さな立奏の出来るもの。3台のちがいがもう少し性格的に理解できると面白いと思った。
プレゼンで彼女が小さなハープを弾きながら客席から登場したのはなかなか凝った趣向だった(それもとうりゃんせ、を弾きながら・・。とうりゃんせはちょっと不気味な色合いのある遊び歌であるので)けれど、小さなサロンではそのような効果はそれほど大きくなかったかも。

高松のうどん

2008年09月21日 | 各地にて
18.19日と高松で音活の事前研修(下見)をしてきた。高松は久しぶり。初めは香川県の講習会で音活1年目(10年前)。そのときは三木町での音活だったけれど、それを活用して高松で公共の人と民間の人が交じっての講習。演奏家と一緒に出かけた。グループ分けしてテーマを検討したのだけれど、民間の人の柔軟な発想に舌を巻いた。そう言う面では公共ホールの人がここ10年で柔らかくなった気がするのはとても良いことなのだろう。このとき、演奏家と三木町の会館の横にあるうどん屋に入って、テーブルに腰掛けたらお茶も出てこないし注文もとりに来ないので、変だなと見回したらば、セルフの店だった。まず、うどんをもらって、自分でトッピングを選び、それを載せて最後に会計である。あとで会館の人から、こう言うのは此処では当たり前ですよ、と言われたのだけれど、やはりカルチャーショックではあった。今回も2日ともお昼はうどん屋だったのだけれどセルフの店ではなかった。いろいろな店があるのだそうだ。面白い。
2回目は、サンポートへのコンサルタントの勉強のために来た。次はやはり研修会で演奏家と一緒に来たが、今回初めてサンポートのホールをゆっくり見せてもらった。しかし、台風と重なって飛行機が飛ぶかハラハラした。結局午後に発って台風を追い越して羽田に到着。思ったよりも全然平気だった。飛行機が飛ばないでトラブルになったことはいままで無しできている悪運がまだ残っているみたい。




キラリ★富士見の音舞大作戦

2008年09月21日 | 各地にて
昨日(20日)、埼玉県富士見市で、ダンスの森下真樹さんとピアノの田村緑さんによる、子ども向けのダンスと音楽の公演があったので見に行ってきた。たいとりは、ボクと遊んで!「音舞大作戦」
こういう異ジャンルでそれぞれが一定の型を持ったアートの場合、そのコラボレーションというのはなかなか難しそうだ。まず、型を活かすともう一方はアドリブ的な表現を求められる。出会ってからリハーサル、本番に向かう時間の概念が同じでない。などなど。プロデュース的に言うと、プロデューサーがやりたいことが明確で、アーチストにそのことを手伝ってもらうと言う感覚の場合にはあんまり問題がないかも知れない。アーチストのやりたいことを引き出しながら企画をしていくやり方の場合は、その調整は大変そうだ。富士見の担当者もそれなりに苦労しただろう。
でも、今回の二人はとてもうまくいったのではないか。練習に付き合ったわけでもないので、当日だけでの判断はかなり危険ではあるけれど、そんな感じがした。一つは音楽家の田村さんに引き出しがたくさんあったこと。彼女のアウトリーチでの経験と手法の蓄積がとても活きていると思った。もう一つは、森下さんが音楽に合わせて融通無碍の表現とアイデアが豊かな人だったこと、ではないかと思う。
小さな子どもが暗転で怖がったりしたところもあったものの、それもまた生きていく上での良い経験になるくらいの感覚。
こういう組み合わせの場合、音楽家の方がアドリブであわせていくと言う方向が多いのではないかと思っていたが、それは良い方向で裏切られた。却って、ダンスをもう少し強く押し出しても良いのではないか、と思うくらい。そう言えば、昔、林峰男が日舞と一緒にやったコンサート(紀尾井ホール)を思い出した。あれは、林さんはひたすらバッハの無伴奏チェロ組曲を弾き、それにあわせて踊っていた。あれはあれでなかなか面白かったが、あれはアーチスティックな表現が勝った大人の鑑賞が前提。今回のような人なつこさとは別の方向性かもしれぬ。
その辺もふくめて、この二人のアーチストのバランスは良いのだろう。練習を重ねる必要があるのはクラシック音楽の奏者にとってはやや負担だけれど、面白いものが出来たので、本当は5-6回は出来ると有効なのだけれど。子ども向けにネットワークでも組んだらどうかな。
やった音楽は
・キラキラ星
・キラキラ星(木下牧子編)
・音舞大作戦のテーマ
・黒猫のタンゴ
・ジュ・トゥ・ヴ
・金平糖の踊り(チャイコフスキ)
・「あそび」より(クルターク)=絵本とダンスと・・
・エンターテイナー
ピアノに車を着け、ピアノごと退出のエンディングはなかなか秀逸でした。


熊本

2008年09月13日 | 各地にて
熊本のオーディション2次。
熊本県立劇場には毎年1,2回行っているので慣れてきているせいもあると思うのだけれど、あの会館、なかなか良くできていると改めて思う。もちろんもう30年くらいは経過しているので古くなっているし、設備が素晴らしいわけではないと思うのだけれど、建物によそよそしさがないのは何故だろうか。此処は東京文化会館を設計した人(名前を忘れた)の最後の作品だと草加さんが言っていて、以前彼がとても興味深そうに見学していたのを思い出すのだけれど、確かにしっかりした構造は、今でもそれほどは古めかしいとは思えない。
もちろん、会館は人であるので、そこでじっくりと活動してきた劇場の人の人格も込みでそのように感じるのだと思うけれど、正面から入って、左右に大ホールと中劇があり、その間の広いピロティのような部分を奥(事務所がある)に向かうときの落ち着いた感じは他の会館ではなかなか味わえない。外国のように改修をしながら何百年もそこにある、という会館のあり方は日本の新しい建築ではあまりあるように思えない(まあ外国でも新しいものはそうかもしれない)。全部でなくても良いのでそういう「文化の記憶」を大事にする会館もいくつかは日本に残っていって欲しいと思う。
熊本は音活フォーラム方式のアウトリーチ事業を続けてきているけれど、フォーラムの持つ育成能力(演奏家もスタッフ、コーディネーターも)を活かしつつ、再度構築したいと思っているようで、その一つの手法として地元演奏家のオーディションも行って行こうということのようである。まだまだ、1日のコンサート(アウトリーチではなく)を背負うのは大変そうだという印象があったけれど、緊張している演奏家の姿を見ると、彼らが一歩前に出られるように・・と思わざるを得ない。
コーディネーターが育つ(と言うのも失礼かな)といいのだけれど・・

工藤重典(フルート)のはじめのいっぽ

2008年09月13日 | 徒然
第一生命ホールの本日のはじめのいっぽは、フルートの工藤重典さんに出て頂いた。
本当に久しぶりで10年以上お付き合いしていないのではないか。とはいえ、顔を出したら「やあ今日は児玉さん!」。よく覚えていてくれたものだ。こう言うのも大事な演奏家の能力ではある。こちらの記憶はやや怪しくなっているので、妙に感心。
演奏家としての工藤さんは、とてもフランス人らしく、直前に曲順が変わったり、一曲追加になったり・・・。現場は案外振り回されるのだけれど、もともと「演奏のことしか頭になく、他のことは抜けることだらけ・・でも決して悪く思われない」というティピカルなアーチストは今や決して多くはない。しかし、相変わらず存在感のある音。フルートの音は空気をふるわせているので芯のきっちりとある音ではないうえに、彼の音楽作りは思わぬところから矢が飛んでくるような自在型なので、多分あわせる方はかなり大変だろう。ちょっと永井君を思い出してしまった。「クラシックはじめのいっぽ」、と言われてもなかなか曲が難しいですねえといいながら、名曲ばかり。こういう、小品での「芸」で勝負する世界はなかなか味わえない。演奏曲もかなり多目かな、と言う感じだったけれど、話も長くなる癖のある工藤さん、かなり切り詰めてもらったのだけれど、やはりしっかり時間はオーバー気味だった。お客さんがどんどん集中していくのが判る会だった。見事なものだ。

広島のアウトリーチ

2008年09月11日 | 各地にて
10日に広島の演奏家によるアウトリーチの第2回目。今回は4年生を相手に各演奏家が1クラスずつを受け持った。今回は、マリンバとピアノ、フルート二人とピアノ、オーボエとファゴットとピアノという3組。それぞれ工夫をしてきた。此処の4年生は見たときから「少し幼いかな」と思ったのだけれど、それは昨週の5年生が大人っぽかったのかどうかよく判らない。
実際、クラスにもよるけれど、話しへの食いつきは良いのだけれど良すぎて、どんどん脱線してしまうので、器楽の人たちには案外ハードルは高かったかも・・
終わったあとの反省会は一週間前よりもより打ち解けた感じでお互いの感想が出てきて面白かった。厳しい意見もあるのだけれど、言い合える関係というのは、こういう地域のアーチスト同士では比較的羨ましい感じ。こういうグループだとやりやすい。
学校の音楽の若い先生もとても熱心で、本当にいろいろと気遣いをしてくれた。どのクラスでも、最後に「この音楽会を手伝ってくれた後ろにいるスタッフにお礼を言いましょう」と言ってくれたり。音楽室の後ろのボードには先週のあう鳥-知の様子が写真と解説付きで貼りだしてある。こう言うのは演奏家もとても嬉しい。教頭先生のの目の輝きとともに、いい関係が築けそうな学校だ。
そうそう、今回も一緒に給食を食べたのだけれど、此処では牛乳のハコは全部開いて洗ってまとめる。富山では、つぶしてまとめたけれど・・こういう文化も地域によってそれぞれ違うのが面白い。
今回の進行プランだけれど、先週の進行プランもまだ出せていない。ちょっと目を使いすぎているのがやや心配なので、打ち込んでいないため、もう少し待ってね。

老化?

2008年09月09日 | 徒然
老化
土曜日にパソコン入力をしていたら、突然右目に糸のような影が・・
この綿くずのようなもの、どうも目の中に出現したらしく、これは網膜剥離ではないか、と慌てて昨日病院に行ってきた。病院の待合室には、手術の場合の入院日数と料金が書いた一覧表が置いてある。なになに、網膜剥離は10日間ほど入院だと・・。それは大変だ。いつそんなに休めるというのか・・。待たされたあげく、眼孔を拡げる目薬を差し、さらに小一時間待って再度検査をしてもらった結果。
医者「視野の狭窄もなく、視力も落ちていないようです。目には特に異常はありません」
私「では、なんなんでしょうか」
医者「眼球の中にはゼリーのようなものが入っているが年とともに縮むのです。それが曇ったりはがれて出来ているので、まあ、これは普通の老化現象の1つです。大丈夫でしょう」
私「網膜剥離とか危ないことではないですね」
医者「そうです。まあこれがまた増えるとかでなければ大丈夫でしょう。まあ様子を見ておかしいなと思ったらまた来て下さい」
私「で、この邪魔くさいものは取れたり無くなったりしないのですか?」
医者「なんかの拍子に見えなくなることはあっても、無くなるわけではないので、消えないでしょう」
私「目の使いすぎとか、そんなことが原因になるんでしょうか」
医者「じゃあ、目薬でも出しておきましょうか」
と言う会話で帰ってきたのだけれど、目薬は医者が面倒くさいので出した明らかに気休め。となりの薬局で220円也。飛蚊症というらしいけれど、右目にはまだ浮遊しているわけだから気にはなる。時々視界を横切ったりするのである。
まあ、なんか2日間密かに焦っていたので、幾分ほっとしたところもある。あっさり老化ですか・・・。まあそう言う歳ではあるが、本人は元気だしそう言う意識はないわけだ。まだまだだと思っているのだけれど。しかし、この蚊、慣れればなんてことはないのだろうけれど、やはり若干邪魔くさいか。

ドラゴン桜公式副読本

2008年09月08日 | 徒然
アウトリーチで学校に行くと考えさせられることがある。それは、中学校までに習ったことを大人はあんまり覚えていない、と言うこと。または、そこで習ったことに自分の中で意義付けをしていないと言うことかも知れない。
一度、中学校の教科書をきちんと読んでみると面白いと思う。あれ?こんなことまで習っていたっけ?ということに案外ぶつかるはずだ。もちろん、自分が興味を持った分野とか、仕事などに関係のある分野は、基礎の上に多くの積み増しをしているけれど、あんまりタッチしていない分野は、間違いなく思いのほか忘れ去られている。
多分、義務教育の中学校までに習うことは、人間が生きていく上であった方が良いだろうと思える情報(一般教養)のミニマムをあらわしていると思うのだけれど、そう言う知識が自分の生活上で必須のものだと言う考えは今や無く、高校以降の実生活の中でだんだんぐずぐずになってしまう、と言うことなのだと思う。もちろん私も含めて、案外たくさんのことを忘れている。(教科書の中身の個々のことについて、それが妥当であるかどうか、ということについては触れない)
まあ、教科書を全部覚えておくべきだという主張を此処でする気はないけれど、そういう思考方法は守っておいた方が良いような気がする。本来、社会はその基礎知識をみんなが持っている、という常識の上で形成されている筈なのだけれど。

16歳の教科書、と言う本が出ている。ドラゴン桜公式副読本だそうだ。ふと手にして買ったのだけれど、読み始めたら面白くあっという間に読んでしまった。もちろん高校生向けの本で受験を意識していることは間違いないけれど、国語、英語、数学、物理、社会、心理学などの教育の現場にいる人たち(学校のなかではなく)からの高校生へのメッセージとして書かれている内容は、いろいろと示唆に富むし純粋に面白い。この書き手達が、ある分野のプロとして、いかに他の分野と繋がっているか、世の中の様々なことと自分の専門分野を結びつけて思考しているか、というのがよく判る本だからであろう。