児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

高橋多佳子さん

2010年11月30日 | 各地にて

高橋多佳子さんのアウトリーチを見るのは本当に久しぶり。

多分前回は3年ほど前の夏の長崎で、先生向けの研修(体験アウトリーチ)だったと思う。そのときは他にも活水女子大の教室でやったりした記憶がある。早いもので3年以上たつか。

話をするときの明るい感じと演奏に集中するときの落差が大きいのが彼女の持ち味で、それが人を引きつけるのだと思う。以前はバッハからモーツアルトベートーヴェン、リスト、ドビュッシーというように歴史をたどることが多かったけれども、今年はショパンの第一人者の一人ということもあってオールショパンでのプログラムで人生をたどるという内容だった。パリに着くまでと、それ以降にわけ、その間にピアノに関する説明が入るという構成。同じショパンの話でも人によって見るところはずいぶんと違うものだ。その流れを楽しむとなるほど子どもにも面白いだろうと思う。3,4年生相手で用語などやや難しいこともあるのだけれど、このような方向できちんとやろうとするのが彼女らしいとも言える。ただ人生を2回たどると草臥れるのだそうで・・・・

フィールドノートはいずれ・・・


田村ピアノコンサート(ここが私のベストシート)

2010年11月28日 | いわき

いわきの音活支援の公演は、田村さんのリサイタル。1705席の大ホールでのコンサートになった。といっても大ホールでやりたい、というのは田村さんのアイデアで、そこで一番好きな席を探してもらい、後半はそこでゆっくりと聴く。約120名ほどのお客さんなのできわめて贅沢(というかふつうはあんまり考えない数字だが)な遣い方である。このアイデアで田村さんは研修会のワークショップとかでは何回かやって居るけれども、それを下敷きにしてリサイタルの中で本格的にやるのははじめてかもしれない。体力的に(身体も精神も)かなりピアニストにとって過酷な企画だと思うけれど、田村さんは(身体はともかく)心から楽しんでこういうことをやれる人。

ホールの中の席の位置によって、音響が変わるというのは経験的にはみんな知っているが、スタッフでもなかなか経験して確かめることは出来ないし、設計の人とかホールの人は(名誉にかけて)あんまりそのようなことはいわない事が多いので、結局、何となくあの辺が良いらしい、という口コミに頼ることになる。その意味で一般の方向けに「席によって音が違いますよ、自分にとって良い席を探してください」というのは貴重出し勇気の要る企画だとも言えると思う。まあ、あんまりそのような事は気にしないのだけれど。

帰りがけに、自分の一番良いと思う席に印を付けて頂いたのだけれど、1階の前方から4階までかなり票が割れた。あと、ピアノでは常識の下手側が売れる、ということもなく、上下ほとんど同数。面白い結果である。

前半は舞台上にあがってもらって、説明を聞いたり寝転んで聴いてみたりしたあと、席探し。後半は所謂通常に近い形での演奏会、と言う構成。広い会場の中を歩き回ったので草臥れた方も居たみたいだけれど、怪訝な顔をして入場していった人が、途中では楽しそうに階の移動をしたりしていて(特に男性)、こういう機会きをおもしろがってくれているのがわかったので、まあ成功と言えるだろう。段取りにまだまだ改善の余地はあるもののスタッフも充実した一日でした(珍しく20名ほどのグループの先導役をやることになり、こちらも楽しかったけれど)。

アリオスの舞台や照明のスタッフの能力の高さ(これは単純な意味での能力というのでなく人間力というようなもの)を音楽の企画では珍しく活かせたのもなかなか有意義だったと思う。

写真は終了後、席の移動の案内等に協力してくれたスタッフたちとの記念写真

 

 


田中靖人+白石光隆(長崎)

2010年11月26日 | 各地にて

23.24日と長崎ブリックホールの仕事でアウトリーチ4回。彼らのアウトリーチはコミュニケーションの決して工夫を凝らしたものではないけれども、それでもすごいと思ってしまうのはやはり演奏自体の力そのものの故だろう。だからといって演奏だけで勝負をしているわけではなく、きちんと組み立て、話をしているので、納得してしまうのである。アウトリーチというと、子どもとのコミュニケーションを取ったり、小道具などを活用してわかりやすくしたり楽しくしたりという方法論にどうしても気が行ってしまうのだけれども、そういう話ばかりした後にこういう演奏を聴くと新鮮である。

芸術というのが世界の様々な多様性を担保しているものであるとすると、演奏家の意欲が高いのであれば、アウトリーチも様々な手法、やり方、取り組み方があってよいし、そのことは貴重である。みんなが同じ事を繰り返すのでは気持ちが悪いが、そのときに頼りになるのが質感。演奏力だけではなく、様々な意味での高質感をどのように作り出していくかがとても重要である。

今回は、サックスの歴史がさりげなく流れているテーマだったのだけれど、モリコーネの映画作品を集めたモリコーネ・パラダイスなど、大人だけでなく6年生もかなり入り込んで聴いていた。

 

 


長崎 じげもんコンサート

2010年11月21日 | 各地にて

 

長崎はコーディネーター養成講座というのを3年前からはじめている。これはブリックホールが開館以来ボランティアと制度を育て来たこと、アウトリーチでも彼らの中で手伝ってくれる人が出てきて興味を持ってくれていることが背景にある。もう一つ、3年前に活水女子大学の中にアートマネジメントのコースができたこともある(今年の4年生が初代なのでまだ実績までは出来ていないといっても)。

 過去2年間彼らにアウトリーチコーディネートを3年目はひとつの区切りとして今まで特に協力してきてくれている地元の演奏家(過去の登録者)によるジョイントコンサートを行った。企画のたて方、準備の進め方から本番まで少しづつ進めてきて今日が本番のコンサート。このあと、今日の3名の演奏家によるアウトリーチの企画が冬にかけて続く。

日程にはとても苦労した。最終的に空いているのがブリックの大ホールという状況になり、岩永さんのアイデアで、演劇の舞台上小劇場のセットを活かして、反響板の中に舞台上小ホールを作るという初めての試みを行うことにした。結果、非常に良い音響をもつ空間が出現した。このホールはもしかしたら、長崎で一番音響の良い小ホールかもしれない。残響のある割に音が素直でかぶらないのは第一生命ホールに少し似ている。はじめは大ホールの客席方面から来る遅い反響が気になるかと思ったけれど、実際音を出してみると気にならなかった。200席強のホールとして「使える空間」であるし「ブリックホール」である。もっとやりたい感じだけれど、手間のかかることと会場の稼働率が悪くない中でこういう空間を作ることがどうなのか・・・という問題だけである。

演奏会は、ゲストに大森潤子さんを迎えて、4組の出演者。それぞれ既にブリックの舞台で既知の間というのもあって和やかな雰囲気。それぞれ、意欲を持ってコンサートに臨んでくれて、こういうことを続ける価値があると思える企画になった。

 


いわきのアウトリーチ研究会(おであり研究会)

2010年11月18日 | いわき

今回の田村さんさんのアウトリーチは、7月にオーディションをした在住の演奏家にそれぞれ見て頂いた。今日の夕方に全員が集まってお茶をしながら田村さんと話をした。いろいろな意見が出たけれども、みんな本質的にこの事業の趣旨を理解してくれていると思う。安心した。1時間程度のつもりが1時間半を超えてしまったけれども、案外突っ込んだ話もあってなかなか有意義な時間になったと思う。

 


田村さんのアウトリーチ

2010年11月17日 | いわき

いわきでは音活支援を活用した事業とピアノストーリーという独自事業を合わせて、田村さんに凡そ音活の倍のスケールの仕事をお願いしている。そのために夏に一回、秋に2回いわきに来て頂くのだけれど、昨日から4日間は主にアウトリーチをお願いしている。彼女のアウトリーチの基本的な構成は彼女のアウトリーチに対するおもいとか考え方を基礎にしてブレがない。個々のアイテムについては時々すごいと思わせる工夫とか新しいアイデアがあったりするし、臨機応変の話のしかた(始まる前に先生とかと話をしたその場の情報を本当にうまく活かしたもって行き方をする)に関する勘の良さも見事なものだけれど、基本がしっかりしているのであやうさを感じることがない。もちろん一回一回はうまく行ったり行かなかったりするのだけれど、そのことが重大な問題だとは思えないのである。もちろん、プロデュース側とアーチスト側では違いがある。アーチストはいろいろな可能性の中から、自分の最善のものを見つけようとするし、考え方も様々であるということはないけれども、プロデューサーは様々な演奏家の考えを、前向きの可能性として捉えると言う傾向がある。あれも良いけれどこれも良い、だからやってみよう、という感じになるのである。この辺の不思議なずれは無いとは言えない。

今日の三和と好間の山あいの小学校はどちらも小規模で、全校生徒を対象にしたアウトリーチだったけれど、どちらも非常に良い反応。特に学校に着いたときの校長先生の顔から期待感があふれていたので、これはうまく行かないわけがない。それにこたえるように田村さんの説明は丁寧にになり神経が届くようになって、その分時間が延びるのだけれども、先生も生徒も全然気にかけていないかのごとくである。午前中の学校の校長先生は、途中で少し伸びそうである事をわびると「少しでも長く一緒にいられるだけで子どもは嬉しいのです」とおっしゃった。

全校生徒がお互いの顔を知り尽くしているような家族的な構成の学校では、組織の機能がうまく働いているのだと思う。こういう小規模校でのコーディネートの最大のポイントは、それを見分けるこちらの目である。今日はそれがうまく行った日だったと思う。


塩竃の新崎誠美さん3 コンサート

2010年11月13日 | 各地にて

新崎誠美さんの3日目。リサイタルがさっき終わって、交流会があって打ち上げて帰ってきたところ。

リサイタルは彼女の多分十八番になるのだろう、ドビュッシーで後半に充実させて、そこに朗読(詞は新崎さん自身が書いた)を入れ、ストーリ-のように連続して聴いてもらうという手法。この中で一番感心したのは、ドビュッシーが実に良く彼女の手に入っていること。ダイナミクスも音色も実に安定した演奏を聴かせてくれて、ああ、こういうのが彼女の真骨頂なのね、と納得できる内容。トライアングル使って(後ろから入って演奏してもらい、空間感を感じる)というアイデアもなかなか面白かったし、塩竃で一緒に動いてくれたり、アクティビティに行き先の人も何人も来ていたけれど、最後のコンサートでの納得感は大きかったように思う。これはある意味で音活の王道でもある。

もう一つコンサートで殊更に気がついたのは、新崎さんが見せるピアニストであること。実際に演奏中の体の動きや様々な表情はとても魅力的だろう。本人にその意識はないかもしれないけれども・・・

写真は担当の佐藤さんとのツーショット、演奏中の写真。


新崎誠美さん塩竃の一日(第2日)

2010年11月12日 | アウトリーチ

塩竃の遊ホールは下のフロアが図書館で、今年から「えほんデビュー」という事業をはじめた。今年4月以降に生まれた赤ちゃんとその家族にえほんを贈る事業。ブックスタートとほとんど同じ趣旨だけれど、ここは地元の書店と組んで独自にはじめたそうだ。まあ本家のブックスタートの方が様々な意味で整って企画の質としては間違いなく良いのだろうけれども、均一におこなう必要性から、逆に地域の事情に配慮できない部分もある、と言うことだろう。そのあたり音活とちょっと似ていて面白いと思った。

4月生まれからと言うことは、7ヶ月検診のこどもが来るのは今月からだけれど、そのときに5冊の絵本のうちから一冊を選んでもらい、翌週に絵本の読み聞かせのイベントを組んでその日に取りに来てもらうという予定だそうだ。今回の音活の1つのアクティビティはその趣旨で小さな子どもとご両親のためのコンサートを図書館の視聴覚室で行った。そのプログラムの中にえほんと音楽のコラボを入れた。えほんは「どうぞのいす」。原始的交換経済の出発点を見出すようなお話である。

午後はあすなろ園という知的障害者の作業所のようなところでの小さなコンサート。比較的重度の方が多く、声を出す人もいたけれど、慣れてきたこともあり新崎さんの話は堂々としていたと思う。グリークの森の静けさを使った体操も昨日に続いて行った。背伸びはよく使う方法だけれど、それに音楽を付けてやっるのは案外珍しい。あと、昨日に比べて今日の話は意識の流れが良く出来ていて、聴き手から良い反応が引き出せそうな話しっぷりだったけれど、まだ話をすることになれていないというストレスはややのしかかっていたか・・・

いよいよ明日がコンサートだけれど、夕方からのホールでの練習はソリスト新崎誠美さんに戻ったような精力的なもの。非常に力強いピアニズムで魅力的なアクション(そういえば、直接は関係ないけれど、カザルスホールのころの岩崎セツ子さんのリサイタルに阿南さんが書いた、ドビュッシズム、という言葉を思い出した。岩崎さんは新崎さんの先生)。

 


新崎誠美さん塩竃の第一日

2010年11月11日 | 各地にて

沖縄のピアニスト、新崎誠美さんの音活。今年は塩竃。塩竃はなかなかしゃれた町で、今日食べた中昼食のイタリアンランチもなかなかなものであった。

新崎さんは東北に来るのがはじめて。良いアイデアがいっぱいありそうなピアニストである。まだ初々しい感じはあるけれども、可能性を感じるアウトリーチ。今回は4つのアウトリーチが性格を異にしているので婦案作りは大変だったと思うけれど、まず第一日は無事終了。

午前の小中学校では、おおよそ30秒くらい目をつむって音を聴くとか、なかなか挑戦的なアイデアを実施して、良い結果を出していたと思う。松島湾に浮かぶ野々島でのアウトリーチは子どもの純粋さにも助けられて、なかなか印象的なアクティビティになった。


茂木大輔の面白楽器学

2010年11月07日 | いわき

茂木さんとのつきあいは長くなるけれども、いわきでもオーケストラの入門編企画として茂木さんの解説は非常に貴重である。
今は普及事業への取り組みに熱意を持つ指揮者もかなり多く、指揮者とオケが一体となって取り組み成果を上げている話も良く聞くのだけれど、茂木さんの発想は若干他の人とは違うかもしれない。そしてそれが貴重なのである。のだめの監修で名前が売れてしまった今でも、つきあいはじめた頃からの彼のこういう事業に対する発想はそれほどずれていない。三鷹で聴き手と一緒に育ってきたという経験は貴重である。いわきではずいぶん先を走っている人とつきあうという苦労はあるけれども・・・。
最近はビデオカメラを使う手法を得て、言いたいことがあふれて時間が延びる、ということが昔に比べれば少なくなった。映像を使うのは音楽を聴くスキルアップとしての普及型企画にとって諸刃の剣の面もあるけれども、音楽を聴きながら必要な情報を補うのには良い手段である。それを何とはなしに視覚を通じて目から入る事で理解が並行的に行われると言うことも有り得るのである。
今回はリハーサルでは茂木さんの体調が今ひとつ(風邪か)だったのだけれど、本番ではきっちり調子を合わせてきて充実した演奏会になった。二つの低音楽器をテーマとしたので地味とも言えるけれども、非常に貴重な協奏曲が2曲聴けたことはとても面白かった。企画の趣旨と離れるかもしれないけれど、クーセヴィツキーのコントラバス協奏曲とヴォーンウィリアムスのチューバ協奏曲を一度に聴けるなどという機会はないので、遠くからわざわざ聴きに来た人もいたみたい。
吉田秀さんと池田幸広さんは本当に熱演。機会が少ないと言うこともあるのだろう。気合いの入り方は並大抵ではなかったようで、昨日のリハーサルからソリストがどんどん発言していくのでオケは少しお大変だったかもしれないが、そのおかげで今日はきちんと出来た、と言う部分もある。
楽しいコンサートでした。ただこういう企画にありがちな意外に客が増えないという事実とどう向かい合い解決していかがこれからの課題だろう。