児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

いまここ~いわきアリオスのグランドオープン2

2009年05月22日 | いわき
いわきアリオスのグランドオープン(中劇場のオープン)は、明日最初の公演を迎える。山海塾の卯熱。
昨年のオープニングにむけて、アリオスのために谷川俊太郎さんに詩を書いてもらった。一篇のつもりでお願いしたのだが、結局は4篇の連作詩になった。いろいろとアイデアが溢れてきたことはありがたいのか、少し無理をさせたのかはわからないけれども、いずれにしろ、アリオスにとっては本当に良い財産である。この4月には、地元の合唱の指導者の先生がこの連作詩に曲をつけて歌ってくれたりもして本当にありがたいことだ。
その詩が、中劇場の外側の壁に描かれている(写真のように地味ではあるが、それも谷川さんらしくて良い)。時々立ち止まって読んでみたい詩である。10年以上が過ぎた時に、スタッフにとっても市民にとっても、この詩がアリオスができたときの期待感や緊張感を思い起こす装置になってくれたら・・と願わずにはいられない。

この間、地元の新聞からのインタビューで、「アリオスは規模も機能もハイスペックで使い切れないのではないかという声がある」と言われたのだけれど、そのときに、ハードの機能だけでなく、そこに優秀な人材を配置したというのもある意味ハイスペックであるけれど、ハードにしろソフトにしろ、それを使い切るのも市民の力だと思う、と言うことを申し上げた。アリオスの本当のプロデューサーは市民である、のはきれい事ではなく、その苦労も含めてその通りだと思う。活用するというのも、その機能や能力を信頼するとともにその可能性に敬意をもって接するという意味でもある。私もプロデュースするときに、聞き手の顔を第一に思い浮かべながら、その人たちのために企画をしているつもりであり、演奏家にそのために奉仕してもらいたいという気持ちがないではないけれども、常に演奏家に敬意を持ちその特殊な能力を信じると言うことでしか良い企画は生まれてこない、と言うのが経験則である。

そろそろ多忙

2009年05月16日 | 徒然
4月5月はまだいくらか時間的に余裕がある。やはり日本は4-3で動いている社会であることは間違いないようだ。少しあいてしまったので忘備をかねて・・・
いわきでの能のワークショップのあとは、8日に熊本で県立劇場のアウトリーチ事業の参加館のための研修。参加は3館と聞いていたけれど、地元の演奏家も含めて20人近い方がきていた。アウトリーチ実演では、ピアノの田村緑さんが受講生全員をピアノの周りに座ってもらって進行した(コンバスイスを20以上も用意してくれた県劇スタッフに感謝)。写真参照。アウトリーチのアイデアの宝庫でもある田村さんは「今年の実験」と言っていくつかの新しい実験をした。それでずいぶん時間は長くなったけれど、リスクのある新しい手法とはいえ彼女のものは比較的安心してみていられる。
熊本は今年からオーディションで選ばれた地元の演奏家も派遣されるので、心配でもあり楽しみでもあり、という状態である。演奏家に田村さんのやり方はどう映っただろう。あれをまねる必要はないのだけれど・・・。3月の研修で基本の形は作ったもののまだまだ余裕を持って進行するのは大変だろうが、目標を決めて少しづつ作っていくので良いと思う。ただ、その意識を長く続けるのもまた一種の能力というか才能が必要だ。今年は地元二組の演奏家を4泊で派遣し、アウトリーチは3日間で一人各3回。そして一緒にジョイントスタイルのリサイタル、という構造である。お互いに人のものを見られるという良さがある。それ以外に東京からスピリタスを呼ぶことになっているらしい。
熊本から帰ってきて、甥の結婚式。こじんまりした昔風の進行だったけれど、最近の懲りすぎのよりもすっきりして良い印象。オーディションが一つあってその後またいわき。ほとんど日帰りのような会議の一日。翌日は北海道文化財団の人と打ち合わせ、夜はお通夜に参加。
昨日はレオンハルトの最終公演だった。昔のようなさわると血の出るような演奏ではないけれども、理路のしっかりした、でも所々に諧謔のあるようなコンサートだった。聴く側もとても節度のある雰囲気で、なんかこういうコンサートは久しぶりだ。音楽を良く知っている人が深く楽しむ、という態度がベースになったクラシックのコンサートの一つの典型ではある。これを高踏的な雰囲気と思うかどうかは人によると思うけれど、質が重要な要素である芸術の分野でこういうものを攻撃して無くしてしまったらなってしまったらやはりそれはおかしいだろうと思う。経済的には大変であろうけれども・・


親子で能楽体験ワークショップ

2009年05月04日 | いわき
いわきアリオスのグランドオープン週間みたいになっている5月連休だが、昨年に比べると華やかな感じではない。一昨日からの2日間で中劇場の内覧に2500人くらいの人が来たと言うことなので、興味を持ってくださっていると言うことだろう。
23日の山海塾に向けて来週はドラマリーディングのワークショップがあったりするが、今日は子どものための能のワークショップ。
「いわき能を知る 会」で今年9月に能の公演を行う宝生の佐野登さんがワークショップのために来てくださった。
彼はとてもアグレッシブな方で、昨秋、能を知る会との打合せにいらしたときに「学校で能のアウトリーチのようなことができないか」ということで突然訪ねて見えた。私はちょうど居なかったのだが、そのあと水道橋の宝生の能楽堂におたずねして話をし、オープンに併せて中劇場に能舞台をくみ,それを市民に見て貰うとともに佐野さんに来て貰って子ども向けのワークショップをやろうと言うことになった。
昨日の夜の進行打合せのあとに一緒に食事をしたのだが、彼とは、古典と呼ばれる芸術の存在意義と普及というものの意味についての考え方が似ていて、やる手法は同じかどうか分からないけれど話が合う事は間違いない。その辺は茂木大輔と一脈通じる部分があるかのしれない。
ところで、彼が鳥栖市長の紹介で大村の会館の館長さんと会って対談をやったという話になり、あの熱く語る佐野さんが「あの村島さんという人は熱い」と言っていた。かなり強い印象があったみたいだ。九州内では有名なのね。
今日のワークショップは計画の時間をはるかに超えて3時間かかったのだけれど、佐野さんの熱意は子どもたちを全く飽きさせなかった。さすがにそのエネルギーはすごい。動きの型と謡(うたい)と器楽(小鼓と能管)をやり、能舞台の説明をしたあと、貴重なシテのための衣装の着付けまで見せ、能面もいくつも持ってきていてそれをかぶってもらう、最後に仕舞いの踊りを子供の謡で踊ると言うところまで、ずいぶん盛りだくさんで、時間はかかったとはいえスピード感のある内容。いくらかだけれど能楽のことが分かった気がするだけでなく、自分のやっているアウトリーチの内容が子供に親切すぎるのではないか・・という不安を感じるほどだった

いわきアリオスのグランドオープン

2009年05月02日 | いわき
アリオスは今年、中劇場とその周辺の設備ができて全館オープンになる。今日(2日)はその記念日で、一年前とは違うやや地味なグランドオープンだけれど、朝に内覧会ののオープンをかねて、パーカッションの渡辺亮さんと子どもたちのグループ(それも渡辺さんのワークショップから生まれた)にセレモニーをやっていただいた。
このプロジェクトは一年前から若いスタッフが中心になって計画をしてきたもので、内覧会と能のワークショップで市民に開放していく。アリオスはプロデューサー制を取っているので、音楽も演劇もプロデューサーは居るのだけれど、今回は企画制作とマーケティング、舞台スタッフ、貸し館などを担務している施設サービスのスタッフによる若手有志チームがいろいろとアイデアを出し合って来た。こういうやり方にアリオスは本当に理解がある人が多いと思う。良いことである。
昨日の夜にオープニングセレモニーのリハーサルをやっていたのだけれど、昨日はやや進行がたどたどしかったとはいえ、なかなか良い雰囲気にできた。
さっき10時にセレモニーが終わったところだ。打楽器隊ののりも良くなかなか盛り上がって良かった。そして中劇場に入ると、能舞台が設置されている。能舞台はこのくらいの広さのところの方が映える。明日は佐野登さんによる能楽体験のワークショップがある。
季節も良いし、天気も良さそうなので、会館前の公園での楽しみも出来そうだ。皆さんも見学にどうぞ。

仕事場の引っ越し

2009年05月01日 | 徒然
しばらくぶりです。いろいろと慌ただしく、気分的に書いていられなかったので・・・。
さて、仕事場に使っていた月島駅0分のマンションの一室は前回の更新の時からの約束で4月いっぱいに出ないといけないことになっており、歩いて3分ほどの場所に移動した。相変わらずの佃であるのが、一緒に借りている人のこだわりである。今回は長屋。長屋は長屋で良さがあるけれど、今までよりももっと人間関係が濃い感じがする。荷物を移動させている間に何人もの付近の住人から話しかけられた。
前より狭いけれど、あちこちへと出かけることが多い最近の仕事の状況からいうと、仕事場とは言いながら居る時間は思いのほか少ないのである。
さて・・・。
今日は午前中に幸田町の人と打合せ。地元演奏家のオーディションをやるのだ。3年前にやって今回が2回目。
地元の演奏家と真摯につきあうことは地域の文化会館の大事な仕事である。公立ホールはどうも団体とのつきあいが多く、個人の演奏家とのつきあいが上手くないところが多い。でも、実は、自主的にプロデュースをしようと考えているホールにとって、アーチストとつきあうということは多くの場合個人とつきあう事とイコールと考えた方がよい。オーケストラが中心の会館ならば違うかもしれないけれど、そういうホールはそんなに多くないだろう。そのつきあいを何年も蓄積していくと、お互いが性格、力量、志向などを良く知ることになるので、何か企画を考えるときに便利なっこともあるわけだ。ホールで何をやるか,という事とも関係してくるけれどね。
幸田町では演奏家に研修をして、3年間アウトリーチをしていただくわけだけれど、回数が少ないので演奏家にとって仕事としてはちょっと不足かもしれない。でも考え方の問題としては、良い仕事のためのノウハウを伝えることは出来るだろうと思う。逆に言うとそれだけ頼まれたことへの責任もあると言うことか・・・。
今年はトリトンの仕事がなくなるので楽だと思っているのだけれど、打ち合わせしながら手帳を見るにつけまだまだ忙しいみたいだ。