児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

カーネギーキッズ(サントリーホール)

2010年07月31日 | 徒然
サントリーホールのカーネギーキッズは2年ぶり?。7月30日にのぞきに行った。
私としてはカーネギーホールの上質な子どもプログラムを日本に輸入する意義というよりも、カーネギーホールとジュリア-ド音楽院の連携で行っている若手音楽家の育成プロジェクト「ザ・アカデミー」のほうに興味がある。これは若い演奏家と社会を結び付けていく活動の方法自体をアート側から作っていくのがそのテーマで、その成果を見いだせるプログラムかもしれないと考えるとかなり面白そうでもある。ただし言葉の問題や子どものメンタリティの違いなどはどうなのかとかいろいろ気になる部分もある。
特に個人的な興味としては、アカデミーというきちんとしたシステムで育つ演奏家たちがコーディネート側とどんな話しをして,その内容はどうなっているかと言うこと。日本で行われているものと何が違って何が同じなのか・・・ということが観に行った一番の理由。
何しろ最近では日本でも子ども向け番組は非常に多いので。とはいえ、NYで演奏家が作ってきたプログラムを、日本側のスタッフがいろいろと注文もつけて、6回のコンサートの中でも少しずつ作り替えていっているらしいから、合計6回の公演の4回目というのは完成度も上がっていて良い時期かもしれない。「え、本番に入ってからまだ作るの?」と思う人もいるだろうけれど、こういう企画は特に客と一緒に作られるものなので、完成品をハイッと渡すのではなく、子どもの反応を見ながら変えていくところに面白さがあるのである。
ことばの問題は吉岡愛理さんが非常に良く子どもをリードしていてほとんど問題はなかったが、それが「外人がそこに立っている」という子どもの強い興味と連動できていたのかはちょっと不明。もっと愛理さんが他の演奏家に聞き、それはね・・・と答えていくようなやり方もあったかもしれない(こういう思いつきは実はあんまり意味のない意見なので言わずもがなではあるが)。
音楽や話しの内容はキッズ向けのホール公演と言うよりはアウトリーチの延長線上にあると考えた方が良いと思える内容(この違いは微妙だね・・・)。普通30分程度しか保たない小さな子どもがどこまでついてこられたかという問題はあるのだけれど、60分のプログラムとしてはなかなか良くできていたと思う。
日本にもアカデミーのようなインスティチュートができ(学校でなくても)、日本の演奏家とアメリカの演奏家がお互いに子ども向けのプログラムを持ちよって一緒に議論しながら作り上げる,という行程を経たうえでお互いの国で相互交流する・・・という夢があるのだけれど、こういうことは生きている内に実現するであろうか。内容的にはかなり自信があるのだけれど。

東京

2010年07月16日 | 徒然
今週は月曜から東京に4日間も続けて居たのだけれど、考えてみれば久しぶりの東京5泊である。各地で大雨が降るので移動がないと交通手段は大丈夫かとか言う心配事が少なくて良いともいえる。
月曜日は大学(芸大は前期はこれで終わりだけれど昭和音大はまだあと3回ある。半期に15回の授業を確保するのは本当に大変。その上試験もやるので・・・)、火曜日は家で仕事をして夜は歌舞伎を10数年ぶり(もっとか・・・)に観、水曜は某声楽家のアウトリーチプログラムの相談、昨日は地域創造で邦楽事業の説明会のあと、今年いくつも学校公演を頼まれてしまった某チェリストにその流れのもって行き方のはなしをする、という4日間。まあ、久しぶりに時間的には余裕のある4日間だった。今日はいわき。今日明日で地元の演奏家によるアウトリーチ研究会というのをたちあげるためのオーディションをする。
アウトリーチというのは、3つの小(広くない会場、多くない人数、長くない時間)が原則だと思うけれど、この一見能率の悪さは演奏する側の育成にも言える。結局実演家を育てるのに一人一人にしか教えられない(大学の実技の授業は全部そうなっているはず)のは、個人個人の個性を大事にするからだけれど、アウトリーチ手法の勉強も結局同じなのである。
最終的には一種のコンサルティングの世界で一緒に考えつつその人の個性を活かしていくという作業なのだ。なかなか理解されないのだけれどね。なんか芸術は大勢の人を一気に巻き込むエンターテインメント性を求める気分が大きいのだけれど、本当はそんなものではないはずだ(少し譲れば、どちらも必要だ)。そのことを納得する心理的な状態こそを求めないといけない気分になる。
3つの小も、「そこにいる聴き手とやりとりをしながら自分の言いたいこと伝えたいことをきちんと納得して貰う作業」と定義できれば比較的簡単に理解できるはずなのだけれど、そんなことが何で必要なんねん?と聞かれれば答えに窮するというのが芸術の面倒なところだ。でも、えーい、わからないならわからなくても良いよ,とは言えないのである。



永留結花さんとエスプリ(木管5重奏)初の中学校

2010年07月11日 | アウトリーチ
長崎の演奏家の今年2回目が7月7日(七夕)に行われた。とても暑い日。
今回は2カ所とも中学校で永留さんもエスプリもずいぶん緊張していたように見えた。確かに中学校は反応が無くてやりにくそうだという演奏する側の怖れもある。実際に経験豊かで慣れているはずのボロメオSQが「アメリカでもジュニアハイスクールは難しい」と言っていたことを思い出す。小海はそれに7月の梅雨の時期と言うことで、暑さと湿気による自身と聴き手双方の集中力をどう維持できるかと言うこともあったはずだ。
永留さんは長崎市の一番北の端(外海と言っていたところ)の神浦中学校。ここは以前に長谷部君と言ったことがある。そのときの長谷部君のアウトリーチは、本人が後にとても良かったと言っていたので、今回もきっと良い出会いができるだろうと思っていた。永留さんはやや大人向けにプログラムを組んでいたけれど、よく考えられた構成。途中でみんなに目をつむらせて周りの音に集中する時間は、1分位もあったように思えた。その間にまわりのいろいろな音に気付かせようと話しかけていくのだけれど、あれはなかなか長い時間が怖くてできない芸当。
エスプリは中学生と言うことでやや気負った風があって,それが必ずしも成功していなかった気がする。特にこちらはやや南部の比較的新しい住民の良そうなところで、その分子供は元気でも純朴な感じではないので、心に引っかかるフックのありようも同じではない。まあ良い勉強だったかな。人数が多く後ろの列の子供が演奏者を見えないというネックもあり、午後の一番暑い時間でもありと、ややかわいそうだったかも。とはいえ、こういうのも経験である。充実したアウトリーチができる多くの演奏家がそれを乗り越えてきたのだから。
でも、帰りがけに吹奏楽をやっている子たちが来て玄関で送り出しの演奏をしてくれた。こういうところは中学校の良さである(ちょっとジーンとくるのです)。


コバケン夏の第九(都響)

2010年07月09日 | いわき
7月4日の第九。
思い起こせば20数年ほど前に、中島良史さんの第九を手伝ったことがある。このときの合唱団は国立音大と一橋の合唱団が中心になった。コピーを卒業生で代理店のコピーライターをしていたK氏に頼んだところ「1月8日の第九」というコピーを書いてきた。年末恒例委敢えて破って・・・という意味。案外単純なコピーだけれど、当時の私たちみんなの空気とは不思議に一致して、予想以上に盛り上がった。そのときのオケも考えてみれば都響。

今回のいわきの第九合唱団は昨年10月末に合唱団のオーディションを行い、11月から練習をしてきた。今回は若干数は少ないけれども少数精鋭?。オープニングにN響との第九をしてからもう2年強が経つ。コバケンは前回のこけらの異様な盛り上がりを覚えていてそのとき聞けなかった人にも自分の第九を聞いて欲しい、という想いがあったのではないか。今回も第九で行きたいという意向だった。オープニングの熱気を思い起こそうという気持ちもあったかもしれない。
今回の合唱団は桐原先生の指導をベースに、酒井さん、三河さんなど3人の指揮者に来てもらって練習をしてきた。ある意味では前回以上のまとまりがあったかもしれない。それは、前回の合唱を契機としてできた市民の男声合唱団があったりしたのもその一因かもしれない。
当日は前回よりもリラックスした感じで迎えられていたように思う。若干バランスの修正があったけれど、響きはとても良かった。
帰りがけの小林さんの感想。「2年前よりもホールの響きが良くなってきたのが喜ばしい。ホールにももっといい音を聞かせてやらないといけない」



広島のアウトリーチの講座(3年目)

2010年07月08日 | 徒然
広島の安芸区民センターアウトリーチ講座も今年で3年目になる。
今年はトロンボーンの加藤直明さんを呼んで、昨日は話しをして貰い、翌日に船越小学校6年生のところにアウトリーチに行ってきた。加藤さんの相変わらず手慣れたアウトリーチもさることながら、昨日話しをしてくれたことも非常に有意義。ことばを持つということは本当に意味があることであると再認識。
この講座、主に安芸クラシック実行委員会の演奏家の方たちが対象なのだけれど、そうでない人もいる。昨年はオーディションをやったけれど、今年はなし。いろいろと問題があったみたいなのだけれどまあ詳細はわからない。
この実行委員会のメンバーも少しづつ替わってきているとはいえ同じ人もいて、3年連続でやっていると「確か前に同じ人にこの話はしている」という事態が現出するのでちょっとやりにくかったりする。聞く方は気にならないのかもしれな一けれど・・・。これは今後の課題だろう。
新しい人に研修とアウトリーチへの経験を求めていくのか、ある程度ノウハウを見出している委員によりアドヴァイスをしていく方向なのか,その辺を考えていかないといけない時期に来ているだろう。
今年は、邦楽畑の人が3人いる。長唄三味線の山東さん。篳篥と笙の兄妹。
加藤さんも私もこういう楽器は身近に観ることはないので楽器を持ってきて頂き音も聞かせて貰った。やはり歴史のある楽器というものの魅力は、音一つにも現れているような気がする。何でだろうか。