児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

幸田から広島へ

2008年10月23日 | 徒然
19日、日曜日の古典SQのコンサート(ベートーヴェンの第2回)を終えて、愛知県の岡崎へ。
岡崎の南側にある幸田町でのアウトリーチである。宮本さんで3年間町内全部の小学生5年生と中学生2年生に聴いてもらうという立派と言うしかない考え方に則ってやってきたけれど、昨年中学校は続けにくいという話しになり,今年は小学校6校のみ。演奏家は加藤直明(トロンボーン)と城綾乃(Pf)。中学が無くなっても充分に大変なプログラムである。先週の金曜日に2校に行き、そのあと二人とも土日別のところで仕事があり、日曜日に夜に再度岡崎に入って、20,21日とアクティビティ2校づつ(写真)。
加藤氏は一人では久しぶりのアウトリーチだったらしく、本人は「考えていることが言葉に出てこない」と反省していたけれど、私はしっかりとしたプログラム構成も話も立派なものだという感じをもった。やりたいことが把握できているのだと思う。管楽器というとグループが多いのだけれど、一人で戦略的にしっかりとしたことが出来るのは貴重な存在。
内容はソネットの方にいずれ乗せるけれど、2日間こっちも楽しませてもらった。各校、最後にみんなでビリーブか翼をくださいをいっしょに合唱して終わりにすると言う手法。おはちが回ってこなくて良かった。
幸田の最中にデジカメの調子が突然悪くなる。ホワイトバランスがダメになり、広い景色を撮るとまっ白になってしまうのである。いろいろと調整を試みるもうまく行かず、どんどん悪くなる一方。結局大阪で買う羽目に。というわけで、以前から欲しいと思っていたC社のものは壊れたばかりで怖くて買えず、結局R社製を入手。考えてみたら昨秋は幸田で携帯電話が突然死してやむを得ずその場で買い換えたのだった。うーむ。

幸田のあと大阪に行き、Kさんと夕食。アウトリーチの中味を話題ににして酒が飲めるのはめったにないというべきか、楽しい時間。
翌日は広島に向かう。今年の広島のセミナーというかアウトリーチと言うかの集大成。7月の初めに始めてきたのだから、もう3ヶ月。4回来ている。今回もまず地元演奏家のために講座。これは3回目になるので、そろそろネタが尽きてくるというものだ。初めは企画の作り方、2回目はアウトリーチ、今回はコンサートのプログラムと演出の話をして欲しいとお題をもらったのだけれど、なかなか考えつかず、直前までまとまらなかった。やや苦肉?。そうでなくても何しろ先週3回人前で話をして、そろそろネタ切れ寸前だったので・・・。結局、
1,演奏家は自分のやりたいことをする演奏会はほとんど持てないことを考えると、人の考え方を実現する、という「職人的な」スキルを身につけないと行けない。それが嫌々ではなく出来て,人が認めてくれるということを意識するべきではないか。
2,しかし全部のプログラムを任されたとき、人が当たり前のようによく知っていること、概ね知っているが良くは判っていないこと、知らなくて「へえ」と思えること。
をバランスしながら決めて行くことが大事だと思う、ということを話した。そのことを意識せず知らないことが過半数では聴き手はやはりついてきてくれないだろう。演出は大事だけれど、目から来る情報は7割位をしめるといわれているくらい情報量が多い。公演を聴くことも目からの情報が多いことを考えるべきであるが、しかし、耳からは目からでない質の情報が入ってくる。その質感のちがいを意識できるような演出が必要かも知れない,という話をした。
今日から3日間のアウトリーチ後、最後に26日のコンサートがあって,7月から始めた今年の広島は終わり。
アウトリーチは宮本さんで比較的慣れたプログラミングであるが、一応モデルアーチスト的な仕様なのと、地元の方たちが熱心に手伝ってくれるので(聴かれると言うことでもある)、宮本さんは案外プレッシャーを感じているのではないかと思う。でも、経験のある音活アーチストが、単に自分のためだけに行うのではなく、他のアーチストに教えたり手本を示すというのは大事な要素であろう。練習スケジュールなどもやや神経を使うのはそう言う部分である。
でも広島のこのグループはやる気もありなかなか楽しい人たちである。

アウトリーチについて

2008年10月20日 | 徒然
先週は講座の週だった。水曜に長崎でアウトリーチコーディネーターの講座(これは、田村緑さんに実践も含め手伝っていただいた)。木曜にTANのアウトリーチコーディネータの講座、土曜に新百合丘で川崎市のアウトリーチの講座。
東京と川崎で話したこと・・。
1,アウトリーチの概念は拡散していて、これがアウトリーチだ(というかこうでな家ではアウトリーチではない)と言える固定的な思想は無いといっても良い。そう言う意味では実践優先。良く考えられた実践が数多く点の集合のように行われることで、座標がだんだん定まっていく,といったものだろう。
2,アウトリーチ活動にはいくつかのフェイズ(顔)がある。会館に来られない人のために行って演奏する、文化権の顔。音楽普及活動の一環としての顔。教育や社会的な問題を解決するツールとしての顔、そして、途中から気がついたこととして演奏家を育成するツールとしての顔。
3,アウトリーチをする、という形式や構造に関してはかなり日本全国に普及してきている。しかし、それが形骸化する直前にあるような気がしている。これからは、いった先で、何のためにどのように行うかという「内容」が課題になって行くであろう。
4,そのときに、音楽を鑑賞するということを,どういう芸術行為と考えることが出来るかが大きな要素になるだろう。
ということ。
しかし、各講座に来ている人の種類はずいぶん違い、多分求めていることも同じではないように思えたので、同じ話で良かったのかどうか・・・(少しは変えたけれど,ほぼ同じレジュメだったので)


アリオスジャック

2008年10月13日 | いわき
今日はいわきでファンファーレ・チオカリーアのコンサートなのですけれど、その前に午前中からいろいろと仕掛けがあり(イベントもあって)、チオカリーアまつりになっているのです。
この団体はルーマニアのブラス(と言っても厳密にはブラスでない管楽器も入っているけど)ジプシー楽団。とんでもなくテンション高そう。
昼前にいわきに着いたら、建物の公園側に飾り付けの最中。
このあとジプシーの映画とかお面作りワークショップとかいろいろあって、パレードがあってそして本番。楽しそうだけれど、なかなかハードな一日です。事業スタッフも総出。
しかしロマの出自が北インドだったらしいと言うことを初めて知りました。この歳になっても知るべきことはたくさんある。

アドヴェントセミナーのオーディション

2008年10月13日 | 徒然
昨日今日(11、12日)とアドヴェントセミナーのオーディションが行われた。
今回はヴィオラの応募が少なく、バランスから言ってももう少し必要だという判断から、追加募集をすることにした。
アドヴェントセミナーは、12月の中旬からクリスマスまでの弦楽合奏のセミナー。それにグループでの室内楽も加わる。
このセミナーは他にはない特徴があるように思う。
まず、松原勝也さんが「普通ならば2日くらいのリハーサルで本番、というのが常識の弦楽合奏だが(まあそのくらいで出来てしまう日本の演奏家も優秀なのだろうけれど)、そのことを10日くらいかけてじっくりと勉強し、やるべきことを全てやったらどういうことが出来るのだろうか・・」といって、それを大きな目標にしたこと。
もう一つは、音楽を本格的に勉強してきて、プロとなる直前の人たちに必要な「人の音を聴き、それにきちんと対応する。また、自分からも呼びかけが出来るような演奏家になる」ためのセミナーであるという部分だろう。ここのところで、この先生方は、トッププロやスターを生み出すためのセミナーとは違う視点において選び指導している。このことはオーディションを見ているとよく判る。演奏家の人生観に関わる問題なのである。とはいえ、室内楽にしろ合奏にしろ、きちんと人に聴いてもらえるレベルのことを確保しないといけない。そこのバランスの取り方がいつも悩ましいところなのである。
また、そのことは次第に認知されるようになってきて(学生間の情報網は早い)、このセミナーを受ける人のほうにもそのようなことを求める人が来ているのも事実だろうと思う。

こういう目標設定のセミナー&コンサートであるけれども、これをどのように評価していくかは大変難しい。彼らがホールを借りてくれたり(稚魚の放流効果?)、
履歴書にこのセミナーが書かれるようになったり、有名なソリストが続々と生まれてくる・・などという「成果」は、あれば喜ばしいことではあるが、それが評価基準になるとはあんまり思えない。
松原さん達が考えていることは、少しちがった感覚で評価されるべきだろうし、受講生の人生観に関わることを大事にする手法を「演奏家のことしか考えていない」と見るのはあたらない。演奏家に、技術だけではなく、そう言う社会的な役割が与えられているのが現在の音楽(芸術)の世界なのである。その意味でも、ホールとコミュニティ(アウトリーチなど)の活動を結びつけようとしているトリトン・アーツ・ネットワークには相応しい企画なのだろうと思うし、直ぐである必要はないし、別にトリトンに為に働かなくても良いので、受講生が、自分でミッションを持ってアウトリーチなどの活動にも参加するようになってくれると嬉しい。そのときには、中味(構成や話し、演奏を含めた)を良くしていくことについては、トリトンは意識を持ってノウハウを提供することが出来るだろう。



アートリテラシー

2008年10月10日 | 徒然
「高校生のためのメディアリテラシー」と言う本がある(プリマー新書)。長野県で高校生とテーマを考えるところから、実際の取材(テレビまで)などを通じて社会を理解したりムーブメントを起こしたりしている先生が書いた本。読んだのは昨年。かなり面白かった。
この間紹介した本も高校生向けのドラゴン桜だったからそんな本ばかり読んでいるのか、と思わないでいただきたいが、たしかに、高校生向けに書いた本は自分が高校生でないと言うことを別にして(そこだけは避けて)読めば、かなり参考になるものが多く面白いのも事実だろう。それは、書き手に、事の本質を判りやすく掴ませたいとする意志が働くからではないかと思う。
難しく複雑なものとつきあうのに「それはその通り複雑で難しいけれども、でも少しづつ判りながら付き合う」というのはなかなか大変である。ばっさりと大づかみにして言ってしまうと、それは偏った言い方になるのは否めない。しかし、その判ることからしかそのものに近づけないのであれば,その方法も否定できない。
逆に、わかりやすいもの、みんなが「そんなことは知ってるよ!」と思っているものは、じつは奥の扉を開けると考えられないような複雑で豊かな世界が拡がっていて、その中に知らないことがたくさんあることに気がつくのである。
いろいろ言われているけれど、高校生はとても素直であって、私たち大人のように疑り深くない。受け入れることも反発することもあんがい簡単にできてしまうのである。若いときの思い込みはその人の人生にとって大事でもあるし,危険でもある。高校生向けの本が面白いのは、書き手が本気であることとともに、そのようなことに気づきながら読むからかも知れない。

閑話休題
メディアリテラシー、はメディアという「中間の媒介者(これはマスコミに限らない)」が決して客観的事実を伝えているわけではない(選択的に媒介している)ので、受け手がそのことを理解して受け取り、自身の体験にしたり、活用するための方法を確立することと、逆にそのような性格(誤解されていることも含めて)と力を持つメディアを、自身で活用する、発信する手法技術を獲得する,と言うことだろう。
アートは必然的に、他人が見たり聴いたりすることを要求する。それ抜きには社会の中に存在する意味がない。だから、アートを具現化するのも一種のメディアだと考えると、そのことはメディアリテラシーと同様に、アート・リテラシーとして考えることも出来る。そして、アートの創造そのものはともかくとして、それを伝えると言う作業,受け取るという作業にはリテラシーが重要になる筈である。
アメリカにはアートリット(アートリテラシーのこと?)という活動をしている大学がある。キャリアマネジメントでやっていることに通じる内容であるが、少し調べた方が良いかもしれない。
アートリテラシーを気にするのは、アウトリーチという活動に、もっと目的性を持たせた方が(演奏家にも受け手にも)意義もあり、効果的であると考えるからである。特に子どもに関わる部分では重要だと思う。特に、出かけていく仕組みの構築はかなり出来てきたなと感じるからこそ、何故、何を、どのように伝えるのか・・と言うことがクローズアップされてくる。そのときにアートのリテラシーをどう考えるかが重要になってくるとおもうのだ。
とはいえ、この件、まだ考えがあんまりまとまっていないので、だれかまとめてくれると嬉しいのだけれど・・・。

サントリーのガラコン

2008年10月05日 | 徒然
本当に久しぶりにサントリーホールのガラコンサートに出かけた。今週は結婚30年記念日から一週間、記念ウィークの態である。豚肉を食べ、インド料理を食べ、すしを食べ、昨日はイタリアン。
まあ、こういう週もあっていいだろうけれど・・

サントリーホールのガラコンは、多分オープンの時以来だろう。しかし、まあ会場の華やかさやロビー周りの人の流れや意識など、ガラコンらしいガラコンである、とも言えるし、舞台上ではプレミエの意味合いのガラでは無くなっているな、とも言える。楽しいコンサートをめざしているように思えた。今年はピアノ300年(あれ、確か1709年にクリストフォリが・・とあちこちで聞いていたような・・)がテーマ。来年秋まで待つと新鮮味が無くなるから、まあさきがけか。
イエル久・デームスが80歳で立派な演奏をしていたのと、150年ほど前のエラールでショパンを弾いた小山さんが、とても良かったのが印象に残った。エラールは、あの時代の楽器の音の特徴と限界をよく判らせてくれるような演奏で、こういう楽器の時に常に意識する「その時代の音はこうだった」というのと「作曲家の頭の中で鳴っていたおとはこれよりももっとスケールがあったのではないか」をいったいどう聴くかということが意識される演奏。その意味ではピアニッシモが出し切れない2000のホールという条件で良い演奏をしてくれた小山さんに感謝である。
3時間半の長いコンサート。満腹。
とはいえ、右隣に総支配人、左に水戸のO氏という間だったので、かなり緊張したかな(誰だろうこの席手配した人)。