児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

第35回湯布院音楽祭

2009年08月08日 | 各地にて
湯布院音楽祭に7月の末から行ってきた。湯布院音楽祭にはじめて来てからもう15年くらいになる。そのとき事務局長の加藤さんと会い、97年の松山でのステージラボに来て頂いた。「音楽祭を作ろう」というのをテーマとしようと思ったのだが、一番極端に性格的な二つの音楽祭の話を聞く事にしてPMFと湯布院の中心的な人物をお呼びしたのだけれど、湯布院音楽祭と加藤さんの方はどう考えても、一回話を聞けば判るというような気がしなかった。それで、グループの架空の音楽祭づくりにも最初からつきあって頂き、その過程過程で発言をしてもらおうと考えたのだけれど、それが縁で、研修仲間に呼びかけてこの音楽祭に「押しかけボランティア」として参加することにした。それももう12回になる。その押しかけボランティアに参加した何人かは数年で「大体わかった」と感じて来なくなったけれど、この町の肌合いに馴染んだ何人かはずっと続けて来ている。お互いに非常に良い刺激になっているように感じる。地域に根ざした町の人同士だから意味のあるつきあいというのもあって、その回路は私とかには無いものだ。そんなことでほとんど毎年顔を出してはいるのだけれど、自分にとって湯布院との間の精神的距離の取り方の微妙な難しさは今も変わらなくて、それがまた魅惑的なのも不思議である。
今年は特に加藤さんの音楽祭が最後ということを聞いたので無理しても行こう、とおもったのだけれど、やはり現場に来ないと空気感が判らない。まあ、演奏家も実行委員も外人部隊もいったん白紙にするのはとても良いと思う。
中国に関する大家である宮崎一定が、中国で本当に革新的なことが行われるのは、昔を見倣おうと言うときこそであって、改革を謳うときはほぼ文化の性格としては旧態である事が多い、ということを書いているのを見たことがある。30年前とは、社会も湯布院も人の意識も大きく変わっている。新しい湯布院音楽祭も新しい世代が30年前の始まりと似たような思考回路で動き出すと全く新しいものになるような気がする。外人部隊もまた同様である。出来れば、次には旅人として純粋に音楽を聴きにここを訪れる事になるのが一番良いかもしれぬ。
写真は、フィナーレコンサートの大トリ。過去3監督の共演(と天から黒沼さん)。岸辺百百雄、河野文昭、小林道夫のトリオ。