児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

アドヴェントセミナーのこと

2008年12月29日 | 徒然
第一生命ホールのオープン以来行っているアドヴェントセミナーは、今年で8回目だったが、さかのぼれば2001年の早春に黒部でやったことがそのきっかけである。
地域創造はおんかつの発展形として大編成のものができないかということで調査をしていたのだけれど、なかなか明確な線が出てこなかったので試験的(モデル事業という言い方をする)に行った小編成のオケによる企画で、二つ返事で乗ってくれた会館が黒部(コラーレ)だった。そしてその企画の中心的な演奏家として思い浮かべたのが松原勝也さん。彼はハレーSQのファウンディングメンバーであるが、彼がハレー・ストリング・クァルテットを辞めてから(ハレーSQというのも不思議なバランスの良さがあったグループであったのでこの話もいろいろとあるのだけれど)久しぶりの会った松原さんが言い出したのは、普通2,3日で作って本番を迎える弦楽合奏を10日とか練習してやったらどこまでいけるだろうか、ということである。ゴールドベルクが新日フィルを初めて指揮したときに一週間のリハーサルを要求して、オケをあわてさせた・・という話を思い出させるが、彼の発想もその影響があるかもしれない。音楽に奉仕するものとしての演奏家にとっては効率とかそういうことではないのである。まあ、そこに折り合いをつけるのがプロだともいえるのだけれど。
昔、大学で合唱の指揮を始めたころ、先輩に「音取りがすんで一応表情がついたそのあとに何をする?」と問われて私の未熟な知識では案外と難しいことに気がついたのを思い出した。確かにその先になすべきことを次々と見出すのも才能を要求するわけだ。
さて、この黒部でやった事業は、おんかつを始めて数年の状態で、まだやみくもだった私の中では、あるテーマを試す場所でもあって興味深いものをいくつか含んでいた。ひとつはアウトリーチのための曲をつくること。アメリカでは作曲家が参加して実演家とともに行うワークショップやエデュケーションのアウトリーチ活動が案外盛んだと聞いている。結局作曲家に頼むという形にはならなかったけれど、演奏をしに行くというだけのアウトリーチから一歩踏み出すコミュニケーション型の方向に可能性を見出せたこと。ほかに20名のアンサンブルで行うコンサートのために事前に室内楽でアウトリーチをするという手法の可能性と限界を試す意味でも面白かった。あと、先生と生徒が一緒に行ってアウトリーチをする、というのもいろいろと感じるところがあった。先生たちは若い演奏家にアウトリーチでどのようなことを望むのかとか・・・。まあ結果論でもあるけどね。
そう言いながら、実はその折には1週間前にめまいを起こして4日ほど寝ていたので、直前の練習の面白いところを知らずに同行するというはめになったのだけれど。

地域創造の事業としては(演奏の音楽的成果は別として)この実験的なグラムは決して画期的に上手くいったわけではないのだけれど(したがってそのままでは継続しなかった)そこから生まれてきたものはいくつもある。まあ演奏が心に残ったのが一番だけれど。
ひとつはオーケストラによるアウトリーチ(これはのちになって地域創造が茂木さんを活用する形で実現する)。それから松原さんの中では「弦楽四重奏をベースにした室内楽の本格的セミナー(アウトリーチを含めて)」をやりたいというアイデアが生まれた。そのアイデアの一部は、アウトリーチフォーラムでも若干取り入れているし、富山でゴールドベルクを記念したセミナーができた時にも少し実現するが、残念ながら松原さんとは直接関わらないところで行われている(松原さんはまだ諦めていないですよ・・と言っていた。えらいものだ)
そして、ちょうど黒部が終わった後の時期に第一生命ホールで具体的に何をやろうかということを考えはじめたのである。それで松原さんに話しに行って決めたのがアドヴェントセミナーである。黒部の発展形として、きちんとしたセミナーとして行うことと先生が入った室内楽をやることを込みとして10日間にしたけれど、それで定着した。黒部で若い人たちの心に残ったものという成果を見ると、育成を一つのテーマにしつつあった第一生命ホールでは、ニューヨークのクリスマスセミナーの向こうを張る育成型企画の目玉として行うことに大きな意味はあった。アレクサンダー・シュナイダーからジェイミー・ラレードに引き継がれ続いているクリスマスセミナー(今年もちゃんとやっているようだ)も、世界の音楽界の中ではメジャーな企画ではないけれど、きちんと続いているのはまあ制作する側、サポートする側の一種の見識であろう。
しかし、アドヴェントセミナーに限らず、こういうことの成果を見えるようにするのは難しい。TANでは昨年、参加者への聞き取りを行って評価への意味づけをしようと試みたけれど、心の中にある大事なものを見せびらかすという風土は日本に無いし、あんまり言葉にしにくいことだろうから必ずしもうまくいったとは言い難い気がする。その意味ではセミナーとかは他も同様だろう。霧島も草津もしかり。したがって、評価はこの参加が略歴に書かれたかとか、参加者から有名演奏家が出たかといったようなことについ引っ張られる傾向はある。そういうところも含めてさまざまに場は作っていかないといけないのだろうけれど・・・。

今回も、残念ながら半分も付き合えなかったのだけれど、今年のセミナーはまとまりがよくて良い出来だったと思う(ちょっと小粒かなと思っていたのだが)。室内楽的でヒエラルキーのないコミュニケーションがよく取れていたほうだと思う。打ち上げが終わっての帰りがけ、コントラバスの二人が去りがたいようにトリトンスクエアのクリスマスツリーの前で記念写真を撮ろうとしていたのが印象に残った。芸大と桐朋の院生。同じ世代の二人はここで、新しい、本当の友人を見出した?

はな はと まめ ます

2008年12月22日 | 徒然
7年近く前、ホールの担当者のセミナーで企画する人間が持つのメンタリティとして大事なものは「はな、はと、まめ、ます」という話をしたことがある。多分もう使わないネタなので書いてしまう。
かつて(たぶん昭和の初期だと思う)の小学校一年生の国語の教科書(一応正式には初めて習う日本語である)の最初に書かれている言葉は「はな、はと、まめ、ます」だった。この単語、一番身近な単語とはいえないような気がするのだが、そこには何らかの意図とかメッセージがあるのではないか。
ここからは私の創作だが、
はな=きれいなものをきれいだと感じる心
はと=人と諍わないで人と人を結びつけるきもち(芸術がいさかいや病を助長するのは存在意義として間違っていると思う)
まめ=理想論にだけに走らず、自分や演奏家ひとりひとりの生活も考えないといけない
ます=事業・企画の収支についてきっちりと量ることが必要(黒字でないと意味がないというわけではない)。それも短期ではなく長期的な意味づけを持つこと。
以上4点は、人が生きていく時の重要なポイントであり、同時に企画制作をする人間の大事な心のありようである、というはなし。
まあ、こういうのははなしの「ネタ」ですから軽く受け流しておいてね。

アートにかかわること

2008年12月20日 | 徒然
アンパンマンの作者やなせたかしが出していた「詩とメルヘン」という雑誌を知っているだろうか。最近若い人に言ってもついぞ通じないので困るのだけれど、10数年は続いた雑誌である。絵と詩なので一種の雑誌絵本のようなものだけれど、いわゆる絵本と違うのはお話しではなく明らかに詩であること。
アウトリーチで、後藤由里子さんの作った「はじまりは・・・」という曲を詩の朗読と一緒にやりたい,詩を読んでから続けて「ディア」を演奏するといってきたのは宮本妥子さんである。そのときに何の詩を読むか探してほしい、といわれ、私が幸田町文化会館のプロデューサー本間さんに挙げた数人の詩人の名前の中から、彼はやなせたかしのいくつかの詩を選んだ。その中から「ひかりよ」という詩に決めたのは宮本さんと後藤さんだけれど、本間さんにとっては、演奏家とディレクション側との心のつながりが出来て、実現したときの満足感も普通以上になっていたと思う。
そのときは後藤さんが読んで宮本さんが演奏したのだけれど、ついこの間、広島で宮本さんが、自分で読んで演奏した。彼女はこれをやるとつい涙ぐんでしまうのだそうだけれど、その話は本間さんが聴いたら本当に喜ぶだろうなあ。
詩を捜すのは全体から見れば小さな参加だけれど、心が繋がる参加のしかたはいくら小さくても意味がある。繋がろうと意識しないと探せないしね。
詩については演奏家は素人だけれど、それが彼らのプロフェッショナルな部分と繋がることで、価値がついてくる,ということはあると思う。アウトリーチでは特にそのような関係に意味を持てる気がする。だから、下手に地元の同じジャンルの演奏家を結び付けようとしてうまく事が運ばないのもむべなるかなである。もちろんしなくてはいけないというわけではないけれど。

ランダム再生

2008年12月19日 | 徒然
ipod
ipodのランダム再生という機能はあんまり使う機会がなかったのだけれど、最近はじめてつかってみて気がついたこと。
私のipodにはいろいろなアルバムが入っている。御喜美江のアコーディオンバッハ、ゴルドベルクのヴァイオリン協奏曲、レッドプリーストからベートーヴェンの弦楽四重奏、オペラアリア、合唱曲、それに、ビートルズやユパンキやジャズ、フォークからいわゆるニューミュージックを経てビーズくらいまでまで。
ランダムというのはこれらが無作為に並べられて演奏される(当然一つの楽章)わけだけれど、どうもあんまりイメージがわかないのでほうってあったわけだ。
ところがこれが案外良いのである。現代人である私もあんまりゆっくりと一つのことに集中するエネルギーが少し苦痛になっているのかもしれない。どんどんと次に行ってしまう(それもまったく違ったジャンルがでてくる)ことは、下手な集中力を要求されずにただただ流れに任せるような心地良さがある。不思議だ。
なんとなくクラシック音楽が疎んじられる理由の一端が見えるようでもある。しかし、それだからそれが良いのだということはできないだろう。そもそもそういう風に聴くことにそれほど必然性があるのかどうか。それって音楽を買わなくてもいいかもしれない。海や川を見てその音を聞いたり、焚き火を見ていたり風の音を聞くのも実は飽きないことの一つだとすると、その時間と、それとは正反対にじっくりと音楽を聴きこむ時間との両方がやはり必要なのだろう

いわきアリオスのチェンバロ開き

2008年12月14日 | いわき
いわきアリオスでは、チェンバロを買おうかどうしようかという話があった2年前に、買うのであれば二つのことを実現しようと考えた。ひとつはほかにない機能を持ったものをいれて、チェンバロ奏者が興味を持ち使ってくれるような物を買おうということ、もう一つは、ホール以外ではなかなか見られない楽器だから、アウトリーチに持ち出して子供達とかに見て聞いてもらおうということである。前者で言うと、ホールにあるチェンバロの使用率はそれほど大きくないのである。まあ宿命的に仕方のないことであるけれども、チェンバロは自分の楽器や使い慣れたモデルを持ってくるという演奏家が多いのも一つの理由。ホールにあるのに使わない、ということが起こるのである。オルガンもそうだが、アウトリーチではホールの備品を持ち出すというところに問題が生じるケースがある。だから初めからそれを方針として位置づけることを前提として導入したということもある。
16フィートの弦を張ったチェンバロは、日本ではほとんど導入されていないと思われるけれど、バッハの時代にはあったとされている大きなチェンバロであって、チェンバロコンチェルトなどでは音量からいっても有効。
オープンには間に合わなかったのだが秋になってやっと納品された1754年のツェル/ハスモデルのチェンバロのお披露目のコンサートを行った。奏者は西山まりえさん。アントネッロの鍵盤奏者としても活躍中。
今回は、3日前に入ってもらって、弾きこみとアウトリーチもお願いした。アウトリーチは今回はポジティフオルガン。古楽系の人はあんまりアウトリーチの経験は多くないと思う。疲れただろうけれどご苦労様でした。
コンサートは西山さん本人もあんまり弾いたことがないという16フィートのチェンバロの音のバランスが良く、終わった後の舞台はチェンバロをそばで見ようという人で埋まるほど興味を持ってもらえたようだ。

大分県臼杵

2008年12月13日 | 各地にて
臼杵の町
おんかつの下見で大分県の臼杵に行ってきた。地図を見て一番びっくりしたことは、浜町一番組とかいう表記の住所。泊まった宿のあるところは、新町1組。これだけでは広すぎてわからないだろうと思える。ヨーロッパの町の旧市街のど真ん中に止まったような印象。担当の佐藤氏の話によると、普通の住所の書き方は別にあるそうだが、市内は全部何町何組とだけ書くのだそうだ。郵便屋さんが困るのだそうで…。コミュニティが発達していて誰でも知り合いで鍵もかけないような街の在り方は東京の下町で消えつつある風情がある(都会の人は決して住みやすくはないだろうが)がそういう場所ならではある。
おんかつではピアニストの今野さんが行くのだが、今回は今野さんと事前に話せたこと、臼杵の担当佐藤氏がアウトリーチで行く学校でのコンセプトを提示してくれたので、茫洋とした感じではなく、目的をもった話ができた。打ち合わせとしてはその方が充実している。ただ、生半可な知識で決め打ちする危なさもある。多くの場合は無手勝流で臨むのだが、どちらがうまくいくかは2月に実際の事業をやるまで、開けてのお楽しみである。21日にもう一回今野さんとミーティングをしてそこで仕掛けを考えることになるが、臼杵の町の雰囲気とか持っている地域資産の豊富さ(と思わせるものがある)でとても魅力的な街なのでいいことができそうだ。大友宗麟、稲葉家、キッチョムさんの話、石仏、豊富な海産物、ふぐ、武家屋敷の街並みの状態、祭りなどなど。人口も5万に満たないし、幹線からちょっとそれた場所にあるという立地からすると、決して興行がうまくいくところとは思えないけれど、それゆえにいろいろなものが残っている感じがする。
写真は城下町の風情と寺が豊富な道。






ゲルギエフと堀田正矩さん

2008年12月06日 | いわき
クラシック演奏家を数多く撮影しているコンサート写真家の堀田正矩さんがいわき出身と知ったのは偶然。今年の春、堀田さんが久しぶりにいわきを訪れた際、新しいホールが出来たことを知り訪ねてみえた。そのときには私も足立君も居なかったのだけれど、堀田さんから川崎でやったような写真展が出来ないだろうかという相談をうけたのだ。
普通の展示場がある会館ではないので工夫をしなくてはならないのだけれど、町の中との連携もとりつつ地元出身の音楽カメラマンの仕事を紹介していくことが出来れば良いのではないかと思う。彼の昔の仕事も見せてもらったのだけれど、週間FM(懐かしい名前だ)のカメラマンとしてPOPS系の大物も撮っている人なので、興味深い写真がいくつもある。
そんなこともあって、今回ゲルギエフ指揮/ロンドン交響楽団の公演がアリオスであるのを撮りに来ていただいた。普段いわきではなかなか良い演奏写真が撮れないこともあって、こちらもありがたいことなのだけれど、堀田さんも当日は非常に張り切ってくれて、前日からいわきに入り準備をして下さった。外国のオケの通例として、移動がきついのでじっくりとリハーサルをしてくれないということがあったり、ステージ写真を撮るという発想のない設計のためか、撮影位置に苦労していたのだけれど、昨日出来てきた写真を見たらすごい力作が撮れていて吃驚した。人の気持ちというのがどれほど何かを作り出せるか、ということだけれど、その微妙な違いのわかる人が数多くいることもとても大切。
ゲルギエフもホールはとても気に入ってくれたみたいで、終演後の短いインタビューで、ヨーロッパの新しい会館(スペインマドリードのそばの都市の会館のことを言っていた)みたいな雰囲気と音響だ、オペラでどんな感じになるか聴いてみたい(ということはやりたいと言うことか・・・)と言っていた。
いわきの人に世界最高クラスの緊張感を聴いてもらえたのではないかと思う。ゲルギエフはロシア風の力任せの演奏とは正反対のウイットのある演奏で、所謂巨匠芸がどれほどのものかを
見せてくれたので満足のいける演奏会だったと思う。