児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

北海道のアートプロデューサー講座

2009年09月29日 | 徒然
プロデューサー養成講座という名前は最近マネジメント講座という名前が優勢であんまりはやっていないけれど、北海道のこの講座はずいぶんと歴史を刻んでやっている講座である。
24,25日の2回目では、TANや他のところでやってきたアウトリーチ先の獲得手法、その交渉過程などを少しお話ししたあと、グループに分かれてアウトリーチプログラム作りの方法論を考えて貰った。それぞれ演奏家を入れたグループでミーティングしてもらったが、学生ピアニストが入るところではベテランのホール関係者が入り、逆に経験のあるプロの演奏家とはアートマの生徒にはいってもらって話し合いをしてもらった。
結果としては、内容についてはそれほど画期的な物が出てきたわけではないけれど、多分ほとんど全ての人に、今までになかった経験をしてもらえたかと思う。まあ、意義はあったかな。

アウトリーチのアナリーゼ

2009年09月21日 | アウトリーチ
アウトリーチの進行プランを、構造的に見ていくと言うことを初めてやったのは確か2004年度の松浦。演奏家は宮本さんだったと思う。その前の宮本さんの事業でなかなか上手く良さを引き出せなかったので、これは挽回しなくてはと思って書いたのが始め。その資料はもう残っていないのだけれど、「あなたのやっている事はこういうこと」というのをメモを作って渡した記憶がある。その場その場で起こっていることは、何を伝え、コンサート全体の中でどういう位置づけになるのかと言うことを第3者の目から見てメモしたものと言うことになる。この部分は、何を伝えようとしていて、相手はどう感じるだろうかということをメモしていくのだけれど、これはこれでなかなか面白い。3部形式とか,子供の喜ぶロンド形式とかの音楽の形式にも通じるところがあるし、起承転結とかの物語の事も思い浮かぶ。
「アウトリーチのアナリーゼ」とでも呼ぼうかと思っているのだけれど、久しぶりに浜さんの尾道の保育園のプログラムでやってみた(フィールドノート参照)。導入、テーマ1、テーマ2、展開(転)、まとめ(結)とうまくできている。そしてそこで話すことがきちんとうまく繋がっているというのもなかなか良くて、そういうところに勘の働く人が、良いモデルになるようなアウトリーチをしているということになるのだろう。もちろん、手法は無数にあると思うし、なぜか上手くいってしまうこともあって、理屈で割り切れないところがまた面白いわけだけれども、それでも構造的にとらえることで、考える基礎を作ることは出来るのではないかと思っている。まあ、進行技術ばかりじゃ仕様がないけれど。

能の公演

2009年09月20日 | いわき
以前書いたことがあると思うけれど(5月)、宝生流のシテ方である佐野登さんが中心になって夏休みの間10数回にわたってやってきた子供のためのワークショップ、今日の能公演の午前中に子供が素謡で約10分出演した。70人近くの子供がきびしい練習にめげずについてきてくれた,と言うことは佐野さんにとっても嬉しいことだったはずだ。これだけの人数でやるのは珍しかったみたいでもある。
子供には最後の最後まで厳しい声を発していたけれど、まあ、子供が好きなことは間違いないようで、そういうことはきちんと伝わっているはずだ。
子供と親の多くが能についてほとんど知識がない初心者だったことを考えると、このワークショップの意味はあったと思う。
佐野さんと話していると、クラシック音楽のアウトリーチを日頃やっている身からすると、うらやましいような気もするし、芸術観については違う部分もあるのだけれど、きちんと説明する必要を感じているという根っこの部分は同じ情熱を感じて嬉しくなる部分でもある。
久しぶりに靴を履かずに舞台裏を移動した。これはこれでなかなか良いものである。

尾道の浜まゆみ

2009年09月19日 | アウトリーチ
音楽の街おのみちと言うプロジェクトは音楽祭をやりたいと言う市長の気持ちから始まったプロジェクト。音楽祭というと「集中的にコンサートがある」というイメージだけれど、よほどの覚悟をしなければ、客の少ない地域では難しい。まずは環境作りと言うことから始めている。6月に吉野さんに美術館でやって貰ったとはいえ、本格的にアウトリーチを行うのは今回が初めてだったのだけれど、現場的にはほぼ問題なく終わってほっとした。コンサート、コミュニティコンサート、アウトリーなどでまず音楽を広めようと言うことで始めているので、音活とかとはまたちょっと別の配慮が必要かもしれない。いずれにしろ、現場にも上司にも思考回路ができあがっていない一年目は大変。その意味では、北九州とか長崎とかがいかに良くできているかがわかる。こちらの緊張感が全然違う。やはり何年もやってきた歴史というものか。

今回浜さんは保育園が3件、学童保育1件、授産施設1件、小学校1件という変化のある相手だったけれど、浜さんの子供扱いは非常に的確、大きなエネルギーが必要な幼児に対してもきちんとエネルギーが続くのは偉いと言うしかない。
旧御調町の授産施設は比較的高年齢の方が多くて、どこにターゲティングするかが難しい感じもあったが、手伝ってくださった御調町出身の方が本当に良くコンタクトを取っていてくださったおかげで良くできた。夕方に行った児童保育はたまたま運動会の予行演習日にぶつかり子供たちは疲れていたのだろう、集中力が45分は持たなかった、帰りの車の中でやり方を考えなければという話で盛り上がった。こういう風に終わった後でいろいろなアイデアが飛び交うのもアウトリーチの良いところである。

久しぶりの札幌、アートマネジメント研修会

2009年09月14日 | 徒然
8月から秋にかけては、新しい企画とか考え方とかをこね回すべき時期であるが,同時に秋のイベントのことを考えないといけない時期でもあって、精神的に追い込まれる気分になるのは毎年のことであるけれど、今年は特にきつい感じがあったのは、全体的に草臥れているのかなあ。

北海道文化財団が長くやっているアートプロデューサー養成講座。今年は音楽のアウトリーチがテーマになっていて現在のアウトリーチの状況について、社会の中の役割について話をしてきた(9月9日、10日)。
アウトリーチは企画する側から見てもとても楽しいし、反応も明快で満足感があるのでやりがいはある。だから今本当に各地で行われている。流行みたい。でも、流行ならいずれ飽きられるし、問題点が出てきたときには誰もやらなくなる。
だから、と言うか、でもというか、一つ一つの企画を良くしていく努力とともに、そのシステムを考えていかないと、近い将来形式だけが残って堕落していくだろう、というのが自分の認識であって、それ故にいま頼まれれば断らないようにしているということもあるのだけれど。
システムといっても結局は人が動かしていくものなので、結局は人の中にあるその炎(意欲や意志)をどのようにつないでいくか、というシステムが必要なのだけれど、それはどうして良いのか分からない。炎(火)はエネルギーの基になるので、そのコントロールというのはたき火から原子力まで人間が太古から取り組んでいることではある。まあ解決していないから今も取り組んでいるのだろうけどね。

今回の北海道の講座は、演奏家、会館職員、そのほかと多彩な人が集まった。多彩というと良いことのようだけれど、アウトリーチへの見方はみんな方向性が違うのでそこで話をする事は非常に難しいのである。まあ、そのようなハードルは何とかすることは経験的に出来るようになってきたけれど、レジュメではいつも失敗をする。
多彩でも本当は方向性は一緒でないといけないはずなので、今回はもう一回月末に行くときには演奏家と、企画側とで一緒にアウトリーチプログラムを考えていく,と言うことを実験してみようと思っている。

現場の経験から見いだされた意欲とか手法とかの考え方を広めて行き、いずれそれが社会の常識になるような方法論を考えるのが良いのだろうと思うけれど、今はどうなのか・・・
アーチストが学校などに出前演奏して帰ってくるということはどういうことなのか、という認識に関して、まだ、先生、プロデューサー、会館、市役所、教育委員会、演奏団体、アーチスト、すべてのところで、手間をかけて取り組むことであるという認識が、決してメジャーな思考回路になっていないように思う。それは困るけれどもだから面白いと言うこともある。

愚痴っぽくなる話はさておき、北海道では、私がアウトリーチの理屈っぽいところを話したあと、ピアニストの田村緑さんに模擬的にアウトリーチ授業を行っていただき、その上で演奏家の立場から見たアウトリーチを話して頂いたのだけれど、一つのことを別の視点から見て貰うやり方は今回も非常にうまくいったように思う。遅れてきて最後の30分に参加した某大学の先生が、「すでに話し手と聞き手の関係と雰囲気が完全に出来てしまっていたので途中からは入りにくかった」と仰っていたが、それは先生には悪いけれど成功だとおもう。
人は理解しても納得はしないものだ。納得とは、結局自分の中にある何かと反応して初めて自己の経験として取り込まれるのだから。納得しないとその人の行動基準の中には組み込まれることはない。だから、同じ出発点に立ちつついくつもの視点から語られると説得力がある事が多い。特に情と理が上手く結びついたときの説得力は大きいのだ。これからは、その納得を政策化するというトランスクリプション(翻訳)を上手くやってくれる人を熱望する。


丸いポストのある風景

2009年09月13日 | 徒然
小平市には昔の赤いポストが30本ほど残っていて、これは東京都でダントツ一位なのだそうだ。それで、全国に発信する「丸いポストのある風景」という写真コンテストをやっている(らしい)。いわきにその写真募集のちらしが回ってきた。
良い写真もあるのだけれど、載せられないのでWEBで・・・

http://www.runekodaira.or.jp/photcon_post09/index.html

あのポストの愛嬌というかノスタルジーを刺激する容姿はやはり見つけると嬉しいもので、ついこの間もいわきの郊外とか、札幌とかで見つけたのだけれど、もう口が塞がっていて飾りにしかなっていないものも多い(これもなかなか哀しいものがある)。
しかし、丸岡市だっけ?「一筆啓上」とか街おこしの方法としていろいろとアイデアがあるものだ。確かに成功すると全国区として認知されやすいということがあるので、悪くないアイデアだろう。

しかし、コンテストの主催はルネこだいらを運営している(財)小平市文化振興財団なんだ・・・。会館は展示と違うミッションがあるように思うけれど。まあ文化だからね

久しぶりです

2009年09月03日 | 徒然
夏の間休んでいたブログだけれど夏休みも終わったことだし復帰。
9月1日から広島に来ている。
昨年もやったのだけれど、地元演奏家のアウトリーチ。7月にやった研修の成果がどうなっているか、ということもある。
今回は7月がややずるずると終わってしまったので、1日にみんなにランスルーをお願いして様子を見たうえで実施した。
今年はそれに、長崎の演奏家が加わってのアウトリーチが並行して行われている。広島安芸区民センターは広島、長崎の交流を看板にして今年のこの事業を進めている。長崎からは第1期登録演奏家の福地さんと、3期の柴田健一さんがきて、昨日は市役所、今日は老人施設へと出向いている。それに加え、広島のも見てもらっているし、地元演奏家にも長崎のものも見てもらうことになっている。お互い刺激はあるみたいだ。長崎と広島はやり方も違うし、時期も違ってこっちの考えも少し変化してきていることもあるとおもう。今回についていえば、長崎の人には「ここのはとても授業っぽい」と思う部分があったみたいだ。確かに長崎とは少しく同じような進め方にはなっていないのは、シチュエーションの違いで私が言っていることが微妙に違うかもしれないとおもった。なあ、その場その場の状況に対してはあんまり戦略的に発言はしていないつもりなので、違いを感じるとすれば確かに自分の中で何かが変わっているのかもしれぬ。まあ、4,5年も違えば当たり前か。
明日は、小学校で長崎の演奏家がアウトリーチをする。どんな印象を持つのか、お互いの感想を聞いてみたい気もするけれど…

写真は、3日の午後、新しい老人ホーム「おりづる園」で福地さん、柴田さんが行ったアウトリーチ。アウトリーチコンサートという看板がなんか長崎風ではある。