児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

育児支援コンサート

2010年03月30日 | 徒然
第一生命ホールの育児支援コンサートに顔を出してきた。トリトン・アーツ・ネットワークの主催。とはいえ、前日のリハーサルからゲネプロまでつきあったのでほとんどスタッフ。まあ前ディレクターがこういうところに大きな顔を出すのは本当は禁じ手なのだろうけれど、担当にも是非に来てくださいと言われたし・・・、その辺はなんと言ってもNPOだからね?。
この育児支援コンサートは、ある意味で一番NPOらしい企画といえなくもない。企画に育児支援というミッション性があるからではなく、そこにヒエラルキーにとらわれない人たちが多く参加しているからである。プロデュース公演で、多くのサポーターが関係してくるこの企画は、オープン風だけれど決定権をきちんと誰かに集中させないといけない活動でありながら、やはりみんなが自分のものとして企画を感じ、楽しく参加するという不思議な位置づけである。でも効率と質感とを大事にするビジネスの世界であれば否定されかねない綱渡りのようなことを、当たり前のようにできるというのが、NPOの面白いところかもしれない。うまく役割分担ができているのだろう。結果よりも過程を重視し、その上結果も勝ち取るという感じか知らん。とはいえ、こういう文化というのは今の時代にはあんまり多くない。最近では、多くの人が必要性を発言していながら、実際の自分の生活スタイルにそれを取り込むのは思いの外にストレスがあるはずだ(まあ私も一時はそうだったので・・)。その距離感をつかむのが一番難しいことかもしれない。ただその距離感は人によってずいぶん違うので、人をまねても仕方がない。


さて、今年の育児支援コンサートは、前半はピアノソロ、後半は絵本に「スーホの白い馬」をつかい、その絵にあわせる音楽はグリークのピアノ協奏曲。モンゴルと北欧とはずいぶん違いそうなのだけれど、これが意外とぴったり合うのである。構成した田村さんは昨年夏にこの組み合わせを思いついたらしいのだけれども、こういうところの彼女の勘は非常によいのだ。
アンケートでもここ数回で一番良かったという人がいてたが(そんなに毎回来ているのだ!)、たしかに満足度は高かったと思う。こういう企画におもしろさを感じてくれる達者な演奏家がそろったせいもある。ついでにいうと、これに関わった人が必ずといっていいほど「これって、いい企画だから地方とかに話してやるといいと思うよ」と言うのである。まあそうなんですけれどね・・・といつも言っているのだけれど、誰かが本気で人に話していかないとなかなか難しいだろうし、まあ地域のホールにも関わっている身としては、こういう演奏会をその場で作ることの方がよほど意味がある、と思ってしまうところもある。最初は少し大変だけれど、案外できる筈なのだけれどなあ。
まあ、今回一番大変だったのは、構成をした田村緑さんと制作の菊地さんだろうけれども本当にご苦労さまでした。こっちは、良いところに顔を出して言いたいことを言って申し訳ない・・という感じの楽しさだった。すみません。

最後の(多分)カザルスホール

2010年03月22日 | 徒然
3月20日、カザルスホールで山本祐ノ介(チェロ)がリサイタルを開いたので、本当に久しぶりに行ってきた。祐ノ介さんの気持ちの伝わるような演奏。ベートーヴェンの最終楽章のフーガなどはなかなか聴き応えがあって、フーガがとても丁寧に演奏されたのを聴いて彼が最近指揮者をしていたのを思い出した。
まあ、この場所で演奏を聴くと、色々と思い浮かぶこともあり、それが必ずしも楽しかったことばかりではないわけだから(当たり前だけれど)複雑な思いもある。それでもある感慨はあってやや寡黙になって帰ってきたのだけれど、会場で音楽で活性化された頭で一番感じたのは「わたしにとってはカザルスホールは2000年で一度切れているのだけれど、それから10年もホールにとっては歴史であったのだなあ」ということ。その意味で、歴史は終わってしまったというこちらの感慨とはべつに、「人格」を標榜したカザルスホール本人のこれからの人生にもまだまだなにか意味のある時間があるかもしれない。それが外から見れば若干惨めに見えていようとも、本人にとっては大事な歴史であって、そのことも生命の意味なのかもしれぬ。人格とはそういうものだ。

3月になってカザルスホールを懐かしむかのようなメッセージのある企画がいくつも行われている。そのような企画はかつてのカザルスホールらしいと言えば言えないでもないけれども、この祐ノ介さんのコンサートのような、極めて個人的な感慨をもって催されるコンサートの存在は、一緒に大事にしてきたつもりのもう一つの部分を見るようでとても気持ちが良い。3月末まで忙しくてもう行けないので、今回が最後になると思うけれども、良いコンサートだった。
心残りはオルガンがどうなるかかな。

北九州の演奏家の研修会

2010年03月15日 | 各地にて
2010年から2年間北九州で多分8-10回程度のアウトリーチを実践してもらう演奏家の研修会があって、オーディションで選んだ4名のかたにお話をした。最低限の時間として2日間(その他に具体的なサジェストも必要なのだけれど)のこういう講座は、一つのパターンが出来てきた。とはいえ話す事はこちらも常に変化しているので最初の頃とはずいぶん変わってきている。今回はわたしだけではなく、北九州の財団のアウトリーチ事業をはじめから担当している池野知子さんにも話して頂いた。はじめは下見も行っていたのだけれど、最近は実際の学校や市民センターとの交渉については、財団の担当者にほぼ任せているので、彼女の方が話せるはずだ、ということなのだけれど、初めてはやはり緊張するみたい・・・
それと、今回は今年までの登録演奏家ソプラノ松谷さんの話しを聞く時間も作ったが、やはり演奏家同士だと聞きやすいのか色々と質問が出ていた。講座も、こういうやり方が出来るようになってきたことが北九州の一定の状況を表しているけれども、まだ4年とはいえ時間による変化(進歩?)を勘定に入れた政策ということを最近はなかなかわかってもらいにくくなっているかもしれない。人が育っていくのは、こういう時間が必要なのだけれど。
そういえば、大分から大分大学の修士でアウトリーチについて勉強する人(多分一人だと思う。彼女はフルーティストでもある)が話を聞きに来ていて、とても熱心に聞いていたのでこういう人があちこちで活動できれば九州もまんざらでもないぞ、と思ったりもする。僕一人では無理だけれどあちこちでこういうことが行われるようになればいいのに・・・。
さて、今回の講座では、各自が持ち寄ったアウトリーチの進行プランをわたしとその人が話す(どうも指導モードになってしまって困るのだけれど)だけでなく、お互いが意見を言い合うなど、それなりのアウトリーチ活動に対する理解が進んでいることが感じられて嬉しかった。最近特に感じているのだけれど、演奏家の研修で話すべき事は、結局、なぜこのような事業をやるのか、演奏家としてはどのような意志で参加するのがいいのか、そして、使命とアウトリーチ手法の技術とを切り離して、技術は技術で向上させる方法があること、などを理解してもらうことにつきる、という認識になってきている。まあ音楽は深いからそんな割り切りはすぐに裏切られることもあるのだけれどね。



長崎のアウトリーチコーディネーター育成講座

2010年03月09日 | 各地にて
21年度の長崎ブリックホールでのアウトリーチコーディネーター講座は、3月7日に最後のミーティングがあってあとは報告書だけになった。担当してくれた野田さんほか、手間がかかる事業だったと思うのだけれど、2年目の今年は色々と収穫があった(わたしは結局4回顔を出したくらいになってしまったけれど)。1年目は何はともあれやってみよう、ということが優先していたのだけれど今年はかなり様相が違う。ちゃんとステップになったようにおもう。
これは基本的にはボランティア(サポーター)的な人の育成を考えてスタートしているけれど、彼らの中から市の委託を受けて実行する人たちが出来てくることも視野に入れている(市がそこに踏み込むかどうかはさておき・・)

昨年~今年のおおむねの進行は
7月 講座(アウトリーチ意義、実際の作業についてのレクチャー、相手を知るための手法の話し、班分けなど)(児玉、桜井)
7-8月 各班ごとに3回程度のミーティング(ターゲッティング、調査など)
9月   おおよそ固めたアウトリーチ計画のプレゼン(児玉)
9-11月 各班ごとに3回程度のミーティングと実施先への説明及び決定(演奏家とのミーティングを含む)、演奏家との下見など。
12月 アウトリーチ経験の豊かな演奏家を招聘して体験したり話を聞く講座(白石)
1月から2月 各班ごとに実施。
3月  2年目のグループの計画による田村緑のアウトリーチを実施(児玉)。
    総括ミーティング(児玉)

である。ことしは各班が相手先を決めるのに、一定のマーケティング的調査をしたのが画期的。わたしはボランティアのコーディネーターは、その人が普段の生活の中で持っている問題意識の延長線上にアウトリーチ先があるのが一番良いと思っている。社会的な市民ボランティアのあり方として自分の身の回りの人たちを豊かにしたいと考えるのは大事である(個人の我が儘になるとまずいのだけれど)。子どもがいれば教育に、両親が年をとってくれば福祉とかに興味を持つのは自然だし、その意識の中で音楽をアウトリーチする対象を考えるのは、社会的な意義と同時に個人的な意味も持つので長続きするのである。極端に言えば市が直接やるのはそこで果たせない問題を解決すればいいともいえる。
ただ、日常の中で、これだけの手間を一つのアウトリーチにかけるのは時間的にも案外大変だろうと思う。プロデュース全般に言えるのだけれど、手をかければかけるほど良いのできりがないのだ。何処で見切るかはかなり重要な技術である。

でも、数多くやり過ぎているわたしとしては、かなり示唆に富んだミーティングだった。10数年やってきても、まだまだ整理が出来ていないし、現場での細かい気配りなどプロとしてのノウハウはまだまだ足らないことが分かった部分もあるから。自分とは違ったところで専門性を持っていたり、新鮮な感覚を持っているいるボランティアを大事にするのはこういうことがあるから必要なのだと再認識した次第。
(写真はガラコン前日の3月5日に西町小で行った田村緑のアウトリーチ)





長崎のガラコンサート2

2010年03月08日 | 各地にて
今年のガラコンサートは結局史上最長の3時間45分になってしまった。まあ、長いことは分かっていたのだけれど・・・。昨年も3時間を少し超えて心配したのだけれど、「長い!」というアンケートはなかったそうで、少し長くても大丈夫でしょうという判断だったのだけれど、今年はきっとあるだろうなあ。
とはいえ、最後にやったガーシュインメドレーの全員合奏も思いの外上手くいってほっとした。さすがに百戦錬磨の人たちである。この仕上げのスピード感は地元演奏家にとっても刺激になっただろう。
今回は、開場時の入口での演奏(エスプリ)、休憩時のロビーでの演奏(宮本妥子と地元の俳優さんの語りによる)もあり、舞台でも大森智子さんが地元フルート奏者二人とマイアベーアの北極星の曲を共演し、地元木管5重奏団体のエスプリが田村緑さんとテュイレの6重奏曲をやったことなど盛りだくさん。これだけ同時進行的に物事が動いていると到底全部には手が回らないのだけれど、長崎ブリックホールのスタッフやサポーターがきっちりと分担して仕切っていたのは見事だった。直営館としては案外画期的かも。
客席で本番を聴けたのもよかったのだけれど、聴きながら思った今回の感想は、地元の演奏家との共演が出来て比較的上手くいったので一体感のような物があったこと。それによって演奏家同士が他をおもんばかっている雰囲気がよかったこと。あと、長崎市のスタッフワークがとてもしっかりしていたこと。
(写真はロビーでの演奏)
22年度もまた色々な仕掛けが出来ると良いなあ。


長崎のガラコンサート

2010年03月05日 | 徒然
今年で8回目になる長崎のガラコンサート。今日はリハーサル日だったのだけれど、午前中に田村緑の小学校アウトリーチを2本やり、そのあとでブリックホールに行って22時に追い出されるまでずーっとリハーサル。
今回、ヴァイオリン、フルート、サックス、ピアノ3人、木管5重奏、マリンバ、打楽器、ソプラノとテノールという15人のガラだったので、Nさんに無理を言ってガーシュインの曲の編曲を出来ないかなあと頼んだのだが、曲が出来上がるのが遅れて曲の初めてのリハーサルはひやひやであった。こういうのは本当に久しぶり。まあ緊張感があってよかったとも言えるのだけれど、あちらこちらに気を遣うのでこっちもずいぶんと疲れたはずだ。とはいえ、アドレナリンのせいかそれほど疲労感がないのが却って怖いね。
作品としてはなかなか良い編曲が出来てきて、その上に様々な配慮もちゃんとしているので、心配したよりスムースにリハーサルは終わったのだけれど、まあ明日が楽しみ、ということにしておく。
今回、これだけではなく色々な企画があってそれなりにばたばたになってしまっている。こういうのは面白いのは事実だけれど、あんまり自分の趣味ではない。もう少しスマートでインパクトのある方が私の好みでではあるのだけれど、今回はぎりぎりになって走り回る充実感重視の方向かな・・・。
写真はブリックホール大ホールでの、リハーサルの模様。