児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

学校の先生向けのアウトリーチ

2007年08月25日 | 徒然
長崎で初めて学校の先生向けのアウトリーチを行った。
アウトリーチと言っても、学校の先生にアウトリーチの意味と現状をお話しする会。一種の研修会であるし、相変わらずなるべく多くの子どもに聴かせたいという学校側の希望に対して、少し理解を得たいという気持ちもあった。教師の夏期休暇中の研修としても意味があると言うことで教育委員会の全面的な協力があり、45名程度の先生が集まった。場所はブリックホールのリハーサル室。
数年前からやれると良いねと言っていたプランであるが、今までは夏の時期のアウトリーチが難しかったこともあり、なかなか出来なかった。今年はこれをメインにして高橋さんに来て頂くというスケジュールを組んだ。演劇の方でもやるみたい。文化振興課としては開館以来やってきたワークショップやアウトリーチ活動の成果として先生にいっそうの理解を求める・・という意味もあると思う。実績というのは全市的にはそれほどの数ではない(小学校と中学校で150校くらいあるのでなかなか全市的には難しい)が、やってきた実績と蓄積というのはそれなりに意味があるのだと実感。
前半45分間は私が話をし、後半は桜町小学校の生徒15名(コーラス部メンバー)向けに高橋多佳子さんがアウトリーチと同様のプログラムを披露(45分)、後ろで先生達が見学するという構成。とはいえ、高橋さん「子どもの反応はこういう状況なのにとても良くやりやすかったが、後ろの先生達の視線をどうしても意識してしまう」。でも、高橋多佳子節の進行で、子どもがどんどん興味を持ち、気持ちが演奏者に向かっていく様子がありあり。
最後に二人で対談して質問を受け終わったが、一人の先生から「自分の学校は大規模校で各学年5クラスある。いつも応募したいと思うが音楽室でとか100人以内とか言う制限があるので見送っている」という話があった。確かにこの実施数だと一校の生徒を分割して行うにはやはり勇気がいるだろうなあ、と思いつつ、事業を理解してくれているのに出来ない学校もあることについても少し工夫しないといけないかと思った。なかなか難しい。
トリトンでは平気で一校2回とか3回とかお願いしてしまっているが、演奏家が住んでいない地方ではなかなか簡単ではない。まあ、大規模校は大体都市の中心部にあり文化的にも恵まれている可能性が高い、ということも考慮しなくてはいけないし・・・。難しい問題だ。
終わったあとの先生達の満足げな顔が印象的だったが、研修的に満足したのではなく音楽をゆっくり聴けたことの方が大きいのだろう。芸術の力ですね。


アウトリーチセミナー(福岡)

2007年08月23日 | 徒然
福岡です。
福岡もまだまだ暑く、外に出るとたまりませんが、屋内は全体に涼しいです。
アクロスの会議室も涼しかったけれど、さっきまで入っていた居酒屋も冷房は効きすぎている。危機感のないこと。東京はずっと東の彼方のことなのでしょう。
今日は7月初めにやったのと同じ内容のアウトリーチセミナーの福岡版、レジュメは前と日付を変えただけでほどんど同じなのですが、聞き手の面子が違う話は別の方から入っていくことになる。結局随分と違ったトーンの話になってしまった。これは明日までです。そのあと長崎に行って、今度は学校の先生60名ほどを相手に「アーツインエデュケーション」の話をしないといけない。同じレジュメというわけにはいかないから、考えないと。
今日のアウトリーチセミナーには様々な人が来ておりました。全部で20名ほど。会館の方も、アクロス、大野城、北九州、春日、宗像、宮崎とたくさん居ました。宮崎の副館長さんがいらしていたのにはビックリです。随分遠いだろうに・・・。九響の石川さん(音楽業界では彼の方が先輩でしょう)は顔が目にはいるとつい意識してしまいます。そんな中で、それでもアウトリーチをよく知らないと手を挙げた人が1人だけ。随分定着してきたものだ。
実例をしっかりと熊本県立劇場の本田さんが話してくれるので、私としてはいくらか気が楽ではありますが。

いわき市遠野地区の盆踊りとじゃんがら

2007年08月19日 | 徒然
 15日に誘われていわきの山の奥、遠野地区にコミュニティ担当の二人と踊りを見に出向いた。昨年までいわきアリオスの準備担当だったW氏が今年から遠野支所に異動になり、お祭りとか手助けもしていて、見に来ると良いよと言われていたもの。
いわきではじゃんがらは若い人たちの出番である。8月13日は自分の地元で、14.15日は新盆を迎える他の地区の家に呼ばれていって踊り、叩く。
遠野地区では15日の夜は中学校の庭でいくつもの地区のジャンガラが集って踊るとともに盆踊りも行われる。
ここの盆踊り歌はゆるくて単純であるが、それが本当は良いのであろう。簡単でゆっくりな動作は覚えやすい。そして輪の中で一周すると、指先まで行き届いた表情のある振りになっているところなど踊りへのコミットメントを刺激する意味でも見事と言うしかない。今の人たちはもっとせっかちであって、より複雑で変化に富んだ踊りの方を喜ぶのかも知れないが、こういうゆるい感じの踊りも魅力的である。
じゃんがらは、こうやってその年に亡くなった人たちを弔うとともに、毎年毎年このように人の世のものではないものを鎮めていて、だからこそいわきには大きな事故は無いのだ・・と言う話もあるとW氏は言っていた。

 八戸の海岸沿いの丘で行われている墓獅子という新盆の踊りがある(もしかするとすでに行われなくなっているかも知れない)。墓獅子を捜しに八戸に行ったのはもう30年以上も前のことでそのときですら毎年はやってないという話だった。それは間宮芳生の「5つのピエタ」という合唱曲を歌うための下調べの為で、結局現場は見ることが出来なかったが、八戸に住む大久保景造と言う「詩人にしてジャズ喫茶のおやじ」に会いに行ったのだ。彼がその曲の詩を書いていたのである。墓獅子の話もしたはずなのだが、夢を持って東京に出たが故郷に帰ることになったこと、帰ってきてからジャズ喫茶をしながらジャズのコンサートを企画しているといっていた大久保さんのとの話は、ジャズの話と津軽と南部藩に分かれている青森県の文化の違いなどの話に夢中になっていた記憶がある。
 墓獅子は、青森テレビが収録したその様子を見せてもらったのだが、海の見える丘の上でゆるゆると踊る墓獅子とその雰囲気は、いわきのじゃんがらをもっと暗くしたような独特の雰囲気があった。津軽の囃子は明るく勢いがあるが、同じ過酷な風土でも南部の方はもっと暗い。静かな囃子に乗って、太平洋の遠くの方にむかって声を張り上げずに気持ちを送るような唄と踊り。
 特に東風が吹くときの東北は悲惨である。日が昇る豊穣の方向であるはずの海がきわめて危険な存在でもあるという状況は、いわき以上に厳しいものがあったであろう。

じゃんがらは未だ続いている。少なくとも20分くらいは続けて行うので肉体的にも可なりきついとおもう。最近はこれも後継者難だそうだが、若い人たちがこれだけ集まって踊っているのを見て、生命力の強さを羨ましく思うのは旅人の郷愁にすぎないのだろうか。

木の胡桃割り人形

2007年08月16日 | 徒然
池袋からメトロポリタンを越して住宅街の中にはいると目白と南池袋という2つの住宅地の顔を見ることが出来る。これは昔仕事場を置いていた目白と西池袋との間のあたりと似たような雰囲気。通りからあっちを見ればゆったりとした目白の街区であり、一方を見ると、庶民的な南池袋の住宅地にやはり庶民的な小さな商店がいくつか営業している。その間くらいのところにあるのが、自由学園と婦人の友社の建物である。自由学園の明日館という風情のある建物に曲がる角のところに旧東ドイツのエリアで作られているたくさんの木の人形が凛々しく飾ってある喫茶店がある。
そこで判ったこと。胡桃割り人形は、現地でも(多分世界中でも)胡桃を割るのには多分使われていないだろう・・ということである。店の女主人の言うには、胡桃は堅いし(当たり前だ)口で割ると木が傷つくし汚れるから、実際に胡桃を割る人は居ないと思う。ドイツに行くと等身大くらいの大きな人形があり、それなら割れるかも知れないけれどね。たしかに、そこにある大きな人形ならば割れるかもしれないが、やる人は居ないだろう。クララがもらった人形も考えてみると、それで胡桃を割ったシーンはなかったような気がする。子どものクララはきれいな木の人形をもらって単に嬉しかったのだった。
というわけで、某女史のアウトリーチ先の子どもの前で胡桃を割ってみせる・・という望みは、取りあえずがらがらと崩れ去ったのであった。残念。
しかし、そこにおいてあるコレクションは興味深い。パイプを持った人形で、お香を胴体の中に入れると口から煙を吐く仕掛けのものとかいろいろあったが、クリスマスの飾りは見事だった。飾りの一番上に6枚ほどの羽根が付いていて風を受けると、飾り全体が回り出すのである。これは本当は蝋燭立てで、6本の蝋燭を付けると、炎が作り出す上昇気流で羽根が回る仕掛けである。値札が付いていないけれど見事なものだ。


ピアノの周りに座って

2007年08月14日 | 徒然
田村緑さんのアウトリーチの特徴は柔らかさであるが、よく見るときちんと骨が通っている。しかし、この骨はのどに刺さりそうな骨ではなく、ほどよく堅くほどよく曲がる。決して刺さりはしないが常に圧力を感じさせるようなシンの強さがあると感じるが、これはひとえに彼女の性格のなす所以だろう。
音楽活性化事業で初めて小林史真との美野里でのアウトリーチはかなり衝撃的だったと思うのだが、それをどのように受け止めたかはまだ聞けていない。しかし熟考の末に次回の音活のオーディションに応募したことは実は彼女の見かけによらない強靱な性格を物語っていると思う。そのオーディションのときのクルタークの演奏では、単なる上手下手を超えて大人の演奏家としての主張をあらわしていて、他の人たちにないものを感じたのである。

今、田村さんがアウトリーチでやりたいことは、ジャズのピアノバーのように子どもたちをピアノの周りに座らせて(子どもがやや上の方から見えるようにして)、身近な語りかけをしながら演奏することだそうだ。うーん、それは私だって時々考えてはいるのだけれど、いくつものハードルをクリアしないと実現出来そうもない。そうはいっても、いつか、様々な条件と偶然が星の巡りのように重なったときにそれは実現するかも知れない。そういうことを持つことはとても幸福なことだと思う。
そういう話をするとこちらも元気が出てくる。




8月のまつりと林光

2007年08月10日 | 徒然
ほしめぐりの歌が終わったときの開場全体を包む雰囲気がたまらない。

林光といえば、昔の合唱学生から見るといくつかのエポックのある作曲家である。
一つは、水を下さいに代表されるメッセージ性のある曲、もう一つは黒テントの佐藤信の劇中歌、三番目に日本の唱歌などを編曲した叙情作品集である。
50代の人たちにとって、これらはどれもある意味過去の想い出のひとつ。

しかし、作品というのは演奏されるたびに新しく違っていて、別の意味を少しづつ追加していくものだ。それが違う人たちによって数多く演奏されることを宿命づけられたクラシック系の音楽の持っている力である。
第一生命ホール(TAN)はオープン以来この8月のまつりを共催している。それはいろいろな理由があるが、まず東混が旧第一生命ホールで産声を上げたこと、今年28回目の8月のまつりも旧第一生命ホールで始めたこと、林さんのライフワークであり定番として同じ場所で行っていくことに価値のあること、原爆小景が今の時代にとって必要な作品の一つであろうこと、などなど。
昨晩の「8月のまつり」で演奏された原爆小景は、私には、強いメッセージ性とは裏腹に意識的に美しく美しく歌っているように聞こえた。精神的なショックとグロテスクな状況に置かれたとき、それを美しいと感じてしまうような人間の精神の働きを見透かしたように美しく作られた合唱。そういうことを思いだすような演奏だったと思う。

それと、後半歌われた中山晋平の歌たちのしゃれっ気に、敏感に反応していく聴き手がいること。8月のまつりは企画の「世界」が出来つつある。ここ数年そういった印象を強く感じるようになってきた演奏会である。また来年。

本陣

2007年08月09日 | 各地にて
岡山県矢掛町は歴史のある町である。
そもそもこのあたりは、吉備の古代一番の先進地帯の西のはずれくらいに位置していて、もう少し東に行くと吉備真備の史跡や、ある人に言わせると奈良よりも良いという吉備地域の寺院群が指呼の間にある場所なのである。いたこの様な人たちも最近まで活躍していた、という話も聞いたことがある。
今日のお昼は吉備真備公園の一角にある真備大臣神社の横に不思議なたたずまいを見せているうどんやで、それしかない・・と言ううどんを頂いた。美味しかったが、普通神社のそばのうどんやそば屋は、門前にあるのが普通だと思うのだが、このうどん屋は、神社の入り口を左に回り込んだところにあり、門前と言うよりは神社の中、と言った方が良いような位置であるのが不思議な感じであった。
古代はさておき、この沿線は、旧の山陽道沿いであり、江戸時代には参勤交代の列が常に通っていたあたり。矢掛はその本陣のあとがしっかりと残っている。町並み保存もある程度は為されているがまだ徹底できていない、と言う状況のようだ。
とても興味深い街道なのだが、結局ほとんど見る時間はなく、アウトリーチで行くことになると思われる本陣(造り酒屋でもあるようだ)の一角を見せて頂くだけで帰る時間になってしまった。
9月にもう一度行くことにとはいえ、きっと時間がないだろうなあ。

茂木さんの力

2007年08月04日 | アウトリーチ
昨日の音活夏祭りのプレゼンテーションでファゴットのプレゼンを見て茂木さんの人間的楽器学のシリーズを思いだした。ファゴットの性格的な3つの音色のことなど随分参考にされたのではないか。
でも2007年にアウトリーチの参考になると言うことは、茂木さんのやった1999年くらいという段階では本当に進歩的な説明手法だったと言うことになる。改めて脱帽である。
今日は熊本で音楽制作の講座。明日は小倉へ。

音活の夏

2007年08月04日 | アウトリーチ
通称音活夏祭りはOBアーチストとOB館のマッチングイベントである。
音活支援事業を始めて過去の演奏家をOB館が聴いていないことに気付き、それでは支援の意味が薄れると言うことから、機会を作ろうとしたものである。
実際始めてみるといくつかの意義が発見できた。OB館の選択肢が増え公平性が増したこと、OB演奏家の緊張感のあるプレゼンが聴けることになったこと、演奏家同士が他人のプレゼンを聴くことで、自分のノウハウに磨きをかけるチャンスが生まれた・・・等々である。
でも一番良かったと思うのは、ミッションを共有すると言う同胞意識が生まれていることだと思う。いちどに演奏家が集まると言う機会が触媒となり、いろいろな共演や企画が生まれていくのを見るのは、プロデューサーがほくそえむ状況なのかも知れない。
アウトリーチという運動はそもそもノンプロフィットのミッションを持ち、それ故に資本主義的な常識から少し距離がある(正反対というわけではない)。その実際の現場でのノウハウのなかで、所謂コンテンツに分類できるものについては、基本的には共有財産として誰でも使える、と言うのが正しい姿だと思う。
そのコンテンツをどう活用し、その場にいる聴き手との関係を構築できるかというのは、所謂アーチスティックな分野。
だから、音活では極力ノウハウを共有化したいと考えていて(もちろん、それによって金太郎飴になることはあり得ない、と言うことは前提である)、その意味では演奏家同士がお互いのアウトリーチを見るのは理想に近い。とはいえ実際には演奏家の多忙や地理的要因からなかなかできないのだ。夏祭りはそれが幾分でも可能なような空気をみんなにもたらしていると思う。
アウトリーチの手法が共有物だとすれば「著作物的な権利」として守ろうとするのは少し無理があるように思う。世の中にはアウトリーチのビデオや写真などを規制して見せない、と言う考え方の方がいるのは、木を見て森を見ない行為のような気がする。もちろん、一定の権利はあるだろうし、それを誰でもが使えるというのは誤りだが、共通のミッションを持つもの(同志)に解放されていないのはあんまりに悲しい。きちんとした評価もできないであろう。