児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

ただ憧れを・・・

2013年01月30日 | いわき
先週の土日にいわきで行ったバレエの公演。下村由利恵さんにお願いしたいわきアリオスのダンスリレー事業1年目。地元の方達を公募し彼らと数ヶ月にわたって練習をしてきたくるみ割り人形(クララの夢)の公演は1時間40分くらいに縮めて、下村さんが踊りも随分アレンジして、様々なレベルの人が一緒に舞台に上がれるように工夫してもらったようで、楽しめる公演になった。子ども達が最後に本当に頑張って、それをお母さん達が応援して・・・ということで、2回で600名を超える入場者でまあ客席もほぼ一杯に見える満足な状況になった。
今回は、ロビーに集う人や客席内の雰囲気を意識しつつ公演を見せてもらった。歴史を持つ芸術ジャンルがもつ旧来の名作の威力を感じると共に、充分に楽しめる内容になっていたのにある満足を感じつつ、「ただ憧れを知るものだけが・・・」という言葉が浮かんできて仕方がなかった。ただ憧れを知るものだけが、私の心を分かってくれる・・・という小説の登場人物ミニヨンに仮託したゲーテの詩で、シューベルトやシューマン,チャイコフスキーなども歌曲として作曲した有名な作品。
特にそのことを意識して実現した公演というわけではなかったが、ここ2年アリオスがずっと気にしてきたいわきの子ども達の心の問題に対して一つの(あくまでも一つのではあるが)答えを見つけたような気分。
震災後に文化による心の復興が随分言われてきているけれど、この公演では、バレエという確固たる芸術の歴史と質感(これがとても重要)、それに向かう親や子ども達の気持ちが憧れという言葉で集約できるように感じられた会場の雰囲気。
社会学者の井上俊が1989年に発表した論文に、文化(多分芸術も))の社会的な役割として、適応、超越、自省をあげているけれども、今回はその超越の力を見せつけられた感覚。社会の大きな変化に適応する道具としての文化の機能も大切だけれど、自分を大きく超える存在を意識することによる、敬愛や憧れなどの意味もこういうときだからこそ大きかったようにも思える。この憧れというドイツ語はドイツ人がとても好きな言葉だというが、そこにはいわゆる憧れて到達するエネルギーをもらうと言うだけでなく、若干の諦めに近い感情も含まれているという(日本人の私にはちょっと分かったような分からないような感じだけれども・・・)。

長崎のアウトリーチ

2013年01月24日 | アウトリーチ

長崎地元演奏家のアウトリーチ今年の最終回で、クラリネットの田中南美さんは出産とかあって少し時間が空いてしまったのだけれど、今回2年間の集大成のような感じになった。構成はよく考えられているし、彼女は教えるのがうまいという印象。ただ、まだ一つの話しの順序のようなところが整理できていない感じがあってうまくいくときと少し伝わりにくいときとがあるようだ。子どもにクラリネットの音を綺麗に出させるという意味では安心してみていられる(音がでるでないは体験の重要なポイント)

今日の午前中はOBのメゾソプラノ田中絵里さん。彼女は毎回テーマを明確にしてやってくる。愛とか幸せとかちょっと照れてしまいそうなテーマだが彼女のキャラクターには合っていて違和感はない。テーマがはっきりしていることもあってわかりやすい進行で子どもの心に残す術を心得ていると感じた。今日は切り替えの思い切りの良さが非常に良く感心。

午後の木下恒存さんも登録2年間の最後だが、前回からお弟子さんの大学生を連れてきて、それが非常にうまくいっているように感じる。津軽三味線は一種のアドリブの世界でジャズによく似ているのだが、盲目の人の音楽だったこともあってか口での伝承が中心だったので、先生のをまねてそこから独自の個性を作り出していく、というところを子どもの前で実際にやってみせるなどのわかりやすさと、二人のじゃんガラの乱れ弾きで見せる掛け合いというか競い合いというかががはっきりと認識できて,子どもたちも本当に真剣に聴いていたのが印象的。
今回一つ気になったこと。
この時期小学校ではインフルエンザの感染防止のためか子どもたちにマスクをつけさせていることが多くなってきていて、今日も1カ所全員がマスクというところがあった。アウトリーチはコミュニケーションを重視する手法なので全員がマスクだと演奏家としてはかなりやりにくいであろう。今日の田中絵里さんは「音楽のあるところではばい菌は死んじゃうから・・・と明るく、取っちゃおう、とすすめていたが、このあたりは本当は事前に学校との調整が必要になりそうなところだ。コーディネート的にはなかなか難しい問題。

邦楽活性化事業総括公演(ガラコン)

2013年01月23日 | 徒然

今年の邦楽活性化事業では、今までと少し違う風が吹いていてこの分野の音楽的な可能性を垣間見ることが出来る回になったように思う(1月19日)。一つは胡弓という新しい楽器が登場したこと、もう一つは箏中心できた今までに対して三味線3本という新しい合奏の世界の可能性が見えたこと。
個人的には、邦楽という音楽の興味深さが楽器や音色というようなところから一つ進んだ聞こえ方が見いだせるようになって、音楽的な意味での興味の方向性が少しだけ見えたことかな。まだ自分の内面に何かが溜まるような感覚なので言葉にできないのだけれど、感情レベルではそれなりに聴くきっかけとなりそうなものができたように思う。これはクラシックでも古典派までの音楽に感じるある種の人間くさくなさ、共関係があるかもしれないのだけれど・・・。
まあそれはともかく、コーディネーターの皆さんが毎年経験値を上げて安心していられることが大きいのだろうけれど、私の出番は少しづつ無くなっていく気がする。少し寂しいとしてもとても良いことである。初めに組み立てた一定の方向があって、それに具体的な形を与えて来たけれども、抜け落ちていたところとか可能性が広がってきたところとかがいろいろとある。その部分が昨年今年で修正ができて来たが、まだ企画の完成度を上げていける段階だろう。教育分野などからの必要性があるジャンルだけに、この蓄積をこれからどうしていくのかがいろいろな立場の人に求められていくだろうとおもう。

コンサートの構成も今回は、前半にいわゆる古典曲を、後半に近現代の曲をそれぞれのグループが演奏し最後に浜辺の歌(編曲)を全員で演奏するという、コンセプチュアルな進行で聴きに来た人達に今までと違った意味でのインパクトがあったであろう。個人的な感想としては、絃歌、の邦楽的とは違うかもしれないが高度の音楽的な演奏と、のはらうたで見せてもらった古典が培った高い質感を活かす声の力、三味線3本での演奏のスピード感(早いと言うことではなく)の変化による感情の表出など見る(聴く)べきものがたくさんあった公演でした。
これは終了後の全演奏家の集合写真。

平塚市のアウトリーチ事業

2013年01月14日 | 各地にて
平塚市は湘南の中心的な町なのだけれど、なんか小さな市のような印象だったのは、駅が一つしかないからか、文化会館の古さと規模の小ささから受ける印象なのか・・・。でも考えて見れば東海道の平塚宿は名が通っているし、箱根駅伝でも中継所があったな。
ここは2年前から少しずつアウトリーチ事業を始めていて、訪ねる学校の数も少しづつ増やそうという流れなんですが、予算は増やせないだろうしどうするか・・・。コンサートも行えないのでなかなか悩ましいということもあって、まずはアウトリーチ講座を、行政、財団、演奏家、学校の先生向けにやろうではないか,ということになり、13日に講座をしてきました。まあこういうことになったのはたまたまなのではありますが・・・。今回は小一時間という短い時間だったので充分には話せていないけれど、百聞は一見に如かず、で実際に体験もしてもらいましたが、こういうときに一番安心して任せられるのが田村さん。だんだん自分(の話)は不要ではないか・・・と思うくらいです。
いろいろな立場の人がいるときに講座で話すのは悩みを伴うもので、今回もある意味そうだったのですがまあまあだったかなと思います。

終了後食べたイタメシ屋さんがとても美味しくて(郊外だとなかなか当たりにありつけなないので)、平塚の店もなかなかやるな、でありました。ちょっと見直しました。食べ物で見直しても嬉しくないかもしれないけれど・・・。

山県市の北島佳奈さん

2013年01月14日 | アウトリーチ
地域創造のおんかつ連携モデル事業として今年は岐阜の山県市と揖斐川町で行っている。
演奏家は和歌山の北島佳奈さん。兵庫のオーケストラでも活躍中。彼女は少し前からアウトリーチをきちんとやりたいという強い思いがあったそうで、今回は熱意あふれるアウトリーチを行った。まず一番は、子どもと繋がりたいという強い思いがあって(関西の人らしく)それがとても表に出てくるので、インパクトが強いことが最大の強みだろう。それ故にすこし話があっちこっちに行くことがあって、筋が通っているように感じられるのだけれどメモに残そうとすると書き取れない事が何回かあった。まあ話が少し早めであるけれど、子どもとのつながりはがっちりと出来ているたので心配無用であった。今回北島さんは多分一皮むけたと思う。コーディネートを引き受けてくださった中村さんのサポートが彼女の良さを引き出していたのだろう。前日前々日に行った学校の子どもが、親を連れて急遽来るという姿がいくつもあって、北島さんと子ども達家族との終演後の交流を見ていても、学校での交流うまく行った成果を感じて後味の良い会だった。コンサートの最後で一緒に歌うからリードしてね、と子ども達と約束していた「ふるさと」の共演も、スタッフがちょっとじーんとする感覚があって、嬉しかったこともあり危うく新幹線の終電に乗り遅れそうになったりしたけけれど・・・
少し前の記事ですがアップしておきます

いわきの出初め

2013年01月14日 | 徒然
年明けの仕事はいわきからスタートすることにしている。
すると大体この出初め式とぶつかることになるのだけれども、今年も6日の日曜日が出初め。その日はいつも副市長がアリオスにやってきてそのような格好に着替えて、式典に出、そのあと、アリオス前の公園ではしご乗りが行われるのである。今年も好天で穏やかなお昼休みだった。
3年ほど使ってきたカメラが壊れて、これが新しいカメラのお目見えなのだけれど、どうも使い勝手が・・・

明けましておめでとうございます

2013年01月04日 | 徒然
 今年はいわきアリオスが5周年になります(4月)。そんな派手なことはいたしませんが5周年一年間は幾つかの記念企画があります。とはいえ、オープニングのときにもそう思ったのですが、記念事業はこれから行っていく事業の方向性を提示するもので、それと関係なくビッグネームを呼んで派手なことをやることにそれほどの意義を感じないのです(これは私の欠点でもあるでしょう)。
 さて、何十年も継続する新しい会館の基礎を作ると考えると、最初の5年間でまあまあ思い描いた2/3くらいは出来たような気がしますが、でもそれはほとんど自分の力ではない,と思うところもあって不思議だけれど良い気分。今のアリオスは、5周年を前に卵が孵る前のような、外見は何も変わっていないけれど内から何かが膨らんで来るような感覚があります。まあ孵るのがいつになるかはともかく、それが良い方向に行くことを祈りつつ気持ちを持ち続けていきたいと思います。
 最初から5年経過して人事が少し変わり、昨年4月から新しい態勢になったとはいえ、アリオスの基本は変えていないつもりでおりますが、でも、それって自分の中でのことですから外から見ているとどうなのか、というのが本当は大事なのでしょう。まあ人の眼は信じるしかないので、あんまり自分で自分を評価する気にならないということもある(それではいけないのですが)。震災復興や原発の問題も抱えているいわき市では、評価を気にせずにその日一日をしっかりと生きることで未来がある、という気がします。私が大事にしている言葉で、中国研究者の宮崎一定氏が「中国では革命をいうときには社会に大きな変化はなく、本当に革命的に時代が変わるときは昔を見倣うことが大事といわれる」(言葉遣いはかなり曖昧)というのがありますが、そういうのが自分としては好きだな。
 アリオスは今日から営業ですが、まだまだ静かな一日です。明日からの週末は幾つかのイベントがあります。日曜日は恒例の出初め式。

 ところで、いわきで「おでかけアリオス」という通称を作ったのはとても成功していて、市内の関係者でお出かけアリオスを知らない人はあんまりいないだろうと思いますが、そこに包含している内容はいろいろと違います。だからおでかけアリオスは言葉先行で来てしまった感もある。その意味では地元の演奏家とアウトリーチプログラムを共に考え作って行く「お出かけアリオス研究会」はじっくりと育てたい企画。これをやってスタッフも少し変わってきたように思います。第2期の3人が昨秋から見学とか研修とかしてきて、年末に進行案を3人とスタッフで検討したのですが、いよいよ今年2月初めのアウトリーチ実施に向けて少しづつ進めています。私の基本的姿勢は、アーチストがアーチストらしくあるようにする、ことなので、絶対に学校に行くからと言って教育だけからの発想では出来ない内容を作りたいとおもいます。うまく行くと良いね。

あ、このブログ、秋からの多忙で気力が落ちてしばらく休んでいたのですが、これからはまたちょくちょくアップするように努力します。とはいえ次の休みはいつ?