尾道はいい街だよ、というのは多くの文化人や芸術家がいろいろと書いていたりするので、以前から気になる街なのだけれど、来て見ると、やはり不思議な魅力がある。まちの背景にある山、前面にある水(海)。すぐその先の向島、その先のしまなみなどが一望の山の上(尾道市美術館は山の上にある)から見ると、ほかにはない魅力がある。長崎や北九州と一脈通じる世界であるが、より穏やかな感じがするのは,海のせいだろうか。
今回尾道に来ているのは、市長が尾道で音楽祭をできないかというのが最初のだったのだけれど、音楽祭と言っても、今の尾道で1週間ぶっ続けで音楽イベントをやるのは無理があるだろう。だから普及からきっちりとやっていかないといけないだろう。でも芸術的な担保もしたいと言うことで吉野さんにも加わっていただいて企画を立てている。どういうことになるかわからないけれども。じっくりと組み立てていくのが良いだろうと思う。
昨日からクレメンス・ハーゲンと吉野直子さんに来て頂いて、二つの美術館でのコンサートをやって頂いた。クレメンスはこういう感じのコンサートの経験はほとんど無いという。SQだから美術館とかはありそうなものだけれど、ザルツブルクのエリートである彼らはそういう機会があんまり無いのだろう。でも、ゆったりとした時間の中でのこういうコンサートも良いということを言っていたのでほっとした。明日の午後はテアトロ・シェルネ(尾道市しまなみ交流館の600席ほどのホール)でのコンサートである。この会館、10年ほど前に出来たとき、テアトロという名前からいって当然演劇に力を入れるのだろうと思っていた。音楽の瀬戸田があるから尾道は演劇で行くのが自然なのかなあ・・と言う感じだったのだが、今朝吉野直子さんのリハーサルを聞く限りにおいては、音響的に音楽の方が向いていそうな小ホールである。客席のスロープは思いの外急で、それは演劇向きのように見えるけれども、壁とか床とかは明らかに反射を良くして音楽に向いているように作っているのがちょっと不思議な感じである。とはいえ、合併した尾道市が「おんがくの街おのみち」を標榜して事業をして行くにあたって、ベルカントホールとテアトロ・シェルネの二つの会場を南北に持っているのは広がりとして理にかなっている,と考えることもできる。
さて、クレメンスハーゲンと吉野さんが昨日今日とで演奏した、アルペジオーネ・ソナタやドビュッシーのソナタは、作品自体がハープのような発弦楽器に向いていることを確認したという意味で非常に有意義な音楽会だった。ハープとのデュオにあわせるようにクレメンスの音色が微妙な変化をもって動いていくさまは、本当に新しい体験。13年間やったチェロ連続リサイタルでも聴けなかった世界である。
写真は、平山郁夫美術館での演奏の様子。
今回尾道に来ているのは、市長が尾道で音楽祭をできないかというのが最初のだったのだけれど、音楽祭と言っても、今の尾道で1週間ぶっ続けで音楽イベントをやるのは無理があるだろう。だから普及からきっちりとやっていかないといけないだろう。でも芸術的な担保もしたいと言うことで吉野さんにも加わっていただいて企画を立てている。どういうことになるかわからないけれども。じっくりと組み立てていくのが良いだろうと思う。
昨日からクレメンス・ハーゲンと吉野直子さんに来て頂いて、二つの美術館でのコンサートをやって頂いた。クレメンスはこういう感じのコンサートの経験はほとんど無いという。SQだから美術館とかはありそうなものだけれど、ザルツブルクのエリートである彼らはそういう機会があんまり無いのだろう。でも、ゆったりとした時間の中でのこういうコンサートも良いということを言っていたのでほっとした。明日の午後はテアトロ・シェルネ(尾道市しまなみ交流館の600席ほどのホール)でのコンサートである。この会館、10年ほど前に出来たとき、テアトロという名前からいって当然演劇に力を入れるのだろうと思っていた。音楽の瀬戸田があるから尾道は演劇で行くのが自然なのかなあ・・と言う感じだったのだが、今朝吉野直子さんのリハーサルを聞く限りにおいては、音響的に音楽の方が向いていそうな小ホールである。客席のスロープは思いの外急で、それは演劇向きのように見えるけれども、壁とか床とかは明らかに反射を良くして音楽に向いているように作っているのがちょっと不思議な感じである。とはいえ、合併した尾道市が「おんがくの街おのみち」を標榜して事業をして行くにあたって、ベルカントホールとテアトロ・シェルネの二つの会場を南北に持っているのは広がりとして理にかなっている,と考えることもできる。
さて、クレメンスハーゲンと吉野さんが昨日今日とで演奏した、アルペジオーネ・ソナタやドビュッシーのソナタは、作品自体がハープのような発弦楽器に向いていることを確認したという意味で非常に有意義な音楽会だった。ハープとのデュオにあわせるようにクレメンスの音色が微妙な変化をもって動いていくさまは、本当に新しい体験。13年間やったチェロ連続リサイタルでも聴けなかった世界である。
写真は、平山郁夫美術館での演奏の様子。