児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

吉野直子とクレメンス・ハーゲン

2009年06月20日 | 徒然
尾道はいい街だよ、というのは多くの文化人や芸術家がいろいろと書いていたりするので、以前から気になる街なのだけれど、来て見ると、やはり不思議な魅力がある。まちの背景にある山、前面にある水(海)。すぐその先の向島、その先のしまなみなどが一望の山の上(尾道市美術館は山の上にある)から見ると、ほかにはない魅力がある。長崎や北九州と一脈通じる世界であるが、より穏やかな感じがするのは,海のせいだろうか。
今回尾道に来ているのは、市長が尾道で音楽祭をできないかというのが最初のだったのだけれど、音楽祭と言っても、今の尾道で1週間ぶっ続けで音楽イベントをやるのは無理があるだろう。だから普及からきっちりとやっていかないといけないだろう。でも芸術的な担保もしたいと言うことで吉野さんにも加わっていただいて企画を立てている。どういうことになるかわからないけれども。じっくりと組み立てていくのが良いだろうと思う。
昨日からクレメンス・ハーゲンと吉野直子さんに来て頂いて、二つの美術館でのコンサートをやって頂いた。クレメンスはこういう感じのコンサートの経験はほとんど無いという。SQだから美術館とかはありそうなものだけれど、ザルツブルクのエリートである彼らはそういう機会があんまり無いのだろう。でも、ゆったりとした時間の中でのこういうコンサートも良いということを言っていたのでほっとした。明日の午後はテアトロ・シェルネ(尾道市しまなみ交流館の600席ほどのホール)でのコンサートである。この会館、10年ほど前に出来たとき、テアトロという名前からいって当然演劇に力を入れるのだろうと思っていた。音楽の瀬戸田があるから尾道は演劇で行くのが自然なのかなあ・・と言う感じだったのだが、今朝吉野直子さんのリハーサルを聞く限りにおいては、音響的に音楽の方が向いていそうな小ホールである。客席のスロープは思いの外急で、それは演劇向きのように見えるけれども、壁とか床とかは明らかに反射を良くして音楽に向いているように作っているのがちょっと不思議な感じである。とはいえ、合併した尾道市が「おんがくの街おのみち」を標榜して事業をして行くにあたって、ベルカントホールとテアトロ・シェルネの二つの会場を南北に持っているのは広がりとして理にかなっている,と考えることもできる。
さて、クレメンスハーゲンと吉野さんが昨日今日とで演奏した、アルペジオーネ・ソナタやドビュッシーのソナタは、作品自体がハープのような発弦楽器に向いていることを確認したという意味で非常に有意義な音楽会だった。ハープとのデュオにあわせるようにクレメンスの音色が微妙な変化をもって動いていくさまは、本当に新しい体験。13年間やったチェロ連続リサイタルでも聴けなかった世界である。
写真は、平山郁夫美術館での演奏の様子。

おんかつのオーディション

2009年06月20日 | 徒然
今年度は音活のオーディションを何ヶ月か早めて、夏前に設定した。毎回秋の終わりにやると後のスケジュールが慌ただしいということもあるし、来年のプレゼンテーションの前に他の人の実際を見たり、プログラムの組み方を一緒に議論するような機会を作ったほうがいいだろうと言うこともある。実現するかどうかは何とも言えないけいれど、フォーラムを経験してしてきた演奏家との初段の差が大きいことは決して望ましいことではないとおもうようになったこともある。
また、長崎、北九州、熊本などできちんと研修し、考える癖をつけてアウトリーチプログラムを実際に行ってきた地元の演奏家のほうがきちんとアウトリーチのアクティビティが出来る・・というのもいいのかなあとおもうところもある。
実際、5月末の北九州の演奏家のアウトリーチはかなりレベルが高く、このまま音活に出しても決してひけをとらない出来だった。地域で、選抜→研修→見学→実施→反省会 とプログラムを進めてきた効果というのは間違いなくある。経験豊かなおんかつOBならいざしらず、下手をすると東京から派遣した音活演奏家が「なあんだ」と思われてしまうことだって考えられるのである。それは地域の音楽の状況の活性化という意味では望ましいことでもあるとも思うけれど、音活担当者としてはもっと充実してほしいという気持ちもある。両方やっているものとしては複雑だけれどね。
もちろん、それはほんの一握りのことであって、全体としては演奏力もプレゼンテーション力もまだまだ東京集中は改善されているわけではないし、アウトリーチの品質向上計画のような発想はこれからだと思うけれど・・・
でも、今回、一番変わったなと思ったのは、7人の審査員の考え方で、音活という仕組みとその意味や意義のことを多くの人が理解をし、それに必要な才能というかスキルの内容について本気で考えてくれていると感じた事。演奏の後に質問コーナーがあるのだけれど、そこで出てくる審査員の発言や質問の発想が、本当に大事な本質に近づいたことを言ってくれるので、私が話す必要をほとんど感じなかった。それなりに皆さんもこのようなことの経験をする機会に否応なく恵まれていて、常に考えているようになったということかもしれない。審査委員の皆さんが初めてではなく2-3回目だったということはあったと思うけれど、10数年続けるということはそういうことであろう。

カルミナ四重奏団の4日間(SQW Festa)

2009年06月14日 | 徒然
第一生命ホールでのカルミナ四重奏団の4日のコンサートが終了。4日ともきわめて刺激的な演奏会だった。コンサート終了後に翌日のコンサートの切符を買う人が毎回案外たくさんいたのは演奏の良さの証明だろう。今回裏の方は本当に安心して見ていられる状態だったので、ディレクターとしての本来の仕事の一つでもある「自分の企画の首尾をちゃんと聴くこと」ということができて、かつ刺激的な体験だったのだから,まあ言うことはない、と言うべきだろう。
4つのコンサートに掲げられたテーマについても彼らは始めから終わりのアンコールまで、意図が通るように考えてくれていたのが非常に嬉しかった。
結局4日で1500人を超える聞き手がきてくれたのは、考えてみれば過去のカザルスホールでの7回の来日をを含めて最高の人数。750席のホールだから満席にこそならないとはいえ、良かったといえるのではないか。今日のベネヴィッツもまあまあの入りであるし、今回のFestaは最近のSQの事情から見ても良い方であるだろう。

ともあれ、弦楽四重奏の世界が、音楽の質の高さとか音響の最適な広さと思える空間の広さとかに比べて、聴く人が少ない、という矛盾をはらんだジャンルであることは残念ながら認めざるをえない。まあそれだけ贅沢な音楽ともいえるのだろうけれど・・・
それでも、SQを演奏したいと思う弦楽器奏者や音楽会が減らないのは、ひとえに優れた作品とそれを生み出す可能性のある編成の魅力なのだろうと思う。
だから、演奏家も企画者や主催者も、それからお金を出して聴きに来ている人たちも、その神の配剤ともいえるこのジャンルの音楽の存在に対して一種の敬意を持って臨まないといけないと思う。そうでないと、いずれクラシック音楽の中でも早い時期に廃れる可能性を否定できない。一応、そのことは幾分は背負って企画しているつもりだけれど・・・。

カルミナ四重奏団at日本橋小学校

2009年06月09日 | アウトリーチ
今回のカルミナ四重奏団はAIRとして呼んでいるので、コミュニティのための活動が含まれる。それほど多くはないけれど、今日は人形町の日本橋小学校に出かけ4年生のための授業の一環で演奏した。
日本橋小学校は合併を機に新しく作った学校なので建物も比較的新しいし、ランチルームというピアノも入っている良い部屋があり(なんとエアコン付き)、毎回そこを使わせていただいている。音楽の紺野先生もトリトン初期からの長いつきあいで、実験的なこともさせていただいた。彼女は比較的明確な考え方があって、演奏を聴くだけでなく、子供の演奏を聴いてもらい音楽家から感想を聞いてそれを子供の刺激にしたいと思っているようだ。今までいろいろなケースがあったのだけれど、今回は卒業生が作った歌をみんなで歌ってくれた。言葉はわからない筈だけれどカルミナ人たちも歌の表情の変化にイメージをふくらませていたみたいだった。

ヨーロッパの団体はあんまりこういうコンサートの機会は少ないだろうし、子供とのやりとりを重視した日本型のアウトリーチ手法はますますやっていないと思っていたのだけれど、とても良いアクティビティだった。
4曲のうちのどれが一番気に入ったかを調査しているので、後で訊くからね?と言って始めたコンサート、最後に目をつぶって手を挙げてもらい、最後にゲストで入ってシューベルトの五重奏を弾いた娘のキアーラが順位を発表する。訊くときに思い出せるように曲のはじめをちょっと弾く、などというのはおもしろいアイデア。なんか、外国からきた人に言われると本気にしそうだ。これはアメリカでもやったことがあるそうで、アメリカでは現代曲が一番だったそうだ。
とはいえ、学校でもあの突っ込んだ解釈の演奏のおもしろさは変わらない。あの当たり前でなささは、案外学校向きの演奏家もしれないね。

一年

2009年06月08日 | 徒然
今日は昭和音大の授業だったのだけれど・・
「音楽のプロデュースとか言う仕事は大変ではあるけれど、身近で人が死ぬような仕事場ではない。けれど、時にはそう言うことに会うことがある。この仕事は、みんなで作る分業のようなものだから年寄りも若い人も(演奏家から会館の駐車場の案内の人まで)自分の出来ること、能力を出し合うことで成立している。だから、分業であって命令系統ではない、同じミッションを持つ同志と思ってやっているのだけれど・・・。だから、その中の一人が欠けることはとても寂しいけれど、だからこそミッションを捨てられないという気持ちが強くなる」というような話しをした。
学校のあと、秋葉原に寄ってそっと手を合わせて来た。いくつも花束や飲み物などが置かれていたし、報道の人も陣取っていたりしたけれど、なんか、その一角がなにか場にそぐわない空間としてまちの中に忽然とあるような印象にとらわれた。365日というのは雑踏の中では長い時間なのだろう。
でも一年前にも書いたように、共同で事を為そうとしていたひとたちの中から志の火が消えない限り、そのことは重しとしてリアル感を伴って残っていくのだと思う。関係していた人一人一人が全く同じ志ではないとおもうし、それでかまわないと思うけれども、自分の中にある火は小さくても消さないようにしないと。

カルミナ四重奏団の来日

2009年06月06日 | 徒然
カルミナ四重奏団が昨日来日して、来週の土曜日まで第一生命ホールで4回のコンサートをする。カザルスホール時代のはじめに内田光子さんの推薦で招聘して以来、12年間7回にわたってつきあったカルミナQであるけれど、その後はなかなか機会が作れなかった。第一生命ホールでの企画ではカザルスホールの印象を少し弱めたいというどこかの意志が若干働いていたこともある。
彼らとは次回(2年後)何をやるのか・・・というテーマを必ず話し合っていた。来日中のこともあったし、チューリッヒでのこともあった。SQは4人がそれぞれ意見を持っているので、全員一緒に話し合っていかないとなかなか意見がまとまらないのである。ヨーロッパのマネージャーも毎年そういうやり方で企画性のあるコンサートを各地の室内楽協会などにセールスしていて、なるほどと思った記憶がある。
今回は昨年レコーディングで久しぶりに来日したおりに3時間くらいの話し合いをもって、4つのテーマを決めていった。
今回10年ぶりで、音楽的にどのように変わってきているのかとても楽しみだ。一番初めに聴いてすごいと思ったのは、彼らの胸ぐらをつかむような集中力のある演奏で気持ちが異様に高揚するという体験をしたからである。説明しにくいのだけれど、意表を突かれるけれども納得する、という感じだろうか。ある意味では慰撫してくれるような音楽づくりではないかもしれない。しかし、彼らの持ち味はそれだけではなく、今は当たり前のようになってきたオーセンティックな弾き方を採用した音(だけでなく音楽)づくりとか、ハイドンでの自在性とか、カルミナの言葉通りの歌心とか彼らの多様な側面も聴いて、どれもが納得感のある演奏だったこともレベルなので続けてつきあってきた。それに彼らとのミーティングがいつも有意義だったのも自分にとって意味のあることだった。
今回の音楽的白眉は13日の最後の公演(CDが発売されたバルトークとスイスの作曲家の曲とラヴェル)でバルトークは彼等としては日本で初めて演奏することになる。

昨日夜はCD発売に関連して渋谷のタワーレコードでインストアイベントがあった(写真)今日をはじめとして、7日、12日、13日と第一生命でコンサートがある。


長崎の小野明子さん

2009年06月05日 | 各地にて
長崎ブリックホールの担当者(文化振興課)は、直営にもかかわらず比較的長くいてくれるので大変にありがたい。3年で異動とか通常の自治体のルールを意識して長くしてくれているようで、その辺に長崎市の一定の理解と意図を感じる。それも.異動してからも「もう関係ないよ」と言うのがほとんど無いのがすばらしい。コンサートにはサポーターとして進んで手伝ってくれたりもする。
アウトリーチでも、ここ数年地元のコーディネーションはほとんど担当でできていて、細かいところにほとんど口を出素必要を感じない。準備も演奏家のケアもしっかりとしている。こういうところの紙にしてまとめる力というのは本当にすごい。今回の小野明子さんは長崎は初めて。お互い全く初めての対面ははじめこそ緊張感があったのだが、一日たったあとはすでに十分に馴染んでいた。小野さんはここのスタッフは本当に暖かくしっかりしているのでやりやすいと言っていた。
しかし、最近演奏家選びに関しては油断が出来ない。まず、耳が肥えてきている、進行についても価値観があって善し悪しをきちんと見分けるけれども,音楽を聴く耳が以前に比べて抜群に良くなってしまったので、いい人を連れて行かないと・・というプレッシャーは常にある(数か限られているのでお呼びできないからと言ってだめだと判断しているわけではありません。勘違い無きように・・・)。とくに音楽で聴き手をどこかに連れて行く力、というのはとても大切な要素のように感じられる。
今回小野さんとは一日しかつきあえず学校は見られなかったのだけれど、コミュニティでやった演奏はすばらしかった。特に外海の遠藤周作記念館の入口の,丁度教会のようになっているところで行った夕刻のコンサートは、小野さん自身が本当に楽しんで力を発揮していて気持ちの良い演奏会だった。あそこまで自在に自分を解放して演奏している小野さんは久しぶり。すごい底力である。聞けば「祖先が隠れだった可能性があるらしい。それもあって『沈黙』は読んできました」と言っていたからそれなりに思いもあったのだろう。
遠藤周作記念館は沈黙のモデルになった外海町の海沿いの崖の上にある。夕日が美しい。写真の小野さんが演奏している後ろは展示室の入り口。展示室に入ったとことの窓からは、写真では見えないけれど、角力灘の海面が見える。ほぼ東シナ海であって、五島列島はあるといってもその先はすぐ韓国のチェジュ島だったりする。外国を意識することのまれな日本の中では不思議な気分になる場所である。

北九州の演奏家の二年目

2009年06月02日 | 各地にて
前のブログの翌日に行われたアリオスの中劇場のこけらである山海塾は、その完成度や集中力でいわきの人たちを圧倒した、と思う。あのくらいのことができてしまうと、ただただ恐れ入るしかない世界である。それで写真もなくブログにもかけなくなってしまった。

さて、5月末に北九州の登録演奏家のアウトリーチを4本。弦2本とピアノのEM2、フルートの田室氏、歌の松谷さん、ピアノの早川さん。みんな昨年からの方たちなので今年はやや気楽である。
久しぶりのアウトリーチだったが、それぞれ2年目と言うことで流れを少しづつ変えて来ていた。EM2は少しづつ方向が定まってきたような気がする、田室氏は話は訥々としているけれど、上手く子どもを引きつける術を覚えてきたなという感じがする。松谷さんは良くできた構成。逆にエスカレーターに乗った気分であることが気になるほどの出来。早川さんは新しいテーマに取り組んでいる。子どもに突っ込まれるタイプなのでペースづくりが難しいけれどそれを持ち味と出来ればいいと思う。
毎回感じることで以前にも書いたかもしれないけれど、アウトリーチはその人の全体をみていろいろと方法論を考えていく仕事である。芸術や文化の世界は、欠点はそれを逆転の発想で活かせば良い、という比較的自由な世界なのだ。かつて、多くの漫画家は若いときに自分の考えや思っていることを口べたで言えないことが漫画を書く理由だったのではないか,と言う話を聞いたことがある。それを言うと、音楽家は音楽で語るのだから下手な話しをしない方が良いのだ・・という指摘に反論できなくなったしまうのだけれど、うまくいかないところは直して修正するのではなく、別の方向から見ていって、欠点ではなく武器にする方法があるぞ、と考えるほうが道が開ける、とは言えると思う。そのためには、まず隠そうと意識しないこと、そういう自分を客観視すること、すべての性格は武器にもなるし弱点にもなる両面性があると信じること・・・かなあ。
でも、今年の今後が楽しみである。
写真は松谷さんがペールギュントの話しを絵付きで話しているところ、最後にソルヴェイグの歌を歌う。今回のもいずれフィールドノートのあげたいと思うけれども、最近くたびれていて時間を少しいただきたい感じかな。なにしろ、一つのアウトリーチをまとめるのに2-3時間かかるので・・・。