児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

射水市の小学校

2007年11月27日 | 徒然
昨日今日と、富山県射水市でアウトリーチフォーラムの下見。
射水市は1市4町1村が合併して生まれた新しい市。今回のフォーラムではその一つ小杉地区(旧小杉町)の小学校の4校を周り先生と話しをしてきた。
本当は根本的にはそれほど変わっていないのかも知れないが、最近、地域創造の事業のように少人数で小さい場所(音楽室)でというアウトリーチへの認知が学校の先生に分かってもらえるようになってきたのかも知れない・・と思うことがある。まあ、会館の担当者が努力をしている見えない部分が大きいのかも知れないが、コミュニケーションを大事にして演奏家が語り、演奏するアウトリーチ手法の意味を分かってもらえたようで嬉しい。
今日も小杉小学校の校長先生が妙にコミュニケーションという言葉に反応してくれたのが嬉しかった。その日は朝から6時限まで同じ小学校に滞在し、2回のアクティビティと給食を一緒に食べるなどの交流を持とうとしている。まあ「一日音楽の先生」みたいなものだ。でも聴けるのは6年生だけで、ほかのこども達がうらやましがるだろう、という先生の気持ちは分からないではない。何かできると良いのだけれど・・。結局、必要なところに沢山の機会を作ることをどのように何をしたらいいのか、と言うことなのだろう。
しかし、小杉の小学校の廊下やオープンなスペースの広々とした感じはとてもいい。


相模原は広い

2007年11月24日 | 徒然
かつて、相模原というのは横浜線の相模原駅のことだと思っていて、本当に原っぱなんだろうなあと思っていた時代がある。実際にも新宿区に住んでいたので、町田で乗り換えて(それも今と違っていったん外に出て歩くのである)また何駅かあ・・と言う感じ。
実はそのころは相模大野というのが相模原市だと言う認識がなかったので、ある日相模大野に大きなホールが出来ると聞いて吃驚した記憶がある。とはいえ、いまや、兄の家が淵野辺にあるのでそれなりに縁のある町であり、時々行くので相模川に降りていく地形などなかなか魅力的なこともわかってきた。
その相模原市、合併をしていって、ついに相模湖まで相模原市になってしまった。イメージがわかないが、まあ今回の合併は50代の人間にとってはそんなものだろう。文化やそれに近いものを通して場所のイメージを持っていると、似たようなことがあちらこちらで起こっているにちがいない。風景(スケープ)と名前の不一致が修正されるのにはそれなりに時間がかかると思う。住む、ということになるともっとギャップはあるかも知れぬ。
その、政令指定都市も視野にはいる大きな町になった相模原市の文化財団が、来年、学校へのアウトリーチ事業を行うことを計画していて、その相談に財団の人が来た。2,3月にコーディネート側の人とアーチストに講座を持って欲しいという依頼。まあ小学校だけでも80くらいはあるはず(ちなみに北九州は130校くらい)。財団事業として仕組みに持っていくのにはそれなりの覚悟が必要だろうなと思う。
アウトリーチという言葉と内容に関しては、全国的に見てもイメージがやや混乱していると言っていいだろう。特に趣旨としては全く良いことなので、みんなが良かれと思って実践していることを、「こうでなくてはならない…」と強弁することは難しい。そもそも、いろいろなイメージを一つの言葉であらわすことに無理があるように思う。学問的にもまだ「実践に対して先回りをする」というような段階には至っていないことを考えると、一つ一つの実践を良いものにしていく事しか方法はないだろう。元々、極めて地味で小規模な実践の積み上げなのだ。
というわけで、この手の依頼には、忙しくても引き受けるべきだという意識がはたらく。考えれば明らかに自分の首を絞めているような気がするのだけれど、まあ3回だから良いか…。でもいつも同じ事をやるのではつまらないなあ、というジレンマ。


コバケンのレクチャー

2007年11月19日 | 徒然
来年のいわきの新しいホール(いわき芸術文化交流館アリオス)の開館記念の目玉は出身の小林研一郎さんの指揮によるNHK交響楽団の第九である。先週から市民合唱団の練習が始まった。小林さんが市民の合唱を振るのはあんまりなかったと思う。あんまり昔のことは知らないのだが、それこそ40数年前のいわき市民会館のこけらもN響だったと合唱界長老の石河先生が言っていた。この組み合わせはいわきにとって貴重である。
今回は石河先生が中心となり、他の二人の先生との3本の矢のちからで合唱団を指導していく形となった。
昨日の夕方は、小林研一郎さんが来て合唱団のためにレクチャーというかレッスンというか、2時間たっぷりと時間をかけて指導してくれた。これも無かったことかもしれない。厳しいことを言って緊張させたり、冗談を言ってゆるめたり、みんなに発言させて意識を表に出すようにし向けたり、見事な2時間だった。
これから4月20日の公演までどのようになっていくのか楽しみである。

菅家奈津子さんのアウトリーチ

2007年11月09日 | 徒然
菅家奈津子さんとはしばらくぶりである。トリトンではお願いしていたのだけれど、私がいられなかったりとすれ違いだった。
長崎で4回のアウトリーチをお願いして、今日は1日目。小学校2校。
菅家さんは子どもが本当に好きなタイプの演奏家だと思うが、今日の小学校では、進行もさることながら、子どもが好きであることを表に出してうまく行った例だと思う。こういうことは人そのものの有り様に近いことなので、誰もがマネできることではない。とはいえ、今回メモをしていてなかなか新しい発見が多かった。

あと、菅家さんから、今日の2校目で床に座る形式だったことがやはり歌いにくいという指摘があった。これは大森さんも時々仰っているのだが、歌に関しては床座りよりも椅子の方が、演奏する側もやりやすいみたいである。下を見るとのどをどうしても使いがちになること、やはりちょっとくらい感じになってしまうことなどが気になるみたいだ。
小学校の場合床座りは一定の浸透をしているしどうするのが良いのか悩ましい問題である。でも演奏家が歌いにくいと感じるのはよいことではないので、少し修正が必要かも知れぬ。

宮本妥子3年目の幸田(中学編)

2007年11月09日 | アウトリーチ
幸田町と宮本妥子+後藤由里子によるアウトリーチの旅路も3年が終わった。3年間で合計39回のアウトリーチを行い、現在幸田町にいる全ての小学校5年生から高校1年生までが宮本さんのアウトリーチ演奏を聴いたことになる。なかなかすごいことだと思う。充実した成果が残せたといえるだろう。10月のときにも書いたが、今回は幸田町のプロデューサーの本間さんに動物の謝肉祭の詩の朗読を依頼するなど(小学校と中学校別ヴァージョン)なかなか良い関係が築けたのではないか。スタッフが参加するアウトリーチは危険も伴うが、アーチストが芸術に関する強い意志を持っていれば手法としては成立する筈だと思う。音楽本体とコラボするそれ以外の要素を同室のプロフェッショナルでやるだけが能ではないかもしれぬ。

公立のホールにとって、演奏家との本当の意味での協力関係を作り出すのはかなりな難題である。その意味では3年連続して密な関係づくりをしてきた幸田町の努力は拍手ものである。まあ、ホールのプロデュースをする人はこのくらいの関係が自然に持てる演奏家を複数もつくらいのバックヤードを持って企画をしてくれると、幅も拡がっていくのだろう。

宮本さんと初めて会ったときには、切れ味の良い刃物のような凄みを感じたのだが、実は宮本妥子さんは一種の情感を映し出すのに長けた演奏家だと思う。打楽器奏者としては珍しいかも知れない。良いなと思うのは、マリンバのトレモロ奏法で木の板に封じ込められている木の響きをたたいて引き出しているような気がするときである。今回で言うと、後藤由里子さん作曲のディアという曲を、やなせたかしの詩を後藤さんが朗読しつつ演奏したときの暖かみのある演奏は秀逸だと思った。そのような方向を伸ばしつつも、懐に凄味も維持して欲しいと思うのは欲張りか。