児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

長崎のガラコンサート9年目

2011年02月28日 | 徒然

2月26日に長崎のアウトリーチ演奏家によるガラコンサートがあり、なかなか充実した(と自分で言うのもおかしいけれど)コンサートだった。2002年からはじめたので今年で9年目(来年で10年目)になるのだけれど、所期に掲げた目的のひとつである集客力のアップがどこまで実現したかは??であるけれど、その他のいろいろな意味で成果が出来てきている9年間だったのではないかと思う。数字には出にくいのだけれど、まず4回にわたるオーディションでのなかで、昨年と今年の3組の演奏家の意識が高かった(高くなった?)ことで、良いアウトリーチが出来、且つ彼ら自身が充実を感じてくれている、ということがあると思う。住んでいるアーチストの充実感を作るのは非常に重要で、そのためのノウハウを伝える人がもっと地元で育ってくれればいいのだけれど、とりあえずは自分の持つノウハウをどんどん提供していくのが私の役目なのだろう。東京や関西から呼んでいる演奏家も、少しづつ人は変えているけれど、ある程度長崎とつきあい、その状況を知って愛情を感じてくれている人が多いこと(これには長崎市文化振興課の人たちやサポーター、関係者などのもてなしの心、とでも言うべき気持ちのおかげである。この外から来た人への人なつこさというか心地よく帰って欲しいと思う気持ちは長崎という町の大きな特徴であって、それでなければ「さるく博」は成功しなかっただろう)も大事だと思う。それと共に、毎年20数回のアウトリーチをやってきたこと、その中に地元の演奏家が混じっていて,彼らの人脈も使いつつアウトリーチの効果を確かめながら出来ると言うこともある、という状況が出来つつあることは、その拡がりがどこかで還ってくるものだと考えると、パネルヒーターのようにじわじわと暖まっている気がする(そうであって欲しい)

それと共に、毎年20数回のアウトリーチをやってきたこと、その中に地元の演奏家が混じっていて,彼らの人脈も使いつつアウトリーチの効果を確かめながら出来ると言うこともある、という状況が出来つつあることは、その拡がりがどこかで還ってくるものだと考えると、パネルヒーターのようにじわじわと暖まっている気がする(そうであって欲しい)

あと、何度も書いたことだけれど、文化振興課の担当のバトンリレーが非常にうまいと言うことがある。2002年から今年まで9年間で5人もこの事業の担当が変わっていて、普通ならばどこかで意欲のない人が担当したり上司の理解が無かったりで、大きな落ち込みがありがちなのが自治体直営館のさだめなのだけれど、ここではそれがないのである。に不思議。多分事業のターゲットを絞ったことで集中しやすいということと、交代ですべての職員が現場に来て子どもたちの顔を見ていることが非常に大きなポイントになっていると思う。

もう一つ私が感謝を込めて言っておきたいことは、アウトリーチに関しては長崎市での試みが自分にとっても新たな自分の進むべき道への指針となっていると言うことである。多分、地元の演奏家をオーディションして彼らにアウトリーチのノウハウを教えていく、ということも、時間をかけてアウトリーチに興味を持つサポーターを育て、彼らが実際にコーディネートできるような仕組みを作っていくような講座が出来たこと、など実は案外日本の中でもパイオニア的なやり方なのであって、「それをやらせて貰ったのが私の原点」とまでは言わないけれど少なくともとても良いきっかけであったのは事実である。おかげで地域で何が問題でどう言う効果があるか、私に何が出来て何が出来ないのかがなんとなく判ってきた気がする。

招聘する演奏家を決めていくのは、多くのケースでは会館の担当者がやってみたかったり、また呼びたいと思う演奏家を採用していることが多く、最近は私が決めると言うことはあんまり無くなった。私はサジェストはするけれどNoを言う権利だけあればいい、と思っているので、それでうまく回っているときはそれで良いのである。その代わり、演奏とアウトリ-チの内容の質に関してはこっちに責任があると思っている。今年の人たち、田中靖人、白石光隆、高木和弘、宮本妥子、菅家奈津子は演奏の良さで押すことが出来るのと、彼らが本質的に持っている「楽器から出す音本来の力」が強い人が集まった感じがする。だんだん長崎の担当者がそういう指向性が強くなって来ていたのは耳が肥えてきているのだろう。次年度もまた少しづつ変化しながら継続できていくと良いと思う。

写真は、地元濱口さんと田中、白石さんとの共演。こういうことも時間をかけて出来るようになって来た。濱口さんには良い経験だったと思う。

 


北九州のガラ

2011年02月24日 | 徒然

北九州は今年で6年が経ったことになる。はじめはお試しでやってみるところから。2年目からは地元の演奏家のオーディションをして2年づつということになる。今年のアウトリーチガラコンは3期目のうちの二人、ソプラノの山科さん、クラリネットの吉田さん。吉田さんは愛知県幸田町でアウトリーチをした金管5重奏団ロゼのチューバ奏者加藤日奈子さんと親しい友人だそうで、ちょっと吃驚。

東京組は高橋多佳子さんでそれに地元出身のフルート奏者瀬尾君が中川賢一を連れてきていた。瀬尾さんも昨秋にアウトリーチをやって・・・ということになっている。今年はいつも以上にお客さんが多くかつ暖かい。一緒にやるのは無しだけれど、これはこれで良い雰囲気。地元の人も他の人の演奏を聴いたり話が出来たりと良かったという話だった。北九州は今後良いやり方を選択して地域の音楽状況や音楽家を育てていってほしいので、その意味では今年はまず良かったのではないか。最後に楽屋の前で記念撮影。


インタビュアーが「吃驚した!」 高木和弘のアウトリーチ

2011年02月16日 | 各地にて

昨日今日と長崎で高木和弘のアウトリーチを楽しんできた。彼の演奏はいつもぎりぎりに追い込んでくるのがすごいところなのだけれど、それだけでなくメッセージ性が強い。かれは、はじめは教訓っぽいのはいやだよね、と至極もっともなことを言うのだけれど、話し出すと自然に強いメッセージを出してくるのは、結局彼の中に世界観のような物があるからだと思う。良く言うのは大阪の家の小さな畳一畳に譜面台を置いて練習をしていたところから世界でいろいろな人と出会うようになる・・・という話。小さな時にヴァイオリンをやっている男ということで変わり者と見られていたこと、それでも必死に楽譜一枚を通して作曲家と繋がろうとしたこと、それがいろいろな人と出会って、今この場所で弾いていること・・・。その繋がりたい,と言う気持ちの強さが若い人に伝わるのだろう。長崎の前の担当者が今回はなるべく中学校で・・と言い置いて異動したのも判る気がする。

さて、今日である。ミッション系の女子中学校。長崎はテレビ局とタイアップして年間のブリックホールの活動を取材して貰っているけれど、今日はその番組の取材があった。インタビュアーの女性はもうそれなりになれていて、今日もリハーサルから聴きに来ていたのだけれど、演奏前のインタビュー直前に聴いたカルメン幻想曲で感激し、涙が沸いてインタビューの最初ちょっと詰まってしまった。そのときに彼女が言ったのが「吃驚した!」。自分に突然出てきた感情に驚いたみたいだった。高木君のアウトリーチでは以前に「演奏がすごかったので一生懸命覚えていたお礼の言葉を全部忘れてしまいました。ありがとうございました」と言った女生徒がいて、彼とは、それは勲章だよね,と話していたのだけれど、今日の「吃驚した」もそれに劣らないものがあるように思う。

昨日今日はバレンタインの時期でもあり、彼は決して言わないけれど愛とメッセージが大きなテーマになっていた。


チェロコングレス2011

2011年02月13日 | 徒然

日本チェロ協会が主催するチェロコングレス2011が行われている。会場はサントリーホールで、2月11日がオープニングとして、ベテランと若い演奏家によるバッハの無伴奏チェロ組曲全曲(はじめは岩崎洸さん、あと倉田澄子、鈴木秀美さん。若い人は16歳の岡本侑也、中木健二、加藤文枝の3人)・12日は盛りだくさんで、ヤングチェロストプロジェクトとして、高木慶太の企画によってチェロデュオの魅力。オーケストラの弾き方のクリニック(おケスタディ)、180人のチェロストによる大アンサンブル(指揮は山本裕ノ介。とても嬉しそうだった)など。明日の13日はリレーコンサートと称して11人のチェリストのリレー式コンサートである。会場には協会を作ったころの懐かしい顔もあって、今日「20年かかってやっとこういうことが出来るようになりましたね」と感慨深く言われたのでちょっと吃驚。自分はあんまり思っていなかったのだけれど、今回は確かにアマチュアのメンバーが「自分のことではなくみんなのために考え企画する」ということをしてここまでたどり着いたので、20年(というのは嘘でまだ14年くらいだと思う)かかって、というのはあながち嘘でもないかもしれない。予想もしなかったすごい成果であろうか。それと今回は評議員の先生たちが中心となり、多くのプロが参加してその意欲が非常に高かったと感じている。サントリーホールという効果もあったかもしれないが、嬉しいことだ。

昨日のバッハでは、倉田澄子さんの自由で雄渾な3番。もう自分の自由な挑戦をしなくちゃ,と言っていたが、本当にそんな感じ。今日はちょっと予定よりも長かったけれど6人のチェリストによる、デュオを6曲並べたコンサートが秀逸だったと思う。2005年の神戸のコングレスの時に桐朋のアンサンブル、芸談のアンサンブルの合同演奏会がはじめて成立したけれども、その後若い人たちも交流が進んでいると感じた。こういうことは理屈では判っているけれども、知らないうちにどんどん進んでいるのだ。良いことだろう。

アンサンブルコンサートの指揮を受け持った山本祐ノ介はお父さんを彷彿とする指揮ぶりで盛り上げてくれた。彼の良いところがよく出た指揮ぶりでわかりやすく、ダイナミックである。アンコールで客席に拍手を求めるところなど本当に山本直純さんにそっくり。

 

 

 


SYNC IN ART(宮城県美術館)

2011年02月10日 | 徒然

昨年の秋に塩竃に行ったときに離島の小学校の本棚でふと目についた宮城県美術館の普及プログラムの冊子(報告書のようなもの)をたまたま手に取ったら、数ページの中に私がアウトリーチで時折考えていることを刺激するいくつかの言葉を発見し、ちょっと勘が働いて早速地域創造の美術の担当から話して取り寄せて貰った(大体そういうところに行くときは頭の中がアウトリーチモードになっているので、その部分で引っかかったのだと思うが)。ところが、これがなかなか来なかったのである(なんかもう在庫が無くて、何冊かはコピーをしてくれたみたいである。申し訳ないことをした)。2月に入ってやっと届いたので早速読み始めたところである。この冊子は報告書というのは名ばかりで、実は、きわめて公的なミッション性を重んじて行くうちに方法として個人的な世界にどんどん入って行ったとしか思えない齋正弘さんの個人的なメッセージをまとめたものに思える。面白い。美術と音楽というのは全然違う性格を持つ部分と、発想の原点が似ている面とがあって、アウトリーチとかを考えていると、刺激されることが実に多いのである。

齋正弘さんは美術館の世界では有名な人なのだけれど、ずっと気になっていながらまだ会ったことはない。今年定年だと言うことなので僕とほぼ同世代と言うことになる。

宮城県美の教育普及部がそこででやっている鑑賞教育事業は「美術探検」(10歳以上)、「美術館探検」(10歳以下向け)の2本立て(2005年度)。この報告書はまるで、そこで行われる探検の台本のごとしであり、そこに齋さんの考え方や気持ちがきちんと乗ってきている。それがとても個人的に見えるのである。多分この話は彼にしかできないだろう。他の人はその人の流儀を見つけるしかないよね、と思っているのかもしれないが(アーティスティックにはきわめて正当だが・・・)。これがもし美術館の中できちんと評価できているのだとすると、この美術館は少なくともその部分ではすごい(この冊子、2008年3月31日付けのvol9までしかないのがちょっと心配だけれど・・・)。少なくともこの40ページを消化するのは時間がかかりそうだ。

 

 


ステージラボ

2011年02月04日 | 徒然

地域創造のステージラボは今回は奈良。音楽は今回初めてアーチストがコーディネーターを務めた。演劇とかと違って音楽家は多くは実演家であって、演出家ではないので、コーディネートと実演やワークショップをやるのは骨の折れることだと思う。田村さんはさぞ疲れただろうと思うけれども、参加者(受講生)の雰囲気はとても良く、終盤のグループワークはかなりみんなが楽しそうにやっていた。その発表の写真。

終了式には次回開催のいわきへのバトンタッチのセレモニーもあって、せんとくんも参加。

 


アウトリーチのアナリーゼ

2011年02月03日 | アウトリーチ

昨日はステージラボで中川賢一君のアウトリーチ(小学校)があり、そのあとの講座で、アウトリーチ進行の構造解説というのを試みた。自分でやったことはあるが当事者の演奏家と一緒にやるのははじめて。普段から楽曲のアナリーゼをイベント化してわかりやすく行う中川君でないとちょっと頼みにくいことであるが、かなり面白かった。演奏家との場合、これをやることでアウトリーチの組み立ての勉強になる,と言うこともあるし、細部にこだわりがちな演奏家に自分の居場所を理解して貰うのに有効な方法だと思うのだけれど、これを会館の職員研修でやることに、どこまで効果があるか・・という問題はある。

しかし、ディレクションとかコーディネートをする会館のプロデュースに関わる人間が、アウトリーチのなんぞやというところを判っていないと、政策として持続性を担保できないのではないか,と言う気持ちがある。ステージラボで私が常に気にしていることは、会館の職員の対アーチストというものに対する知識や交渉力などノウハウのなさなので、アナリーゼ的内容も(を、ではないですよ)演奏家と普通に話せる人材が育って欲しいという想いがある。音楽は時間芸術なので、どうしても細部に目が行ってしまう傾向があるのだが、それはアウトリーチでは常に状況判断で変化していく物なのでそこにこだわって評価をしても仕方がないのである。企画者もそういうことも含めて認識をしていって欲しいと言うことはある。そうでないと、相手がよほどの演奏家でないと一緒に良いことを作っていくことは難しいとおもうのだ。

ただ、終わったあとで中川君や田村さんと少し話したのだけれど、こういうことを演奏家と話せるというのはよほどの信頼関係を持った同士でないとやはり困るかもしれない・・・という心配はある。演奏者はそれをずいぶん気にしていた。そのあたりは難しい。信頼関係とはこういうことが言い合える関係であるかもしれないが、逆にいえば、どこかで少し突っ込んでいかないと信頼関係を築区ことが出来ないと言うことでもあるから。私の場合、それに至るまでには自分なりにかなり意識的,意図的に動いたり会話をしている,と言うことがある。もちろん、基本は相手に対する愛情であるけれど。それでもうまく行かない相手だっている。

写真は中川君得意の「抽象画を描いて貰ってインプロビゼーションで演奏する」場面