児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

80才の記者の手紙

2006年09月24日 | 徒然
 第一生命ホールも漸く5周年。オープニングデイは11月15日だが、昨日のモルゴーア・クァルテットのショスタコービチチクルスで記念シリーズの幕を開けた。とても良い演奏会だったのだが、それはきっとあちこちのブログで紹介されているだろうから、そうでないことを書く。
 元朝日新聞の記者だったMさんは、私が知り合った20数年前にはクラシックの担当ではなく、ラテ欄の担当だった。タンゴが大好きで、それ故にアコーディオンの御喜美江さんに興味をもってインタビューをしてくださった。それが縁で、ずいぶん長くつきあってきた。カザルスホールにいたころもずいぶんと精神的には応援してもらった。案外辛口なのだが、話しをしていると企画する側の気持ちに同期するような発言をいつもしてくださるので、プロデュース側としては非常にありがたい人である。第一生命ホールにも時々顔を出してくださる。
 昨日のコンサートにも来ていて、久しぶりにしばらく立ち話をした。80才になって、まだこういう新しい挑戦に立ち会えることは、とても幸せだし、とても良い刺激を受けた、と言うことをおっしゃっていた。彼は時々、自分の出会ういくつかのことについて文章にまとめ、多くの友人に郵送で送っているそうだ。「書く」といっても単に折々のことや想い出を書くと言うよりも、もうすこし厳しい姿勢のようなものを感じる。今回も1959年だかに日比谷で聴いたハイフェッツのクロイチェルが衝撃的でクラシック音楽を聴きあさった時代があったのを想いだされたようだった。やはり記者という人生のあり方がなせるものだろう。
 自分のやっていることが、こういう風にある人の生活に意味を作れるかもしれないというのは、非常に幸福なことかもしれない。


アウトリーチの見本

2006年09月22日 | 各地にて
北九州のアウトリーチプログラム。
20,21日は大森潤子さんと竹村浄子さんに来てもらって地元演奏家にアウトリーチを見学していただいた。行き先は小学校2校(2年と6年)とコミュニティセンターと病院。ふたりはどの回も工夫を見せてくれた。このふたりの相性はとても良くて、個性の違いが上手くミックスするのだ。その合間に、11月に行う彼らの学校へのアウトリーチの打合せ。プログラムの組み立てを一緒に考えるのですが、みんな本当に熱心。
ありがたいことだ。
大森さん達のアウトリーチを見て、普通に行っている学校での演奏とちょっと違うということに気がついてくれれば良いと思う。微妙な差なのだけれど。後は、自分で経験して身につけていくしかないので(それは大森さん達もそうだったように・・)それで良いのだと思う。
進行の内容はいずれフィールドノートで・・

瀬戸田(最上君のニューグローブ)

2006年09月18日 | 徒然
 オペラキャットの公演で瀬戸田に久しぶりに行ったので、ベルカントホールと同じ建物内の図書館に顔を出した。
 ここには、音楽活性化事業の初年度の本番スタート直前(98年11月)に急死した盛岡の熱血漢、最上紀男君が持っていたニューグローブ音楽百科事典全20巻?がここに寄付されている。それがまだ書棚に燦然と並んでいるのを発見し、嬉しいと共にちょっとしんみりしてしまった。当時、音楽活性化事業の担当でもあった人が今はこの図書館で働いているので、彼女にも会えて、懐かしい思いをした。
 当時発刊されていたこの事典を個人で購入した人がそれほど多いとは思えないのだが、ホールの一担当である最上君がこれを購入したのは、並々ならぬ意欲の発露だろうと思う。実際、彼とつきあった演奏家はみんなその熱意に答えようとしていた。短期間に演奏家の信頼をこれだけ獲得した地方ホール担当者はそれほど居ないだろう。
 彼は、上司と意見が合わず、その年の春、盛岡市の新しいホールがオープンする直前に全然別の仕事に異動になってしまったのだが、その後も仕事の合間を見ては(と言うよりもしょっちゅう)東京の演奏会に顔を出していた。そのときに彼の熱にほだされるように、始めるところだった音楽活性化事業のコーディネーターを依頼してしまったのだが、考えればかなり無茶なスケジュールだったのかもしれない。
 彼の亡くなった後、ご両親からニューグローブの行き先について相談があり、一番熱心にコーディネーターとして努力していた瀬戸田の図書館に寄付をしようと言うことになったのである。
 瀬戸田の小さな図書館にニューグローブというのはちょっと重すぎるかと思うのだが、「私は案外と重宝して使わせてもらっていますよ」と元担当者の彼女はにこりと笑った。
今年で8年になる。


オペラキャット第3弾(瀬戸田)

2006年09月18日 | 徒然
オペラキャットは、2005年に育児支援コンサートのためにつくった、絵本とこれから子どもが出会うクラシック音楽によるお話つきコンサート。
育児支援でとは違い前半は、ねこに導かれて各楽器の紹介とそれぞれの楽器のソロを一曲づつ聴くというスタイル。後半は絵本オペラキャットと言う構成で、親子向け企画としてアレンジしたもの。昨年の12月にやった長崎でのコンサートも講評であったが、昨日(17日)にやった広島県瀬戸田でのコンサートも楽しんでもらえたと思う。
台風が九州に上陸するか・・という環境であわただしい(終了後東京に帰る必要のある出演者が居て、飛行機が飛ぶか、新幹線が良いのかなど、いろいろと微妙な判断要求されるパターンである。公演中に船の欠航が決まったりはらはらしたが、結局福山から新幹線で帰ってきた。昨日席を確保したときはまだ余裕がありそうだったのに、来た列車は、自由席は150%、指定席にもかなりの立ちのお客様がいる状態だった。
写真は、朝の尾道港からしまなみ海道を臨む。




長岡市のSQアウトリーチ

2006年09月18日 | アウトリーチ
9月15日に長岡市内の2校でクァルテットによるアウトリーチを行った。新潟震災復興祈念記念の企画。メンバーは大森潤子、長谷部一郎ほか。
そろそろ2年ということだが、今回ずっとつきあってくださったタクシーの運転手さんの話によれば、人間だけでなく飼い猫もまだ精神的なしゅっくから立ち直ってはいないかもしれないとのこと。今年、長岡の大花火大会の時には、ドーンと言うおとに以上におびえていたということだ。人間も、表面は平静になっていてももちろんそういうことはあるだろう。
今回行った2校目の桂小学校の2年前は水害と地震、最後に豪雪と大変な一年だったらしい。小学校の子ども達がシャイだったのはそのせいではないだろうが・・・。
なかなか面白いSQバージョンだったので、近々フィールドノートの方に挙げることにします。


長崎はきょうも2

2006年09月10日 | アウトリーチ
昨日に引き続き、長崎でのアウトリーチ。きょうは市の中心地から北に1時間、元琴海町(きんかいちょう、と読みます。ことのうみと呼ばれていつも困ったいたとか)の北のはじのほう、どちらかというとハウステンボスのほうが近いような場所。合併で長崎も広くなった。
市内のふれあいセンターで行っていたころと少し違った感じだったのはやはり遠くてこういう機会があんまりないからか・・。せっかくなのでなるべく多くの人に聞いてもらおうという意識が強いのはうれしいのだが、小さい子供が多すぎるのは、ちょっとつらかったかもしれない。コミュニティとコンサートの間にあるような雰囲気だったかもしれない。演奏してくれたメゾの田中さんのがんばりは特筆に価する。彼女の前向きさが非常にうまく機能したと思う。
明日から、雲仙の下見

長崎は今日も・・

2006年09月09日 | アウトリーチ
長崎は今日は生暖かい風が吹き、何時降ってもおかしくない陽気でしたが、その割には午後降った以外は何とかもっています。沖縄方面の台風の風の影響は、予想よりも少なくてすんだみたいです。
今日は、長崎でオーディションをした地元の演奏家によるアウトリーチ。みんなが悩みながらもいろいろと考えてきたそのアイデアは、それぞれなかなかいいのではないかと思うのですが、それを表現することはやはり大変なのでしょう。実際音活の演奏家でもみんながみんなできるわけでもない。
演奏者が聴き手に対していろいろと想像をすることはよくあるし、それに応じてプログラムをどうしようと考えるのはまあ普通だと思うのですが、聴き手の感情の動きというか、その流れを動的に捉えるのはなかなか難しい技だと思います。
その上に、その場での瞬間的な判断を加えないといけないので、アウトリーチはやはり大変だということができます。

今日は朝から3組のアウトリーチを駆け足で聞いて回り、そこで少し演奏家と話しをして意見を言ったりしておりまして、案外疲れました。
また明日も1件あります。明日は演奏家が病気で急遽代役、という状況でまたまたやや緊張する一日です。

今日の模様はフィールドノートのほうに近々上げるようにします。


御喜美江さんのコンサート

2006年09月08日 | 徒然
昨日(7日)ティアラ江東の小ホールで行われた御喜美江と野村誠、鶴見幸代のコンサートに行ってきました。
ブログを模した、作曲家二人の交換日記風作品が面白かった。とても面白かったのだけれど、作品というものに対する自分の考え方は明らかに古ぼけて見えるのに気がつき愕然としたのであります。そういう新しさが今評価を受けているのだと思います。一方、御喜さんと言う演奏家は楽譜に対して(というか作品に対して)案外徹底してきちんと向き合おうとするタイプで、それゆえに作品の再演というものの価値をどんどん高めてくれる貴重な人でもあり、この作品が今後御喜さんの中でどんな風に成長していくのか・・彼女の2度目の演奏で驚かされたことが再々あるのでとても楽しみです。再現芸術である音楽のだいじな命題でもありますから。

御喜さんにも言ったのですが、カザルスホールができなくなり、大きな環境の変化があった2001年以降(要するに私が離れてから)、御喜さんの音楽というか捕らえ方というか、が変わってきているように思います。コンサートがとても楽しくなった。前から刺激的ではあったけれど、それにかるみのようなものが加わってとても楽しくなった。それを見るとカザルスホールが桎梏であった要素を否定できない。まあ、10数年にわたって同じ箱で毎年やり続けたわけですから、よい面だけがあるはずもない。
かるみというと、御喜さんはなんか納得できないような顔をするのですけれど、彼女の演奏は、ほかのアコーディオン奏者に比して、はねのはえたような躍動感が明らかに小型オルガンとはまったく別の楽器だと思わせてくれる世界の中でも特別な奏者だと思う。それに磨きがかかってきたような気もする。まあ、演奏家についていうのは私の仕事ではないので、ちょっと書きすぎだな・・。とてもうらやましい、とだけ言っておきます。





アーチストミーティング

2006年09月07日 | 各地にて
4日から今日まで3日間、北九州のアウトリーチプロジェクトに参加する演奏家にレクチャーをしてきた。実質は2日。一人がどうしてもスケジュールが合わず、今日単独で短めに話しをしたので3日間になってしまった。レクチャーとか研修とかあんまり言いたくないので、アーチストミーティングという名前にしてもらっている。
このプロジェクトは、地域の若い演奏家に、アウトリーチとコンサートをやってもらおうという企画で、東京から呼ぶ演奏家とともに(共演はなかなか出来ないけれど)市内の学校やコミュニティセンターなど、あちこちでアウトリーチをし、最後に一緒にガラコンサートをやってもらう。その間、いろいろなアドヴァイスをするとともに、一緒にやっている人たちの仲間意識と、ノウハウの共有化が出来れば一番良いと思っている。
今回のお話では、北九州市の財団がどのような趣旨でこのアウトリーチプログラムをやろうとしているかを話したつもりである。そのためのオーディションを8月にしたわけだけれど、アウトリーチのためと言うよりは本当にリサイタルの出来る人を増やしていきたいし、地元の演奏家の力をつけてもらいたいということ。そしてそのために、一つ一つのアウトリーチでの演奏にも本気で臨んでもありたい、ということなどを話し、あとは具体的にアウトリーチのビデオを見てもらったり、みんなに考えてきてもらったモデル的なプログラムについて話しをしたり・・と言うことで、各日4時間程度の時間だったが、集中的に話しをしたのでこちらもかなりくたびれた。でも、演奏家の人たちは普段やってない座学を含むこういう話しを聞くのは、余り多くない経験だろうと思う。ちょっと詰め込みすぎ(too much)だったかな。
でも、実はたかがアウトリーチ!にこんなところまで要求するのか、ということは予想外だろうから、もっと反発やしらけた感じが起こるのかと心配していたのは杞憂であった。みんな、ちょっととまどったとは思うが思いの外熱心に聞いてくれたのでほっとしている。
どこでも、一生懸命である演奏家の考えや悩み、良い演奏をしたいという気持ちは一緒であると言うことが実感できると言うことが、こういう事業を手伝うことの大きな喜びであるとも言えると思う。

皆さんご苦労さんでした。財団の担当も疲れただろうなあ。

アウトリーチを知っている人は手を挙げて!

2006年09月03日 | アウトリーチ
 昨日、新座市の文化・芸術基本方針策定「まちと文化を考える事例研修・交流会」という会でトリトン・アーツ・ネットワークのアウトリーチの話しをさせて頂いた。跡見の曽田先生からの依頼。
 その席にいた(多分)熱心な文化関係者約25名程度に、アウトリーチというものを知っていますか?と問いかけたところ、5人ほどの方が知らないと答えた。これを、多いと考えるか少ないと考えるかは難しいところだが、私はこれはとても少ないと思うのだ。アウトリーチが言葉として入ってきたのが多分20年程度前、特に音楽に関していうと、10年前にはほとんど知っている人は居なかったはずだ。
 長崎では、4年前にダサイから止めようよ、と言っていた「アウトリーチコンサート」という名称が、今や市民権を得つつあるように感じる(まあ、毎年20回程度続けていますから)。
 それほど、この6,7年で浸透した言葉というのは珍しいかもしれない。ワークショップと言う言葉が浸透するのには、もっと時間がかかったと思う。
 それにもかかわらず、アウトリーチと言う言葉の意味と用法をきちんと整理してくださっている人はまだ居ないようだ。事例が先行するあたらしい事業では、そういうことが良くあることではあるが、そろそろ、そこに手をつける人がいても良いような気がする。目的、手法、相手、マネジメントの仕方などから整理をしていくことで、今起こりつつある意味の混乱がある程度収まるやに思える。たぶん、5-8個くらいの新用語が必要になるかもしれない。アメリカでも最近はアウトリーチというカテゴリー的な言い方をすることに、やや慎重な姿勢が伺えると思うのだがどうだろうか。あの、定義好きなアメリカ人がねえ、と思ってしまうところもあるのだが・・・。
実は、アウトリーチは、事例を行う側のコンセプトや手法について自分が良しと思っていることを実現している、と言う現実があって、その上、これはよい、これは悪い、と明確に峻別は出来ないのである(特に善意がその基本に据えられていることであるので、それは意味のないこと、というのはほとんど不可能である)。
だから、実践の場で人と話をしていくときの勘違いとかを減少させるには、コミュニケーションの努力はもちろん必要だ。定義をもう少し狭く取ることで「私のやろうと思っているのはこういうことです」という話しをするときにミッションを共有しやすい、と言うことはあると思う。
 まあ、難しい話しだし、一応教える側にもなってしまった以上「それならおまえがやれよ」と言われると返す言葉がないのだが、一応私は、まだそれを現場でやっている人間でもあるしね。
 新座で話したことも、なるべく客観的にと考えているとはいえ、一つの真理しか言えていないだろうなあ。