児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

誠意の系譜

2006年12月28日 | 徒然
ボローメオSQのニック(ニコラス・キッチン)が今回のコンサート(12/13)のプログラムに、誠意の系譜という文脈で解説を書いている。「私たちは期待に重圧を感じながら生きています。重圧が霊感を与え、能うる限りの最高の結果を生み出す場合もありますが、対象から目をそらされる場合もあるでしょう。自分らが何をすべきか察知し、やり遂げるには、期待を裏切る必要もあるかもしれません」
その文脈の上に、ゴリホフのテネブレ、シェーンベルクの4番のSQ、ベートーベン最後のSQを論じているが、この誠意の系譜には当然演奏家や企画者なども入ってくるはずだね。そのことが感じられる人は仲間として長く付きあいたいと思うし、趣味そのものは合わなくてもいい。そうでない人はちょっと・・というのは当たり前といえば当たり前。趣味であれば自分に合うものだけを選べばいいのだが、仕事と言う感覚で考えると、その「誠意」あたりが考える要素になっていると思う。
系譜は時代的にも繋がっているが、演奏やコンサートという場所からスタッフワークにまで繋がっている。

晴海の第九

2006年12月26日 | 徒然
明日の26日は、晴海トリトンスクエア5周年を飾る大イベント、晴海の第九が行われる。この企画は中央区で第九をやりたいとおっしゃった某区議会議員さんの話と、第九を中学生に・・という玉寿司会長のアイデアの2本の濫觴から始まって、中央区交響楽団やトリトンスクエアをまきこんで一つの渦となった企画である。今年はトライアルであるからオケも管楽器セクションは参加するが基本的には2台のピアノによるもので、それも第4楽章だけ。晴海の名物として行くために来年以降は合唱団は公募、オケ付きで全曲と言うことになるような話しである。
でも、何にしろ、あのトリトンスクエアに入ってすぐのどでかい空間(その上に第一生命ホールがUFOのように乗っかっているわけであるが)を音でいっぱいにする、というのはオープンの時以来だろうしすごいことかもしれない。
明日の18時開演。無料。一応立ち見覚悟できてね。

長崎市のオーディション

2006年12月23日 | 徒然
長崎市が行っているアウトリーチ事業のためのオーディションが今週初めに行われた
長崎市がアウトリーチに取り組み始めたのが2002年だから今年5年目になる。毎年20回強くらいのアウトリーチが組まれ、約半数は学校、半数はコミュニテイで行う。コミュニティはふれあいセンターという場所で行うことが多いが、所謂自治会というか小学校の校区ベースに出来ている小さなコミュニティスペースである。東京から3組の演奏家たちを呼び、長崎の方たちと平行して行っている。
オーディションは今年で3回目。応募者も増え、いい人たちが来てくれるのは嬉しいのだが、層の薄さもだんだんとわかってきた。特に弦楽器系はなかなかである(まあどこに行っても似たような状況だと思うが)。今回は前回の反省から、人数を絞って経験をすこし多めに積めるようにしたのと、この事業の趣旨を考えてやや年齢層が若めの人選になった。
こういうことは毎回状況が違うので、理屈を毎回つけているようで申し訳ない気もするのだが、オーディションというのはこちら側と応募者の状況によって決まるという不思議なものだ。結局その場の誠意の問題であろうかと思った。
これから研修をし、他の人のアウトリーチを見てもらい、自分でプログラムを考えていくことを通じてそれぞれの演奏家が自分のアウトリーチを実践していくことになる。
長崎は、北九州とも幸田とも違う空気があり、町の性格があって面白い。

北九州のアウトリーチ

2006年12月22日 | 各地にて
 11月の末から12月の始めにかけて計6日間、夏に北九州でオーディションをした演奏家たち4組が学校へのアウトリーチ活動を行った。今回は全部におつきあいし、少しアドヴァイスをしたり・・・。
アウトリーチに係わるのは演奏家の性格とか考え方とかも非常によくわかるのできわめて面白い体験。私がお話しした事前の研修でどこまで考える機会が作れたか、それが本当に良いことなのか、という私自身の不安も決して無いわけではないアウトリーチの実戦であるが、4組の演奏家たちはみんなしっかりとした構成を考え、それを紙に書いて進行プランとして持ってきていた。慣れないうちは書くことは安全であるし、そのことで気がつくことも多く(これは私たちも同じである。フィールドノートはそれ故につけ始めたのである)いい加減さがなくなるというメリットもあると思う。
 もちろん、良い筋書が書けたところで良いアウトリーチが出来るというわけではない。それは、いくら楽曲の解釈が完全でも良い演奏が出来るわけではないのと似ている。そういう意味でパフォーミングアーツは、演じる側にとって見れば常に理想と現実のギャップに悩みながら聴き手の前で営むものなのだから。
 見ている私たちと実際聴き手(子ども)の前に面と向かっている演奏家とはそのときの状態への把握の仕方も違うことも良くあることだ。後ろから見ているのでは絶対にわからないコミュニケーションを演奏家がしている事も多いのである。所詮、そこにある芸術的な感興とは演奏家と聴き手の間にしか存在しない。だから、悲しいかな、私の出来ることは、良い交流が出来る最善の努力を惜しまないこと以上の何ものでもないことは言うまでもない。
 こちらのノウハウの厚みがどれほどあるのであろうかと問題もあり、不安もあるのだが、まあ出来るだけのことはやらないといけない。実際、演奏家の謝礼の金額の安さをカヴァーできるのはその部分なのだと言うことに気がついてしまったのでちょっと重圧も感じるところだ。


6年目のアドヴェントセミナー

2006年12月21日 | 徒然
第一生命ホールでは6年目のアドヴェントセミナーが始まっている。
「上手な学生や若手演奏家ならば、普通なら2日程度の練習で出来てしまうコンサートの曲目を10日ほどもかけて作り込んでいく機会を作りたい」という松原さんの望みを実現する形で第一生命ホールとトリトン・アーツ・ネットワークの育成事業の柱として始めたこの企画も6年目になり、今年は初めの年に取りあげたバルトークをメインプログラムにしているが、6年前と受講生の性質も買ってきているかもしれない。その違いも楽しみの一つである。ブリテンのシンプルシンフォニーも面白そうだけれどね。
私はここ数年ずっと全部につきあえていない。こういう企画は「同じ釜の飯を食う」ことが重要だと思うので、べったり付きあっていないとなかなか同じ達成感に至ることが出来ないというジレンマが私個人としてはあるのだけれど、まあおじさんがべったり付くのも鬱陶しいだろう。今回も、14日の初日に話しをしてすぐに長崎に発ってしまったので、帰ってみると音楽が出来つつあって「なかなか良いではないか」と思ってしまう。先生は大変なのでしょうけれど・・・。

コンサートの本番(クリスマスコンサート)は24日の夕方だが、22日には第一生命ホールの昼のロビーコンサートとして受講生と講師陣による室内楽のコンサートがある。また23日には子どものためのオープンリハーサルをやることになっている。興味のある方は是非どうぞ。

思い浮かばせる力(高木和弘のアウトリーチ)

2006年12月15日 | アウトリーチ
本当に久しぶりに高木和弘とアウトリーチの仕事をした。1999年の甲賀町が最後だと思う。だから、昔のようにやってくれるのかちょっと心配もあった。11月に彼と東京であって話しをし、大丈夫だと思っていたとはいえ、今日演奏を聴いて安心した。高木和弘は健在である。
彼は音楽活性化事業の一期生。まだ、音活がきちんとした体をなしていないころのつきあいである。そのころ彼は学校へのアウトリーチをほとんどソロで行くという、今考えればかなり無茶なことをしていたわけであるが、和田山(現朝来市)が今クラシックパークと称してアウトリーチ事業を続けているきっかけになった人である。子どもにヴァイオリンソロのシューベルトの魔王を聞かせたとき、「子どもが最後で『あ、死んだ』と呟いたのを聴き、この事業に本気になった」と今や有名人の「和田山の藤田」に言わしめたのが高木君だからである。
今回は、長崎の前担当者が「和田山の高木君のヴィデオを見てアウトリーチをやる気になった」という話しを聞いて、ではやってみようと、帰国した高木君に連絡を取って決まったのである。
彼のやりかたは、最近の音活に比べれば一種原始的であるし、特に体験させるとかでもなく、普通に話しと演奏で作っていくものである(今日の中学校での話しはフィールドノートに載せた)。見ればわかるように、演奏がメモできないように話しも完全に伝えることは出来ないのは仕方がない。彼の場合、その場で話を作っていくため、書ききれないだけでなく、ちょっと話しが整理できていないのであるが、しかしきちんと言いたいことは伝わっている。それは彼が話しのテーマを設定してそこからははずれないようにしているからだと思う。そしてそれが彼のやり方である。
演奏についていうと、以前と同じように全力で演奏する姿は相変わらずインパクトがあり、子どもが引き込まれるのがわかる。それだけではなく彼の演奏には「思い浮かばせる力」が強いのだと思う。カルメン幻想曲での場面転換のわかりやすさは他の人にないものである。

高木和弘は大阪で普通高校を卒業後、森悠子についてリヨン、シカゴに留学していたので日本(特に東京)ではあまり知られていないが、ビュルテンブルクのオーケストラのコンサートマスターを辞めて昨年帰国、今は大阪センチュリーと山形響のゲスト、来年からは東京交響楽団のコンサートマスターだそうである。

A-Quadでのサテライトコンサート

2006年12月13日 | 徒然
トリトン・アーツ・ネットワークが今年から始めたAIR(アーチスト・イン・レジデンス)が12月のボロメーオSQで始まった。1週間の滞在でやることの基本は従前とそれほど違っていないのだが、演奏家をスタートラインとして、地域に何が出来る?と考えるやり方である。
またホールの出先的な意味合いと、アウトリーチとホールの間を接続する企画の一つとしてのサテライトと言う考え方も導入している。今までコミュニティで一般向けのコンサートはあんまりやっていなかったので、これはそれなりに冒険的な企画である。
昨日の夜、竹中工務店の東陽町の本社ビルの中にあるA-quadでボローメオSQのミニコンサートが行われた。竹中工務店は第一生命ホールを建てて下さった建築会社であり、トリトン・アーツ・ネットワークの支援者の一つであるが、東陽町そばに2年前出来た本社ビルは、デザイン的な新しさだけでなく、きちんと省エネのモデルにもなっている。
正面玄関を入ると受付の横にA-quadなるギャラリーがあり、主に建築に関係のある展示会をやっている。今は都市の記憶、と言うタイトルで村井修の写真展をやっている。昭和中期の日本の風景の写真展。かつての中央郵便局や昔の新宿の町並みなどの東京の景色だけでなく全国のいろいろな写真があって非常に面白い。
http://www.a-quad.jp/main.html
空間を意識したボロメーオSQのヴァイオリニスト、ニコラス・キッチンが、ゴリホフ(ゴリジョフ)のテネブレの宇宙的な拡がり感を解説しながら演奏。
ややハードな内容であったが、100名を超える社員や地域の方が楽しんでくれた。ギャラリーでのコンサートは、ギャラリーの特性を活かして新しい感覚を楽しむような内容にするか、地域の人の楽しみとして親しみやすい内容にするか・・ということで悩むところだが、継続していけるようにしたいものだ。


キラリ★かげき団旗揚げ

2006年12月11日 | 徒然
昨日、埼玉県富士見市のキラリ★ふじみで歌劇団の旗揚げがあった。
この会館は今年4年目、来年の5周年に向けて「オペラ」をやりたいという市民の希望があったのだ。これは、オープンのときに第九をやった合唱団の人たちの期待でもあったのだが、今回立ち上げた「オペラ」は、イタリアやドイツのオペラのイメージとはちょっと違う肌合いのものだ。
もちろん予算の制約や、平田オリザが築いてきた演劇での実績とイメージとどのように折り合うかと言うこともあったように思う。
さて、今回の「かげき団」、オペラシアターこんにゃく座のノウハウがいっぱいに詰まった団体であった。まだ、これからの部分もたくさんあるが、これが上手く繋がっていくと来年9月の公演はかなり充実したものになると考えても良いのではないかと思う。
これはオペラ合唱団ではないし、だからといって二期会のような歌劇団でもない。
ミュージカルとも違う。だからそれなりに当惑する人も居たかもしれないが、他では見ない面白い試みだと思う。まず、みんなが歌う「団歌」がある。合唱はするのだが一人でも歌うし、そのときにはひとりひとりがオペラ歌手?として個性を大事にする。こうやって作ってきたであろうこの団体は、最後に上演した宮沢賢治の「よたかの星」でその良さを発揮できたのではないかと思った(少し事故はあったけれどね)。案外ほろりとしたりして。
こんにゃく座は30年ほども日本語のオペラを目指してやってきた団体だが、独特のノウハウがある。ただ、このように公共ホールと組んで歌劇団を作っていくという試みは多分はじめてなのではないかとおもう。ここに豊かな鉱脈を発見したような気分である。

地元演奏家のオーディション

2006年12月09日 | 徒然
今年、ホールがアウトリーチを絡めて地元演奏家との関係を少し変えていこう、という事業に3件関係している。長崎、北九州、愛知県幸田の3カ所である。この仕事は面白い。

コンセプトは3つあって、
1,地元演奏家の演奏場所を作るためではなく、資質向上のために行う。アウトリーチのためではなくあくまでホールでコンサートをやってもらえるほどの人材育成をしその機会も作る。
2,競争があり、力のある演奏家には機会がある
3,アウトリーチを通じてコミュニケーション能力を高めるための研修機会がある

今まで、ホールが地元の実演家とつきあうのは多くの場合「団体」であったがこの事業はなるべく「個人」であることでホールの考え方も少し変わってくるかもしれない、と言うこともある。
事業としては、まずホールはその意図を明確にすることから始まるが、やることは、
オーディション、研修、アウトリーチ実施と点検(研修に近いか・・)、コンサート(まあジョイントスタイルにせざるをえない)の順番である。


多分こういうことに対しては疑問や反発があることは予想できるし、やってみないとわからないことも多い。まだまだ途半ばあるが、こういう制度は多分ある程度時間をかけないと定着しないだろうと思う。

昨日(8日)は愛知県幸田町でオーディションがあった。審査員は私と松原千代繁氏と宮本妥子。幸田町は岡崎と蒲郡の間の町であるが、名古屋の演奏家の人もずいぶん参加している。聴かせてもらっている私たちにとってはある意味本当に勉強になる。しかし、木管5重奏にピアノと歌を入れるとか、歌ふたりとピアノふたりとヴァイオリンというように、何故大きめのグループで申し込む人たちが多いのであろう。確かにアウトリーチ先への質的責任という意味ではその方が安全なのでつい選んでしまうのであるが、これで本当に地元演奏家の資質向上に役立つのだろうか、と言う疑問もぬぐいきれない。クラシック音楽を人前で演奏すると言うことはもう少し厳しいものだという気もするのであるが・・

明日は朝来市でコンサートである。早起きせねば。


むしろありすぎる

2006年12月08日 | 徒然
先月届いた神奈川プレスに大野慶人さんのインタビューが乗っている。ソロダンスというものの基本は個を作ることだ、と言う話しをしていて、
「たいていの人は、何も持っていないのではなく、むしろありすぎる。そこから無駄なものを消す作業をしていく。そうすると、誰でもない誰にも似ていない、あなた自身が浮かび上がる。・・今の時代、個というものが無くなっている。そういう時代にこそ一人ひとりの、かけがえのない大切な時間を見てもらうことが大切なのだ」ということを言っている。非常に興味深い。こういうのを価値として社会が持てなくなってからずいぶん経ったような気もする。どこかで道を間違っているかもしれないという不安に襲われる。所詮芸術文化に触ることはその辺の矛盾も一緒に飲み込む覚悟は必要なのであろう。
企画でも、何か上手くいくとみんなそれに付け加えたがる。でも企画は「少し(少しですよ)足りなくて何かを削らないといけない状況の方が良いものが出来る」ということはカザルスホールでずいぶん学んだ。もちろん足りないのはお金だけではなくいろいろな要素がある。ただ、削っていくと、どこかから先は赤い血が吹き出してくる。こういう場合の、際の判断というのはなかなか難しい。
その上、企画の質や個性と経済の原則ではやはり乖離があるようなきがする。