児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

IWAKI COFFEE2

2007年05月13日 | 徒然
いわきは大体週に2日はたらく約束である。
朝は8時25分から朝礼、夕方は17時15分終業だがみんなと食事をしたりすると夜になり、コーヒーを飲むような時間はなかなか無い。なのでこのシリーズもどこまで続くやら。
土曜日の帰りしなに入った駅のそばのB(キーコーヒー)。
サイフォン式で入れている。やや酸味の強いブレンド。コーヒー豆のせいかやや香りが足りないように思う。

もう一つ、地元のかたがみんな買いに行く・・と聞かされた「ブラウンチップ」。いわきの中でも有名な店らしい。いわき出身のブラジル移民の人が作った農園の豆で、大手の輸入商に牛耳られていた珈琲豆を一緒に売るようにしたのがはじまりとのこと。荻窪にもこの豆を売っている店があるらしい。一度行ってみないと・・
小さな店で、所狭しと生豆がおいてある。これを選んで自分お好きなように炒ってもらう。実は買おうと思ったのだが時間が無く(20分が待てなかった)て、また今度といって帰ってきた。まあ、こういう売り方をしているのは豆に愛情があるからだろう。



ほっと

2007年05月06日 | 徒然
今日は各地とも初夏のような(考えてみればもう初夏ですよ・・)天気で、夏日はもちろん真夏日も飛び出すような気候だったようだが、京都も暖かかった。祇園あたりも人がいっぱいで、京都ってこんなに人がいたっけ?の状態である。風情どころではない。考えてみれば、京都にこういう時期に来るのは初めてかも知れない。でもちょっと行けば緑が豊富なのが東京と違ってさわやかである。実はとんぼ返りの日程を買えてちょっと見物とか思っていたのは全然読みが甘かった。宿も新幹線も一杯で変更すら出来なかった。
今日は音楽活性化事業の実質的なボスである小澤櫻作君の結婚式が蹴上の都ホテルであった。多忙な人のスケジュール調整はとんでもなく大変だったと思うが、そんなこんなで少数精鋭型の披露宴。
新婦の佳子さんとは、トリトン・アーツ・ネットワークの主催する育児支援コンサートで打楽器の演奏をお願いしたのがもう3年以上前になる。ぴしっとした芯の強さは打楽器奏者のメンタリティかも知れないが、気持ちの良い演奏家のひとりである。
小澤君にはずいぶん前から「他の可能性が考えられないならば早くせないかん」といっていた結婚なので、廻りも私も「ほっと」した。とは言っても、小澤君の生活はこれからもほとんど変わらないのではなかろうか・・。結婚生活は努力半分、性格3割、運が2割。前の2つはもうわかって居るであろうから、あとは幸運を祈るのみ。





歳を重ねて言えること

2007年05月04日 | アウトリーチ
 トリトン・アーツ・ネットワークがスタートしたのは2001年の5月だから、もう6年が経過したことになる。第一生命ホールの再興という基本的位置づけを持ち、それをスタート地点として作られた憲法のようなものを身に纏って始めたホールでの事業計画であるから、いろいろと面倒なこともあるが、常に自分とそのことを摺り合わせていくというストレスは決して不幸なことではない。スポンサーの意向とか演奏家の意志とか、聴き手の反応とかとかだけで割り切れないものがあって、それは一体何なんだろう、と考え続けることに意味があるような気がするし、それ故出来ることもある。
 おおよそ、文化や芸術など、人間の営みというものについて扱おうとする仕事は一筋縄ではいかないのだ。それは、風船に水を入れて持とうとするのに似ているといつも思う。強くつかんでも持ちきれないし、角を立てれば破れてしまう、そっと持とうとしても、常に重心が移動するので扱いにくいことこのうえない。風船と遊びながら、これを捕まえることが自分の目標だったのかどうかすらだんだんとわからなくなっていく。結局はその結果ではなく、過程のすべてが意味を持つ様なものだろう。逆に言うと、刹那的とも言える事にこそ価値を見いだすのとほとんど薄紙の表裏のような気もするのだが・・・。

 邦楽オーケストラである日本音楽集団の方とじっくりとミーティングをしたのは3年振り。中央区にあるホールの必然として日本の古典にも関わっていこうというホールの思考のの中で、邦楽にほとんど無知な私たちはどのようにやっていけばいいか、という事の方策の一つとして、旧第一生命ホールにも縁のあった日本音楽集団の中立性に賭けてみたかったということがある。3年前に共催事業を続けていくためのハードルとして自分にも(多分集団にも)課したのは、音楽家であることを追求する集団と仕組みを作ることのミッションを感じている私たちとの間で、公演のあり方などをきちんと話をする機会を作って腹蔵無い意見交換をすることだった。自分たちだけでは考えられないものが生まれるのではないかという気がしたからである。昨日はその再確認でもあった。
 3年前に第一生命ホールで行う定期公演の考え方を突っ込んで話し、その中から「言葉と切り離せない出自の邦楽というジャンルに、別の視点から言葉を絡ませていく」という方向性が生まれた。昨年の「呑気布袋」はその成果の一つである。実は音楽団体の公演というものにはもう一つの指向が隠されている。それは、ある作品をきちんと定番化し世に出していくということであって、今年秋に行う竹取や育児支援で構成した絵本とのコラボ「ヘチとかいぶつたち」などは、そういう意味も持つのではないだろうか。
 それとともに、コミュニティ活動と公演の橋渡しをするために何をやればいいのか、というのはここしばらくの自分の課題である。サテライトなどの仕組みは作ったわけだが、もう一つ、構成や演奏家が発する「気」のありようをもっと強めることで、聞くことの面白さを伝えたいという事を一緒にやってくれる人がいると良いのだけれど。
昨日のミーティングでは、日本音楽集団はそれをやるだけのポテンシャルがあると思うので、何かもう一歩踏み込みたいという気持ちが強く、かなり失礼な事を言ったような気がする。隣でちょっと戸惑っていたスタッフもいた様な気がするがだれも止めてくれなかったからなあ。でも、これが言えるのは5年間のつきあいがあるからである。他の演奏家の皆さんにはちょっと言う勇気はない。


 

恒例

2007年05月03日 | 徒然
3回目にして恒例と感じることが出来るのは素晴らしいことだと思う。実際、クラシックの業界的にはかなり定着し「あそこにいればこの世界での主立った活躍をしている大抵の人に会える」という状態になっている。その意味でクラシック界のお祭りとして、業界内交流を深める格好の機会でもあるのである(ただ、K本の方だけはかなり疲れていらっしゃるようだとのこと)。
あ、もちろんイベントしてお客様にもきちんとアピールしている。テレビでもずいぶん紹介して居るみたいだ。お客様たちにとって、これが恒例になっているかどうかはちょっとわからない。でも、それはお祭りでは重大なことではないかも知れぬ。お祭りというのは幾重かの輪によって成立しているもので、富岡八幡の3年にいちどの本祭りでも、当然人の輪の重層性はあるわけだ。それぞれの町の睦の人、神輿を担ぐ事を楽しみにしている人、水を掛ける人、見物に来る人など。クラシックの祭りだってそういうものだろうし、それで良いのだと思う。
今日は有楽町のすぐそばまで行って人と会っていたのだが、結局、寄らないで帰ってきてしまった。ごめんね。