児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

長崎のアウトリーチプロジェクト

2007年02月25日 | 各地にて
長崎のアウトリーチのプロジェクトは4期目に入る事になった。初めの年はフェスティバル風に行ったが、2年目から地元演奏家もオーディションで起用するようにして2年づつ2期が終わったことになる。昨日今日と、2007年度からの演奏家3組とのミーティング(研修と言うのが恥ずかしいのでアウトリーチミーティングといっている)。
ちょっとジャズっぽいトロンボーン奏者、やや軽めの声のソプラノ、ソプラノとヴァイオリンとピアノのトリオ、という3組である。話しをしていてもなかなか面白いことができそうである。ジャズの演奏家が入るので、学校なのでどうやるかちょっと興味深い。
ミーティングは、1日目はアウトリーチ活動の動向と考え方の話しをしビデオを見てもらう。2日目は宿題にしていたプログラム案をみんなで(といっても残念ながらその人と私でに近いが・・)話し合い、実際的な考え方を具体案で詰めていく、という内容。
上手く伝わっていると良いけれど、最近「わかりにくい」といわれているので・・


長崎市もブリックホールもこれから組織の改編や指定管理などの可能性に向けてどうしていくのか、という課題を抱えつつの状況であるが、とりあえず、アウトリーチの回数は若干増えそうである。ふれあいセンターや学校からの希望も昨年はかなり多かったそうで良いことだ。


大フーガのあとのアンコール

2007年02月23日 | 徒然
21日。パシフィカ・クァルテットのすばらしかったコンサートのラストピースはベートーヴェンの作品130(大フーガ付きの演奏)だった。まだ未完成な部分もあるけれど(と言っても本質的にレベルの高さはすごいのだが、それ故まだ先がありそうに思わせてしまうようなベートーヴェンだったわけだ)
打ち上げで、大フーガのあとに何をアンコールにするか、と言う話になりいくつかの説が出た。もちろんやらないというのもかなり有力である。彼らが選んだのがバルトークのピチカートの楽章。大フーガの余韻をどのように扱うかはたぶん10人の演奏家がいればそれぞれかなり違う選択肢があるのではないか。でも演奏家はそのくらい演奏に対して考えているものなのである。

物事、特に動物がなす行動にはことばではない気配というものがあって、それを感じ取り理解することが人間が生きてくうえで大事なのである。というのはまあ常識(かな?最近ちょっと心配だけど)
たとえば、コンサートが終わって、盛大な拍手が続く、アンコールをやってそれでも拍手は続いている。もうアンコールで演奏する曲はない。と言うときに演奏家や舞台袖のスタッフはどうするか。そのときの方法はいくつかある。
一つは気が済むまで何度でも舞台に戻る、と言う方法。これも確かに有効な手段であるが、別の方法もある。たぶん音楽の舞台関係者だったら、即座にいくつかの方法を言うことが出来るでしょう。演奏家が話す、客電をあげる、舞台の明かりをあげる、演奏家がバイバイの仕草をする。最近一番多いのは、舞台の前っ面に並ぶ・・・などなど。
とはいえ、そのときにどんな方法でやるかによって、客席の一人一人の気持ちの有り様は微妙に違う。芸術的な感興がもたらしている人の感情はかなり細かく微妙である。まあ、どんな方法でも大差はないと言うのも間違いはないが・・・
それを選ぶのは自分だとすればどうします?
もちろん、常識的なルールというのはあって、それはある意味客席も安心にさせる意味はある。でも、それは客を普通の世界に戻してしまうと言う効果もある。客の年齢や動向にもよるし、プログラムにもよるでしょう。
でも、私たちスタッフも、それをどうでも良いことにしない、人任せにせず気配としてのメッセージを出すというのもあり得る選択かも。

愛知県幸田町

2007年02月18日 | アウトリーチ
愛知県の幸田町のオーディションでは、名古屋地域の3つのグループが選ばれて、2月15,16日に町内6小学校の2年生(1校だけ3年生)へのアウトリーチを行った。
ここの会館の担当者が過去2年間築いた先生や学校との関係のおかげかどうか全体に良い感じで行えたと思う。地元演奏家であることの良さは演奏家が下見に行けることだが、その下見はほとんどがお昼休みをねらって行われ、中の数人の演奏家は実際楽器を見せたり、ちょっとだけ演奏したりという事をやってきていた。これが当日の演奏家と子どもの関係に大きな影響を与えていたと思う。お昼休みに行って打合せだけでなく生徒とある程度の時間を確保したことは担当者の大きなヒットである。そのせいなのか、先生の理解が進んでいるのか2年生たちの関心ははっきりその楽器たちに向かっていた。
3組の演奏家が比較的大きな編成のグループばかりになったのは、個人的にはやや引っかかるところもあるのだが、各チームのアウトリーチ内容は悪くない。みんながそれなりに様々考え、仲間内で議論をしてきた形跡があって、ある意味頼もしさと清々しさを感じた。それはいずれブログで紹介する。

高橋多佳子さんの充実

2007年02月14日 | アウトリーチ
高橋多佳子といえば2年前、長崎市諏訪小学校でのアウトリーチがきわめて印象的だった。長崎市の担当も強いインパクトを受けていたように思う。こういう事業は高橋多佳子が一方的に良いことをやればいいアウトリーチになるというわけではないので難しいのだが、諏訪小学校での高橋多佳子と生徒の間に出来た或る関係は彼女のアウトリーチ史上でもエポックになりそうな気がした。今年、彼女は少し新しい事に挑戦しようとしていた。空港から長崎市内へのタクシーの中で、今年は展覧会の絵の一部を(少し長いけれど)やってみたい。あれは絵があるのよねえ、というので、ブリックホールに着いたあと、会館の岩永氏とWebを探って2つの絵を印刷した。バーバヤーガの小屋とキエフの大門である。これを見せながらの南長崎小学校でのアウトリーチはネクストエポックになるような出来だったと思う。本当に子どもとの距離の取り方が自然になった(それは近々フィールドノートにのせる)
ガラコンサートの翌日、「舞台裏おじゃま塾」という芸術舞台を応援する市民の勉強団体(長崎伝習所という市民の研究研修を支援する市の助成金があり、それに応募してスタートした会)が主催した研修会でも高橋さんに模擬アウトリーチをしていただいたが、40分位で良いよ、といっていたのに60分近くもやってくれて(私の話す時間が少なくなって楽をした?・・)、それも一番の熱演。ありがたいことだ。

2000席の圧力(長崎のガラコンサート)

2007年02月12日 | 各地にて
長崎でアウトリーチ活動を始めてから5年が経過した。その間長崎の状況はどのようになってきたのか、というのは実は年に7回程度しか訪れない私に判るわけではない。こういうものは、ホールに来る客が突然増えたとか、クラシックCDの販売の向上率が何故か全国一になったなどという現象面では顕著にはならないものである。従って、その効果のほどは、そこに住んでいる人たちが生活の中で感じる気配のようなもの、音楽会での雰囲気の手応え、演奏する側の意識の変化など目に見えない変化を感じとれる力がないとなかなか感じとることが出来ない態のものである。評価というのも常にその能力を試されている、ということが存在し、従って評価する側が常に偉い、という世間の常識を逸脱している。
まあ、評価という手法はつねにその現場との相互的な緊張感が必要だし、その緊張感を作り出すダイナミズムこそが評価そのものでもあるのではないか、と思う。そんなことをしていたら評価は出来ないではないか、という声があるのは承知の上で、停止したものを見るような見方に陥りがちなこの分野ではあるが・・。
トリトン・アーツ・ネットワークが評価を事業として掲げたのには(少なくとも当時の私個人としては)そんな意識がかいま見える。
閑話休題

一昨日に5回目のガラコンサート(アウトリーチで今年出演して頂いた、東京組と地元組の演奏家によるアウトリーチ活動の集大成としてのコンサート)がブリックホールで開催された。今年は、2000席の大ホールでのコンサート。2000席というホール自体は日本各地に存在するが、そこでひとりとか少人数で演奏するという機会がある人は日本でもそれほど多くはいないだろう。
今回は、その威力をずいぶん肌で感じることが出来た(本当に私にとってもいい体験)。演奏家の人たちもそれぞれ、自分の前に広がる空間の大きさと戦うことに大きなエネルギーを要したと思うし、そのことの恐怖と価値も感じてもらえたような気がする。

長崎でアウトリーチ活動をはじめたとき(特に地元演奏家のオーディションをすることに決めた時)に、私個人としていくつか考えたことがある。
1,演奏家にとってその本来の場所が会館である、ということは重要なこととして認識しておこう。
2,その上で、アウトリーチでは演奏家の持つ能力(デモーニッシュなものも含めて)を普通の人に体験してもらいたい。
3,芸術を地元に役立てる、という発想の中にある傲慢さに気をつけよう。
4,毒のない芸術には芸術的な意味で薬にもならない。
5,最低限でも私の経験的な能力(どこまであるかは別として)を、やる気のある地元の人にも同じように活用できるようにしたい。
6,だから、競争は必要だが、ひとたび選んだ以上は一人前の演奏家として尊敬して接するようにしよう。

今年、この4年間である意味で一番ホールでのコンサートの価値を強く感じたので一応記録しておこうと思う。