児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

長崎のシンポジウムとアーチスト研修会

2015年03月16日 | アウトリーチ

長崎の前のブリックホールの担当者が教育委員会の生涯学習課に移動して公民館活動にアートから一石を投じることを考えている。先日演劇の多田淳之介さんをコーディネーターにしてシンポジウムが行われ、私もパネラーとして参加してきた。
市長の「これからのコミュイティ活動はプレイヤーを増やさないといけない」という発言があり納得。コミュニティの専門家である山崎亮さんも「評論家でなく参加者が増えないと」といっていた。なるほど。
実はこの件で昨年にお会いした一瀬先生という方が、話していてピンと来たので、翌日に行ったアーチストのためのアウトリーチの研修にお話しして頂いた。
この研修会は、10年ほど前に始めたときに、研修というのはおこがましいので「アーチストミーティング」という名前にしたのだけれど、まあアウトリーチの考え方、ミッションからどんなことをしていくのかということまでを2日程度の講座で行うのだが、年々2日では短いような気がしてくるのは、多分欲張りになっているからだろう。

 以前からアウトリーチは3種類のプロが作り上げていくものだというイメージが明確にある。音楽と演奏と楽器のプロである演奏家、地域のプロであり仕組みと聴き手というものに関するプロであるホール職員(コーディネーター)、そして、行き先の事情に関するプロ、この3者が協力して良いものを作り上げるというのが一番良くなる可能性が高いとおもう。行き先の事情のプロというのは、たとえば学校など教育現場に行く時は教育行為に関するプロである先生の見識は大事であるし、福祉施設に行くときは福祉のプロの見識が、コミュニティに関してはコミュニティのプロの見識が入ってくることで始めて行く目的が明確になるし、手法を作ることが出来るのだと思う。
 アウトリーチに様々な場所に出かけると、予測と違うことが良く起こる。それは、お互いが習慣の違いとか知見を知らずに物事を動かそうとすることによることが多いのだ。
アーチストが学校に行くときに、教育の知識を無しに行くことはやはり危険である。もちろん、先生の思いをそのまま実現しようとすることで、アーチストが行く意味が変形してしまうこともある。だからといって教育のことを知らないで良いというわけではないだろう。
 今回の長崎では、たまたま出会った先生(今は教育委員会の生涯学習課にいらっしゃるのだけれど)と話をしていて、この人には託せるかもしれない、とおもって突然お話をお願いした。多分音楽には無縁の先生だったのでびっくりされたかもしれないが、その後2回ほど市内で行われたアウトリーチをのぞきに来て、思うところがあったかもしれない。

彼の話をすこし転載する。
1, 学校がアウトリーチに期待すること
夢を持っている子は85%ほどあるが、そのために努力している人は26%。どんな生き方をしたいか、という質問に「その日その日を楽しく生きる」と答える人が中学で39%、高校で28%いる。ということを踏まえて。また、「子供の貧困率」が16%を超えているということを踏まえて。
① 「感化」。人の性質などを、良い方向に変えるような影響を受けて欲しい
② 教育基本法の豊かな情操(美しいもの、純粋なもの、崇高なものに素直に感動するこころ)を培う
③ 「夢」を「あこがれ」に、「あこがれ」を「志」にするきっかけを作る。

2, 授業の準備(学校では教材研究と言うそうだ)
① 教材研究には、少なくとも1時間のために10時間はかけなければいけない(だんだん慣れていくので準備時間は少なくなるが最初は・・・)
② 模擬授業をする。これは先生が生徒役をして、あとでいろいろと意見交換をするのが大事だということだ。
③ そして、基本的な姿勢。以下の8つを挙げておられた(長くなるので書かないけど)
・師弟同行
・率先垂範
・寄り添う
・自己開示
・熱意と愛情
・想像力⇒子供の気持ち/立場/目線
・ほめる、認める
・どらえもん

3,子供には自己肯定感(自尊感情)が必要
自分は(大切な)存在だ、自分は(かけがえのない)存在だと思える心の状態。

途中で、子供が発する質問を見てきたアウトリーチのことから、「小学生はどんな質問をするのだろう」を考え、それに自分だったらどのように答えるかをみんなで考えた。

先生は、翌日の演奏家から出てきたアウトリーチ進行プランの検討会にも出て貴重な意見を言ってくださいました。演奏家を尊敬する気持ちを持ちつつ、演奏家が先生になりそうになるのを指摘し、演奏家の役割をきちんと言ってくれたのがうれしかった。

一瀬裕之先生。本当にありがとうございました。
先生なら誰でも良いわけではないけれども、このように語る言葉を持ち、場を理解した発言をしてくれるある分野の専門家(プロ)の意見は本当に説得力があります。同じようなことを考えてはいるのですが、ああ上手くは話せない。
 多分、他のジャンルでも、こうした目線で話してくれる人がいると本当に良いことが出来るのではないかとおもう。



一年数ヶ月ぶりにブログ復帰します

2015年01月05日 | 徒然
フェイスブックが便利すぎてどうも健康的で無い気がするので2015年からブログ復帰しようと思います。両方できるかどうかは??ですけど、できるといいなあ。まずは手紙形式ではじめますね。
ついでに、サボっているフィールドノートの方もまた少しづつあげていくことにします。いろいろなものを入れるとここ8年ほど年間100回程度の現場にいることになりますが(明らかに多すぎ。もっと別の方向から考えないとね)、まだまだ新鮮なことにもつきあえるので。
アウトリーチプログラムは、それぞれの演奏家が自分と本気で向き合い、時間と才能を削りながら個性を出して作っていくものなので、安易に真似をされるのが嫌、という気持ちは痛いほど分かります。それですこし控えたということもあるのですが、でもそういう人は決してアウトリーチで成長はできないでしょう。


Aさん---

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

2015年はいろいろな意味で変化が大きい年になりそうな予感がします。
それは、世の中のこともいろいろありそうですが(表面的にはなくても深い部分では、今まで当たり前だったことが当たり前でなくなる、という時代の底流がどこで吹き出してくるかという時期に来ていると思います)、私自身についても同じだろうと予想しています。ただ自分の深い部分の水脈が未だよく分かっていないかもしれない。無いかもしれないしね。

時代がかなり危ない状況にあるのは、芸術や文化の分野で生活している人間は一番気にしなければいけない。昨今のように、人間の一つの本能である競争心や生活向上心や単純化の気持ちなど換算しやすいものを中心に日常のムードが作られているなかで、複雑系ともいえる芸術文化がどういう位置を占めるのか、人間にとってどういうものなのか、またどのように提示するのか、ということが問われている気がします。そういう危なさを20世紀終盤まではあまり意識しないで仕事ができたことは幸福だと思うけれども、今はそこまで考えないといけないでしょう。1998年に札幌のラボの最後に「芸術の社会への活用がこのように一般化し、手法が開発されてきたけれど、手法には善悪はない。それ故にそれを扱う人の見識が問われる」というようなことを話した記憶がありますが、手法が両刃の剣であるというその話が10数年を経ずしてよりリアリティを持つようになるとは考えていなかった。

今年は珍しく年末新年と8日間の休みになって、エク・プロジェクトの年末のミーティング以外はほとんど家に居ました。
家に居ても別にすることが沢山あるわけではないのですが、ほとんど毎日朝11時近くまで寝ていたので(宵っ張りも久しぶり)、日常復帰が大変かもしれません。まあ自分の部屋の片付けも例年よりはいささか片づいたかな、という程度。ここ数年いくつかの事由から、荷物を狭い我が家に持ち込んだのでますます狭くなったからとはいえ、もう少し整理をしないといけない。元旦に長男が久しぶりに家に来て予言をして帰ったのですこしせかされてる感もある。

今年の最初の仕事は芸大の授業でさっき学校に行って帰ってきました。5日からと言うのはかなり早いと思うのですが、助手の人が「来年は4日からですよ」。自主的な問題の発見と研究という大学院だから当たり前とは言いながら、こちらからテーマを準備して教えるというよりは、比較的いい(良い?)加減な授業をしてもう6年目です。大学院はある程度絞られた専門分野が対象だと思うのだけれど、アートマのように実学的で多彩多様な範囲の学習の場合、様々な興味を持つ学生が来ているのに対して、自分が一番得意なことを、細かい知識として話すというのは考えられない(というのはいいわけか?)。それを話してもずれてしまう感じがします。本来は学生の問題意識を補強、激励、助言することとなので、それをなまくら四つでやっている感じがあります。実践の場所で経験してもらう方法は非常勤だとなかなか難しいのでそれしかできないかも。悩ましい。まあ、ワークショップ化しようとしながらどうしても教えてしまうもう一つの大学(大学2年生の必修授業)との違いかな。

明日からはいわきです。いわきは2007年からですからもう8年目を迎えます。思ったよりも長い。とはいえ、今年、年度を超えるといい歳になるので、一昨年くらいから少しづついわきアリオスのその後についての準備活動に入っています。芸術活動のプラットフォーム作りを含めて市民の期待に応えるのは当然として、ある意味で期待してくれている全国のホールの人たちにも「昔は良いホールだったんだけどねえ」と言われないようにしないといけないと思う。まあそれほど心配してはいませんが・・・
まあ現場を仕切らない悲哀というのはありますね。

では、いずれゆっくり。



茂木大輔とシーサー

2013年11月24日 | 徒然

いわきはちょうど紅葉がどんどん落ち始めて、晩秋の雰囲気が漂っています。アリオスの前の公園の雰囲気も良い。こういう時期は好きです。
昨日は茂木大輔さんの「オーケストラ面白名曲ガイド」2回目。山響とも2回目。「絶世の美女クララに捧げる二人からのラブレター」ということで、シューマンのピアノ協奏曲とブラームスの交響曲第1番を取り上げました。クララの名前をこの曲のそこここに隠し、場所によってはクララと連呼するような二人の作品をその解説をしながら聴いてもらうと言う趣向。
茂木さんは、視覚的に提示出来るプロジェクターを使うことによって、不要なしゃべりを少なくするとともに、音楽の時間の流れに寄り添うように情報を提示出来るやり方としてうまく活用して聴き手を音楽の世界に誘導する方法がかなり磨かれてきたように思います。音楽は時間芸術ですから、先に全部話してしまっても意外と思えきれなかったりするのです。それをうまく回避している。
それだけでなく、茂木さんが大学にまで入って指揮を本気で勉強してきた成果はオーケストラのドライブに間違いなく現れていて、昔よりもオケの音が澄んで綺麗になったような気がします。山形交響楽団もドイツの小さな都市のオーケストラの良さを置き換えたような雰囲気のある演奏でした。
終了後の家路につくお客様の顔を見ているとその日の演奏の充実度がわかるのですが、今日は出色のコンサートの一つだったと思えます。シューマン、ブラームスとクララの愛情の話はロマン派の時代を代表する特別なテーマで、人の感情を刺激する効果はとても大きいとはいえ、帰るお客様は興奮するでもなくニコニコするでもない、穏やかな充実感が見えました。あるお客様に、しばらく東京にいて色々なオケを聴いたけれど、山響はもっと呼んで欲しい・・・と熱く言われましたが、まあそういう発言は嬉しいことです。

これとあい前後して、那覇市の協働によるまちづくり推進協議会がいわき市に震災の支援の一環として贈られたティーダシーサーがアリオスに設置されました。大事なものだからちゃんと管理出来るところに起きたいといういわき市の意向で、アリオス内の2階カスケードの一角に配置することになったものですす。写真を見ての通り大きなものです(実はもっと巨大だと思っていてびびっていたのですが)。モダンなロビーとの不思議な調和を感じていただければ・・・です。
茂木大輔とシーサーは全く関係ないのですが・・・。

秋-③

2013年11月16日 | 徒然
11月は26日27日と足立区のわたなべ音楽堂でアウトリーチスキルアップ講座。
個人の建てた小さなホールで70人も入れば一杯な場所だけれど、10数人での講座にはちょうど良い。この二日間は、アウトリーチの概論、演奏家のキャリアマネジメントからみたアウトリーチ。アウトリーチの作り方Seeds編。そのあとグループで話し合い。翌日は加藤直明と白石光隆の模擬アウトリーチを見て、児玉、箕口、白石、加藤で座談。思ったより面白い話しができた。そしてグループで話し合いの後、アウトリーチプログラムの発表、検討と続く。できあがったプランは毎回色々と違った問題があり、問題点が見えやすいものと見えにくいものがある。それをどう整理するかがなかなか大変なのである。
29,30日は北海道の上ノ国。江差追分で有名な江差の一駅手前である。帰ってきて30日は平塚での勉強会第1回。終了後電車に飛び乗り羽田に。途中電車が遅れ冷や汗をかくが何とか徳島行きの最終の飛行機に間に合う。徳島まで行ってそこからローカル線で鴨島という駅まで行く。鴨島のホテルは予想以上にしっかりとシティホテルのようだった。ここは邦楽の事業だが、直前まで土曜日に行うワークショップの尺八への申し込みが無くて一瞬まずいぞ、と対策を考える。でも終わってみれば尺八も6人、箏も20人ほどで思いの外うまく行った。金曜日に行った小学校の先生やこどもがずいぶんきてくれた。この小学校の教頭先生は良く出来る先生で、いつもこどものことが頭から離れない典型的な先生。色々と工夫をしておられるように思う。終わってからすぐに熊本に移動。熊本では翌日の夕方からオーディションで昼間は時間が合ったので、水前寺公園と熊本城に行く。ほとんど初めての観光かもしれぬ。オーディションは最初ははらはらしたけれど終わってみればきちんと3人が選ばれた。彼らの研修は来年3月だが楽しみである。
熊本のあとは島根に移動おんかつフォーラムのシンポジウム。今回はチーフコーディネーターに津村さんになっていただいたので気楽といえば気楽。今までと少し違うシンポジウムになった。こう言うように違ったジャンルの感覚による組み立ては新しさがあって良い。音楽の守備範囲や許容範囲の広さがこういうときに活きるのだとか思う。とはいえ、ワークショップとアウトリーチとが両方とも新しい概念を付加し、少し前の感覚ではついて行けないくらい変わってきていることは間違いない。より効果を重視する姿勢になっていることに改めて気づく。
翌日6日は北九州でステージラボの打合せをOさんと。そのあと、北九州の人、活水の卒業生たちと会って呑む。7日は広島で今年やった研修事業の仕上げとなる会に参加。廿日市と呉の担当者の事例発表がとてもきちんとしていて驚く。ランスルーで話したことやそれによって翌日の本番で演奏家のすることがどう変わり、それがこどもの反応をどう引き出したか、ということを細かく発表してくれて、若い人たちの見ての理解力や情報収集の能力を思い知る。その場で適切なことを言って演奏家の信頼を得ることは今の私の仕事では非常に重要で、かなり集中力と人間力のようなものが試されるし、そこの対応にはそれなりに自信があるが、比較的瞬間芸的になってしまう傾向があるって、それを整理して伝えることに関しては若い人とはほとんど戦えない。ちょっと考えてしまった。終了後すぐに岡山経由で児島まで。おんかつの倉敷市児島の事業で翌日に琴浦西小と東小に松本蘭と新居由佳梨と一緒に行く。心配していたよりもスムースに事が運んでいるようで安心した。お互いに良い刺激になっただろうか。
写真は児島の松本蘭と新居由佳梨。

秋-②

2013年10月23日 | 徒然
10月から12月まで移動ばかりが多い時期。
10月8,9日は広島県の財団の事業の二つ目は呉市。ここは地元の演奏家を組織化してアウトリーチ的な事業をはじっメタばかり。最初は学校とかではなくコミュニティに出かけていくミニコンサートだったので演奏家の皆さんがアウトリーチでも演奏を聴いてもらえば良い(逆に言えば演奏をする機会を財団が作ってくれる)という認識だったような気がする。学校で始めるとなかなかそういうわけにはいかない。違ったミッション性を引き受けることになる。7月の研修の時はきっと混乱したのではないかと思うけれども、しかし演奏家は目標がわかると力を出す。今回の二組も途中からアーチスト魂のようなものに火をつけてこどもと対峙してくれたのでまあ方向性は見えたかな。前日のランスルーの時にたまたま学校の音楽の先生が会館に打合せに来ていて、モニターで見るランスルーの模様を見ながら「あ、これは普通に演奏を聴くのではないですね・・」と言って帰って行ったという話を聞き、実際に訪問した学校でも「これは少し違うようだ」と思ってもらえたかなと思う。良かった。
10日から北海道の増毛での道の財団の派遣事業。これはアウトリーチではないけれども、北海道はまだ会館もきちんと整備できていない自治体も多いし、演奏家が行く機会もそれほど多くないことを考えると、北海道がこういうコンサート派遣をするのはある意味理にかなっているかもしれない。とはいえ、演奏を聴いてなにかを心の中に生み出すのはそれなりの経験値が必要で、その点に関してはこどもも大人も一緒と言うことも出来る。アウトリーチの手法を磨くことはこういうケースでも大きく役に立つことはおんかつのアーチストを見ていてもよくわかる。ジャズとかポピュラーの演奏家は話しをしながらコンサートを進めるのが常識だけれど、それが上手であるということとイコールではない(後述)。3年目になる演奏家はずいぶん慣れたなという感じではあるが、話しに関してはやや物足りないのは、もっと出来るはずという気持ちがあるから。
富山の室内楽フェスティヴァルは直接的には仕事ではないが、11月に奈良で行うアウトリーチ事業の演奏家の様子を見ておくためにはこの機会は大事であろう、ということで短い日程だったけれど出かけた。奈良でやるグループが経験をしてきていることが不用意に多いのではないか・・と言う危惧があるからでもある。まあ美味しい酒が理由でもあるけれど・・・
そのあとの長崎(16,17日)は今月一番心配だったスケジュール。加藤直明、中川賢一、東海千浪さんというトリオは、大学の先生の希望で組んだ「オリジナルがない編成」であるが予想外にうまく行った。まあ手練れであるから・・・。長崎大学と活水女子大の学生も12月にアウトリーチを実践するに当たってずいぶん参考になったと思うし、昨年よりも反応が良く、やはりやってみるものだなあという感想。
そのあと小松島にいって、邦楽の事業。これは別に書くつもり。
帰りに神戸の灘区民ホールによって衣川さんと会って帰京。ここの館長さんは元神戸大学の教授でなかなか強い意志を持っているように思えた。
今日はいわき。
写真は長崎