児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

山田百子さんとの話

2008年07月30日 | アウトリーチ
8月7日に地域創造フェスティヴァルで話しをする相手のクァルテット・エクセルシオのセカンドヴァイオリン奏者山田百子さんと打合せをしながら感じたこと。
演奏家は、アウトリーチの現場から、私たちコーディネーターが感じている以上に現場から本当にたくさんの情報を引き出している。やはり聴き手と面と向かっているのと、横や後ろから様子をうかがっているのとでは情報量がまったく違うらしいこと。
ただ、普通の演奏家の方達は、それを上手く整理して言葉にし人に説明できるかというと、それはまた違った能力らしいこと。
しかし、山田さんはとても的確に把握していると共に、常にあたらしい引き出しを見つけようと努力していること。アイデア帳だと言っていたけれど、MUJIのノートに案外いろいろと書いてあった。頭の中をのぞき込むようなそういうノートは本当はものすごく興味深いのだけれど、それを全て知ろうとするのはるのやはり良くないのだろう。

今回の講座では、エクセルシオのアウトリーチを紹介しつつ、構成を考える演奏家、それに絡んでいくコーディネーターのやりとりを架空の状況でやってみたいと思っている。その場合のコーディネーターの役割は、演奏曲のプランから演奏家の考えていることを弾きだしていくという作業である。それも、ただ引き出すだけでなく自身が触媒となってより効果を引き出していく。でもそのために行き先の情報をなるべく的確に掴んでおく必要があるはず。演奏家は演奏のプロであり、音楽のプロであるけれども、コーディネーターはいったい何のプロなのだ、という突きつけられる状況に於いてどんな話しをしていくのか、というのが今回の講座のテーマ。本当は自分よりもそういうことに向いた人がいるような気がするのだけれど、まあ、今回はそこのところに焦点を当てるというのが自分の役割かな。


たんけんアリオス2

2008年07月24日 | いわき
アリオスのバックステージツアー「たんけんアリオス」の2回目が行われている。
一回目は5月の連休の時だったけれど、そのときも今回も予定の人数がすぐに一杯になる人気である。まだまだ、アリオスに対しては市民の興味は継続しているみたいだ。ありがたいことだ。裏方も5月の時以上に張り切って舞台づくりをしている。(写真は市民に舞台を説明をしているの図)
明日からは、渡辺亮さん(打楽器奏者。ポピュラーの方。サンバとかを中心にいろいろな活動をしている人)のワークショップがある。場所もいわき公園とそのそばの新しい中央台公民で、おでかけ企画である。テーマは河童。彼は河童マニアであることがこの間一緒に飲んだときにわかり、河童は昔は熊本にいて、そこから筑後川に移ってきたという話しとか、田主丸の話しなどで盛り上がった。私の広くて浅い知識では全くついていけなかった。すごい!。チラシに使った絵も全部彼の作だそうで・・・。
河童がテーマなのも草野心平の縁である。渡辺さんがなんか芯になるテーマが無いと難しいという話しをしていて、河童で一気にまとまった感じなのである。いわきは草野心平様々である。企画は、こういう風にテーマがあることで当方も演奏家も受講者も盛り上がる要素になるのである。これもあっという間に定員になってしまった。

長崎方式? アウトリーチ事業について

2008年07月23日 | アウトリーチ
先週末から長崎市に行っていた。アウトリーチ・コーディネーター養成講座。
この話しをすると長くなるのだが、簡単に言う。
実は、今以上に地域でのアウトリーチを、いっそう盛んにしていく為にやらねばならぬことは2つある。数だけやるなら簡単だけれど、それなら、わざわざ市の政策としてやらなくてもそれなりに出来ている現状を追認するにすぎないような気もする(この点についてはきっと異論もあるだろうしそれを否定するものではない。エネルギーも残ってないしね)。でも、きちんとやるにはそれなりに準備が必要なのである。なぜなら、芸術サイドとコミュニティの間にはそれなりに文化の常識の違い、としか言いようのないことがままあるから。その意味では、芸術の世界はやや特殊なのである(でも、そんな特殊さはどの世界にもあるので、それで芸術家はわがままだとかは言わないでいただきたい)。それに、コミュニティも演奏家もアウトリーチスタイルのコンサートについてその手法を作り切れていないから、質を高める努力を続けないといけない。

先程2つと言ったけれど・・・
ひとつは、芸術文化振興のためにそのギャップを前向きに解決してくれるつなぎ手(コーディネーター)が必要だと言うこと。そのほとんどは、現在各地の会館の事務局の担当が担っていることが多い。ただ、人員削減の時代である現在、それに頼ることは非常に危険であるし、拡大などとんでもない、という空気はある。だから、守備範囲はとても狭くても(狭くて良いのです.広かったらプロだ)同じミッションを持ち、つなぎ役をやってくれるコーディネーターの存在を民間のボランティアに求めることは、大変であっても間違っていないと思う。
もうひとつは地元演奏家の活用である。これは、今流行の地産地消みたいでカッコイイのであるけれど、本当に残念ながら大きな問題を抱えている。経済や利便性に限らず東京と地域の格差は残念ながら確実に(かつかなり大きく)あることだ。音楽の世界でもそのことは明確にある。でもメリットもある。例えば現場に言って打合せが出来ること。この問題も話すと長くなるが、結論的に言えば地域の演奏家とアウトリーチを結びつけるには、演奏家のレベルアップが必須であると考えられるのだ。地域の演奏家の育成というのは公共的なミッションであるが、実はあんまりきちんと出来ていなかった。もう一つ、アウトリーチという活動が演奏家の意識や能力の向上に資するのであるという発想があまりなかった。アウトリーチは地元演奏家を活用する(すでにある能力を利用する)ということでしか考えられていなかったからだ。結局演奏家の実力向上とセットなのである。そうでないと、格差は縮まらない。

長崎で地域の演奏家にもアウトリーチ活動を・・という声が出てきたときに思ったのは、まず、東京から呼んでいた演奏家のレベル感を維持しないと聴く人に申し訳ないと言うこと。もう一つは、長崎でもきちんと演奏家が立っていける状況を作るスタートに立つにはどうすればいいかと言うこと。長崎の音楽家にとって芸術家として意味のあることをどうやって作るかと言うことだった。

そこで、長崎市は事業化にあたっては次の3つをきちんとやりましょう、とお話しした。それは競争、研修、標準(スタンダード)の3つである。
1,競争をがあること(競争と言っても敵意を含まない競争。向上心。そのかわり採用した人は極力きちんと待遇する。残念ながらお金は少ないけれど気持ちだけでも。それとひとり20分程度のジョイント方式だけれどコンサートがあること)
2,アウトリーチのトレーニングの機会をきちんと作ること(演奏家向けにアウトリーチについての研修をきちんとやること。話し方、コミュニケーションの取り方。それ以上にミッション感覚やプログラミングのことなど)
3,スタンダードを示すこと(市の事業なので主催者が考えるアウトリーチの質的なスタンダードをきちんと示すこと、これは聴き手に対しても演奏家に対してもである。

研修では、まず2日間の研修(研修という言葉はいやらしいのでアーチストミーティングという名前でやっている)、行き先が決まってからのプログラムづくりの話し合い、終わっての修正など、エネルギーを注いでやってきた。ミッションと手法が両立するこの部分も地元に満足のいく状況は無く、時間的制約から結局自分がやることになった。
スタンダード、については、東京からも演奏家を呼び、常にその質感を示していくことが必須。特に演奏そのものは非常に重要。刺激は継続的にないとダメである。休むとすぐに崩れるので。
競争はいろいろと難しい問題は孕むけれども、オーディションという方法を採用した。この部分はあんまりしがらみを抜きにやった方が良さそうと言うことでもある。
始めてからもう今年で6年目になるが、こういうことは10年とか15年とか続けないと結果がついてこないことかも知れぬ。まあ、市の人の意識は変わってきたように感じられるけれど。

この3つを担保するやり方については、長崎で始めたあと、それを聞いた団体から似たような話をいくつか頼まれた。状況の違いから微妙に違いはあるが、北九州とか愛知幸田町などでも実践していて、それなりの意味は持たせられていると思う。それなりに文化行政の人にはわかりやすいでしょ。
今回長崎に一緒に行った人から、それは長崎方式と呼んだ方が良い、という指摘を受けたので長崎方式と書くことにするが、それも、地域創造が継続してアウトリーチを事業化していることの恩恵の1つである。そのベースがなければ出来なかったであろう。

そして次はコーディネータの方である。ブリックホールは元々サポーターという制度を持っている。サポーター=コーディネータという図式は成り立たないけれど、流れはあると思う。
あと、アウトリーチ事業をやってきたことで、地元に演奏家が育ってきたことも大きな要素である。コーディネータ養成もアーチストの力は必要。一緒に作ってくれる「アウトリーチの面白さを知っている」演奏家の存在はとても大きい。まあ今年何処まで行けるかわからないけれどお互いに意味のある事業になれば嬉しい。

結局長くなってしまった。「良い企画は3行で書ける」という企画の鉄則から外れている「長く話さないといけない事業」はなかなか難しいのだけれど・・。





今年の昭和音大の授業終了しました

2008年07月15日 | 徒然
今日の夕刻、前期の試験を繰り上げで行って(本当は月曜の授業の試験日は21日海の日だそうです。なんてことだ)、今年の昭和音大の授業は全部終了。また来年まで新百合の校舎には行く時間がとれないだろうな。多分。
今日は火曜日で普段と時間が違うので、いつもは決して会えない先生達と逢うことが出来た。3月までトリフォニーにいて定年になった中村さんは4月から教授。同じアートマでホールの企画関係者が居ると言うことはちょっと重複する感じなので、非常勤の私としては話す内容がダブらないようにしないと。でも話す内容が違うと生徒が混乱しそうでまずいかなあ。それと、トリトンの初期のサポーターとしてちょっと理屈づくりの面で手伝ったくれた石田麻子准教授。オペラのセンターづくりで広渡さんなどの右腕としてはたらいていたと思う。もうお子さんが中学生だそうだ。忙しい中偉いものだ。でも子どもが卒業するまであと10年は頑張らないとね、という話しを帰りの電車の中でしていた。

今年は、履修者が非常に多く30名強。まあ今年の2年生がたまたま多いと言うことなのだけれど、みんな思った以上にきちんとした感じがあって、出席も反応も良かったような気がする。期待してるよ。まあ相変わらず月曜のお昼の後というかなり条件の悪い時間帯で、こっちも眠いくらいだから・・・。
今年初めてレポートではなく試験にして見たのだけれど(とはいえ、80分間でレポートを書いてもらう程度の問題だけれど)どうだったのだろうか。まあ必修だからあんまり落としたくはない(また必ず来年来るわけだから。なにか悪いことをしたような気がして・・・)。いろいろと考えてはいるのだけれどなかなかね。

でも毎年、授業内容を変化したくなるのは先生の宿命だそうだ。良くなるわけでもないのだけれど・・・


クァルテット・エクセルシオの法人(NPO)化

2008年07月15日 | 徒然
クァルテット・エクセルシオ(通称エク)がいよいよ法人化に向けて動き出した。
13日の定期演奏会の前日にNPOの設立総会をやったそうだから、4ヶ月かかるとして11月になんとか認可されるかな、というスケジュールだろう。もちろんNPOになったところで彼らの活動が変わるわけではない。すでに、そのことを織り込み済みで動いてきたと言うことだし、また、エクのメンバーもそのような意識で活動してきたのだから。
しかし、NPO化は、室内楽の団体でははじめてといっても良いだろう。これが文化庁や自治体などをどのように刺激し、支援の輪が拡がるのか,ということがこれからの注目であろう。室内楽で活動していくということが演奏家という生き方の中でどのような位置づけになってくるのか、ということを明確にしたという意味で、一つのエポックであるだろう。オーケストラなどではずいぶん前から財団化することが一つの勲章として、また信頼の証として考えられてきたけれど、室内楽がそのような方向に歩き出すのは、劃期的なことと思う。だって、ミッションとか明かしていかねばならないわけだから,勝手にやり勝手に止めると言うことが出来なくなったのである。演奏活動も、常に演奏家が社会になんの役割を果たすか、ということを抜きには思想的根拠を失うのである。その覚悟をした4人に大きな拍手である。

最近リニューアルされたホームページ(下記)を見ると、活動の柱として、定期公演、アウトリーチ、現代音楽という3つの項目が書かれている。この辺も、室内楽は楽しいからとか、声をかけてくだされば何でもやります的な甘えたところのない感じが大変潔いし、きちんと自分たちのやるべきことをすでに意識しているのがわかる。中でもアウトリーチのところには、継続して行ってきた入善でのアウトリーチ活動が、彼らの活動の一つの思想的柱であることだけでなく演奏自体にも大きな影響が有ったことが書いてある。澤田君もそれなりに満足感を持てる仕事だったと思うけれど、こういう活動の例は意外と少ないのである。HPで演奏家の側から,これだけ堂々とアウトリーチ活動についての意義を理解し、きちんと手法に昇華しようという意志を宣言し、表現しているのは、実は日本のみならずアメリカあたりでも決して多い例ではないと思う。彼らがプロとして立っていることの証であろう。これは、日本の室内楽の世界では一つの夢として思われてきたことなのである。
http://www.quartet-excelsior.jp/index.html

オープンハウス

2008年07月13日 | 徒然
トリトンアーツネットワークが行う第一生命ホールのオープンハウスが昨日行われた。通算でいうと9回目、サポーター企画として始めてから5年がたつが、ほぼ形が決まってきて、「祭りとしての形態」が整ってきたように感じる。まあ、街場と違って地縁血縁生活縁・・という良く言えば血の濃い関係の中での祭りとちがい、音楽縁という自主参加的な縁でのサポーターという関係の中での祭りだから、少し違うとは思うのだけれど「毎年、ほぼ形態を同じくして継続される年に1回の楽しみ」としてできることは、ずーーっと存在する「ホールというハード」の中身としては、大変意味のあることだと思う。そういうものがないことを良しとしてきたここ数十年の日本の都市の状況があったわけだから、当然,音楽ホールも変わり続けねばならないという思考は常にある。効率は重要とはいえ、PDCAサイクルという評価手法もふくめて、その流れに乗っているといえるのだろう。ただ、PDCAサイクルがもしも成長を前提に行われている手法であるとすると、それを成長できない現代の日本に当てはめると、それは「変化」という形態をとらざるをえない。極端な話しだけれど、毎年名前を変えて発売されるビールの新製品のようなものだね。
とはいえ、オープンハウス(祭り)のように変わらないものもないといけないだろう。

昨日のオープンハウスの祭りは、まあ、いろいろな意味でここ数年の集大成のようなものであったと認識している。企画や運営形態や出演者の人選なども含めて,という意味。これから、新しいものが生まれていくステップになるだろう。そのいみでは今回は大成功。細かい運営手法の部分部分ではすこしムラもあった気がするけれど、大きなパワーが動いたといってよいと思う。その意味では、ホールのはじめの頃の熱気があったとも言えるだろう。
サポーターの皆様、特に中心で頑張ってくださった皆様、本当に本当にありがとうございます。
(写真は手作り音符グッズの体験コーナー)



徒然・・・というのか

2008年07月09日 | 徒然
ご無沙汰です。カルミナSQと田部京子とのコンサートを聴いて久しぶりに興奮した翌日からイタリアに行き、レッジョエミリアという古い商業都市で行われたパオロ・ボルチアーニ弦楽四重奏国際コンクールに行ってきた。TANで来年の6月に優勝者であるベネヴィッツSQを日本に呼ぶ。一応正式の優勝ツアーの掉尾に近い時期である。前回のパヴェル・ハースSQのときもそうだったが、流石に優勝ツアーという重圧と経験を積んだあとはまた一つ成長した姿が見られる筈なのでたのしみ。
しかし、コンクールを一次から見るのは、なかなかスリルがあるというか、参加者の緊張、不安、自信などがこちらにも案外と影響を与えていて、1次、2次と進む過程の面白さはある。今回の審査員ははじめにどんな基準を作り、最後にどこを基準点に持っていくのだろう、という一種の読みの世界。そこが、才能と勢いだけで出来るコンクールと室内楽(それも弦楽四重奏というとても構成的な編成の音楽)の違いであろう。
まあ、最後は順当だったと思うけれど、それでもいろいろと意見は割れたようで・・・。
このコンクールは何しろ若いメンバー(6年前の優勝者で現役ばりばり、まだ若手と言っても良いようなグループのセカンド)が少なくとも二人審査に入っているので、先生が集まって若い人を選び推薦する・・というのとは違う構図があるように思う。
イタリアははじめは寒く長袖を買おうと言うくらいだったが後半は暑く(流石イタリア)25日に帰ってきたときはややバテバテ。(写真はレッジョエミリアのチーズ工場見学。パルメジャーノ・レッジャーノ美味しかった。映っているのはアマチュアチェリスト、APAの代表でコンクールを見に来ていた永田さん。来年は何組か引き連れてフェスティバルに来るそうな。弦楽四重奏の首都をめざすレッジョは来年のフェスティバルでアマチュアを指導するというのがテーマだそうで)

帰ってすぐの夕方に加藤訓子さんのリハーサル。翌日昼間はコンサート。その後いわきに行って、帰ってきて北九州にいき、響ホールフェスティヴァルの最後のコンサートにつきあい、帰ってきて昭和音大。翌日は芸大のアートマでTANと協働で組んだアウトリーチ(学生が参加)のランスルーを見てから再び昭和音大へ。翌日に広島に行き地元演奏家のためにアウトリーチの実戦的講座を3日間して,長崎に行き地元演奏家のアウトリーチを見て意見を言い、帰京して翌日はまた昭和音大、そして地域創造・・・今はいわき。

まあ、あたまは回転しているけれども、まとまらないよねえ、これでは。
しかし、地元の人たちや演奏家達にアウトリーチの実戦について話すのは面白くて、かつやりがいがあるので、もっといろいろと試してみたいことがいっぱいある。でも、芸大で学生や先生たちとああだこうだと言い合ったのは、まったく違った視点がそこに展開されるので,こっちの方が散漫になるとはいえ面白いかも知れない。

いわきに来ると、みんながとっても現場頭なので一瞬とまどう感じはある。彼らにどう言ったらいいのか、なかなかまとまらない。当然ながら、現場は現実が目の前を行き交う仕事であるから、どうしても現実からスタートするという癖があるのだ。そして、それがきちんと出来ないと優秀ではないということになるわけだから、難しいなあ。
いわきから帰るとTANのオープンハウスが待っている。サポーターの親切(?)で、なんかたくさん喋らせてくれるみたい・・・