児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

尾道草紙

2010年06月28日 | 徒然
尾道の物語(尾道草紙)
吉野さんと尾道大学を訪ねたとき、作家の光原百合さんが毎年学生と作っている「尾道草紙」という本を頂いた。
彼女は学生に短い小説を書かせるときに、白紙の状態では何も生まれてこないことに気がつき、学生に尾道の街で好きなところ、気になるところなどを探し、そこから出来る物語を民話として書くことを勧めたところ非常にうまく行ったということである。
それって「文章表現400からのレッスン」という梅田卓夫の本に出ていることともよく似ている。きちんと自分の中身をそこにあるものに投影できると表現が飛躍的に生き生きとしてくる、ということだろう。
この本は、毎年出しているらしいけれど、文学科の学生が民話を、美術の学生がその挿絵を描くという風になっているらしく、学内の連携プロジェクトでもあるのだ。どちらもとても貴重な経験が出来る仕組みだと思う。
でも、街にいろんな磁力があるって言うことって,そういうことかもしれないね。
それは授業をする先生の側にとってもきわめて興味深いことのような気がする。そういうのを一度やりたいなあ,と思うのだけれど音楽の時間性、一回性のハードルが高いのである。いずれ挑戦しよう。

ペチャクチャ集会(いわき)

2010年06月27日 | いわき
いわきアリオスが出来て約2年。ちょうど2年間のオープニング期間が終わったところになる。それで事業報告会をかねてこの2年間をきちんと振り返ろうということからペチャクチャ集会というのを行った。
普通、事業報告というのは一方的なものだし、トリトンでも毎年事業報告書と評価事業報告書を作って会員などに配布していたのだけれど、いわきアリオスの場合、ペチャクチャ集会という市民参加自由の集会形式で行うという比較的冒険的な試み(普通の公共の施設ではなかなかできないだろう)。まあ、スタッフ側もこういう緊張感を空気として体験するのも良いことかもしれない。
まずアリオス側から事業報告として、入館者数や予算などについての説明と各プロデューススタッフからの報告が約1時間強。その後、良くアリオスを活用していたり事業に参加したりしている市民の皆さんからの発表。これはアリオスが出来て生き方が変わった(ちょっと大袈裟?)ということを5分くらいづつ話してもらう。そのご書いて頂いた質問について答えて時間がいっぱいいっぱいだった。
本当はスタッフと同じような志を持った市民の皆さんともう少し議論をすると良いのだろうけれど、なかなか時間的にも,問題意識の有り様からも難しいことはありそうだ。でもちょうど2年間のオープン期間が終わったところで、プロデュース側も自分らのやってきたことを検証できることもとても良いタイミングだと思った。企画一つ一つについて、それぞれが制作力としてはきちんと市民の皆さんに対応できていることは実証できたかな。しかし、良い公演があまり来ていなかったいわきで、質の高い公演を喜んでくださることと同じように、制作(人的な部分ですね)でもアリオスの(市の、ということになるかな)様々な対応には個別にはとても喜んで頂いていることが判ったのは大きな収穫。でも市民の皆さんのコメントはちょっとほめ過ぎかも。それよりも、アリオスという仕組みをしたたかに自分の生き方に活用している市民がいるということの方がよほど恐れ入りました,の感じなのである。
ペチャクチャ集会というネーミングに興味を持ったホール関係者もいたようで、茨城県や滋賀県からもホールの担当者がやってきたりして吃驚した。






尾道の吉野直子

2010年06月26日 | 各地にて
ハープの吉野直子さんとはカザルスホールのときからの縁があって、当時ちょうど大学を卒業しいよいよ本格的に演奏活動を始めようかという頃。とはいえ、彼女はその時点でももう10年間リサイタルを続けていたのではあるけれど。
今回の尾道では、9月にバボラックと一緒に公演をお願いしていることもありコミュニティプログラムのために来て頂いた。彼女は瀬戸内が大好き(始めて瀬戸田に来たときから懐かしいような感じがあったそうで)で、今回も、尾道の旧市内、御調、向島とでいろいろな活動をして頂く。昨日は尾道大学へ。
尾道大学は歴史のある市立の大学。短大から4大にするときに,文学と美術の学部を増設したらしい。山の中の湖(池?)のほとりにきれいな校舎があって、不便かもしれないけれど環境は抜群。そこの先生で光原百合さんという小説家がいる(光原さんの小説は文庫でも出ているはず)。今回のイベントは「場所から生まれる物語」と言うことをテーマに吉野さんと光原さんの対談や吉野さんの演奏などで約90分程度。光原さんはファンタジーとミステリーが多いと本人はいっていたけれど、最近は尾道という土地にある豊かな精神的な可能性を尾道に帰ってきてから気がついたといっていた。確かにファンタジーの多そうな街である。きっとそれをフックとして作品を書くという意識があるのだろう。新しい「扉守」という作品もそう。
でも、会ってみるととても普通の人(それは吉野さんいも言えることだけれど)に見える。対談をすると、その普通の人の地が出てくるのが面白いのだけれど、司会進行する側からはもう少し物語があった方が良いのだけれどと思ってしまう。やはり芸術作品に向かうときとは違った人柄が表れるということか。ミロのヴィーナスやモーゼ像などが置かれている美術の制作室でのイベントは、芸術の様々な刺激の中での面白さがあった。特に学生以上に先生たちがハープと言う楽器に興味津々だったのはある意味大きな収穫かもしれない。
吉野さんは、昨日今日で不登校の高校生のための塾やソロプチミスト協会の方々のところにも行って頂く。私は昨日で帰ってきてしまったのだけれど、良い感じで行けそうだ。
(写真はイベントの後ハープに群がる学校の方たち=ほとんど先生)

発表授業=昭和音大

2010年06月22日 | 徒然
昭和音大の2年生のクラスで今年の試みとして、グループによる発表授業を始めた。
40数年前に高校生だったとき、社会の授業は全部発表だった記憶がある。それで窯業を調べるのが私たちの役目で、旭硝子、日本板硝子、東陶、など有力メーカーに電話を入れ、授業のために調べているので話を聞きたいというと、どの会社も親切に教えてくれた記憶がある。何でだったのだろう。でも、トリトンでもアリオスでも私個人としてはそういう若い人が手伝ってくれるのは大歓迎だし親切にしたくなるものんsのである。

初めての今年は、4月にグループ分けをして、先週からいよいよ発表してもらうことになった。全体を7組に分け、音楽の仕事のあちらこちらにいる卒業生を訪ね話を聞いて、その業種の仕事についてみんなに発表をする。足りない部分は私が補足することになるが、概ね60分程度の時間を預けている。これは長すぎるということも考えられるし、事業としては内容的に不足だろう、と言う意見もあるだろうけれども、一応それでも良いのではないかと思っている。普通に授業しても多分本当に心に残るのはわずかな言葉だけだ。外に出て聞いた話はちゃんと身体に入っていくはずだと思うのと、2年生は何が自分にとってほしい情報なのかを選択する、と言うのが一番重要なことだと思うから。今の時代、聞きたいことが判れば調べる方法はいくらでもある。
確かに、先週のグループはクイズを入れたりCDを流したり、若干60分という時間をもてあました形跡はあるのだけれど・・・
ところが今日はトラブル発生で、アップルでプレゼンテーションを作ってきた資料がプロジェクターで映写できない、という事態に・・・結局、今日は私の話で終わらせたので、また来週にやってもらうことにしたけれど、プレゼンにおいてはそういうことも現場的にはある。失敗はは失敗で良い経験と思うことにしている。無駄といえば言えるけれど、そういう経験は学生のうちでないと出来ない経験でもあるので,まあ良いか・・という感想。
いい加減ですみません。
まあ、最後に一週予備的に時間をとっておいたのが幸いしたかもしれない。
この実験上手く定着してくれるかなあ。あんまりみんなで出来るやりかたでは無いので、

長崎の菅家奈津子さん

2010年06月18日 | 徒然
先週の金、土とメゾソプラノの菅家奈津子さんに長崎に行って頂き、アウトリーチをやってきた。
最近、アウトリーチに本気になってきて(と言うと失礼であるけれども)、やっと、何のためにやっているのかをとても意識するようになってきた、ということを聞いたのでお願いしたというところもある。本人にとってはその意味では過渡期なので、却って彼女本来のアウトリーチのもっていきかたの型を崩しているのではないか、というところがあるかもしれない。実際、勢いで音楽を聴かせていたときの方がインパクトがあった部分もある。けれど、こういう事業への意識が明確になることで,確実に良いことをつかみ取っていくだろうことは間違いないと思う。
私としては、アウトリーチは方法論も大事だけれど、器用な演奏家が方法で出来てしまうことでお終いにしたくない,と言う気持ちが強いのである。それで、菅家さんを少し混乱させたところもあるかもしれぬ。彼女の良いところは、聴き手の前に出たときに目前にいる人たちの様子を敏感にとらえ、それによってもっていきかたや曲を変えていこうという(ある意味欲張りな!)ところにある。またその感覚はとても優れている。それがまだ良い方にだけ出ているわけではないということなのだと思う。ちょうど女性のドライバーが動くものに敏感すぎて道の反対側の電信柱にぶつかってしまうようなものである。
型を作ってから自由になると鬼に金棒なのだけれどね。

6・15

2010年06月16日 | 徒然
昨日は60年安保で樺美智子が死んだ615デーからちょうど50年目だったらしい。60年安保は10歳の時だったので、ほとんど、と言うか全く記憶がないのだけれど、ある意味では日本のその後の数十年を規定するような出来事だったのだとおもうこともある。
今思えば隔世の感があるけれども、今以上に緊迫した情勢だったはずである。
しかし、615に私が出会ったのは大学。合唱団に入って始めて渡されたのが「忘れまい615」という混声合唱の楽譜だったと言うだけなのだけれど、まあノンポリの私たち1年生は単純に歌って合唱の魅力を感じただけだったはずだ。
実際、林光の作曲であるこの曲は歌うと不思議に合唱そのものの快感が得られる曲で、初心者の集まりだった1年生たちはあちこちで歌いながらハーモニーすることの快感を曲の歌詞などとは関係なく味わっていたわけである。
この曲を渡した上級生がどんなつもりだったかに関わらず、考えてみれば全く不謹慎なことであるけれども・・・
これが林光という作曲家との出会いだったし、合唱というものとの出会いだったと言っても良い。
しかし、不謹慎に歌っていたとはいえ、音楽の力って、書いた人のつもりとは関係なく、別の形で心の中に残ってしまうところがある。そんなものだと思うし、心の豊かさというのも、表現されたものを受け取ることでなく、自分の中に生まれたある納得感の謂であるような気がする。特に音楽のような抽象的なものには幅広く起こりそうなことだ。
まあ、今このような仕事をしているのもそのような合唱との出会いがあったからに違いはないので、これは当時の先輩たちにそれなりに感謝しないといけないね。

仲道郁代学校に行く

2010年06月09日 | 各地にて
6月6日は尾道市瀬戸田のベルカントホールでクラシックでは久しぶりの売り切れ公演となった仲道郁代さんのお話付きショパンリサイタル。
昨年からの「音楽のまちづくり事業」の一環であるけれども、このような事業への理解が必ずしも拡がりにくい中、担当者の苦労が思いの外早く効果があらわれた、というのは早計であろうけれども、何となく町作り事業がそれなりに浸透しつつあるという感触はある。
とはいえ、まだ形の上だけなので本当に心の問題としての意義が浸透してきているのかは判らないところもある。
まあ、このような事業はなかなか口でいっても中途半端しか理解して貰えないのはどこでもあり得ることなのでそれほど驚くわけではないけれど、喜ばしい。

今回仲道さんには、リサイタルの翌日に市内の小中学校の音楽担当の先生のためにレクチャーをお願いした。尾道市が教育現場の能力向上にとやっている研究会の講師という格好で、市内の全小中学校から先生が参加した。
音楽が人間や教育にどのように意味があるのか、こういう普及的な活動の価値、伝え方の工夫や想像力のことなどワークショップ風のレクチャーで、彼女緩急見事な話しぶりと構成力は、普段仲道さんがいかにいろいろと考えて、言葉を持っているか、普段の知的好奇心とその整理の能力を磨いているかを垣間見るような気がした。
今回のワークショップ風の進行など、彼女が演劇人との協働から多くのノウハウと刺激を受けてきた、ということだろう。こういう音楽家(特に奏者)は珍しい。

実は、この午後のレクチャーが決まったあと、午前中に小学校に行ってみませんか・・・と言う話しをしたところ、引き受けてくれて、高須小学校の6年生向けの音楽室での60分のアウトリーチが実現した。あんまり学校はやっていないのですと言っていたけれど、進行は起承転結も見事だし最後に音楽そのものに集中していけるようにするなど小学校向けのアウトリーチとしては王道の出来で、恐れ入りました。
詳細はいずれフィールドノートに・・・。

電話番号

2010年06月09日 | 徒然
今日はいわき。秋葉原の事件からちょうど2年が経った。今年は東京にいなくて現場に行くこともなかったけれど、どうなっているだろうか。
自分は比較的人間関係にべたべたしない方の人間だと思うので、過去に対しては思い切りが良さそうなものなのだけれど、それでも使う可能性が絶対にない電話の番号が携帯に残っている。実は昨年から携帯電話の整理をするたびにどうしようかと思うのだけれど、どうしても消せない・・ということがあるのだな。アウトルックのメルアドも残っているし、なかなか不思議な心情である。