児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

プロフェッショナルの掟

2007年01月29日 | 徒然
プロフェッショナル原論という本をよむ。
音楽事務所を離れてホールその他で企画制作やプロデュースの仕事をしていると、結局、人や組織がプロフェッショナルとどのように付きあうか(または逆)、ということに行き着くことが多いので気になることが多かったのであるが、こういう本が意外と無かった。経営コンサルタントというプロの方の書いたものであるが、なかなか興味深いと思うと同時に、それでもプロという概念の職種による差異が思ったようにはっきりと出ていたのが面白い。アーチストというプロ、舞台屋さんというプロ、そのほか多分プロデュースというプロの人たちと付きあって来た身から言うと、思わずむかっとするところがいくつかあるし、それを抜きにしても、だいぶ乱暴な論法だと思う(ある意味自己弁護的?)部分もあるだが、いくつか示唆的なこともある。
たとえば、「プロフェッショナルはクライアントの利益と公益を第一とする」「その業務は限定的である」「ミッションに対して常に積極的であり、報酬よりもアウトプットの質感を大事にする」「クライアントとプロは完全に独立し対等なパートナーである」「プロは営業をしてはいけない」「プロは組織に属さずひとりが全権をもって責任を負う」「過程より結果に責任を持つ」
などなど。

プロフェッショナルとは
形態的な要件  高度な職能の保有。特定のクライアントの問題解決。インディペンダントな立場
意味的な要件  公益への奉仕。厳しい掟の遵守

プロフェッショナルの掟
1,クライアント・インタレスと・ファースト
2,アウトプット・オリエンテッド
3,クオリティ・コンシャス
4,ヴァリュー・ベース
5,センス・オブ・オーナーシップ

仕事のルール
 営業のルール 営業はしない
 報酬のルール パーディアム×必要日数で設定。成功報酬の禁止。値引きはしない

プロフェッショナルの魅力
基本的な価値  自分の意志で仕事を選べる。組織に属さなくても仕事が出来る安心
高次の価値   自尊の念。社会からの敬愛

















早稲田桜子さんの小学校アウトリーチ

2007年01月24日 | アウトリーチ
笠井紀美子というジャズシンガーを覚えているだろうか?
一時、日本でかなり売れっ子で録音もたくさん出ていたと思うのだが、彼女はライブの魅力の方がずっと大きかった。早稲田さんのアウトリーチを見せてもらっていて、笠井紀美子のことを想いだした。

昨日は早稲田桜子さんのアウトリーチを品川区の小学校で見せてもらった。対象は6年生約38名。
彼女は演奏の力もあるが、性格としてはアウトリーチにきわめて向いている演奏家だと思う。きっと、とても良いことをやってくれるだろう、とオーディションからずっと感じていたので、1回現場を見せてもらいたいと思っていた。
自分を囲むような子どもの座る椅子の配置、それを全部包み込むような目線の扱い、ひとりひとりと目を合わせ、目をそらさないコンタクト(これがすごい)、相手と同じ高さにたった話し方などなかなか見事なものである。話の進行はまだ隙があるが・・・。
しかし、一番印象に残ったのは、彼女の聴き手の子どもたちへの心の開きようである。こういうことは構成とか話し方とかでは全くフォローできない要素であって、ある意味では危うさとか、儚さにも通ずるような不思議な感覚でもある。これは演奏がどうとか言うのとも違うし、話し方のノウハウとかではもちろんなく、彼女自身の本質的なものではないかと思うのだ。その場に居合わせた人にとっては彼女のありようは、何故か自分を映す鏡でもあり、それ故にこちらの心にも何かを残すことが出来る、というようなものである。子どもたちの反応はそれを如実にあらわしていた。子どもが時間の追うに連れて心を開いていったこと、終わったあとの子どもたちのはしゃぎ方はかなり特別だったと思う(校風とか学級の性格とか、あとの授業を気にしないで良いとかいくつかの理由はあったかもしれないが)。
進行についてはいずれフィールドノートで・・。でも、いつものことながら、音楽のアウトリーチの本質はフィールドノートではやはり判らない。
音楽的には、彼女の演奏で一番感心したのは、空間の拡がり感の変化の大きさかな。美しき青きドナウの序奏で、ヴァイオリン一本であの川の空間の大きさとか雰囲気を伝えようとしていたのにはちょっと感心した。

笠井紀美子はライブが一番、といっていたのは当時の某評論家氏だったと思うのだが、その理由は「彼女のライブは歌も上手いし工夫も挑戦もあって楽しいのだけれど、その中に常に危うさがあって、それがとても魅力的なのだ」ということだ。ライブやライブの放送を聴いた身としてもそれは何となく判るような気がしたっけ(まだ若かったのでなんとなく)。

もぎぎの・・

2007年01月22日 | 徒然
今日は茂木さんのコンサートで三鷹に。
年に3回で、もう10年やっているわけだからずいぶんと長いシリーズになったものだ。今日は満席。今日のテーマはバッハのカンタータだったのでもう少し空いているかと思った。のだめの効果というのもあるのだろうか?

茂木さんのコンサートは必ずいくつかの収穫があるので、聴き手として参加しても面白い。プロデューサー的にはネタをもらうようなものでありがたいし、ただの客としては興味深いというか面白くためになる。これは奥が深いぞ、というように納得させられるので、本当はそこからもっと自分で勉強すれば良いのだろうが、なかなかそうはいかないのが自分の怠慢なところか。
考えるに、茂木さんはまじめにかつ気長にクラシック音楽普及の王道をやっていると思う。オーボエの性格だろうか。そのことは、彼の中で10年前に三鷹で企画をはじめる際に議論したときから微動だにしていないにちがいない。

クラシックは易しくない、というのが根本命題であって、だからこそ面白いのである。そんなことはどの分野でも同じなはずだが、クラシックに限って取っつきの悪さはずっと否定されてきている。若い人たちだって、何かについては複雑かつ不確定的であることを「難しいから」という理由で否定しているようには見えない。うちの子どもは、競馬をずいぶん詳細に研究していて、大学に行って何をしているのかと思うこともあるが、何年も前からの様々なレースを検討し、次はどのようになるかを予想する。それには様々な要素がからみ複雑で難しいが、彼にとってそのことこそが面白い理由であるはずだ。だから、クラシック音楽も決して易しいから聴きなさいと言うのは上手くいく方法だとは思えないのである。
では何をどうすれば・・ということが判ったらば倉が建つけれどね。

北九州のアウトリーチ(1月編)

2007年01月20日 | 各地にて
木曜と金曜まで北九州の地元演奏家にアウトリーチ。その合間に演奏家とのミーティングで、プログラムなどの修正などの話し合い。
 今回は打楽器のアンサンブルとピアノソロである。打楽器に比べてピアノのソロは難しそうに見える。でも、ピアノの笹部さんは前回の3年生でかなり苦労をしたのできちんと修正してきていた。いつも思うことなのだが、演奏家というのは、修正の能力は非常に高い。そういうものがあんまり無いように思う思っている人が(演奏家自身にも)いるかもしれないが、演出的な感覚をどこかで持っているからでもあろうし、まあ、楽譜と取り組むのもおなじなので(リハーサルでやばいと思っても当日にはそこそこちゃんとしてくる機敏さにはいつも舌を巻くわけだ)、考えてみれば納得するのだけれど・・
 アウトリーチの進行はある程度きちんと作り、それを煮詰めていく作業は必要で、それ無しには上手くいかないのだが、あるところから、経験のように横に拡げるような作業の方が有効になるように感じられる。その見極めが難しいのだが、追い込む作業は必然的に狭めていく作業なので、可変要素や例外の多すぎるアウトリーチ活動の内容については狭めていくのは危険でもあるのである。

 などなど、地域でのアウトリーチの話し合いと実践は、東京でやるのとも違った醍醐味と難しさがあるように思った。

わ! 亥年

2007年01月02日 | 徒然
明けましておめでとうございます。
暮れから正月にかけては、年末に佃の事務所の台所の天井から水が漏れてきて大騒ぎしたこと以外は、比較的ゆったりできたかな。
昨日は一日年賀状を書き、今日は深川の七福神の第1番(神明社)と第7番(富岡八幡宮)に詣でてきた。今年は亥年。亥は12支最後の干支である。寅の私としては一回りの最後の干支が来てからの順番は経験的に妙に早いので、それなりに焦ってしまうのである。この間A氏と話していて来年、再来年の記念年の作曲家は誰だろうということになったのだが、何にも調べていなかったのは昔ならば考えられないことである。昔は手帳に必ず今後6,7年の記念イヤーは調べてあったのだが、最近はその気力がおきてこないのだ。考えてみれば5年後の自分の年を考えるといやになると言うことはある。
仕事の仕方が変わってきたこともある。最近時々考えるのは、やりたい仕事とやるべき仕事と言う違いであって、昔ならばやるべき(やらねばならぬ)ことは大抵厭なことか野心と結びつくようなことだったかもしれない。最近はやりたいこととやるべきことの間にそれほど多くの違いがないのではないか、と考えるのだ。
特に熱意の水位が下がったということは無いと思うのだが、それが、あれをやりたい!というきもちに至るよりも、やるべきことが自然に自分の前にぶら下がってくるような感じがすることも確かである。
いつまで現在のような仕事のスタイルが取れるのか(能力、体力とも)わからないと言えばその通りだが、今のやり方の面白さをもう少し追求してみたいと思う。
今年は、昨年やったことはある程度軌道に乗るだろうから少し楽になるとは思えるが、一方新しいことも待ちかまえている。とりあえず、スリルは変わらないか…。

本年もよろしくお願いします。