児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

平山郁夫美術館の中川賢一

2012年01月28日 | 徒然
旧瀬戸田町(現尾道市)は以前にも書いたとおり造船と柑橘類に代わる産業として観光に力を入れいくつかの文化的な施策を行ったが、その影響もあるのだろう10年ほど前に平山郁夫の美術館がベルカントホールの向かい側にできた。比較的初期の習作も含めて所有し展示しているけれど、3つの展示室という手頃な広さでもあり、良い空間である。
音楽のまちおのみちプロジェクトは町の特徴にもなっている美術,文学などとのコラボをはじめから意識していて、その故もあって3年間のプロジェクトの終わりに美術館のコンサートを3つ行うことになり、その一つが今回の平山郁夫美術館でのコンサートである(あと2つは2月12日に圓鍔勝三彫刻美術館と尾道市美術館でおこなう吉野直子のコンサート)
12月の末に展示を見に来た中川さんが選んだのはドビュッシーの前奏曲集で、本当は第1巻、第2巻とも全曲をやりたかったみたいだけれど、さすがに1時間程度のコンサートでは無理があり、第1巻から9曲、第2巻から2曲を丁寧な解説付きでやることになった。
平山さんの絵では群青色のシーンに月の光というのが非常に印象的で、短絡的に月の光とか思うのだけれど、まあそれだけではなく会場の音響もドビュッシーには向いていると言うことがあるだろう(今回の展示室には青い絵はなかったと思う)。
コンサートには約60人くらいのお客様がいらしていたのだけれど、今回のコンサート、帰りがけに「演奏家のもてなしを受けたような気がする」といって喜んで帰って行った方がいらっしゃったという話を聞いて、コンサートという文化に関する、或る成熟を感じられたのが収穫だった。

栗東のアウトリーチ

2012年01月26日 | 各地にて
栗東のさきらは指定管理の問題で有名になってしまったけれども、会館としては良い場所である。もったいないような気もするけれども,それ故の問題でもあったかもしれない。
さきらは地味ではあるがアウトリーチをやっていて、今回は若手育成支援の意味での企画。若手のコンペで選抜された演奏家がリサイタルを行うのと、会館のそばの大宝東小学校の協力を得て、4回の学校でのアウトリーチの機会を作った。1月のはじめにその研修をしたのだけれど、やはり気になったので尾道への行きがけに見に行った。
若い打楽器奏者が5人研修を受けていて、3人、2人の二つのグループに分かれてプログラムを組み立て、昨日今日とで実施した。
今回リサイタルを行うのは浅田いずみさん。演奏もだけれど、アウトリーチについてもとても勘が良く意欲もある。前回、高学年の子供たちを、曲についての知識ではなく、もっと気持ちの世界に連れて行く方法を考えた方がよい,という話をしたのだけれど、いろいろと考えてきていて、今日のアウトリーチの最後の方では6年生の表情がずいぶん変わった。ちゃんと意識ができてくることによって、演奏家自らが自分で考えて自分で実現できるというのがアウトリーチの理想だけれど、そのためにもコーディネートやアドヴァイスはまだまだ必要だろう(もしかすると、経験を積むことで起こる問題もあるかもしれないのだけれど)。

いわき1/24.5 鈴木香保里さんのアウトリーチ

2012年01月25日 | いわき

昨日と今日、地元のピアニスト鈴木香保里さんに好間3小、沢渡小、石住小中学校新居っていただいた。鈴木さんはおであり研究会の第1期のメンバー。ピアニスト一人というのは、ある意味自分の世界を作れるという面と一人で孤独であるという面と両方あるので、本人にとって負担な面とやりやすい面とあるということだ。
鈴木さんの場合は、一人のリズムでやった方が安心できるタイプかもしれない。打ち合わせの時とは導入を変えて、比較的良いリズムでできたと思う。いくつかなるほどと思ったこと。
1,ピアノのカットモデルを使って鍵盤を押すときに、ピアノも同時に押して音を感じてもらおうとしたところ
2,ショパンの印刷楽譜と自筆譜を見せて、作曲家の楽譜から多くの情報を受け取ることの重要さと、自筆譜の人間的な魅力について感じてもらうように考えたこと。


最後は愛の夢で「愛する限り愛せよ」の詩を紹介し、メッセージをこめて終わったけれど、いろいろな意味で彼女の気持ちは子供たちに伝わったと思う。話がうまいわけではないけれど、落ち着いて話せていて気持ちが良かった。
終わったあと「緊張したけれど、前日に子供にピアノを教えている時のやりとりと,人数が違うだけだということに気がついて気持ちが楽になった」と言うことをおっしゃっていたけれど、全くその通りだと思う。
まだ課題がないわけではないが本人としてはまずやれたという感じが残ったのでhないか。こういう自信は大事である。

宇都宮(ラボのうちあわせ)1/17

2012年01月20日 | 徒然
17日に宇都宮にいってラボの下見。クアチュールベーでお願いする幼稚園に挨拶に行くのと会場を確認する。協会のある建物は大谷石の古い建物でとても味わいがある。2階が教会になっていて雰囲気はいいのだが椅子が動かないのと響きすぎでサックスには向かないと思うので一階の集会所のような空間でおこなうことにする。ここも不思議に響きがある。後ろの扉を空けると後ろが舞台になっていて、ここでは良くコンサートを行っているみたいである。
ラボでやるアウトリーチはだいたい見学者が非常に多くて(受講生20名と関係者でだいたい35-40名くらいになるのではないか)、小学校でも子供の集中力が落ちることに気を遣うのだけれど、幼稚園でのこういうケースは初めてで大冒険ではある。どのくらいの人数でどのくらいの広さがあった方が良いのか、勘に頼るしかない。ただ幼稚園の先生とはなすとコンサートとかも時々おこなっていルそうなので比較的慣れているかもしれない。
そのあと講義をお願いしている作新学院大学の時間が空いてしまったため、児教育の先生に会うのだが、彼女が夕方でないとということなので、時間以上時間が空いてしまった。とはいえ、さすがに初めてアウ人のところに行くのに餃子をたべてからというわけにもいかないので、大谷を回って(大谷石の産地である)、総合文化センターに戻って昼食と時間つぶし。とはいえ、地域創造の担当とゆっくりと話ができたのでそれなりに有意義な時間。
作新学院大学は車で40分ほど,ずいぶん東にある。鬼怒川を渡って少し行ったところで広い校舎。お願いした山崎先生は、水戸の人で、訪問した5人が研究室に腰掛けた瞬間に、袋から次々と水戸のお菓子がでてきた。甘いものがよほど好きなのだろうか?
先生は音楽家でもあり、クラブ活動のハンドベルの指導もしているようで、年間に何回も施設とかに行くのだそうだ。とはいえ、先生には発達心理学の立場から,幼児の思考、想像力、言葉のまなびなど発達の段階を話していただくことにした。
今回のラボでは、幼児向けの企画を作るグループワークをやろうと思うのだが、これにはこうやれば良いという理屈としての形がまだ無いように思う。まあ正解がないようなものだが、実はあちらこちらでそういった趣旨の企画そのものは行われている(昨日もみなとみらいで「放課後集まれ」というコンサートがあったりした)。目標をきちんと定めて考えることで何かが生まれてくればいいし、こなくてもこういう迷路のような企画の考える手順をガイドできるかもしれない。

武蔵野音大の授業終了

2012年01月18日 | 徒然
先週の土曜日に武蔵野の授業が終わってあとレポートを採点するだけになった。
レポートは、10月に書き方を話してあったので,それに準じて描いてくれていればうれしいのだけれど、なかなかそう理屈通りなものでもない。
10月に話したのは、論文という形式ならば
1,まずなんでその問題を問題と思ったか
2,そのことについてはじめに感じたり思ったりしたこと(仮説)
3,そのことについて他の人やマスコミはどのように論じているか
4,他にどんな考えがあると思うか
5,貴方の結論はなにか
と言うことを意識して書くようにということ。
それが論文として(他人を納得させる文としての)意味だと思う。だから、形式的に整える術を覚えよう。問題や結論のその趣旨自体を採点するのではなく論旨の展開をより重視する・・・というようなことを言ったと思うのだけれど・・・。でもここまで言っておくとそれなりに作りを整えようという意識は出てくるみたいだ。

さて、先週から4回分をかけてやってみた、田村緑をゲストにした30分のラジオ番組を作る、という作業は最後の最後までかかって,やや強引に時間内で収録を終わらせたけれど、まあやや時間的な無理があったかもしれない。でも会話を編集し音楽を差し込んでつなげると言うことを2月までの宿題にして(といっても授業時間はもう無いので生徒に無理を言っていることになるが)帰ってきた。でも、新澤さん直伝のマーケシートをベースに構成案を作るとこれはこれで興味のあるプランも出てきた。
おもしろかったのは、クラシックをみんながどう思っているかを考え、それをどう思ってもらおうかという話をグループで考えていたときに、ツイッターでそれを流して返事をもらおうとするグループがいたこと(これって、昨年におきた入試で答えをツイッターで質問して答えた、と言うのと同じ発想ではある)。でも、こういう場合はとてもおもしろくて、その一言のデータをどう活かしてゴールを決めるかというモデル作りにはなかなかおもしろいなと思った。
たとえば「クラシック=ねむい」ではどうゴールを設定するか。1,眠ってよいことにする、2,眠らせないようにする。ではその方法は?  ・・・ ハクジュでやる。体を動かす・・・このくらい具体的だといろいろな稚恵が出てくるかもしれない。まあ本当によい企画はこんな簡単にはできないけれど、ねむい=寝てよい というのは本当にハクジュでやってるね。これも一つの発想の転換。
まあ最後ちょっと中途半端な終わり方だったけれどおもしろかった。生徒はどうだっただろうか。

仲道郁代さんのベートーヴェンリサイタル

2012年01月15日 | 各地にて


今日は尾道で仲道さんのリサイタル。
尾道では去年も瀬戸田のベルカントホールでのリサイタルが売り切れ、今回は尾道駅前のしまなみ交流館でのリサイタルでやはり12月には完売。テレビに出ている故もあるかと思うけれども、尾道では少しづつ切符を買う人たちの間でここのホールが認知され始めているような気がしている。まあ3年間いろいろな障害はありながら継続してきたことの一応の成果であろう。来年以降もアウトリーチは継続すると言うことでもあるし、まあそのような発想があんまりなかった尾道市に一つの文化を定着(まではまだ行かないかもしれないが)できたかなと思う。

仲道さんは会場に来るとまずピアノの位置決めをして、それから照明あわせ。写真のように比較的明確にエリアを作るのが仲道さんの好み。音楽学校からの経験で内藤裕敬の舞台づくりを見ながら覚えたと思うのだけれど、仲道さんが自ら舞台さんに話しながら決めていく。用語なども的確で舞台さんにもわかりやすくてきぱきと決まるので気持ちがよい(口を出す必要もない)。こういうことは日本のピアニストでできる人はたぶん他にいないだろう。

今日のコンサートでは仲道さんは客席に子供が多いと言うことで、各曲の前に丁寧に子供に話しかけるように説明をしていて、その語り口はつい子供が客席から答えてしまうほど。その辺の話術というか,すばらしいものがある。そのせいもあるだろうけれど、べートーヴァンのソナタ4曲(テンペスト、7番、月光、熱情)という思うプログラムであったけれど会場の雰囲気はリラックスして聞ける雰囲気が作られていたように思う。
今年デビュー25周年と言うこともあって、仲道さんは今年はアウトリーチ(というかワークショップ)をテーマにして活動している。尾道でも、それならば尾道でも是非手法開発に使ってほしいということで、明日向島の小学校に行ってアウトリーチと、少人数のワークショップをやってみることにしている。青学の苅宿先生も来て一緒に行うのだそうだが、残念ながら明日はこっちが芸大の授業で見ることができない。
まあ成果を楽しみにしておこう。

邦楽ガラコンサートのリハーサル

2012年01月14日 | 徒然
13日は今年度の地域創造の邦楽活性化事業のガラコン(2月4日)のリハーサル。
埼玉県ゆかりの童謡を箏3本と尺八用に書いていただいたもの(実際は箏8人と尺八一人だから尺八奏者の負担はかなり大きそうだけれども、この編成で書いておくと今後いろいろなところで演奏可能である。青い目の人形と叱られてととおりゃんせの3曲をベースにした作品になった。ただ今回作曲の秋岸さんが張り切って書いただろう、良くあるような童謡のアレンジというレベルの作品ではなく、完全に作曲といっていいものであるし、作品の完成度もかなり高そうだ。逆に言うと演奏もそれなりにしっかりと作り込まないといけない。10分程度の曲であるが、2回目の合同での練習のこの日も、午前中はパート練習をして、午後も3時間以上かけてじっくりと合わせた。あと本番前日に練習があって本番になるわけだけれど、これはいいコンサートになるだろう。ありがたいことに埼玉会館の小ホールが満席の状況だとのこと。珍しい,というと怒られるけれども、県や財団の人の努力が実ったのだとおもう。ありがたいことだ。
いずれにしろ、邦楽の世界はきちんと聴衆というものを育てないと今後しんどくなっていくだろうし、その意識は邦楽の世界(演奏家の世界)ではかなり深刻に受け止められているのだということが最近感じられるようになってきた。もし、流派とかではなく広義に邦楽の楽しみ方を提案することができてくれば良いと思うし、その中心になっていくのがこの人たちなんだろうな,と思いながらリハーサルを聞いていた。それならば国とか公共が(活力のある形で広がっていくように)広く応援することもできるようになっていくのではないかと思われる。

滋賀日吉大社

2012年01月13日 | 各地にて
ここ数年、新年最初にどこかに出張する場合、時間があればどこか普段は絶対にいけない場所にお参りするようにしている。それで、宗像にも橿原にも石山寺にもいっている。昨日は栗東で講座を一つやったあと「滋賀県で初詣といえば?」と聞いたところ、日吉神社(山王の総本社)が一番だ、という話だったので,午前中の半日の時間を使って日吉大社と近江神宮を拝みに行ってきた。もう12日なのでほとんど人がいなくて静かである。まあお参りと言うよりは、引き締まった空気感を味わいに行くようなものだから、人がいないでもいいのである。森の木々や鳥の声の中にいるのは気持ちがよい。昨日の夜に降っていた雪は今朝はやんでいたけれど、神社の森の木々から雪がふわりと落ちてきて小雪の中を歩くような感じですらある。
膳所で乗り換えて坂本までの京阪電車(ほとんど市電)は、同乗している車掌が降りる乗客の切符を取りに来るほどののんびりした路線。こちらもゆったりとしてしまう。日吉大社は坂本から10分程度だけれど、比叡山を正面に見ての登りはそれなりにしんどい。確か坂本は明智光秀の居城があったところだったような・・・。今は湖西は豊かな場所という感じはしないのだけれど、大津京を作ったり力のある豪族が住むだけの経済力を持っていたのだろう。

昨日の講座で、最近読んでいた本に、アメリカの認知心理学者ブランズフォードとジョンソンが1970年代に行った実験で「難しいことばを使っていないけれど、ある文章の場面を想像できるか」(という例文が載っていて、この想像できないな、という感覚は、多くの人がクラシック音楽を聴くときの感覚に似ているのではないかとおもった(その世界では有名な実験らしいが・・・)。それってアウトリーチをするときの参考になるかも、と思って紹介したのだけれど、聴き手にとってはどうだったのだろうか。もう少し使ってみようかな。

いわきの仙台フィルニューイヤー 1/9

2012年01月09日 | いわき
仙台フィルがいわきでニューイヤーをやるのは今年で3年目。東北のオーケストラとして何らかの方法で連携を、ということで共催という形でやらせていただいている。盛岡、福島、いわきという3カ所でのニューイヤーである。震災の影響でどうなるかと言うことはあったのだけれど、協賛している東北電力も継続してくれているし婦、聴く聴衆のほうもまずまずの入りで安心した。
仙台フィルの演奏は毎年聴いていることになる。昨年くらいからすこしづつ感じて居たけれども、まとまりが出てきてかっしりとした像が感じられる演奏で、音楽監督の意欲が伝わっているのかもしれない。震災を経験したことで団員のまとまりができてきたからか・・という美しい話かどうかはちょっとわからないけれども、演奏に対する感想自体はそんな印象である。今日のソリストは仙台のコンクールを取った山本貴史君で、一気に人を引きつけるような派手さはないが、じっくりと伸びていくタイプなのではないか。

今日は午前中は、1月末にリハーサル室で行うおであり研究会のメンバー(地元演奏家のアウトリーチのために選抜した4人=地元と言っても二人は現在いわきに住んでいるわけではないがきちんと拠点をもっている)によるマタニティコンサートの話し合い。ホールでやるならば本来は有料にすべきプランだと思うけれども、震災対応の事業計画とした今年はそれを限定したので今回は無料。演奏家それぞれが少しづつ演奏するジョイント方式は実はなかなか良い企画にすることが難しくて、コンセプトが拡散してしまう怖れがある。そういうときに緊張感を保つ良い方法がわかればいいのだけれど・・・。
22日に集まってリハ、ランスルーをやることにしているので、いいコンサートになることを期待したい。


武蔵野の空

2012年01月08日 | 徒然

担当の先生が留学してしまうので今年一年だけ臨時で・・・と頼まれた武蔵野音楽大学のアートマの授業も1月に2回行っておしまいである。西武線仏子駅は昔ならばハイキングに来る場所だけれど、山一つが大学の敷地になっている。駅から歩5分の学校の入り口を入るとバス停があって、そこから構内バスで5分で大学の校舎に着く。便利ではないけれど、久しぶりに冬の武蔵の森の凛とした空気が気持ちよい。最近こういうのはあんまり見ていなかったな。

武蔵野は3年生の必修で受講生が9名。僕にとっては適当な人数である。少なすぎるのも困るけれども、多すぎるのもまた消耗である。顔や性格が見え、話をしやすい。当方の事情で特別にふたこまづつやらせてもらっているので、一回行くと200分程の時間がある。これはワークショップ的にやるのには都合のいい時間の長さであって、説明して、グループで話し合ってまとめて、コメントする。やれることは限られているとはいえ、こちらも気持ちよく寝ていただくよりもずっと良い。こういうのははじめてだったので、いくつか実験的なこともやらせてもらってこちらもとても勉強になった。
まあ校風はいろいろあって善し悪しを判断することでもないし、どこにも良さはあるのだけれども、ここの家庭的?な雰囲気は個人的には好きである。
昨日は田村緑さんをゲストにしたラジオ番組を組み立てる・・というのをやったのだけれど、実はビックサイトでやる就職説明会とぶつかり、多くの生徒がそっちに行ってしまっていることが判明。3年生ということはそういうことになるのね、という事態は初体験。他の先生に聞いたら「3年の後半から生徒が就職のことばかりで気持ちが集中できない」というのはまあ常識のような事態だそうだけれど、考えてしまう問題でもある(まあ土曜に授業をしているので仕方がない面もあるが)。