児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

いわきアリオス

2011年03月28日 | いわき

今日はいわきアリオスで自宅待機中の人が赤坂に集まった11名ほど。とりあえず、それぞれの状況が判留事も大事だと思っているけれど、いわきの情報もそれぞれが少しづつ持っていて、それを話せたのも良かった。でもそれなりにみんなストレスを抱えていることも間違いない。

アリオスは4月1日に企画、マーケティング、施設サービスの各グループはいわきで集合することになったので、そこで、これからどのようにアートセンターであり会館でもあるアリオスが(スタッフが)動いていくのかを話し合うことになるだろう。とりあえずは、大ホールや中劇場小劇場などの施設,設備はこれからであって、まだめどが立っているわけではないようだ。その辺も含めて3月いっぱいで自宅待機が解けて、まず事務所に行ってみないとわからないことも多いだろう。

とりあえず、アリオスのスタッフが取りかかることの方向性はおおむね頭の中にあるけれども、それで良いのかどうかはわからない。すべての人がそうだと思うけれども、やはり地域の会館にとってこれは未曾有のことで、それは結局動き出さないと判らないことなのだろう。


アップビート音楽祭

2011年03月22日 | 各地にて

土曜日に帯広(と言うよりも幕別町)のアップビート音楽祭のシンポジウムに呼ばれてでかけた。この音楽祭は三谷温さんというピアニストが7年ほど前からやっているもの。毎年この時期に帯広(十勝)地域のいくつかの自治体の会館で実施しているのだけれど、元々は実行委員会で、三谷さんが実行委員長で音楽監督である。自治体の会館として一番積極的に応援しているのが幕別町と指定管理者(NPO)のようだ。

基本的には音楽家と音楽関係者が中心の音楽祭らしく、コンサート中心である。コミュニティや育成も視野に入っているようで、今回のシンポジウムは音楽受容をどのように拡げるか、というのがテーマだった。音楽祭やアウトリーチのその先の話でもある。パネラーは、幕別町の教育長、ピアノ指導者協会の福田氏、音楽家の宮川氏と私。しかいはピアニストの三谷さん。宮川彬良さん(元々はミュージカルなどの現場をたくさん経験してきた人)が自分の経験から「もっと演劇的な要素を音楽家が持たないといけない」という発言をされていて、比較的意見が一致したのだけれど、実は宮川さんが予想以上に真摯に音楽の聴き方を聴き手に理解してもらうことを考えて居たのが印象的だった。ビジネス界の感覚のある人であるし、表現は違うけれどもある意味での思いは同じかもしれない。

シンポジウムでは事前の約束通り、いわきアリオスの活動を中心に話をした。数年のアウトリーチやコミュニティへノアプローチから地元演奏家がアウトリーチを意義付をもってやれるように組たてを勉強し実際にはじめた事など。ただ今回の災害で、じっくりと取り組みはじめたのとは逆に、時計の針を早く進めなければいけなくなっているが、今までのアリオスの活動の蓄積が活かせるのかどうなのかが問われる事態であることは間違いないだろう・・・ということなど。

今回の発言はホールの立場からの発言になっているので、この会の趣旨とは少し違う部分もあったかもしれないが、なかなか面白い会だった。文化庁の近藤長官が来るというのもちょっと期待をしていたのだけれど、こういう時期でもあり、東京を離れることは出来なかったようだ。

 


東京

2011年03月18日 | 徒然

特にプロデューサーという仕事は、普段から言葉というものに頼って生きているというか仕事をしているわけだけれど、言葉を拒否するような状況にあるときにどうすればいいのかということはなかなか難しいものだ。

いわきに行っているはずだった時間が空いてしまったので東京の家にいるのだけれどやはり原発のことが引っかかっていて落ち着かない。いつも時間が無くまとまった時間が欲しいと思っているにもかかわらず、こういうときにするべき事になかなか手が行かない・・・。ここ江東区は有り難いことに計画停電がないのだけれど、暖房に火を入れる気にならないので、毛布をまいてまず自分の部屋を片付けていて、まあそれなりに出来てきているけれども,日頃の大混乱のおかげでまだまだ時間がかりそうだ。あちこち行っているので知り合いが{どこにいるの?」と心配してくれるが、まあとりあえずそんな感じで1日が過ぎていく。

あすは帯広に飛びシンポジウムに出る。アップビート音楽祭の一環でアウトリーチの話をして、ということだ。会館をベースにものを考えている身としては、こういうときこそ普段如何にコミュニティと音楽家や音楽が、人たちと会館が関係を保っているかがわかるのだと思うけれど・・・という話になると思うのだが、いわきはどこまで出来ているのだろうか。新潟の時の小出郷のような結節点になると良いのだけれど。とはいえ、いわきでコミュニティ担当で外国にいたMさんも帰国して東京でじりじりしていると思う。

動き回って人と会うのがこういうときには一番落ち着くのかもしれないが、今週はじっと我慢かな。家で待つ側になるとむやみに出かけられるのも嬉しくないだろう。しかし、本当におおむね今年度の仕事がおわったこの時期だったのが私にとっては不幸中の幸いであるかも。

 


大分県玖珠町のクアチュールB

2011年03月16日 | 各地にて

更新が出来ていなくて済みません。心配してくださっていた方もいるかもしれませんが無事です。

先週9日から13日まで地域創造の音活事業で大分県の玖珠町と言うところにいました。湯布院と日田盆地の間の小さな城下町(森)ある町です。その最中に今回の大地震があったので、今回揺れを体感していません。東京に戻ってきてみると話題的にはやや取り残された感じもありますが、運がよかたと素直に喜ぶべきなのでしょう。ちょうどアウトリーチの間に会館で練習という時間だったのですが、docomoのアイコンシェルで強い地震で半蔵門線が止まっているという知らせが入ってきて、強い?あれ?と思って調べ、直ぐに事務所に飛んでいってテレビを見させて貰い事態を知ったという状態でした。どんどん大きくなる被害のニュースに演奏家も、それぞれ大事な人が東京にいたり出身地が心配だったり演奏家の人たちもかなり不安な状態でのコンサート実施でしたが、こういうときこそと非常に集中して演奏してくれて、会館の担当者もコンサートのアンコールのG線上のアリアに袖でなみだをながしていました。

一昨日は滋賀でのアウトリーチフォーラム研修会に出てその足で帰ってきて、確定申告を済ませて地域創造にいってと追いかけられた状態でおりました。いわきも心配ではじめ安否確認もなかなか連絡が付かず心配だったのですが、建物はともかくスタッフは無事のようで良かったです。今はアリオスは避難所となっていて(100組を超す人が来ているみたいです)とりあえず3月いっぱいは会館としては業務をしないことになっているようです。いずれにしろ当面は東京からいわきにいく手段もないのでとりあえず自宅待機。

原子力発電所もいわきから50キロくらいのところにあり、実際広いとはいえいわき市の北の端にある久ノ浜(津波で被害のあった地区でもあります)は30キロ圏内に入っていますので、刻一刻と変わる事態をはらはらしながら見ているという状況。


吉岡次郎さんのアウトリーチ(こまえ工房)

2011年03月03日 | 各地にて

地域創造の音活で東京都狛江市に来ている。と言うより通っていると言う方が正確。吉岡次郎さんは熊本のアウトリーチフォーラムで管楽とピアノのアンサンブルで参加していた一人だからもう6年くらい前になるか・・

音活登録としては初めてのつきあいであるし、彼もソロでのアウトリーチはそれほど経験がないと思う。音活は演奏家への準備期間が丁寧に出来ないので、内容は出会ってはじめて判る。今回も最初は少し迷いがあったように思うが、今朝は3回目にして長足の進化をしていて吃驚した。今更ながら演奏家とよばれる人たちの対応力のすごさは見事なものである。

今朝の回はこまえ工房こもれびは軽度の障害のある人の工房。昼間に通ってきて作業をしている一種の受産施設のようなところ。いずれここの進行はフィールドノートにも書くとおもうけれど、障害者関連の施設でピアノの周りに近づいて聴いてもらったのはちょっと不安があるのであんまり例がないように思う。ピアニストの津島さんにとっては異様な緊張だったと思うけれど、良いアウトリーチになった。