テノールの村上敏明さん、ピノの江澤隆行さんと九州2カ所の旅を終えて戻ってきた。とはいえ、長崎のあと帰京して、いわきで芝居を見、学校へ行き、TANの会議を終えて北九州に戻ると言う日程。
村上さんのイタリアンテノールな感じの声は、どこでもかなり強い印象を残したみたいで、またやりたいという声がしきり。
歌の人はどうしても衣装を替えて歌うことが多いのだけれど、村上さんも写真のごとく、燕尾服ではないけれど、きちんとしたステージ用の衣装である。
アウトリーチの時にどんな服装が良いですか?と聞かれることがあるのだけれど、これは難しい質問だ。それって、コンサートのようには決まりがない訳だ。決まりだってそれを金科玉条のようにするのはどうかな、と思う(決まりは壊すのが面白いでしょ)のだけれど。まあ、一般論で言えば私は基本的に平服でかまわないという主義なのだけれど、それだって、子どもたちなどはきれいな衣装を見ることも嬉しかったりすることもある、と言うことを経験すると「うーむ」と唸ってしまうのだ
結局そのアウトリーチの趣旨にも依りそうだ。クラシックを聞きに行くのは堅苦しい、話してはいけないし、咳もできない。服だってきちんとしないといけない。その上、音楽は乗りが悪いし、何と言っても長い・・等々の、為に言っている気もするような罵詈雑言?がクラシックに対してはある。他のジャンルはいいんだあー,と思ったりもするのだが,まあそんなことはないだろう。きっと、他のものは単に聞かないだけなんだよね。クラシックだけはジャンルだからきっと言われてしまうのだ。確かに、家でも親がクラシックの番組を見ているときなど、子どもは話しかけてもうるさいと言われたりするかもしれない。確かにそういう音楽でもある(だからホールで生を聞きましょうね・・というのはちょっと我田引水だな)。昔はクラシックは敬遠する(敬して遠ざける)という言葉があったのだけれど、最近は敬してももらえてない感じがするね。閑話休題
だから、演奏家もアウトリーチなどで、音楽は楽しいよ、気楽だよ・・と言う必要があるときには、そのような格好が良いだろうし、この曲はこんなところがすごいぞ・・と言うときにはあんまりお気楽な服ではまずいかも知れない。要はアウトリーチだって提供する側は「トータルコーディネート」があった方が良いのではないか・・ということだ。
この場所に於いては、私の立ち位置というのは監督でも演出でもない。まず何故それをやるのかという動機を明確にし、それをアーチストと共有することである。そこでアーチストは具体的なアイデアを考える。それは膨大な可能性の中から演奏家が選び取るものだ(その中で1時間で出来るのはわずか2つか3つのことを納得してもらえる程度だろう)。それが、現実の現場とマッチするか、演奏家が思っていることを伝える方法論としてこれで良いのか・・と言うことを点検し、より有効な方法論をいっしょに考えるのが、私というコ-ディネーターの役割だと思っている。
だから、アウトリーチの服装はどうするのが良いのですか?という一般論の質問への答えは難しい。村上敏明さんは、いろいろと話しをしながら進めて行くのだけれど、力一杯歌う姿勢を見てもらいたいと言うことが本旨にあったように思う。今回、それがとてもよく通じたアウトリーチだったと言うことである。
村上さんのイタリアンテノールな感じの声は、どこでもかなり強い印象を残したみたいで、またやりたいという声がしきり。
歌の人はどうしても衣装を替えて歌うことが多いのだけれど、村上さんも写真のごとく、燕尾服ではないけれど、きちんとしたステージ用の衣装である。
アウトリーチの時にどんな服装が良いですか?と聞かれることがあるのだけれど、これは難しい質問だ。それって、コンサートのようには決まりがない訳だ。決まりだってそれを金科玉条のようにするのはどうかな、と思う(決まりは壊すのが面白いでしょ)のだけれど。まあ、一般論で言えば私は基本的に平服でかまわないという主義なのだけれど、それだって、子どもたちなどはきれいな衣装を見ることも嬉しかったりすることもある、と言うことを経験すると「うーむ」と唸ってしまうのだ
結局そのアウトリーチの趣旨にも依りそうだ。クラシックを聞きに行くのは堅苦しい、話してはいけないし、咳もできない。服だってきちんとしないといけない。その上、音楽は乗りが悪いし、何と言っても長い・・等々の、為に言っている気もするような罵詈雑言?がクラシックに対してはある。他のジャンルはいいんだあー,と思ったりもするのだが,まあそんなことはないだろう。きっと、他のものは単に聞かないだけなんだよね。クラシックだけはジャンルだからきっと言われてしまうのだ。確かに、家でも親がクラシックの番組を見ているときなど、子どもは話しかけてもうるさいと言われたりするかもしれない。確かにそういう音楽でもある(だからホールで生を聞きましょうね・・というのはちょっと我田引水だな)。昔はクラシックは敬遠する(敬して遠ざける)という言葉があったのだけれど、最近は敬してももらえてない感じがするね。閑話休題
だから、演奏家もアウトリーチなどで、音楽は楽しいよ、気楽だよ・・と言う必要があるときには、そのような格好が良いだろうし、この曲はこんなところがすごいぞ・・と言うときにはあんまりお気楽な服ではまずいかも知れない。要はアウトリーチだって提供する側は「トータルコーディネート」があった方が良いのではないか・・ということだ。
この場所に於いては、私の立ち位置というのは監督でも演出でもない。まず何故それをやるのかという動機を明確にし、それをアーチストと共有することである。そこでアーチストは具体的なアイデアを考える。それは膨大な可能性の中から演奏家が選び取るものだ(その中で1時間で出来るのはわずか2つか3つのことを納得してもらえる程度だろう)。それが、現実の現場とマッチするか、演奏家が思っていることを伝える方法論としてこれで良いのか・・と言うことを点検し、より有効な方法論をいっしょに考えるのが、私というコ-ディネーターの役割だと思っている。
だから、アウトリーチの服装はどうするのが良いのですか?という一般論の質問への答えは難しい。村上敏明さんは、いろいろと話しをしながら進めて行くのだけれど、力一杯歌う姿勢を見てもらいたいと言うことが本旨にあったように思う。今回、それがとてもよく通じたアウトリーチだったと言うことである。