児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

アウトリーチの服装

2008年05月30日 | アウトリーチ
テノールの村上敏明さん、ピノの江澤隆行さんと九州2カ所の旅を終えて戻ってきた。とはいえ、長崎のあと帰京して、いわきで芝居を見、学校へ行き、TANの会議を終えて北九州に戻ると言う日程。
村上さんのイタリアンテノールな感じの声は、どこでもかなり強い印象を残したみたいで、またやりたいという声がしきり。
歌の人はどうしても衣装を替えて歌うことが多いのだけれど、村上さんも写真のごとく、燕尾服ではないけれど、きちんとしたステージ用の衣装である。
アウトリーチの時にどんな服装が良いですか?と聞かれることがあるのだけれど、これは難しい質問だ。それって、コンサートのようには決まりがない訳だ。決まりだってそれを金科玉条のようにするのはどうかな、と思う(決まりは壊すのが面白いでしょ)のだけれど。まあ、一般論で言えば私は基本的に平服でかまわないという主義なのだけれど、それだって、子どもたちなどはきれいな衣装を見ることも嬉しかったりすることもある、と言うことを経験すると「うーむ」と唸ってしまうのだ
結局そのアウトリーチの趣旨にも依りそうだ。クラシックを聞きに行くのは堅苦しい、話してはいけないし、咳もできない。服だってきちんとしないといけない。その上、音楽は乗りが悪いし、何と言っても長い・・等々の、為に言っている気もするような罵詈雑言?がクラシックに対してはある。他のジャンルはいいんだあー,と思ったりもするのだが,まあそんなことはないだろう。きっと、他のものは単に聞かないだけなんだよね。クラシックだけはジャンルだからきっと言われてしまうのだ。確かに、家でも親がクラシックの番組を見ているときなど、子どもは話しかけてもうるさいと言われたりするかもしれない。確かにそういう音楽でもある(だからホールで生を聞きましょうね・・というのはちょっと我田引水だな)。昔はクラシックは敬遠する(敬して遠ざける)という言葉があったのだけれど、最近は敬してももらえてない感じがするね。閑話休題
だから、演奏家もアウトリーチなどで、音楽は楽しいよ、気楽だよ・・と言う必要があるときには、そのような格好が良いだろうし、この曲はこんなところがすごいぞ・・と言うときにはあんまりお気楽な服ではまずいかも知れない。要はアウトリーチだって提供する側は「トータルコーディネート」があった方が良いのではないか・・ということだ。
この場所に於いては、私の立ち位置というのは監督でも演出でもない。まず何故それをやるのかという動機を明確にし、それをアーチストと共有することである。そこでアーチストは具体的なアイデアを考える。それは膨大な可能性の中から演奏家が選び取るものだ(その中で1時間で出来るのはわずか2つか3つのことを納得してもらえる程度だろう)。それが、現実の現場とマッチするか、演奏家が思っていることを伝える方法論としてこれで良いのか・・と言うことを点検し、より有効な方法論をいっしょに考えるのが、私というコ-ディネーターの役割だと思っている。
だから、アウトリーチの服装はどうするのが良いのですか?という一般論の質問への答えは難しい。村上敏明さんは、いろいろと話しをしながら進めて行くのだけれど、力一杯歌う姿勢を見てもらいたいと言うことが本旨にあったように思う。今回、それがとてもよく通じたアウトリーチだったと言うことである。



JRいわき駅前

2008年05月26日 | いわき
いわき市にとって、駅の周辺の活性化は非常に重要だと思っているとおもう(まあどこの街でも同じだけれど)。ただ、市の人口が分散しているいわき市がとくに必要としているのは街の賑わいの中心機能でその意味でも駅周辺の再開発は大事なのだと思う。力の拮抗した町の合併というのが難しいのは、そのあたりかも知れない。北九州にしても、中心地の醸成というのは、都市機能としては必須なのだろう。でもなんで? 分散型では機能的に弱いのか,と言うことになると専門外の自分にはあんまり自信がないのだけれど。幸福の思考方向が分散している現代の生活にとってどうなのだろうか。
いわきの駅前には、ラトブという大きな商業施設(まあパルコ型と言いますか)が昨秋できたのだが、今度は駅ビルを改築し長崎や仙台みたいにロータリーをペデストリアンデッキ化する計画だそうだ。いま、駅ビルがほぼ壊されたところという感じ。
ただ、いわきに通うようになってずっと気になっていることがある。写真(駅前)の向こうの方のビルの屋上にある「自由党 日本一新」と言う看板である。駅前だけれどいいのかなあ。

長崎の村上敏明さん

2008年05月25日 | アウトリーチ
 一昨日昨日と長崎で久しぶりにテノール村上敏明さんのアウトリーチを見た。
 彼はおんかつ第2期(2000-2001年)の登録演奏家。登録途中からイタリアのボローニャに留学して力をつけてきた。はじめは,妙に話慣れをしていて(歌い手には時々いるタイプだ)、かえって内容的に言いたいことが明確になっていなかったり、進行に奥行きとかが足りないように感じていたのだけれど、イタリアから帰ってきてからは声にいっそう磨きがかかってきたように感じて嬉しかったのを覚えている。オペラやカンツォーネを歌わせると、日本人臭さがなくてイタリアの歌手の味わいを感じることができるテノールだと思うが、それだけではなく、きちんと話しを整理して流さない方法というのを身につけて来たように感じた。
 ついでに言うと、今回のピアニスト江澤隆行さんが良い感じだった。アウトリーチの現場での沈着さも、ソロ演奏でのきっちりとした演奏も味があると思った。パリとストラスブールのオペラハウスでコレペティトゥアをきちんとしてきた余裕というのを今回ずいぶん感じた。

 ところで、アウトリーチの進行というのは一様ではないのは、音楽にいろいろな要素があるのと同じで、戦略と個性とをきちんとつくっていかないといけない。またそれが、人から与えられたものではダメであると言うことも、音楽家にとっては楽曲の解釈と通じるものがあると思っている。そのとき、コーディネート側が何を考え、何を言うのかということはなかなか難しい。音楽の場合演出家は音楽家である,と言うことを理解しておく必要がある。
前にも似たようなことを書いたかも知れないが、私の場合「顔を立てる」と言うことを一番大事にしているような気がする(あんまり意識はしていないのだけれど、結果的にそうなっているようだ)。顔を立てるというのは、別に演奏家の権利を大事にするとか言うわけではなく、ある曲や話題を話したときに、その話しをするのであれば曲はこういうものの方が良いのではないか、とかこの曲とこの曲をつなげたいならこういう話しでないとおかしいでしょう、とか言うものだ。演奏家と話すと言うことは、そういうものを彼らの内面から
掘り出していくような感じがする(まあ、言いようによっては、こっちは融通無碍というか何もない白紙というか・・)
だから、おんかつには演劇の専門家が関わっていて(まあ愛情のない人はダメですけれどね)、その力を発揮してもらえているのだと思うし、音楽関係の人もそこに踏み込む必要はあるのだと考えているのである。まだまだ勉強。

熊本のアウトリーチ

2008年05月14日 | 各地にて
熊本県は5年前に地域創造のアウトリーチフォーラム事業を受け入れてから、その後も継続的に県の芸術劇場と市町村とでこの仕組みを継続している。
13日は今年行う5つの市町村のかたと、興味のある人たち対象に、基礎的な考え方と自最適に体験する、という事業があり、そこで話しをしてきた。今年は、その上にコーディネーターを育成したり、地元アーチストのノウハウの向上などを考えているみたいだ。どうなっていくか楽しみだが、その意味でもコーディネーター役として育ってきた坂口さんがより力をつけてくれることで、事業も充実するのではないか。
今日会った坂口さんは、地元で情報誌「ドコサ」を毎月発行するなど、この世界で、なかなか商売にならなさそうな場所で頑張ってきていて、少しずつだと思うが地歩を築きつつあるのではないか。その分、3年前に比べて重みというかそういうものを感じられるようになって来た。人間の重みの変化というのは、しょっちゅう会っているよりもこうやって久しぶりに会う方が如実にわかるものだから。

私の話の後、午後は田村緑さんが模擬アウトリーチをした。男の担当が多い今日の会では、ピアノの構造などの説明への反応が素晴らしく良く、流石に男はモノマガジン系の乗りが充分にあるものだ。田村さんは最近の定番パッヘルベルのカノン(写真)で参加者と一緒に音を出して遊び、という形式の模擬アウトリーチをしたのだが,良い反応で安心したようだった。

NUUさんと草野心平記念館

2008年05月14日 | いわき
NUUさんは、草野心平記念館の学芸員の方の協力があって今回の「つんつんつるんぶつるんぶつるん」というCDが出来たのだととても喜んで居るみたいだった。だから最初のコンサートにこの記念館を選んだと言うことがあるのだろう。非常に気の入った演奏会だったと思う。
コンサートの最後はCD全曲。とはいえあんまり長いCDではないのでその分だと30分もかからないくらいだろう。いわきアリオスが急遽編成した14名の合唱隊も、無事に役割を終えることが出来た。合唱隊は商品としてはどうだったのでしょうかしらん、と思うけれども、楽しい雰囲気は出せたのではないかな。心平の蛙の詩にはいろいろと曲が作られて居るけれども、その中でNUUさんの曲も残っていくと良いですね。
いわき市のレジデンシーとしては、うまく行ったのではないか。

ちなみに、草野心平記念館ではちょうど蛙の特集のイベントをやっていて、朗読会(市民が,自分が選んだ詩を朗読する)とか、日本にいる様々な種類の蛙の写真と切り絵の展示とか・・・。小さな記念館だけれど、なかなか気に入っている場所。


NUUさんと草野心平と蛙

2008年05月10日 | いわき
NUUさん(シンガーソングライター。彼女は歌を産むといっている)のレジデンシー第2弾、今年は小川郷である。昨年からNUUさんは小学3年生の時に出会った草野心平の蛙の詩(特にるんるんるるんぶ るるんぶるるん というやつ)に惹かれていて、ついに作曲もしCD黙すということになったのだそうな。
今回のレジデンスは全部小川郷(心平の生まれた町)で、心平の生家、記念館、昔店を持った小川郷駅のすぐそばのスペースなど。昨日今日で3つ、明日は最後に記念館でCDの全曲を演奏発表することになる。

昨日は、生家の今での演奏。初めてPA無しの生を聞いた。彼女の歌と声の特徴は、不思議な言葉の感覚と声のリアリティにあると思うけれど、生声にするとより聴き手の反応の良さを引き出し、きちんと意味が伝わってくる。もちろんPAを使うことで音は大きくなるしよく聞こえるのだけれど、直接話しかけられるような気がする,という意味では予想通り生声の良さはあるように感じた。これは貴重である。ただ、声楽的に訓練され大きな声を作れる人ではないので広さと人数には限界があるだろう。でも聴き手の反応のスピード感はこっちの方が良かったようで、そのことは見ていて妙に嬉しかった。

夜はアリオスに戻り、日曜日に草野心平記念館で行う、CDの全曲演奏のための練習。これにはコーラス隊が必要だそうで、アリオスで編成した(といっても合唱団の有志とアリオス職員で編成したのだけれど)合唱隊が後ろで2曲歌うことになったものだ。一週間前に楽譜を渡されたのだけれど、全く歌えない。やはりこれは耳から聞いて覚えるしかないだろう、というもので、昨日は不安いっぱい。でも何とかなりそうな気配ではある。
プロデューサーやスタッフもこう言うときは、意気に感じて出るのがルール。

写真は 草野心平生家。玄関を入って土間を上がったところに囲炉裏が切ってある。囲炉裏から部屋の方向に撮った写真であるが、これに似た作りが親の田舎の長野県でもあった。妙に懐かしい。




いわきアリオスのバックステージツアー

2008年05月07日 | いわき
今日はいわきアリオスバックステージツアの日。まあゴールデンウィーク子ども向け企画というところか。
今日は、はじめに裏方チームの大プレゼンテーション(音響照明舞台)があり、その最後に迫りから案内をしてくれるお姉さん(スタッフ)が出てくる。流石日本最強の,といっても良いアリオスの設備は見栄えがすると感心。そのあと、大ホールをほぼ一回りしていただき、各場所でちょっとづつ遊んでちょうど2時間。
午前午後各3組づつに分かれたので、合計80名くらいになったかな。案内は二人づつだったけれど、先頭と最後に付いて、ドアの開け閉めとかもあり、ちょっと大変だったかも知れない。
ステージスタッフの人たちも普段は人に言われてやることの方が多いだろうから、こういうことはすごく良いと思う。その上、いろいろと機構を試すこともできるわけだから一石3丁くらい。今回はほとんど全部裏のスタッフが企画制作でありました。
第一生命ホールでやろうと思ったときは、いろいろ制約があったり、見せるところが少ない(機構的には音楽ホールはつまらないから)こともあり、オープンハウスというスタイルにしたわけだけれど、裏の人が活き活きとしているという意味ではこっちの方が面白いところもある。本当は両方できると良いのだろうけれど、それはそれでまた難しいのかも知れない。
というわけで、今日は面白くできた。また7月の夏休みに入ったところでやる計画がある。

ゴールデンウィーク

2008年05月06日 | 徒然
久しぶりに3日間トリトンの事務所に顔を出し、行けていなかった病院にも行き、5月3日は本当に久しぶりの全休日。とはいえ家の用事もあり入間に。
嘗て同じ公団に住んでいた仲間が集まっての3家族の飲み会。本当に久しぶり。それぞれが男の子どもを2人持ち、そのうち5人までが社会に出ているので、みんなそれぞれに人生を楽しんでいるという感じがする。公団の中でこういうつきあいをしているのは比較的珍しいかも知れない。
翌日はバスでいわきに。5月4日でバスも指定が取れたので多寡をくくっていたのだが、思いのほか渋滞した。友部のサービスエリアでは、バスを降りたら、乗用車の列。駐車スペースにはほとんど止まっていないのに、みんながSAを出ようとして出口に向けて渋滞をしている。バスの運転手さんは10分の休憩ですから、トイレ以外には行かないように、買い物をしてレジに並ぶと遅れます・・と宣う。狭いバスで4時間半以上かかり、草臥れて到着。磐城高校の吹奏楽団の本番だったのだが、彼らは地元のスターである。1700席のアリオスが満席。結局聴けなかった。すごい。
しかしゴールデンウィークも関係ない行き来はこれで良いのか知らん,と考えてしまう。それにつけても最近はエンゲル係数が高すぎるような・・・