児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

長与の堤剛

2010年10月30日 | 徒然


堤剛さんが文化庁の演奏家派遣事業の「夢なんとか・・・」で長崎市北側の長与町の駅から5分ほど旧坂を登ったところにある長与第2中学校の講堂で演奏をした。学校の30周年式典のメインイベントのような感じで約1時間話しを交えながらの演奏。前日、長崎に入った夜は私は宮本さんのアウトリーチが終わって送り出したところで、ちょうど時間もあり、久しぶりにピアノの小森谷さんともども一緒に長崎の美味しい魚を堪能した。
さて今日昼の長与での堤さんのコンサート。話は調布で聞いたときよりもスムースで話の流れもちぐはぐさがあんまり無く、他のアウトリーチでもなかなか聞けない内容の解説もあって、個人的にはとても面白かったし、なるほど!と思うことがいくつもあった。世界を広く飛び回っている演奏家に見えていることはこういうことなのだ、と感じるところもあり本当に面白い。
講堂の舞台の上であることもあっただろうが、それ以上に、生徒700人程度、父兄50人ほど、来賓60人ほど、先生たちが45人ほどという中劇場でもあふれるくらいの人数だったので、音楽の音の伝わり方は若干充分とは言えなかったと思うけれども、演奏はさすがとしか言いようはない。
学校の先生の対応もきちんとしていて、多分堤さんは気持ちよく演奏できたと思うし、突然訪れた私に対しても親切にしてくれて気持ちが良かった。そのせいか堤さんは予定よりも少し長めに話しをした。

でも、このやり方で芸術音楽の理解者を増やす、と言う本分がこれで果たせていたのかどうかはちょっと考えてしまうところもある。それは学校の意識と言うよりは送り出す方の意識の問題かもしれない。また、堤さんの演奏やお話がどうこうと言うことではない。進行をいつも筆記しているのだけれど、私のノートの隅に感想としてこう書いてある。「この会は子どもに行儀を教える生活指導という意味では成功していたと思うけれども、学校教育の中で芸術鑑賞の仕方を身につけるという意味ではどうなんだろうか」そのくらい、子どもたちは「静かに」鑑賞時間を過ごしていた。この700人ほどの中学生のなかに感動して大きくなっても覚えている人がいることは充分あり得ると思うけれども・・・

長崎の宮本妥子

2010年10月30日 | アウトリーチ

アウトリーチで安定した力を発揮している人に共通するのは、これなら大丈夫という型を持っていること、キラーコンテンツがあること、でも新しいアイデアとプランを常に心がけていること、同じようでも毎回新鮮な気持ちを持っていること、など共通のメンタリティがある。
宮本さんもその一人。彼女のアウトリーチは楽器の数の多いことなど輸送などで 幸田で行っていたときにややちぐはぐとしていた共演者後藤由里子さんとの関係も非常に良くなっていて安心してみていられる。そして、特に最近、宮本さんが後藤さんの能力(作、編曲のちからも含めて)を高く買ってアウトリーチのプログラムに活かしているのが印象的である。今回は野呂さんの詩による絵本「いろがみのうた」で13の色の朗読と音楽をコラボレーションしたのだけれど、宮本さんの構成に後藤さんが作曲をしたとのことである。
本の読みは長崎の俳優、田中がんさんにお願いした。彼は比較的古いタイプの演劇人のような気もするけれども、語りの言葉に力があるので、こういう設定ではそれがとても活きていたように思った。前日のリハーサルは少し苦労したようだけれど、自分の設定がはっきりとしてくるにつれて読みが音楽に嵌っていった感じがする。野呂さんの詩もイメージを呼びよこすような良さがあって、色を重ねるごとに子どもの気持ちが集中していった。これはまだ様々な活用が出来そうな絵本。でも、宮本さんの良さはこういう抽象的なことを音楽で巻き込んでいくことに能力のある演奏家だと言うことだろう。
2月のガラコンでは、後藤さんの新曲(月の3部作の3曲目)「蒼月」(タイトルは予定)を初演する予定だそうだ。今回はマリンバで比較的静かな曲になりそう。後藤さんの繊細な神経が、夜が明けて空に白く残る朝の月のイメージをどう書くだろうか。

写真は三和中学校でのアウトリーチ。この絵はやなせたかしの「光よ」を読んでいるところ。

尾道の小野明子

2010年10月26日 | アウトリーチ


尾道に小野明子さんに来て頂いている。
今回は午前中が保育園、午後が小学校を3日間。
ヴァイオリンという楽器は小さな子どもには難しそうだと言うのは経験的な印象である。小野さんの場合も今までの彼女のアウトリーチを見ていて保育園はどう持って行くのかなあ、と少し心配をしていたのだけれど、非常にはまっていてちょっとびっくり。話し方やもって行き方も参考になる。保育園(幼稚園と保育園を合同したこども園も含む)は1歳児から5歳児までかなり違いがある子どもたちなので、当然ながら集中力の持続時間の違いは明らかなのだけれど、それでもあまり気にしないで見ていられた。
演奏の力というのはもちろんある。とはいえ、まず目線が子どもに近いので語り方が良い。それに言葉の選び方もほとんど問題がない。20日に帰国したばかりでまだ日本語が出にくいのではないかと思うのだけれど・・・。時間はやはり長すぎない方が良いようだ。45分の予定だったけれど35分くらいで長さでちょうど良い感じだった。
いくつかのポイントは、まず、出て行ってはじめに話しから入ったこと。演奏から入りたくなるけれども、最初の10秒の時間がなかなか難しいのである。はじめにみんなの知っている曲を演奏したこと。昨日今日の保育園は両方とも5歳児がハンドベルをやっていて(七つの子とかふるさととか)それを最後に子どもと共演したことも楽しかった。
今回は「メモを取るのは最後だけにして」という本人の希望もあり昨日今日とメモを取っていないので、フィールドノートに出来るかは不明。




熊本の邦楽活性化事業

2010年10月23日 | アウトリーチ


それぞれの演奏家にとっては、これから県内の市に行って学校でのアウトリーチとコンサート(又はワークショップ)に臨むので、次が本番と言うことでもあるけれど、アウトリーチフォーラムも含めこの手の事業は、地域のために演奏家が何をやるのか、やれるのかというところを突き詰めていくと、そこを現場で一緒に考えていくしか、良くする方法が思いつかないのが今のところの日本の現実かもしれない(最近音楽大学でも取り組み始めているとはいえ、本気で教える人がまだ少ないわけだから)。それに、それを一生懸命やったあと、アーチストが選ぶ途として何が示せるのか・・・ということなど悩みはつきないわけである。
個人的には邦楽は「これから登る山」なのでより興味深い。常にクラシックと比較しながらああでもないこうでもないと考えるのも楽しいのである。クラシックの方はやや峠にいるような気持ちになることがある。もちろん現場は面白い。演奏家も子どもたちも一回一回反応が違うわけだから、よくピアニスト田村が言うところの「一期一会」の緊張感があるのだけれども。
3組の演奏家たちは、邦楽の専門家に推薦をして貰った上で主催者のプロデューサーと共に面接をして(面接と言うと偉そうで使いたくない言葉なのだけれど、誰かが責任をとって選ばないといけないわけだから)3人を選び、その人にグループを組んで貰うという方法。邦楽の場合特に合奏形態が多くないこともあり悩ましいのだけれど、コーディネーターと個人のアーチストが向かい合ってしまう怖さもあるので、より話し合いが必要なグループの方が手法開発には良いのではないか、と言う判断でKOTOしも箏の方を中心にした。でも地唄の方が入ったので三味線が中心になっている組もある。広島でやった雅楽や長唄三味線も面白かったのだけれど・・・。
来年1月15日の熊本県立劇場のガラコンサートで3組が再集結するまでそれぞれのグループがどのようになっているかとても楽しみ。熊本在住の作曲家光永浩一郎さんに合同演奏の曲をお願いしているのでそれも楽しみである。
写真は合宿最後に熊本市立帯山西小学校で行ったアウトリーチの模様の一部。




玉名のラーメン

2010年10月15日 | 徒然
玉名の名物は・・・と聞くとラーメンとこたえる人が多くて、どこどこが美味しいと聞く人によって違うというのは、各地でおこっている事なのだけれど、昨日の昼はみんな休店で食べられず今日に持ち越してわざわざ食べに行った。熊本とも博多とも違うと言うのでちょっと期待したのだけれど、比較的ふつうのラーメンでした。
その代わり、玉チーズというお菓子を広瀬さんが発見してきて食べたのだけれどこれは美味しかった。チーズまんじゅうのようなものだけれど。
今回の玉名での2日間4回のアウトリーチは、子ども反応が良く楽しい2日間だった。
広瀬さんは、アウトリーチの構成については一皮むけた感じ。それに従って演奏の方も良くなっていると思う。木野さんはまだ試行錯誤状態だけれど問題点はだんだんと理解してきていると思う。15日にあと木野さんのアウトリーチが2回あるのだけれど、それは失礼して帰京した。
彼らとは2年間の登録期間のつきあいなので、一応これで終了ではあるけれど、彼らが地域で生きていくための何かが残せているとすれば良いのだけれど。
熊本は来週もまた地域創造の邦楽活性化事業で訪問する。今度は熊本市内。


熊本県玉名市は温泉のまち?

2010年10月12日 | 徒然
熊本県の玉名は過去一回も降りたことがない駅。普通は何の町とか何となく見当が付くのだけれど、ここが温泉の町ということは知らなかった。今回は熊本県の演奏家派遣事業のコーディネート(コーディネートと行っても県立劇場のスタッフはみんな優秀で所謂コーディネートは出来ているように思う。だから私の役割は演奏家の部分が多いのである。今回は2年前にオーディションをした木野さんと広瀬さんの2年目のアウトリーチの立ち会いである。二人とも違った個性で面白いのだけれど、こうやって一緒にはなしていると演奏家の間にも同志の意識が出てくるものらしい。そういうのがとても良いと思う。
昨日もいわきで来春アウトリーチをやる「おであり研究会」なる企画の演奏家の一人(オーディションで選んだ4人おうちの一人)と話す機会があったのだけれど、どの都市でも大体同じような空気があるのかもしれない。
今日は練習とランスルー。玉名市民会館はかなり古い会館で、舞台も正板がない作りなのだけれど、古い木の床は思ったよりも音が響いていた。このランスルーは昨年も彼女らからは「子どもの前に出るよりずっといや」と言われるのだけれど、この嫌な状況が明日の子どもの前での楽さに繋がるのでやっておいて損はないのである。
明日は玉名市内で広瀬さんのアウトリーチ、明後日は木野さん。なかなか機会が無くて・・と言っていたけれど、一年間、面白さを感じてくれていればいいのだけれど。


鶏鳴

2010年10月11日 | 徒然
一度書いたかもしれないが・・・
舞鶴の小学校でサックスの桜が練習を始めた途端、学校で飼っている鶏が鳴き出した。
鶏が朝一番早く鳴き、それによって様々な動物が動き出すのは知られているけれど、やはり気配の反応には敏感な鳥なのだろうか。翌日の伊根町でもSQの音に森の鳥が反応して鳴き始めた。
やはり生の音楽は、鳥の(鳥に限らず)脳みそを刺激するのだろう。
昔アコーディオンの御喜美江さんと一緒にコンサートに行ったとき、主催者から頼まれて前日に梅祭りの屋外のステージに出ることになったことがある。響かない音響ではあったけれど、演奏を始めたら突然ウグイスが鳴き出して御喜さんがうれしくなった事があった(ずいぶん前ですね)。マネージャーとしては演奏家が気乗りしない事を頼むときはなかなか気を遣うのであるが、ウグイスのおかげで助かった。
コンサート会場での演奏では外から音が入ってくるわけではないし、演奏が外に聞こえることもない。それだけ環境が良いと言うことも出来るけれど、自然の音は気持ちが良いものである。
こういう現象は、音楽というジャンルのもつ特殊性と能力を表していると思うが、そのことは音楽の世界の人によってより語られていかないといけない。現在の比較的功利的な世徴のなかの論理ではなかなか見出しにくいかもしれないけれど。アウトリーチなど音楽普及の局面ではそれをうまく使った方がかちであり、そのための手法というのもをいくつも貯めてあることが演奏家の一つの能力になってくるだろう。

カルテット・アース伊根町のアウトリーチ

2010年10月11日 | 各地にて
京都のアウトリーチフォーラムは丹後地域で展開している。中丹文化会館や京都府の方たちの動きが良く、良い感じで進んでいるのが好ましい。10月7日は舞鶴でサックスクァルテット桜の小中学校、10月8日は丹後半島の東側伊根町でカルテット・アースのアクティビティ。
伊根は天橋立駅から車で50分くらい、人口2000人くらいのまちである。山も海も本当に自然が濃い。入り江にある舟屋で有名である。湾なので海は比較的静かであり、昔は交通手段としては陸よりも海の方がよほど効率的で安全であっただろう事は予想がつく。舟屋は以前から興味深く思っていて、舟屋の民宿とかには泊まってみたい気持ちはあったけれど、来る機会があるとは思わなかった(今回は演奏家と一緒なのでホテルだけれど)。とはいえ、スケジュールが詰まっていたため昨日の夕方に通ったくらいでゆっくり見ることは出来なかったけれど。
伊根は弦楽四重奏のアース(earth)が担当、3日間でまちのすべての学校(小中2校づつ)とデイケアセンターを訪問した。見たのは3日目の本庄地区(伊根町の一番奥)にある学校。アースの4人もずいぶん慣れてきて、それぞれが何をするのかがほぼ頭に入ってきているみたいで、5月末の時の堅さがとれている。それは、実際のアウトリーチの場面だけでなく、普段の動作にも現れているし、コーディネーターとの関係もずいぶんこなれてきた感じがする。一番堅かった鈴木慶子さんが積極的なのが良い。また、田中愛さんもまとめ役としていろいろ気を遣っているようで、来週の京丹後市のアクティビティもまた少し進歩しそうだ。12月のガラの時が楽しみ。

かつての炭鉱の島池島でのエスプリ

2010年10月02日 | アウトリーチ
外海の池島は、いったん長崎市から西海市に出て、大瀬戸というところからフェリーに乗る。
遠藤周作記念館のあたりからも、島の上にビル群の見える不思議な島が見ることが出来るが、これが池島。
盛期には大変な数の人が炭鉱のために働いていたようで、その面影は島の中至る所に散見できるけれども、廃坑になってからは人口も減少に一途。今は300数十人が住民票ではいると言うことだけれども、今度の国勢調査では300を切るのではないか、と言っていた。
一時、炭鉱はしめられたけれど、東南アジアの人などに最高の技術を教える場所として活用されていた。それも数年前に終わったようだ。
フェリーで30分。上陸すると大きなアパートがいくつも見える。しかしその中で人が住んでいるのはいくつかで、それも、一つのビルに数家族・・という感じらしい。谷間には昔栄えたであろう歓楽街(飲み屋街)があるらしく、そのあたりは一軒家がずいぶんあるのだが、すんでいるのは一部だとセンターの方が言っていた。
学校も、昔は小、中学校別々にかなりの巨大校だった様子が見えるが、今は小中合わせて生徒7名。先生は13名だということだ。しかし学校の使用部分はこぎれいで居心地は悪くない。子どもも元気で純朴なのだけれど、少し大人びているような気もする。
ここに、10月1日に木管5重奏のエスプリと行ったのだけれど、ここでは7人の子どもに5人のエスプリが何をするか、というのが最大のテーマ。
少なからず思いつきなのだけれど、エスプリが子どもを囲むように座って弾く、と言うのをやってみた。それから、一つの輪に演奏家と子どもがはいって12人の輪を作り(子どもは演奏家の間に入る)、その位置で演奏を聴いて貰うというのもやってみた。なかなか実験的であったが、いくつかの問題点とクリアすれば大丈夫なのでは、ということになり声かけをしてここにやって頂く事になった。
結果、なかなか面白い事が判明。子どもも演奏家も新しい関係の中でも音楽を楽しんでくれていると良いのだけれど、どうだったかな。