児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

瀬戸田の現代美術

2011年12月27日 | 徒然

1989年代の終わりから90年代の初めくらいは公共が新しい冒険をやった時代である。20年たった今の視点から考えると、この頃はまだメセナ協議会もなく地域創造もできておらず、こういう冒険に社会が理屈付けという後押し(または良くも悪くも枠つくり)を組織的にする状況ではなかったので、会社ならば経営者の、自治体ならば首長の思いと決断と勇気でやっていたのではないかと思える。
当時の瀬戸田の町長は柑橘類も造船も後退期であることから、観光を中心に考え島の中にいろいろな仕掛けをした。ベルカントホールもその一つだし、島の周遊道路のそこここに現代美術を配置したのも、こどもの踊りの集団を作って町作りをしようとしたりしたのもその戦略のひとつ。
今は、尾道市に合併してしまった瀬戸田町であるが、当時のその戦略は、時代の曲がり角であったがゆえにそれが必ずしもうまくいかなかったのは事実かも知れないが、何らかの文化的なものは残しているように思える。ベルカントホールではサポーターを中心に事業の運営をしていくことで、企画と少なくとも会館を訪れる住民との関係はある暖かさを持った関係が作れていて、それがここを訪れた演奏家に良い印象を与えて来ているのは事実である。
島のあちこちに散らばる現代彫刻の方はなかなか活用されているとは言い難いが、ベネッセの社長はこの島のものを見て直島の構想を持った、という話もある。いまやベネッセは瀬戸内芸術祭をトリエンナーレで行ったりしているけれど、何年か後で尾道やこの島の美術と音楽やダンスなどのコラボレーションができるといいなあ。島の南の南小学校の横にあるこの黄色いモニュメントは、毎年ここで観月会が開かれているそうだ。

中川賢一君と見に行って「20数個あるモニュメントのうちのいくつかをバスで巡りつつパフォーマンスも一緒に見る」というイベントができるといいねえ、と話した。準備が大変なのはちょっとつらいけれど、音楽でも何かできそうではある。まあ写真のように半分海につかっている(この時間は干潮)のもあるから大変ではあるけれど…。


初787

2011年12月26日 | 徒然
昨日今日と尾道で中川賢一のワークショップ、昨日は幼稚園から小学校低学年を2回、今日は小学校高学年から中学生で、向島に2年前にできた小さな会館「こころ」の舞台上での実施だったけれど、久しぶりに中川くんのワークショップを見ておもしろかった。低学年向けにやったのは
♪展覧会の絵 のプロムナード
お話、自由に色を思い浮かべるとか
♪アラベスク第1番
お話、月の光の説明
♪月の光
ピアノコーナー(ピアノの構造の説明)~ピンポン球
キエフの大門の最後部分をピアノの振動を感じながら聴く
図形楽譜
♪クルタークの バーリント・エンドレを想って
♪平山郁夫の版画を見ながら即興
♪子供に手伝ってもらい子供の絵を見ながらの即興
♪キエフの大門
定番的で安心してみていられる進行の1時間。細やかな配慮があって慣れているだけでなく、一回一回に新鮮さを持てているなと感じた。

今日の高学年向けは
低学年向けに加えて
モーツアルトのさいころ遊び
メシアンの喜びの聖霊のまなざしの解説(メシアンの音階できらきら星を歌うとか)
メシアンを聴きながら 自由に絵を描く(10メートルの大きな長い画用紙を使用)
描いた絵を見ながら再度メシアンを聴く
キエフの大門を聴きながら絵を描く

と行って約3時間。
そして今日の帰りの広島からの飛行機は
ANAが11月から導入したボーイングの最新鋭機787。
室内の照明は青いLEDで落ち着いた感じ(自然とはいえないけれど)、椅子は2,4,2で手すりはやや広い感じがする。座りごこちも悪くない。



いわきアリオス カスケードコンサート

2011年12月20日 | いわき
クリスマスのカスケードコンサート。今回はバッハコレギウムのメンバーによる声楽カルテット、小瑠璃の演奏で、クリスマスソングを中心としたプログラム。
音が響きすぎる傾向があるカスケードだけれど、こういうアカペラの合唱は非常に美しく響く。歌う方もかなり快感だろうけれど聴く方も気持ちがよい。まあカスケードだからこういうプロなのだろうけれど、もう少しじっくり聴く曲があっても良かったと思えるくらい。
住んでいる人の心の奥の傷はそんなに簡単に癒えるものではないし、芸術、特にみんなに集まってもらって行うパフォーミングアーツがいくら力んでみても、結局は生活の中にある一つ一つの美しさを感じることがその人の心に活力を作っていくのだと思う。その意味ではこういうように普通に芸術活動がそこにあることはとても重要なのだろう。
今日の選曲は小さな曲が続くことでややこじんまりした印象も受けたけれど、こういう清浄な音楽もよい。

和歌山県橋本市、村田千佳さんとゼッパールトリオ

2011年12月17日 | アウトリーチ
写真がないのが申し訳ないのだけれど、何しろカメラを忘れて出かけてしまったので・・
アウトリーチフォーラム、和歌山県橋本市のゼッパールトリオ(村田千佳、山田麻実、山田幹子)のアウトリーチをみてきた(12月15日)。自分が直接担当していないと気楽ではあるが、それまでの経緯なしで見ることになる。それが良いのか悪いのかよくわからないけれど、今回のトリオの構成力はすでにフォーラムの域から一歩出ている感じだろう。スタッフの活用、子供への事前アプローチ、現場での気配りなど、特に村田千佳さんの発想は脱帽ものである。もう少し自分という人間が出てきて、こなれた感じがあるともっと良くなるだろうけれど。

ずいぶん前に、トリトンアーツネットワークがまだアウトリーチを初めてそれほど時間がたつ前だと思うけれど、山本彩子(チェロ)と中央区の小学校で行ったときに、村田さんがきちんと書いてきた進行プラン(台本)が良くできていて、終わった後コピーをさせてもらったのだが、まだ手法があんまり明確にイメージできていなかった僕としては、良い見本であった。実際、これを何回か演奏家向けの研修でモデルにさせていただいた記憶がある。そのときのプログラムは
愛の挨拶
白鳥
黒鍵
バッハ組曲プレリュード
イタリア組曲から 3曲
シシリアーノ(パラディス)
鳥の歌
校歌
パラディスのシシリアーノの話で、「彼女は目が見えなかったけれど、目を閉じても光は感じられるように、とても光を感じるような曲を書いた。音楽は光も表すことができる。パラディスは柔らかい、暖かい光を音楽にしてくれました」
という話をした。ああ、ここで目をつぶれば、子供たちはパラディスの感じた光を感じるだろうな・・・という気がしたのを覚えている。考えて見ればこのときも村田さんが進行をつとめていたな。

たぶん2002年か2003年だったと思う。

村田さんはその後留学してしまったのだけれど、構成を考える力はもちろん、室内楽だけでなくソリストとしても一回り大きくなって帰ってきた。こういう出会いも嬉しいものだ。

響ホールの舞台上コンサートで考えたこと

2011年12月11日 | 各地にて
11月30日にやった響ホールの舞台上のミニコンサート。神谷未穂さんも田村さんも、「これはアウトリーチの一環とは言えるのかしら?」と言いつつ、実はとても幸福なコンサートだった、こういう演奏はもっとやりたい、という感想を持って帰ったというのは間違いない。私にとってはそれほど驚く話しではなかったけれど、その満足の仕方の意外性が思いのほか強かったように思えたので、「これは常に新しく芽生えてくる問題なのだ」と思えた。面白い。
聴き手の感想はわからないが(それが安くて来やすかったからなのか、本当に内容に満足していらっしゃるのか、両方なのか、他に要素があるのか)、その場の雰囲気はとても良かった。こういう雰囲気は何度か体験したことがある。この雰囲気を作るのは、近いこと、少人数なこと、客層が拡散していないことの3点だろう。そして、そういう場所がここ10数年の間にかなり減ってしまったということかもしれない(これはクラシック音楽に限ったことではないだろう)。
会館や主催者、そしてアーチストとしても、マネジメント的にはいろいろと大きな課題もあるけれど、基本的にこういうのはクラシック音楽というサロンから出発した音楽の本質に近い何かがあるように思われる。かつてどこかに書いたことだけれど、1990年代のカザルスホールの成功はそれ以前から盛んになっていた首都圏各地のサロンコンサートの活動の延長線に位置づけても良いのではないか、そのエースとしてのカザルスホールという場所と事業のあり方が受け入れられたのではないか,と考えられるのである。今は大衆ではなく小衆の時代(これはもう何10年か前にマーケットでは言われていたことだが)だとすると、渡辺和さんがブログで、最近の極小コンサートホール(少し古いけれど大泉学園とか近江楽堂とか、最近だと鶴見とか・・・)でのコンサートの心地よさのようなものについて書いていたけれども、このことを、社会としてどうすれば多くの人たち(大人数ではなく多種の人たちという意味もある)の満足になるのか、ということは本気で考えないといけないことであろうと思う。多数の聴衆の満足だけ追いかけても「一将功なりて・・・」になって、結局種が枯れてしまってもいけないしね(共有地のジレンマ)。

長崎のOB演奏家2(田中絵里さん)

2011年12月09日 | 各地にて
今回の3日間の最後は、メゾの田中絵里さん。ものすごい頑張り屋で、こういう事業に対しての熱意はすごい。それに動かされるところもあるが、意が強すぎるのは気になるところもある。娘さんが国立の声楽に通っていて、お母さんとしては大きな期待を持っているようだ。よいソプラノだということでちょっと楽しみ。
今回は「命・夢・愛」というテーマを持ったコンサートになっていて、特に地域ネコという活動に共感しているので、前半は命を考えるように動物の歌を中心にして、子供に自分の飼っている動物の詩を書いてもらったり、工藤直子ののはら歌を朗読したりと工夫がいっぱい。後半は夢と愛をテーマにした曲目を並べたがややすーっと行き過ぎた感もあり。最後は坂の上の雲のテーマ。
彼女のプログラムはいつも考えすぎかと思えるほどよく考えているので、大きな流れは安心してみていられる。今回のOBはいずれもそういう感じはあって、アドヴァイスをしなくても一定のことはもうできると思うけれども、それでも彼らの向上心に答えるためにも時々は見に行くのは必要かもしれない。でも今回は特に楽しかった。
事業は組み立てを変えていくことも必要ではあるけれど、こういうことを続けることが長崎というまちの音楽の状況を本当にポジティブかつ暖かい環境にしていくためには必要だと実感する。単に会場に聞きに来る聴衆の数の問題ではない。会館や市とアーチストの信頼関係を作っていくことがこれからの可能性に拡がるはずなのだけれど・・・。その意味では担当の色摩君が今年OB枠を作って事業をしているのはヒットだった。

津軽三味線のアウトリーチ(長崎)

2011年12月08日 | アウトリーチ
長崎のアウトリーチ今日は2日目。最南端の野母崎にある野母崎中学校だけれど、今建て替え工事中だそうで、そばにあって今週閉校になった高校を借りて授業をしている。
諫早に住む木下恒在さんは今年3回めだけれど、今回いろいろと工夫をしてきた。
まず、生徒代表に楽器に触る機会をつくった。これは一人だけれど、なかなか効果的だった。もう一つは、津軽三味線の場合、気に入ったら(カッコ良いと思ったら)拍手をすることで演奏に協力して欲しいと言って、実際に拍手をしてもらった。賛否あるかもしれないけれど、津軽三味線の演奏を聴くルールとして教えるのは有りだろう。実際に拍手によって木下さんののりが良くなるところがあり、子どもとのやりとりなっていたので良かったかもしれない。少しタイミングのずれがあるように感じたけれど、まあ個々人の感覚によって拍手するので構わないだろう。
話しでは話し始めるときにまず「これから楽器の話しをします」「三味線の歴史を話します」と明確に言っていたのがうまく言っていた。彼の場合、多分色々な形で客の前に出る機会は多く頭の回転がよいのだろう、その場で話を変えていってしまうところがあるけれども、最初にはっきりと言うことで、子どもも本人も明確になってわかりやすいと思った。誰でもと言うわけではないが木下さんにとっては今それは活用すべきだろうと思う。

でも全体に前回と比べてよく考えてあって、全体の進行の流れは比較的スムースに出来ていたと思う。時々話が飛んでいくのは良かれ悪しかれ彼の特質であって、それを修正するのも方法だけれど、その間の良さを活かしていくことも大事だと思う。

川口の邦楽アウトリーチ(山田流、鈴木真為さんほか)

2011年12月07日 | アウトリーチ
順序が逆になってしまったけれど、先週の金曜日(12/2)埼玉県の邦楽活性化の最後野町である川口での事業があって、山田流の鈴木真為さん、樋口千清代さん、千葉暢さんが中学校にいった。蕨駅から歩いて10分程度のところにある中学校はかつての公団の大型のマンション群がある場所だが、最近は中国系の方が多くなっていて日本語があんまり話せない子どももいるという。少し心配したけれど、やってみればその事の大きな障害はなく、音楽の先生の熱心さや素直なビックリの発見への気持ちが良い方向に影響していて集中度のあるアウトリーチになった。内容的には難しそうなところもあったけれど、ディスプレイを使う工夫や、山田流の確信である「うたうこと」を実際にやってみるなどの中から子どもたちが受け取るものが随分多かったのではないか。
鈴木さんは前回の研修会の時に私が言った「話す内容がプッシュ式にならないように」ということをとても気にしていてくれて、随所に工夫をしていてくれたので、私としてはとても嬉しかった。
翌3日は箏と三味線に触るワークショップ。箏はともかく、三味線のワークショップはあんまり多くないと思うので、そっちに興味を持ってきていた人もいたようだ。私も短時間とはいえ山田流の爪というのも初めて体験したけれど、強く良い音を出すにはこういう厚みのある爪の効果は大きいかもしれない。四角い爪の繊細さとはまた違った個性である。箏の爪は手の爪の延長だから丸い爪の方が普通のようにも思うのだけれど、今は四角い爪の方がやや多く普及しているように思う。

長崎のOB演奏家(福地友子さんとエスプリ)

2011年12月07日 | 徒然

長崎では今年から地元演奏家のOBの枠を作って何回かアウトリーチを実施している。今年の登録演奏家が3人なので、私の時間が半日空くことを利用し、OB演奏家のアウトリーチも見て行くというのが方針。確かに、2年間が終わった後「じゃあ卒業ね」というには、長崎の事情はもったいなさ過ぎるのかもしれない。
今日の二人、福地さんとエスプリは、アウトリーチのやる中から自分の道を見つけてきた人たち。福地さんは活水の子ども学科の先生だし、エスプリの中心である池田さんは大村室内オケのメンバーで長崎でのアウトリーチの経験を大村室内のアウトリーチ活動にも活用しているようだ。
今日の2つのアウトリーチはかなり印象に残るできだった。比較的幸福な1日。

福地さんが子ども学科の先生をしつつ覚えてきている童謡など日本語の歌への掘り下げのメッセージは聖マリア学園の子どもたちにかなり伝わっていて、言葉への感性を高めているように思えたし、それが後半のオペラアリアを聴く姿勢にも繋がっていたと思う。ここ何年かの福地さんのこだわりは平和についてで、広島で原爆被災ピアノを使ったコンサートに出演して子どもたちからもらったものがその原動力になっていると思える。このコーナーがなかなか印象的なのだけれど、本当は順番としてやや不自然なところがあるにもかかわらずきちんと伝わっている理由だと思う。
木管5重奏のエスプリは今5人のメンバーのうち二人が活動に制約があり、今回はリード楽器3本とピアノによるアウトリーチだったけれど、楽器が3つと言うことも幸いして、話しがスムースに行ったようだ。でも彼らに一番感心したのは、特に池田さんや小田さんが低学年の子どもたちと良くコミュニケートできていたことで、場面の表情ややりとりにかなり余裕が出来てきてきた。子どもに参加を促す「プリンク・プレンク・プランク」もその前の指揮者の話と上手く絡み合って効果的だった。
両方とも終演後に軽いミーティングをして、意見を言う機会もあったのだけれど、みんなちゃんと考えて居て、その考える事が良い循環になりそうなところが今日の幸せの理由だろう。
こういう機会をもっと作って行ければいいのだけれど。
明日は長崎の南端の野母崎の中学校にいって、現登録演奏家の津軽三味線である。
津軽三味線の木下さんの話は中学向きだと思うのでうまく行くと良いのだけれど・・・