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1989年代の終わりから90年代の初めくらいは公共が新しい冒険をやった時代である。20年たった今の視点から考えると、この頃はまだメセナ協議会もなく地域創造もできておらず、こういう冒険に社会が理屈付けという後押し(または良くも悪くも枠つくり)を組織的にする状況ではなかったので、会社ならば経営者の、自治体ならば首長の思いと決断と勇気でやっていたのではないかと思える。
当時の瀬戸田の町長は柑橘類も造船も後退期であることから、観光を中心に考え島の中にいろいろな仕掛けをした。ベルカントホールもその一つだし、島の周遊道路のそこここに現代美術を配置したのも、こどもの踊りの集団を作って町作りをしようとしたりしたのもその戦略のひとつ。
今は、尾道市に合併してしまった瀬戸田町であるが、当時のその戦略は、時代の曲がり角であったがゆえにそれが必ずしもうまくいかなかったのは事実かも知れないが、何らかの文化的なものは残しているように思える。ベルカントホールではサポーターを中心に事業の運営をしていくことで、企画と少なくとも会館を訪れる住民との関係はある暖かさを持った関係が作れていて、それがここを訪れた演奏家に良い印象を与えて来ているのは事実である。
島のあちこちに散らばる現代彫刻の方はなかなか活用されているとは言い難いが、ベネッセの社長はこの島のものを見て直島の構想を持った、という話もある。いまやベネッセは瀬戸内芸術祭をトリエンナーレで行ったりしているけれど、何年か後で尾道やこの島の美術と音楽やダンスなどのコラボレーションができるといいなあ。島の南の南小学校の横にあるこの黄色いモニュメントは、毎年ここで観月会が開かれているそうだ。
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中川賢一君と見に行って「20数個あるモニュメントのうちのいくつかをバスで巡りつつパフォーマンスも一緒に見る」というイベントができるといいねえ、と話した。準備が大変なのはちょっとつらいけれど、音楽でも何かできそうではある。まあ写真のように半分海につかっている(この時間は干潮)のもあるから大変ではあるけれど…。