児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

なじむということ(NUUさん、田人の学校公演)

2008年11月27日 | いわき
NUUさんがいわきに来るのはもう6回目くらいだろうか。そして、地域に出ていってアウトリーチ的に演奏してもらうのももう3回目とかになる。アウトリーチ的なコンサートの一番の違いは「わざわざ聴きに来ている人でない」ということではないかと思う。当たり前だけれど。
今日は昨年も行った田人地区の小学生(4つの小学校を会わせても80名くらいしか居ないそうだ。4-6年生が居ない学校もあるとか)に田人第一小学校の体育館に集まってもらった。子どもの乗りが良く最初から暖まっているみたいだったのは、事前にヴィデオレターのやりとりがあり、またNUUさんの草野心平のCDで作った曲を事前に練習をしておいて頂いたおかげか。いわきの血には祭り好きの血が入っているとしか思えないのだけれど、1時間のプログラムは先生も含めて盛り上がって終わった。
草野心平は擬音を巧に使った詩人であり、擬音だけの曲があったりするが、それと、NUUさんの覚えやすい曲との相性は極めて良いみたいだ。私も5月に歌った歌をほとんど覚えていたし。子どもに歌ってもらうのには最適。ポニョなどとは違った意味合いがあるように思う。
しかし、なによりも感じたのは「なじんでいる」良さということ。NUUさんの身体とか精神とかが、田人やいわきという場所や来ている人たちとのインタラクティブな関係になじむことによって、そこに居ることが心地よい(違和感を感じない)という気持ちで立っているであろうことが判るような感じと言うべきだろうか。それが、単にはしゃいだだけでないいい関係が出来ていたのだと思う。
NUUさんは午前中は田人第一小学校の生徒とこんにゃく作りの体験もしたみたいだ。ちょっと嬉しかったのは、こんにゃく作りを歌にして(未完成品だろうが)即興的に聞かせてくれたこと。NUUさんという人の、曲が出来る瞬間というか経路というかを子どもの前でちょっと見せてくれたことは、軽い調子で語られたとはいえ、子どもにとって案外大きな体験だったはずだ。アーチストがそれをやるのは実はそれなりのストレスがあることを承知している(完成された物を見せるのが大事だと考えているだろうから)が、それも、なじんだからだろう。
そう言えば、いつも以上にNUUさんの身体が動いていたような気がする。
最後に子ども先生とみんなで記念撮影をして(平間さんが撮ってくれたのです)終了した。帰途が暖かい一日だった。

コーディネータ養成講座

2008年11月27日 | 徒然
TANのコーディネーター養成講座は、文化庁のボランティアコーディネーター養成の一環でもある。この講座に申し込まれた方たちの興味のあり方とか音楽との関わり方の指向とかは、TANのミッションを一応理解した上で申し込まれた方が多いような気がする。似たようなことを何カ所かでやってきたが、どちらかというと実演家のためのセミナーのようになってしまうことがあった。それはそれで意味があるのだけれど、そこにTANのミッションの有り様との整合性を図るのはなかなか困難。それ以上に、具体的な手法を多くの人に伝える中でミッション性を認知していって頂くという方法論になることが多かった。自身で事業化する為に考えるときには一定の方向性をもって何かを捨てるという作業が絶対に必要になる。オールマイティを考えないわけだけれど、講座ではある意味それに近い話しをする事になる。実際はオールマイティではなく、極めて具体的にするか、または一般論化して薄めることになる感じがするのだけれど、いまは、アウトリーチひとつに関しても、いろいろなことを演奏家がまず考える、そのあとみんなで考えていく・・というある流れの必要性を認識してもらえるならば意義のあることなのだろうと思う。

一昨日に小学校4年生向けのピアノのプログラムを考えるミーティングには田村緑さんが参加して、1月に行うアウトリーチの内容に関わるアイデアトークが行われた。そこで話された内容は、特に目を啓くような新しさがあったわけではないけれど、とても充実した時間だったと思えるのだ。
基本的には演奏家のやりたいことを信じてそれをうまく活かすことがコーディネーターの役割だとすると、それは、触媒的な役割だと言うことになる。でも田村さんは,どんどんスタッフをも巻き込むのが大好き。人のためにやる、ということが徹底していれば、それもひとつの有り様だし、楽しさの演出は非常にうまく行くだろう。まだいくつかハードルはあるが、1月22日の実施が楽しみになってきた。

玄海島

2008年11月22日 | 各地にて
 玄海島は3年前に地震で全島住民が避難するという生活環境の大きな変化を余儀なくされた島であり、島の斜面にくっつくように建っていた家が悲惨な状態になっていた写真を覚えている。普及の中、基本的に島民全員が今年の3月に帰島できたらしいが、その間のいろいろなことがあっただろう。
 その震災復興の一環として(物のあとは心、ということになるのだろう),地域創造が音活の仕組みを通じて音楽家を派遣する,と言う事業が11月19日20日の2日間で行われた。小さな島に行ってみて、家や店や集会所など全部の建物が新築と言うのも少し不思議な感じがした(多くの場所では古い建物がほとんどというのが普通だろう。学校だけは時間がかかっていて来春に建て替えが完成するらしい)
 実は1週間前から「来週は寒波が来る」という天気予報が出ていたのを聞いていながら,あんまり本気にしないで居たら、本当に寒波が来てしまって波が荒いので船が欠航、19日は朝から福岡港で夕方まで船が出るのを待つ・・と言う事態。島の人に言わせると「年に数回」という日に当たってしまったわけだけれど、全行程は出来ないまでも夕方の船が出ることが判ってほっとした。もちろん、翌日昼間に大阪で仕事が入っている演奏家(BBBB)の帰りの心配もあるのだけれど、何しろ島にわたらねば何も始まらない、ということで夕方の船に布団とともに乗船し(宿泊所がないので公民館で雑魚寝。布団もないので福岡市の文化振興財団の方が手配してくれた布団を持ち込むしかないわけだ)、着いてすぐに待ってくれていた中学生と交流兼翌日の練習。夜は持ち込みのバーベキューで夕食を済まし、飲んで寝る,と言う感じ。20日は小中学校の学習発表会に出演。こういう場所では、普通の単なる学校行事が、町の大事な娯楽として楽しみにされている様子をつぶさに見させてもらった。先生はコミュニティの人間と言えないのかも知れないけれど明治以来、学校と言う場所はコミュニティの一つの極としてあったのだろう。西洋の教会の代わりかな。写真は小学生の太鼓との共演。ここの先生は邦楽を一生懸命教えていて、小学生は太鼓、中学生は箏と三味線を演奏していた。教えるために習いに行ってそのまま三味線を弾くようになってしまったという先生の熱意が伝わるような生徒たちだった。
こういう事業は、押しつけにならないように注意深くやらないといけないのだけれど、地域創造の担当者も福岡市文化芸術振興財団の人もそのことをきちんとしてくれていたようで良かった。
ひたすら寒かった,ということ以外はなかなか楽しく出来たし、帰りに港まで送ってくれた8人の中学生の顔を見ても、楽しんでもらったのがわかって良い気持ちで帰途につけた。

ディレクターがアートに関わること

2008年11月17日 | 徒然
アンパンマンの作者やなせたかしが出していた「詩とメルヘン」という雑誌を知っているだろうか。やなせたかしの詩は本屋で探しても見つからないことが多く、最近若い人に言ってもほとんど通じないので困るのだけれど、10数年は続いた雑誌である。絵と詩なので一種の雑誌絵本のようなものだけれど、絵本と違うのはお話しではなく詩であること。
数年前に、アウトリーチで、後藤由里子さんの作った「はじまりは・・・」という曲を詩とともに読んで,続けて「ディア」を演奏したいといってきたのは宮本妥子さんである。そのときに何の詩を読むか、で幸田のプロデューサー本間さんに図書館で探して欲しい、といったのは、数人の詩人の名前。彼はその中からやなせたかしのいくつかの詩を選んだ。「ひかりよ」という詩を読むことにしたのは宮本さんだけれど、そこに演奏家とディレクションとの心のつながりが出来、それが実現したときの満足感も普通以上になるのかもしれない。
そのときは後藤さんが読んで宮本さんが演奏したのだけれど、先月、宮本と中路さんのアウトリーチでは宮本さん自身が読んで中路さんが演奏した。彼女はこれをやるとつい涙ぐんでしまうのだそうだけれど、その話は本間さんが聴いたら本当に喜ぶだろうなあ,と思った。
詩を捜すのは全体から見れば小さな参加だけれど、心が繋がる参加のしかたはいくら小さくても意味がある。繋がろうと意識しないと探せないしね。
詩については演奏家は素人だけれど、それが彼らのプロフェッショナルな部分(音楽)と繋がることで、価値がついてくる,ということはあると思う。アウトリーチでは特にそのことが含まれていることに意味がありそうな気がする。もちろんそうしなくてはいけない、ということではないけれど。


八橋検校日本音楽コンクール

2008年11月16日 | いわき
「六段の調べ」で有名な八橋検校はバッハの時代の箏、三味線の奏者であり、作曲家でもある(当時としては当たり前か)。生まれたばかりの箏曲というジャンルを発展させた功労者であろう。八橋検校が京都で死んだのが1685年でバッハの生誕年であるから覚えやすい。ちなみに生まれたのは大阪夏の陣のころ。6年後の2014年に生誕400周年だ。当時の平藩(いわき)の藩主内藤義概の庇護を受けて活動していたらしいので、いわき出身ではないかとされているそうである(いわき情報)。
そんなことで、八橋検校を再発見事業のようなことをやっている民間の団体があり、そこが実行委員会形式で八橋検校コンクールというのを始めた。今回で2回目。
さっき終わったところである。箏のソロと合奏(室内楽)に分かれて演奏した。優勝者は東京の男性。目が悪いようだったが、音の繊細な変化に対する感性は今日の演奏者の中ではぬきんでていた。全体のレヴェルがどうなのかについては判らない(他のを聴いていないし)けれども、まだ始めたばかりでこじんまりやっている感じだがいずれ拡がっていくことを期待したい。

邦楽は西洋古典音楽と似たようなところがあるが、西洋音楽は,クラシック音楽と言われるものから、様々な機会技術や流通革命によって所謂ポピュラーへと拡大し,その中でも様々な音楽形態が生まれてきた。拡大による規模の大きさは、分化しても充分に経済的に担保されるという状況が出来たことで、様々な発展をしたわけだけれど、邦楽の場合、その意味ではまだパイが小さいのだろう。未分化であることが逆にエネルギーになっているような気もする。今日のコンクールでも、普通のコンクール風の人もいたけれど、すでに活動をしていそうなグループ(箏を立って弾いているしちょっと売れ線狙いかとも思ったけれど、こういうあり方もあるなあと思えるような)がいたり、学校の箏楽部が出てきたりとちょっとごった煮状態であったけれど、それ故に聴く側としてはかなり面白い時間を過ごせた。






長崎、アムールと柴田健一

2008年11月08日 | アウトリーチ
8月以来久しぶりの長崎でのアウトリーチ。
今回は地元のアムールと柴田さんで3校で合計4回。二組とも比較的パターンが出来ているのである意味安心。今回は学校の先生の準備で嬉しいことがいくつかあった。最初の学校は私立の精道小学校(女子)で、ここでアムールは「サウンド」をやることにしていたのだが、先生はちょうど「私の好きなもの」という題で作った子どもたちの絵を音楽室の後ろに並べてくれていた。惜しむらくは絵を描いたのは6年生、聴いたのは3,4年生。6年生にも聴かせたかったと言っていたけれど,それはそうだろう。なかなかうまく行かないものだけれど、でも絵が飾ってあるだけでずいぶんと雰囲気が出るものだ。ここの3,4年生の子どもたちのキラキラした反応は特筆に値するとおもう。まあ、アウトリーチの目的はそれだけではないのだけれど・・・。
柴田さんが行った橘小学校では、昨年先生向けのアウトリーチ(講習)で高橋多佳子さんの演奏を聴きました・・という先生。この学校は校長先生の方針で音楽は担任の先生がやるべきだという考えなのだそうだ。ある意味、前向きに捉えることも出来る理屈ではあるけれども・・。だから、この女性の先生は元々は音楽専任だったのだけれど今はクラスを持っているとのこと。忙しくて音楽室の片付けが行き届かないことを気にしていた。今のご時勢では巨大校といっても良い全校で31クラス850名ほどの新しい住宅地の一鶴にある小学校である(それでも一時期よりは減ったそうだ)。昨年のセミナーの時に「私の学校はクラスが多いので少人数のアウトリーチ事業にに応募しにくいのですけれどどうすればいいでしょうか」と質問をされた方だったらしい。今年から同じ学校で2回やることも考えようということになったきっかけを作ってくださった先生である。熱を持った先生だった。彼女は自分のクラスの子に「音楽室に飾り付けをする?」と聞いたらこどもたちが「やりたい!」というのでやってもらったというのだが、子どもは音符の切り紙をつくってそこに一人一人がメッセージを書くことにして、他のクラスまで出かけていって書いてもらったのだと言っていた。それをビニールの帯をつくって音楽室の周り中に貼ってあった(写真)
まあこういう準備は気持ちの問題であるのだけれど、やはり演奏家が一度学校にでむき先生と話すことによって学校側でもいろいろなアイデアが出てくる良い例だと思う。こう言うのは自然体が一番良い。
学校もいろいろな状況がある。外から来てもらうのだから子どもはきちんとしなくては恥ずかしいと思う先生もいるし(尤もである)、子どもが落ち着きがないから外から人が来てもらいたいと思う先生もいる。親から何を言われるかと心配する学校もある。本当にいろいろ。
だからこそまず自分の演奏する音楽そのものの力を信じることと、音楽を聴くことは心の問題だから他人は手を出さないと考えず、その聴き方そのものを体験する手法を編み出すことが演奏する側のやるべきことなのだと思う。それは、あたかも「聴くワークショップ」というようなものであるかも知れない。そのあたりが、アウトリーチをやっていくときになかなか共通項を作れない部分でテーマでもある。
帰りがけに福岡で18日にアウトリーチをやってもらう歌手と打ち合わせたのだけれど、彼女が「周りの演奏者でもなかなか理解できていないと思う」といっていたのが印象的だった。難しいものだ。だからこそ演奏家に理解してもらうセミナーのようなものは重要だろう。地域に拠点のある演奏家ならさらに・・である。


アウトリーチの週間第2週

2008年11月01日 | アウトリーチ
先週から来週までアウトリーチの五連発である。
先週は幸田町で加藤直明、広島で宮本妥子、今週は北九州で地元のトリオEM2と小野明子、高松で音活トリオミュゼ、来週は長崎で地元の2組の演奏家のアウトリーチと続く19連発。その間にコンサートが3つ、話しをするのが2つ。
トリオEM2は今回中身が趣旨にはまってきたことが感じられてちょっと一安心。小野さんは,彼女のここ数年のキャリアがよく判る演奏とアウトリーチの進行だった。非常によく考えている人だと感心した。普及プログラムとかアウトリーチ的なことは、結局音楽という芸術の存在について深く考えていくことで成立する、という部分がある。そして、それを相手にどう届けるかという手法を考える、という知的遊戯のような面白さがある。その辺の感じているな、と思える人とはとても楽しく仕事が出来る。先週から比較的幸福な時間。(写真は小野さん)
トリオミュゼは、2年前のフォーラム以来であるし、その間彼らも多くのアウトリーチをして来ている訳ではないので、今年最初の高松では、きちんとしたリハビリからスタートという感じもある。なかなか良く考えてきた構成プランで、でも、少しづつ修正を入れいったん形にしておく、というのが演奏家側の高松のテーマと考えている。その意味ではまあまあ良い出来になっていると思うかな。これから毎月音活があって、それも全て違うコーディネータというなかなか面白い展開であるので、これをベースにどう変化をつけ、拡げることが出来るかでトリオの成長が見えてくると思う。
コンサートが明日なので、明確には言えないが、実はオーディションやプレゼンテーションを聴いて一番心配していた演奏そのものについては、クリアしてきたようだ。東京で2回のコンサート、あと滋賀でレコーディング(山本若さん有難う)でトリオとしての音楽に力がみなぎってきているように感じている。力がある3人なのだから合わせをきちんとした上で一人一人の力を発揮できるようにしていけば、良い演奏にたどり着くはずだ。