児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

アウトリーチからの宿題 お話その2

2013年05月25日 | 徒然
前回の続きです。なお、このお話は主に公共ホールの職員向けのおはなしですので、そのことを頭に入れてお読みください。


アウトリーチからの宿題 その2

2013,5,16 三田市 郷の音ホール
音楽ホールネットワーク協議会年次総会後の研修プログラムで
児玉 真


 アウトリーチについては最近私なりの歴史認識をしていてまずそれをお話ししたいとおもいます。
 出かけていく演奏というのは昔からありました。それは主に慰問演奏というスタイルをとっていたし意識も大体その線上にあった。でもそもそも西洋音楽は明治政府が国策として導入したと言う歴史があります。ですから初めから普及しないといけないものだった、ということはあります。それはさておき、第2次大戦後1950年くらいから各地にできたオーケストラによる学校公演という形を頂点として外に出て行く演奏会が行われるようになりました。この時代は演奏する場所も少なかったし、聴く機会も少なかったので良い音楽を聴いてもらう機会を作る、ということが一番の目標だったしそれで良かった。
 しかし、その後演奏を聴く機会は飛躍的に増加しました。生の演奏だけではなく、放送やCD、DVDなどもできて、聴く機会そのものに対してはかなり良くなった。ただ一方で東京への一極集中もずいぶん進みましたので、未だにそういう問題を抱えているところもたくさんあります。
 公立の文化会館も多くできましたが、1990年代に入ってそこにソフトがないという問題が浮上してきた。でも、善悪は別としてソフトはお金さえあればできるのです。しかしお客がいなければイベントは成立していかない。だから普及をして行くことが重要になった。その為のプログラムが求められるようになった。その流れの中にアウトリーチというのが生まれてきた、といえると思います。だから、この時代以降のアウトリーチは機会のない人に聴いてもらう、という以上のことが求められているのです。
 さて、アウトリーチをどんどんやっていくと新しい展開が見えてきた。それが100%良い方向と言えるかどうかは判然としないのですが、アウトリーチと言う手法が、社会の諸問題を解決、改善するツールとして芸術の力がクローズアップされてきました。アメリカのオバマの文化に対する方針にも似たような傾向が見られていると思いますが、これが今の新しい状況だと思います。これには、ちょっと心配になる部分はある。それは、芸術のちからが「そこにすでにある」もの(商品?)という感覚で認識されている気がするからで、そこには、パフォーミングアーツの基本である、アーチストと一緒に作ったり、育っていく、と言う時間的な観念が抜けているのではないかという危惧のようなものです。これが私のアウトリーチの歴史的認識です。ですから、いま音楽のアウトリーチには3つのフェイズがある。
  1、 音楽芸術の普及という視点
  2、 芸術文化振興法の文化権の理念による音楽を享受できない人に届ける
  3、 そして、社会の諸問題を解決できるツールとして音楽を届けること

 そんな中で痛感していることは、アウトリーチというのは「ホールのルール、またはコンサートのルール」を共有している演奏家、スタッフ、聴き手という閉じた社会で行われるものではなく、違うルールを持った社会との関わり合いによって出来る企画」だということです。ですから、長くやっていますといろいろとカルチャーショックというようなものに出会います。ホールでは良くやった方法として、いやアーチストはわがままですからこうしないとダメです、というやつ。ということは、アーチストは社会のルールを超えた超越的な存在ですから・・・ということですね。しかし、それにはそれなりの理由があるので、本当はアーチストのわがままなわけではない(事も多いけど)。
 しかしこのやりかたはもう通用しないと思う。客もわがままになったから?それもあります。お金を出しているから? 金権主義? それも無いとはいえない。でも結局は良いものを創る、聴く、見るために必要なことをみんなが共有しないといけない。

 アウトリーチを始めた人間として気になることがいろいろあります。これらはダメだという意味で言っているとは限らないのですが、じつは私の中でももやおやとしていて解決できていないことでもある。たとえば・・・
 1,アウトリーチは「演奏家が出かけていく」だが、それは目的ではないのでは?
 2,アウトリーチの質感というものをどのように担保すればよいのか(自分流の考え方はあるけど)
 3,音楽を聴く,と言う行為の把握の仕方の食い違い
 4,集客改善圧力への明快な答え
 5,公演とアウトリーチの分化(アーチスティックなことの大事さへの思考の違い)
 6,アウトリーチの浸透は価格破壊を起こしていないか(ラフォルジュルネ、ワンコインとともに)
 7,ホールの仕事と言うよりも学校教育(または福祉)の仕事ではないのか?
 8,そもそも聴くと言う行為は人間にとってどういうことなのか(そうでないと人数が多い方が良いという意見に反論できない)

他にもあるかもしれないけれど、これらには、もちろん私にそれなりの考え方がないわけではありませんが、行動するものとしては共有できないと仕方がないのです。

 むかし、算数とかで、鶴亀算とか和差算とかいろいろな解法を勉強しましたよね。手法を勉強すると、それを使って問題を解く宿題というのを良くやらされました。でも、中学になるとそれがあっさりとXYZで解かれて肩すかしを食ったような気がしました。アウトリーチも一種の手法です。もちろん手法もどんどん改良しないといけない。でもそれが実際に目的を持って使われて始めて役に立つと言う面もある。私は音楽は目的になり得ると思うけれどもアウトリーチは手法であると思っています。
 今日、宿題と言う言葉を使いましたけれど、それは課題とはちがって言いっぱなしがきかないと思えるからです。「これはアウトリーチの課題である」というのは自分の問題としては外にあるものの感覚です。でも、宿題は私に何らかの行動を迫ってくるところがある。少なくともそれを感じている、ということが今日のメッセージです。でも筋道を教える訳にもいかない。自分でもわからないことが多すぎる。こう言うのってどうしていけばいいでしょうか。

 私がこの協議会でしゃべるのも多分最後なので、今日は成功事例を話すとかではなく、アウトリーチということに対して自分の今いる場所をそのままお話ししてみました。はなしがあちこち飛びましたが、長時間ありがとうございました(どっとはらい)

アウトリーチからの宿題 三田でのお話その1

2013年05月25日 | アウトリーチ
この間このブログで「アウトリーチからの宿題」というお話をするということを書いたら、その後、何人もの人から「あれって、どんな話をしたんですか?」と聞かれた。なんだか気になったみたいだ。うーん、それほどの意味はないのだけれど。大体タイトルを決めるときは、概ね瞬間の思いつきだし、お題はちょっと思わせぶりなのが良い、と相場は決まっているので、「課題」ではなく「宿題」と言ったのもそんな不遜なところがないわけでもない。でも、それなりの理由もあって、宿題という言葉にふさわしいと思ったからでもある。

気になる人がそれなりにいるらしいので、話の概要を載せることにする。こういうのは滅多にしないけどね。
音楽ホールネットワーク協議会は、20数年前(日下部さんは23年前と言っていた)に結成して、一時は70数館の参加があったそれなりに大きな組織だったのだけれど、市町村合併とか指定管理とか予算の縮小など、さまざまな影響のせいか次第に会員も減ってかなり寂しくなってしまった。それでいよいよ今年度をもって解散にしようと言うことが決まり、その承認の総会でもあったのでお話を引き受けたのである。その最初から関わったもう数少ない人間の一人としてきれいに終わって欲しいということもあるし、その存在が何らかの意義があることも話したいし、という気持ちもあった。
人前で話すときは、脱線が多いとしたものなので、この文章通り話したわけでもないし、話が抜けたところもあるのだけれど、一応そこで話そうと思ったのはこんなこと、と言うことでほぼ原稿通りに2回に分けて転載する。

アウトリーチからの宿題 その1

2013,5,16 三田市 郷の響きホール
音楽ホールネットワーク協議会(年次総会後の研修プログラム)
児玉 真

 皆さんこんにちは。今回、最後になる音楽ホールネットワーク協議会の総会に呼んでいただきましてありがとうございます。私はこの協議会を始めた当時、室内楽ホールとして有名だったカザルスホールのプロデューサーをやっていた関係で企画委員という肩書きをいただいているのですが、ここ何年かの多忙で会議に出られない「不良委員」に成り下がっておりまして申し訳無く思っていましたので、今日ここで話せることは本当に光栄に思います。
 ホールのネットワークという言葉にどのような意味を感じるかは、ジャンルによってずいぶん違うようです。イニシャルコストのあまり多くないアコースティックの音楽公演は、ネットワークの金銭的なメリットというのはそれほど大きくない。したがってネットワークの意義は別にあると当初から考えていまして、職員が違う考え方を持った会館のひとと話をし、公演を作って行くことの能力の向上の刺激が一番だとおもっています。その意味でこの会がはたした役割はあるけれども、その後それがこの20年で公共ホールの環境がずいぶん変わってきたと思っています。ネットワークそのものには意義はあるがやはり今回の決断はやむを得ないのではないか。
 しかし、似たような問題意識を共有する仲間が居るということはとても良いことです。このネットワークは関西の方が多いのですが、関西は昔から新しい思潮が生まれてくる場所でした。音楽専用ホールもそうだし、ホールの音楽監督制もそう。他にもあります。後から東京が持って行ってしまうようなところがあるけれどオリジナリティという意味では関西の方が進んでいるような気がします。最近の音楽界は演劇やダンスよりも勢いという意味でやや低調なのではないかとおもいますが、新しい発想や事業がここにいる若い仲間から立ち上がってくると嬉しいと思います。もう私のようなロートルの出番ではない。
 私の場合、20年近く前でしたけれど新しいコンセプトでやるべきだと確信したことを実験するのにこの協議会の仲間はとてもありがたい存在だった。仲道さんと「音楽学校」という企画をたち上げたときも、ネットワークのホールの人たちが面白いといって3年連続で協力してくれたし、音楽でアウトリーチという方法を日本の公共ホールに持ち込もうとアメリカのカルテットを呼んだときも、それまでの音楽教室(音教)とはちがった新たな手法を考えたときに、やはりこの仲間が助けてくれた。カザルスホールがだめになったときもそうでした。

 というわけで1997年~98年くらいから、アウトリーチを始めて、現場をたくさん経験してきたのですが(多分日本では一番多いかもしれない。まあ数はたいした意味はないけど)、15年くらい経過するとなんか最初にやり始めたときには予感しかなかった「???」がいくつも出てきた。まあアウトリーチという言葉や手法が急速に拡がったのは嬉しいのですが、困ったことにアウトリーチは一見「何でもあり」なので、その「???」はどんどん溜まっていく。そして、あるときにふと考えたのは、この感じは「アウトリーチは確実に社会を変える可能性のある良いことだという認識というか確信のようなものを自分としては持っていながら、このまま外に出かけていくという現象(形式)だけから捉えると何にもならなくなってしまいそうだ」と言う危惧からきているのだろうと言うことです。それで、これはアウトリーチと言う言葉や現象から一見何かが生み出されているように見えて、じつはまだ、何か宿題をもらったままになっているのではないか」という感覚を持つようになりました。それで今日のタイトルを「アウトリーチからの宿題」ということにさせて頂きました。

 アートセンターを中心にした地域の音楽コミュニティの姿のイメージは一応持っていまして、それで、いわきアリオスのプロデュースを引き受けて最初にいわき市にお願いしたのは「コミュニティ活動をやっていくのでそのセクションを作ってください」ということでした。アメリカやイギリスの芸術団体やアートセンターを見ると、たとえばロンドンシンフォニーでは、いわゆるオケの業務をしているのは思ったよりも少なくて、ディスカヴァリーと言ういわゆるコミュニティの仕事をしているセクションがありそこには責任のあるディレクターもいて、スタッフも多く、きちんとした仕事を任されている。本体のオーケストラの活動とほとんど同じ体重をかけた仕事をしている。日本ではまだ本体の付属的な仕事だと思われている。なかなか難しいのです。
 たとえばいわきでは結局そういうセクションを本格的に作る事は出来なかったけれども、企画セクションの6人のうち2人、コミュニティ活動担当をほぼ専任でつけることができました。それがアリオスの特徴になって市民に認められていった、と言う面がある。でも、日本ではまだジャンルによる仕事の区分けという感覚が残っていて、音楽、演劇ダンス、コミュニティという分類は何となくなじまなかった。広報や貸し館の担当もコミュニティとの関係からいろいろ企画を持とうとしていたこともあってなかなか難しい運用をすることになりました。それでも会館としてはこのコミュニティ的な活動があることによって市民からの理解を得ることが出来たし、震災後にはそのことがものすごく活きることになりました。
 とはいえ、このような考えもまだまだ宿題のままです。私が今後会館のオープンを任されることがあれば可能性はあるけれどどうなんでしょうか・・・(続く)

いわき5/25 第2回いわき文化復興祭

2013年05月25日 | いわき

 今日明日といわきアリオスでは市の文化協会と共催で「いわき文化復興祭」を実施している。元々秋に文化祭を各地区でやっているのだけれど、設備のしっかりしたアリオスでもやりたいという市民団体の声があって考えていたところに震災があって、復興祭ということで各エリアの代表がアリオスに集まっての二日間と言うことになる。こちらのスタッフもほぼ総出で手伝う。
今年は一階のキッズルームでの企画があり、それぞれ劇団が子ども向けの劇や読み聞かせなどを行う。最初の公演は満杯。5月にしてはやや涼しいけれど天気が良くて良かった。

新潟の研修会

2013年05月19日 | 各地にて
 5月15日と16日の地域創造の政令市モデル事業、新潟2年目はアーチストの研修会から始まるのだけれど、折角なので、一般にも聞いてもらえる部分は公共ホールの担当や今回登録されなかった奏家参加してもらおうと言うことで募集したところ、併せて20数名の参加があった。それに関しては感心することがある。ともにオープンなマインドにかかわること。
政令市は県と違って市町村に対して責任がない。文化庁が音楽堂のミッションとして周辺の市町村の会館の指導的役割を求めているとはいえ、なかなか自らのエネルギーを使ってそれをやるのは、時間的にも精神的にもハードルが高いのである。今回アウトリーチの話をし、中川賢一君に模擬アウトリーチを実践してもらったが、そこに広く声をかけるのは若干億劫だろうとかんがえるのだけれど、今回そのおかげで遠くは糸魚川や村上市からも担当者が見に来た。ありがたい。もう一つは演奏家で8人の方が来てくれたのだけれど、そのうちの3名は3月に行ったオーディションの落選者。アーチストというのはプライドが高いので(とっても重要なメンタリティの1つであるけれど)落ちたオーディションに連続することにはなかなか顔を出さないのが今までの多くの通例だったので、偉いな、と感じるものがあった。逆に言えばりゅーとぴあの行うこの事業はそれだけ期待をもって見られているということでもある。気を引き締めないと・・・。
1日目の夕方からは今回登録の演奏家の研修、というよりはプログラムづくり。このコーディネートは全人格的勝負である。演奏家に全人格的にアウトリーチに関わるべきだと話しているこっちが楽をしてはいけない。今回はそれでもそれぞれの演奏家にコーディネートをつけ、今後のコーディネーター育成のことも踏まえて、若い人とホールのスタッフに入ってもらうようにしているので、一見不必要に人数がいるように感じられるけれど、こうしていかないとなかなかノウハウは伝わっていかないのだ。
2日目の午前には、アウトリーチ活動でどのように意識や活動や演奏が変化したのか、ということを、2013,14年度と2年間宮崎県でアウトリーチ活動をしてくれたサックス奏者の小川和紘君に話をしてもらった。訥々と1時間、次第に引き込まれていく感じの語りっぷり。新潟と宮崎では状況は同じでないとは言いながら、彼の話は私が話すよりも何倍もリアリティがあったと思えるし、演奏家以上にスタッフが刺激を受けたかもしれない。かれは今年の2月の修了コンサートののあとメールをくれて、そのことで私も地域の演奏家とのつきあっていくことの意義を強く感じたし、個人的にも力をもらった気がしていたので来てもらったのだけれど、いい話をありがとうでした。
 

ゴールデンウィーク

2013年05月06日 | 徒然
珍しくゴールデンウィークに時間がある。いろいろとやるべきことは有るはずだが、一年間たまっている部屋のかたずけをしないといけないので、ほぼ籠もっていた。いくらか片づいたが、本当はもう少し抜本的にやらないと、地震でもきたら大変。
春スケジュールあるのはまあ自然なのだけれど、最近はスケジュールが決まるのが遅くなったような気がする。いろいろな状況の変化があるのだろうが、それ故にスケジュールがダブることもある。昔ほど体力に自信がないのでスケジュールがきつくなると困ることもあるが一方で周りが私がいなくても大丈夫になってきたのだろう。いいことだけれど、一種のフィールドワーカーでもあって、経営と現場の狭間という不思議な立地で仕事をしているので、なかなか悩ましいのである。
明日は大学。休みなことをいいことに阿南氏に遊びに来てもらう。彼の広報の話しは何度聴いても面白い。標語化できる能力というものは話をするのに欠かせないスキルだが、彼はそこが上手いのだ。音楽でも雑誌でも演劇でも通用すると言うことは、すでに一つのジャンルとして広報が確立できるということでもあると思う。羨ましい。

さて10日後に三田で音楽ホールネットワーク協議会の最後の?総会がある。1993年ころに設立したので20年になるわけだ。最初のころの熱気は、私からみるとすこし誤解に基づいている気もしていたのだが、それ故にずいぶんと関わってきた。時代の流れが予想以上に早く、また、ここ5,6年私が忙しくなったこともあっていつも出席できなかったのだが、たぶん最後になるので話を一つ引きうけた。アウトリーチについての最近のことなど、と言われたのだけれど、話の題を思いつきで決めたのがもう3ヶ月近く前。今になってなにを話すか頭を悩ませている。あと10日。そのお題は「アウトリーチからの宿題」。アウトリーチはこのまま流行していって良いのだろうか、という最近の気持ちからの言葉だが・・・。