児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

カルミナ四重奏団(カルミナ・クァルテット)

2008年06月11日 | 徒然
 スイス、チューリッヒを拠点とするカルミナ・クァルテットが9年ぶりに来日している。カザルスホールが定期的に招聘していたのだけれど、そのときに田部京子さんとの共演を実現し、北海道などへの旅行も一緒に行った。田部さんはその後もずっと考えていてくれたらしく、デンオンでのシューマンと鱒のカップリングの録音に、カルミナを指名しそれが今回発売になるそうだ。不思議なことにその動きと平行して、トリトンアーツネットワークでクァルテット・ウィークエンドフェスティヴァルの企画の第2弾として招聘を決めていた。そっちの方は来年の6月だけれど、今回は田部さんとの共演(明日浜離宮ホール)の他に、バルトークの録音もするそうである。
今日の午前中、久しぶりにあって来年の企画内容についてのミーティングをした。
4回のコンサートは、大名曲あり、スイス人の作曲家の作品あり、彼ら独特のスタイルであるオリジナル楽器の奏法との融合、そして日本人演奏家との共演も入れてバラエティのあるものになりそう。彼らの様々な魅力が引き出せそうだ。
思えば1990年の招聘の時、国立で聴いた死と乙女の演奏がすごくて、翌日の午前中にホールやレコード会社に電話を掛けまくって聴きに来てもらったのだけれど、そんなことはこの業界に来てからもその1回だけだったような気がする。
来年の予定は6月4日(土)、5日(日)、10日(金)、11日(土)の4日間。第一生命ホールである。
ついでに、デンオンとじっくり話し合って、今まで統一が取れていなかった日本語の呼称をカルミナ四重奏団とすることにした。まあ、細かいことかも知れないけれど・・・

カザルスホールの時はホールの看板としての四重奏団としてでなくて、SQという団体としての質感を代表していたクァルテットであったと考えている。
イタリアのボルチアーニ弦楽四重奏コンクールの第一回目でスキャンダラスな1位なしの2位になり、審査員団が優勝相当であるというコメントをわざわざ出したという曰く付きのスタートから約18年ほどであるが、進化してきた彼らにはそれほどその頃の過去は関係ないと思っているだろう。
来年がどんな感じになるのかとても楽しみ。


楽観的であることと努力すること

2008年06月10日 | 徒然
 珍しく精神的なダメージが続くのは、かなり参っているみたいだ。
 日曜日の事件で死んだ7人の人たちにはそれぞれの人生の中での人間との交差があり、そのことの意味をいやでも知る事になった人もきっと多いのだろう。私がその一人になるとは考えていなかったが、秋葉原、と聞いていやな感じがしたのも確かだった。場所柄から言えば自分がそこにいた可能性もそれなりにある身近さは却って不気味であるから(この間も行ったばかり)。
 音楽芸術を扱うアートマネジメントの現場に関わるものとして、またアウトリーチ事業でアシスタントとしてお願いしていた団体の関係者として、彼女の不在の空白は大きいような気がする。とても有能である、とか何かを為していた、とかではなく(有能だったと思うけれど)、彼女の中にあった前向きの楽観的な見方が多くの人に愛されていた理由だから。
 嘗て、「本当に有能な芸術家に必要な才覚は、自分の音楽行為や人生に対して楽観しつつ努力できることである」と言ったプロデューサーがいたが、その才覚は,本人の意識にかかわらず、何かの成果が生まれていく時に必要な大事な要素の一つである。それって、案外と誰でも出来ることではないのである。
 そういえば、おんかつは10年前にやはり不慮の急死に出会っている。その命日の11月22日までには、北上の菩提寺に行って10年でこんなに企画は育ったよ、と言わねば、などとこの間から思っていた矢先の事件であった・・・。10年前の繰り返しのように思ったことだが、自分の生き方でしかこの空白を埋めることは出来ないとすれば、そして、その空白がまだ明確な像を結んでいなかったとすれば、「彼女の分まで」とか「彼女の意志を継いで」とかの軽さではなく、自分のミッションを自分で考え、その重みを感じつつ行動するしか方法はないだろう。多くの同じ志をもつものがその空白の1%づつでも埋めようと考えてくれることでしか、この理不尽な事件に前向きで楽観的な答えを見つけ出せそうにないのだから。

 このような時代に、音楽には何が出来、演劇には、ダンスには何が出来ると言うことを自分の内面に問いかけることは重要である。そこには、少なくとも有史3000年の歴史をこえて、音楽にしかできない事があった筈なのである。

合掌

大学生にアウトリーチ?

2008年06月07日 | 徒然
6月2日。今年も昭和音大の講義の中で1回アウトリーチの模擬体験をしてもらった。今年で3回目。今年は田村緑さんにお願いした。これが毎年なかなか反応が良いのですよ。田村さんは小学生向けのプログラムを持ってきていたのだけれど、これで大人でも充分楽しめるところまでプログラムとしては完成しているように思った。
たまたま一ケ月ほど前に学校の事務室前で出くわしたトリオミュゼの佐々木さんと、やはりたまたま当日田村さんと旧知で、ちょうどロビーで出会ったピアニストの佐藤勝重さん(彼は高木和弘の共演者で、その日の朝BSに二人で出ていた。来年2月の長崎も彼が来るそうだ)ものぞきに来ていて、学生の中に混じって楽しそうに聞いていた。
彼女は必ずピアノの周りに寄って見てもらうので、20-30人くらいが一番やりやすいと思う。非常に効果的な人数である。

私はやはり当事者なので意外と客観的に見ていないなと思ったのは、佐々木さんがくれたメールが良く観察できているなと思ったから。
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最初はどんなことが起きるんだろう、という感じでみていた生徒さんたちが、だんだんとアウトリーチにひきこまれて、演奏が終わるたびに感嘆していたり、お話を真剣なまなざしで聴いていたり、終わったあと、充実した笑顔で素敵な人だったね~と感想を話していたり。

アウトリーチって素晴らしいなあ、なんて生徒の気持ちで心から楽しんでしまいました。曲への導入、曲間の関連性、トークの間の取り方、楽器説明の工夫などなど学ぶこともたくさんありました。
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(佐々木さん転載陳謝)
アウトリーチを組み立てるにあたっての注意は、佐々木さんが書いた4つのことがほとんど全てみたいな感じなので見事だなあと感心。

終わった後、田村さんと話していたのだけれど、田村さんは、まだまだ満足していないみたいだった。いろいろと欲が出るのは本当に良いことだと思う。
アウトリーチを組み立てるときに、
1,何を分かってもらいたいか・・と言うことから考えてそれに見合った曲を探す
2,自分のやりたい曲、拘りのある曲を、どう分かってもらうかを考えて工夫する
と言う2つの登山口があるような気がしている、という話しをしていて、案外遅くなってしまった。その足で北九州に行き,翌日から北九州地元の演奏家の方のアウトリーチに付き合う。これはフィールドノートで順番に紹介する。

ボロメーオSQ

2008年06月02日 | 徒然
今年はボロメーオSQのアウトリーチは1回も見られない事になってしまった。今回もまたニコラス・キッチン(ニック)のアイデアはきっと刺激になるのだろうけれど、まあ長崎北九州いわきと仕事が続いているので、何とかコンサートの本番だけでも聴くことにしようと思っている。今回は今日までのフェスティヴァルの3日間、全部客席にいる事にした(ちなみにフェスの後半はどうしてもいわきの本番とかぶる日があり,その日だけは欠席)。
師のゴールドベルクのバロンビッタを使い始めてから、約2年になるけれども、その間にニックの弾き方も、クァルテットの音の作り方も何となく変わって来ていることは間違いない。ただそれだけではなく、曲への追い込み方が昔以上にきびしい姿勢になっているような気がする。そのために、完成度と言う意味ではすごいところにのぼってきた事になる。低音の二人の音の出し方もずいぶん変わって来ているし、まだそこを見せていない力量というのはおみごととしか言いようがない。
実際、土曜日のベートーベンの132の第3楽章など、めったにないくらい感情を刺激された。すごい。その前の日の18-3でも楽譜にまだ音が隠されていたのか・・と言うような新しい音が聞こえてきた。こういう知的な面白さを音楽を聴くという文脈でどのように説明したらいいのだろうか,と考えてしまうくらいである。
ところで、ある人が、パソコンでスコアを見ながらSQを演奏する,と言うことの良さと問題を指摘していた。私の場合、スコアを見ることは全般把握には良さそうであって、そこの効果がどのくらいなのかをちょっと気になるくらいである。
しかし、今日が終わってやっと半分。ツアーをやるのとは全く別の体力と苦労を必要としそうだ。しかし、3日間の前半戦の集中力は極めて高く、演奏の質ももう超、が付きそうな出来である。後半も楽しみ。