児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

いわき6/28、29

2011年06月29日 | いわき

震災からそろそろ110日が経ち、6月からアリオスはアウトリーチ活動からスタートした。アウトリーチ関連の偉業は市の期待も大きく、比較的優先課題であったことと、ホールや劇場を使えるのは10月からになるとはいえ、アリオスが普通に活動をしているところをみんなに見て貰いたいという事がある。6月は、演劇のワークショップ、音楽のアウトリーチ、ダンスのワークショップと4人のアーチストが(当初の計画通り)いわきに来て活動してくれた。今日はショーロのグループKokoyaが小学校へ。

実は昨日から音楽ジャーナリストの林田直樹氏が取材に来ていて、kokoyaのライブを見たり、カフェフィガロの収録などを行ったが、その前に広報担当の車に同乗。といわきの海岸沿い(北の久乃浜から,四倉、豊間、江名、小名浜、など浦々)をずっと見せて貰った。100日以上過ぎているとはいえ、まだまだ片付けただけとか、全く手がついていないエリアとかもあり、復興作業の大変さが伝わってくる。アリオス周辺が表面的にせよ日常を取り戻しつつあるように見えるのと比べて、言葉が出てこない感じ。

とはいえ途中で見た青々とした田んぼ(みんな米は植えているのだ,とちょっと感動)とか、美しい田園の風景も同じいわきという空間と時間の中にあって、その事の大事さをとても感じた。こういう時にアーチストが何が出来るか、ということは、基本的に生活をする人が美しいものと出会う日常の体験と、個人個人の意識とどう繋がって行ければよいかということなのではないか,と思ったりもする2日間でした

 


アートおどろくいわき復興もやもや会議1

2011年06月26日 | いわき

 

アリオスプランツは美術家?藤浩志さんの提唱になる、市民が日常の生活の中で違和感として感じているアイデアやイメージの種になるもやもやを出して行くことで、そこから何かを生み出していこうという活動のアリオス版。3年前から始めているけれども、だんだん独立していっていわきの種の一つになっているように思う。震災のあと,そのもやもやはまた大きく膨らんでいるのではないか、と言うところからの今年の会議。第1回目だった。

8つのテーマの小テーブルで20分程度自由に話をしていって貰う。次に席を変えてまた20分、と言うように今回はそれぞれが3つのテーブルを回るワールドカフェという方法。みんなの話し合いを横で見ていてみんなが本当に色々と話す事があふれているのだなと言う印象。終わって帰るときには、みんなそれぞれ晴れ晴れとした顔つきだったので多分ずいぶん発散したのだろう。

そういえば、藤さんは、ある参加者の「今は日常生活の方が非日常のような気がするのでアリオスの事業に参加している方が日常のように感じられる」という発言にとても思うところがあったみたい。難しいけれど、確かにそういうところはあるやもしれない。アリオスはどうするの?という声はいつも頭の中でぐるぐる回っているので・・・。

アートの視点から考えると言うのが今回のテーマだったが、最後の各テーマの発表で「多様性」ということばが何件も使われていたのが印象的。今回の8つのテーマは

自然、仕事、コミュニティ、子育て、高齢化、学び、エネルギー、観光

考えてみればアリオスも、A(arts)、L(life)、I(informaition)、O(oasys)、S(sightseeing)の5つの要素の造語である。まあ語呂合わせと運営方針がすべてイコールと云うこともないけれど、示唆的ではある。

 


被災地のマップ

2011年06月25日 | 徒然

昭文堂から非売品だけれども、東日本大震災の被災地のマップが作られていわきにも配布されたらしい。アリオスにも一冊。今までの地図に、津波被害のエリアを黄色く塗ったもののようだけれども、見ると、今回の津波の被害のひろがりがわかる地図だ。

見ると唸ってしまうしかない地図だけれど、貴重な資料になるに違いない。

これは昨年いった塩竃の部分。会館のビルもホールがある上の方は大丈夫だったけれども、下はめちゃくちゃになった、と会館のひとがいっていたが,なるほどかなり深くまで水が来ていたのだな。


滋賀日野町のカルテットひかり(フォーラム事業)

2011年06月24日 | 徒然

滋賀フォーラムのSQの2回目日野町のアウトリーチを見てきた。日野町は滋賀県の南東方面の平地、ゆったりした感じのところだけれど、近江商人のうち(日野商人)の本拠地でもあり、かつては栄えたところだったのだと思う。昔ながらの建物などがある地域もあるらしいのだが今回はそこには行くことが出来なかった。京の漬け物の「日野菜」はここの物だそうだ。

日野にある小学校は中央にある日野小学校に児童が集中していて,そこだけは児童が増えている,と言う話だが今日は日野小学校の4年生3クラス。ちょっと強行軍ではあったけれど3回でお願いすることになった。まあ弦楽器のグループなので何とかクリアするかな,という感じ。日野の子どもたちは全体に小さく感じたけれど、反応は良く、良く聴きよく発言する、というアウトリーチをする演奏家には一番有り難い子どもたち。こういう場所だともう少し大人しいのではという予想は外れた。

ひかりの4人はさすがに話し慣れてきているのだけれど、まだ時々用語が子どもにすとんと入って行かないところがあった。とはいえ、いろいろな事態に機敏に反応できるようになってきたのは良いことだ。

 


インターチェンジの渋滞(久しぶりのいわき)

2011年06月22日 | いわき

6月上旬以来のいわき。20日無い位なのだけれど季節がずいぶん変わってしまった感じ。寝るときも少し涼しいので布団を用意していたのだけれど、昨晩は湿度も温度も高くまず布団を片付けるところから・・

昨日東京からバスで来たのだけれど、勿来のインターの前で渋滞。分岐の前から渋滞していたので難か事故かと思っていたら、高速道路が被災証明があれば無料になる、ということでみんなが被災証明を使っていて、みんなETCを使わずに出ようとしていたためと云うことが判明。当然バスも大型だからいつもならETCを通るのだけれど、そのようにしている見たい。まあ、湯本、中央インターと車の列は少なくなったものの、その渋滞だけで45分位もロスした計算になる。毎回何十分単位で遅れるのは閉口なのだけれど、今は一つ一つづつチェックをしているので時間がかかっているようだ。これはラインを増やすとか改善の方法を考えて欲しいな。


宮崎のアウトリーチセミナー

2011年06月18日 | 徒然

15日から3日間、宮崎県立芸術劇場が始めたアウトリーチ事業の研修会をして来た。オーディションで通った4人の演奏家が集まって、みっちり。この事業、元々は夏にボランティアしに来ていた湯布院音楽祭で「いつも一緒だった宮崎にフルーティスト桐原先生が、劇場のアドヴァイザーになり、地元演奏家のための企画を考えたときに、単にコンサートをやるのではなく、地元演奏家がアウトリーチを積極的にやれると良いと思ったのが始まり。そのノウハウはきちんと伝えたいというので行ったものだ。今回は田村さんにも来て貰って、模擬アウトリーチを公文協の研修をかねて行ったり、プログラム作りの今日はみんなの持ち寄った進行プランを桐原さん、田村さんも交えて議論したりと、大変楽しかった(いつものことだけれどこういう講座の時はこっちが興奮していて後でどっと疲れが来る傾向にある)。演奏家の方たちも非常に熱心。それに、4人が同士のようになって色々と話をしているのを見て、こうして仲間が増えるのっっもとても良いなあとおもってしまう。

県の財団の担当者はかなり疲れたと思うけれども、充実した講座でした。


津軽三味線 木下恒存さんのアウトリーチ(長崎)

2011年06月17日 | アウトリーチ

津軽三味線の奏者木下恒存さんは中学までギターを弾いていたそうだけれど、あるとき古い津軽三味線の録音を聞いて惚れ込み勉強を初めたそうだ。その後紆余曲折はあったみたいだけれど、長崎県諫早に住んで活動を続けている。私もつい「何で諫早で津軽三味線?」と聞いてしまったのだけれど,まあその質問は本人にとってはあんまり意味を持っていないかもしれない。

木下さんが今回の長崎のアウトリーチ事業の演奏家に選ばれたのは明確なプロ意識の故だと思う。クラシックの音楽家に比べてそこのところの意識に微妙な違いを感じる。とはいえ、アウトリーチという事業に関していうと、プロ意識の無いのは困るのだけれども、アウトリーチのミッション性の高さ故に「それで食っていく」というプロ意識がもたらす聴き手との関係性は危ないこともあるのではないか、と感じないでもない。ジャズに通じるところがあるが、その場にいる聴き手との関係で話や曲を自在に動かしていく、という事に慣れているのはライブアーチストとしては心強いが、普及的な意味での後味はすこし違うのである。こうして言葉にすると一つ一つの単語にくっついているいろいろなイメージが統一できないのでなかなか難しい問題であるが、今回、彼は非常にしっかりとした構成を持ってきてその危惧の多くが杞憂だったと思わせてくれた。まあ、まだ話が散らかる傾向はあるけれどね(最近自分でもその傾向があるので気をつけないと・・・)

 


プロフィール

2011年06月05日 | 徒然

この数週間、オーディションがいくつもあったのはこの間書いたけれど、今日で一息。それほど重大かどうかは別として、それなりに人の人生について決定をしてしまう訳なので、気が重いことには違いない。まあ最近はなれててきたけれど、慣れてしまうのもどうかなと思わないでもない。最近は演奏家の意識がずいぶん高くなってきていて、こういう人たちにきちんとノウハウを身につけてもらっていけば良いのに,と思ってしまうが、なかなかそれも果たせないのは、まだまだ環境が出来ていない、ということもあるだろう。

今回多くのプロフィールを見る機会があって気がついたのだけれど、最近の演奏家のプロフィールでは、「誰々に師事」という文字を書いていない演奏家がずいぶん増えてきたように思う。まだまだ大勢になっているわけではないけれど、書かない人が増えているのは間違いないような気がする。ヨーロッパとかアメリカでは比較的当たり前に思えるのだけれど、日本でもそうなってきているのだとすると、これは一般的にいえば良いことだと思う。なぜなら、聴き手の耳が出来てきて、自分の耳で判断する習慣が出来てきた、ということに由来しているのならば本当にすばらしいことだ、と思うから。そうであることを祈る。

ただ、聴く立場になって演奏家の音楽的な魅力がどうか、という意味ではなくて、仕事で音楽だけでなく一定以上つきあっていくということになると、そういう情報も欲しいときもある。まあ、これは勝手なプロデューサーの考えであるから、それを普段から実行して欲しいとは決して言わない。略歴でその人の能力を判断しようなんていうのは本来は邪道なのだから。


今野尚美さんの長崎

2011年06月04日 | アウトリーチ

長崎ブリックホールの人たちは、10年近いアウトリーチでかなり目(耳)が肥えているので、人選は大変だ。今年は長崎大学ヴァイオリン専攻の担当者。昨年はその事が必ずしもいい方向に出ないときもあったけれど、今年に入ってからは、知識が演奏家への配慮になって非常に良い感じで仕事が出来ている。彼が昨年8月の地域創造フェスティヴァルで一番に目を付けたのが今野尚美さんだった。良い勘をしている。今野尚美さんは上野学園の常勤なのでなかなか時間がとれないので、長崎へは1泊で4回のアウトリーチをお願いした。最初は小学3年生、残り3回が中学3年生。彼女の話しぶりは独特で、とても親しげに感じる。先生というよりも年長のお姉さんの感じである。特に大きな仕掛けがあるわけでもないのだけれど、その感じのせいか小学校3年生へのアウトリーチがとても親密な空間になる。案外種学区低学年にむいているのかもしれぬ。

2年前に大分県臼杵でやったときは、様々な仕掛けをしたのだけれど、それを全部受け入れてアウトリーチをやった。何しろ、閉校する小学校の子どもたちの言葉から作詞作曲をして,テープに録って事前に送る(それも2校)という離れ業のようなことだった。作曲も出来るという才覚は今回はリコーダーとの即興演奏で活かされた。本当に多彩。色々とアイデアを探る時間がこちらにも本人にもあれば、もっと面白い事が出来るかもしれない。今回の長崎も本人にはハードな2日間だったと思うけれど、とても良いことが出来た。相変わらずソリスティックな演奏も子どもの気持ちを上手く惹き込んでいたと思う。

写真は長崎市深掘り小学校。リハーサルをしていたら子どもたちが何人かやってきた。今野さんはそれを捕まえて取材をしているところ。