児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

アウトリーチからの宿題 三田でのお話その1

2013年05月25日 | アウトリーチ
この間このブログで「アウトリーチからの宿題」というお話をするということを書いたら、その後、何人もの人から「あれって、どんな話をしたんですか?」と聞かれた。なんだか気になったみたいだ。うーん、それほどの意味はないのだけれど。大体タイトルを決めるときは、概ね瞬間の思いつきだし、お題はちょっと思わせぶりなのが良い、と相場は決まっているので、「課題」ではなく「宿題」と言ったのもそんな不遜なところがないわけでもない。でも、それなりの理由もあって、宿題という言葉にふさわしいと思ったからでもある。

気になる人がそれなりにいるらしいので、話の概要を載せることにする。こういうのは滅多にしないけどね。
音楽ホールネットワーク協議会は、20数年前(日下部さんは23年前と言っていた)に結成して、一時は70数館の参加があったそれなりに大きな組織だったのだけれど、市町村合併とか指定管理とか予算の縮小など、さまざまな影響のせいか次第に会員も減ってかなり寂しくなってしまった。それでいよいよ今年度をもって解散にしようと言うことが決まり、その承認の総会でもあったのでお話を引き受けたのである。その最初から関わったもう数少ない人間の一人としてきれいに終わって欲しいということもあるし、その存在が何らかの意義があることも話したいし、という気持ちもあった。
人前で話すときは、脱線が多いとしたものなので、この文章通り話したわけでもないし、話が抜けたところもあるのだけれど、一応そこで話そうと思ったのはこんなこと、と言うことでほぼ原稿通りに2回に分けて転載する。

アウトリーチからの宿題 その1

2013,5,16 三田市 郷の響きホール
音楽ホールネットワーク協議会(年次総会後の研修プログラム)
児玉 真

 皆さんこんにちは。今回、最後になる音楽ホールネットワーク協議会の総会に呼んでいただきましてありがとうございます。私はこの協議会を始めた当時、室内楽ホールとして有名だったカザルスホールのプロデューサーをやっていた関係で企画委員という肩書きをいただいているのですが、ここ何年かの多忙で会議に出られない「不良委員」に成り下がっておりまして申し訳無く思っていましたので、今日ここで話せることは本当に光栄に思います。
 ホールのネットワークという言葉にどのような意味を感じるかは、ジャンルによってずいぶん違うようです。イニシャルコストのあまり多くないアコースティックの音楽公演は、ネットワークの金銭的なメリットというのはそれほど大きくない。したがってネットワークの意義は別にあると当初から考えていまして、職員が違う考え方を持った会館のひとと話をし、公演を作って行くことの能力の向上の刺激が一番だとおもっています。その意味でこの会がはたした役割はあるけれども、その後それがこの20年で公共ホールの環境がずいぶん変わってきたと思っています。ネットワークそのものには意義はあるがやはり今回の決断はやむを得ないのではないか。
 しかし、似たような問題意識を共有する仲間が居るということはとても良いことです。このネットワークは関西の方が多いのですが、関西は昔から新しい思潮が生まれてくる場所でした。音楽専用ホールもそうだし、ホールの音楽監督制もそう。他にもあります。後から東京が持って行ってしまうようなところがあるけれどオリジナリティという意味では関西の方が進んでいるような気がします。最近の音楽界は演劇やダンスよりも勢いという意味でやや低調なのではないかとおもいますが、新しい発想や事業がここにいる若い仲間から立ち上がってくると嬉しいと思います。もう私のようなロートルの出番ではない。
 私の場合、20年近く前でしたけれど新しいコンセプトでやるべきだと確信したことを実験するのにこの協議会の仲間はとてもありがたい存在だった。仲道さんと「音楽学校」という企画をたち上げたときも、ネットワークのホールの人たちが面白いといって3年連続で協力してくれたし、音楽でアウトリーチという方法を日本の公共ホールに持ち込もうとアメリカのカルテットを呼んだときも、それまでの音楽教室(音教)とはちがった新たな手法を考えたときに、やはりこの仲間が助けてくれた。カザルスホールがだめになったときもそうでした。

 というわけで1997年~98年くらいから、アウトリーチを始めて、現場をたくさん経験してきたのですが(多分日本では一番多いかもしれない。まあ数はたいした意味はないけど)、15年くらい経過するとなんか最初にやり始めたときには予感しかなかった「???」がいくつも出てきた。まあアウトリーチという言葉や手法が急速に拡がったのは嬉しいのですが、困ったことにアウトリーチは一見「何でもあり」なので、その「???」はどんどん溜まっていく。そして、あるときにふと考えたのは、この感じは「アウトリーチは確実に社会を変える可能性のある良いことだという認識というか確信のようなものを自分としては持っていながら、このまま外に出かけていくという現象(形式)だけから捉えると何にもならなくなってしまいそうだ」と言う危惧からきているのだろうと言うことです。それで、これはアウトリーチと言う言葉や現象から一見何かが生み出されているように見えて、じつはまだ、何か宿題をもらったままになっているのではないか」という感覚を持つようになりました。それで今日のタイトルを「アウトリーチからの宿題」ということにさせて頂きました。

 アートセンターを中心にした地域の音楽コミュニティの姿のイメージは一応持っていまして、それで、いわきアリオスのプロデュースを引き受けて最初にいわき市にお願いしたのは「コミュニティ活動をやっていくのでそのセクションを作ってください」ということでした。アメリカやイギリスの芸術団体やアートセンターを見ると、たとえばロンドンシンフォニーでは、いわゆるオケの業務をしているのは思ったよりも少なくて、ディスカヴァリーと言ういわゆるコミュニティの仕事をしているセクションがありそこには責任のあるディレクターもいて、スタッフも多く、きちんとした仕事を任されている。本体のオーケストラの活動とほとんど同じ体重をかけた仕事をしている。日本ではまだ本体の付属的な仕事だと思われている。なかなか難しいのです。
 たとえばいわきでは結局そういうセクションを本格的に作る事は出来なかったけれども、企画セクションの6人のうち2人、コミュニティ活動担当をほぼ専任でつけることができました。それがアリオスの特徴になって市民に認められていった、と言う面がある。でも、日本ではまだジャンルによる仕事の区分けという感覚が残っていて、音楽、演劇ダンス、コミュニティという分類は何となくなじまなかった。広報や貸し館の担当もコミュニティとの関係からいろいろ企画を持とうとしていたこともあってなかなか難しい運用をすることになりました。それでも会館としてはこのコミュニティ的な活動があることによって市民からの理解を得ることが出来たし、震災後にはそのことがものすごく活きることになりました。
 とはいえ、このような考えもまだまだ宿題のままです。私が今後会館のオープンを任されることがあれば可能性はあるけれどどうなんでしょうか・・・(続く)

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