相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

座間相模が丘「仲良し小道」桜いろいろ!!

2021-02-26 14:08:41 | 道・緑道
相模が丘の住宅街を南北に貫く全長1.6kmの緑道「仲良し小道」がある。この小道には64品種、220本の多種多様な桜の木が植栽されており「さくら百華の道」と呼ばれている。今、「十月桜」や「冬桜」終焉を迎える中、今、「椿寒桜」、「修繕寺寒桜」、濃ピンクの「寒緋桜」、「大漁寒桜」、「河津桜」が開花し「さくら百華の道」に相応しい桜光景となってきた。この道には10本ほど「河津桜」が植栽されているが、今、満開期&クライマックスに達し今が最も華やいでいる。しかしもう枝によっては黄緑色の若葉お目見えし「葉桜」になろうとしている。今年も松田山、橋本公園、相模原公園、ギオンスタジアム、相模川河津桜・あじさいライン、座間の宗仲寺と相模太夫の「河津桜追撮の旅」も終わろうとしている。(2102)
 
 
 
 
 


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「坂下観音」と呼ぶ「瑞石山清水寺」のしだれ梅と河津桜!!

2021-02-26 08:55:31 | 寺院
町田市相原町に「坂下観音」「相原観音」と呼ばれている臨済宗妙心寺派寺院「瑞石山清水寺」はある。創建は寛永元年(1624)。本尊は聖観世音菩薩。江戸時代に当地の名主「青木勘治郎」が一宇を建立が興り。町田街道向い側に山寺風の佇まいを見せ周囲は長くて立派な白壁(塀)で囲われた寺域内に伽藍形成されている。「地蔵菩薩」が迎える寺号標(寺門)、右横には「円通殿」があり前庭にはピンクの「枝垂れ梅」が満開となって春風にそよいでいる。100段はありそうな参道(石段)には観音幟(旗)が風に揺らめく。参道横には寄棟亜鉛葺の「庫裡」、急勾配の石段参道を上ると左側に入母壁、亜鉛葺の「鐘楼」(市指定有形文化財)がある。更にその上が「本堂域」で正面に寄棟御堂造りの「本堂」(=観音堂)。四間四方の総欅造り。四方に施された花鳥、河川、人物遊戯等の彫刻は精巧で町田市指定有形文化財である。また欅造り、葵紋入亜鉛葺合掌屋根の下に石の手洗い市指定有形文化財「水屋」が置かれている。左丘には一本の「河津桜」がピンクの花びらを広げ満開となり寺域を彩っている。左側には「青木芳齋」と「牛久保」の記念碑が建ち、そばに「六地蔵」が祀られている。当寺は「武相卯歳観音48霊場27番札所」である。(2102)
 
 
 
 
   
 
 

  
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一鳥一会、鳥撮にチャレンジ !!

2021-02-25 19:24:20 | 野鳥
桜の女王と言われる「ソメイヨシノ」の開花は現在のところ3/21頃と予想されている。そのソメイヨシノの露払いではないが各地より早咲きの「河津桜」開花・満開の便りが聞かれるようになってきた。松田山、「橋本公園」、「相模原公園」、「ギオンスタジアム」、相模川の「河津桜・アジサイライン」、座間の寺院「宗仲寺」、お膝元の「グリーンパーク」でも樹形がピンク色に染まり見頃となってきた。追撮に忙しい相模太夫よりもっと忙しいのが花蜜の多い「河津桜」を求めてやってくる「メジロ」、ムクドリをはじめ「ヒヨドリ」、シジュウカラとさまざまな野鳥たちである。枝先に止まった鳥たちは花から花へと枝の上を行き来し、花の中へ嘴を差し込んだり、花の子房を突き差したり、切り取ったり、くちばしや顔が花粉で黄色く染まるのも構わず、一心不乱に吸蜜作業に忙しく夢中である。桜花の蜜は花の奥深く、花弁の付け根より下の少々膨らんだ部分にある。よく適合したものでメジロのクチバシは細長く、花の奥まで届きやすい上に、舌先が細筆のようになっているので、花に真正面からクチバシを入れ、舌を器用に使って食べているようである。この瞬間こそ撮影機会到来、シャッターチャンスである。(2102)
ヒヨドリ
 
 
 

メジロ
 
 




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「生田緑地」の「D51型蒸気機関車」と「ブルートレイン」を撮る!!

2021-02-25 18:02:05 | 蒸気機関車
川崎市多摩区枡形にある「生田緑地」を訪れた。緑地内の「かわさき宙と緑の科学館」前に「D51型蒸気機関車」(通称=デゴイチ)が屋外静態展示されており、愛称「デコちゃん」と名付けられた「IDI過熱デンダ蒸気機関車」=「D51048」大きくて真っ黒で大迫力の雄姿を見ることができる。この「D51」は昭和15年「日本車輌製造株式会社」の名古屋工場で製造され、主に貨物輸送車両として北陸、山陰、山の手の各地で30年余り活躍し、昭和45年に役目を終え新鶴見機関区で廃車となった。その翌年ここ「生田緑地」展示されるようになり、子どもから大人までその雄姿見ることができ一躍人気者となった。今は中々お眼にかかれない「D51」の雄姿は時として郷愁であったり、子供の頃の宝物を見つけた時のような心が浮き浮きとして不思議な愛着が沸いてくる機関車である。またすぐ傍には皆に青い車両の「スハ42-2047形」座席型客車が展示されている。掲示板には「ブルートレイン」と記載されている。この客車は昭和23年に日本車輌製造株式会社の工場で製造、国鉄常磐線経由東北線の上野~青森間を約37年間に555万㎞走り続け、昭和60年3月水戸機関区で廃車となった。その後、国鉄大宮工場で改装、国鉄梶ケ谷貨物ターミナル駅まで回送、同年10月にここ「生田緑地」にやってきて今、余生を送っている。(2102)
 
 
 
 
 
 





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火伏の神様、火防の霊験「秋葉大権現」の石碑群!!

2021-02-25 09:35:42 | 石碑・顕彰碑
相模原市緑区橋本にある臨済宗寺院「香福寺」の西門の横(塀外)の道路脇、昔は「山王山」と呼ばれていた所に「秋葉大権現の石碑」と「石祠」、「徳本念仏塔」、柳川先生の碑、「常夜塔」、「出羽三山参詣供養塔」、「山王社」などの石碑が並んでいる。「秋葉権現」は秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神で「火伏せの神様」「火防の霊験」として信仰されている。秋葉三尺坊大権現の三大誓願は「第一我を信ずれば、失火と延焼と一切の火難を逃す」、「第二我を信ずれば、病苦と災難と一切の苦患を救う」、「第三我を信ずれば、生業と心願と一切の満足を与う」とされる。約170年前の「橋本の大火」時、橋本宿は大半を焼失したが、この石碑群の前で風向きが変わり死者が一人も出なかったことから今でも崇敬されている。(2102)
 
 
 
 
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