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相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

「県立相模原公園」では「コリウス」グラデーション美を披露中!!

2020-09-29 20:51:21 | 公園・庭園
相模原市南区下溝に四季の花が絶えない「県立相模原公園」はある。今、当園の「みんなの花壇」をグラデーションを描くように彩っているのが葉を観賞する草花で花色も多く花に負けない「コリウス」(coleus) が鮮やかに咲いている。この草花はシソ科のコリウス属である。和名は「キンランジソ」(金襴紫蘇)と呼ばれている。その他の名前としては「ニシキジソ」(錦紫蘇)。コリウスはアジア、アフリカ、オーストラリアを中心に200種以上が分布するシソ科のプレクトランサス属の多年草(または一年草)である。コリウスの多くは「キンランジソ」の和名を持つプレクトランサス・スクテラリオイデス種を元に交配、改良され世界で広く栽培されている植物(園芸品種)で、熱帯地域では帰化植物として定着している場所もある。コリウスの主な観賞期は来月いっぱいまででそのカラフルな葉色が美しいリーフプランツ。葉色のバリエーションも豊富で赤、ピンク、黄色、複色など鮮やかな色が揃い花壇に見事にマッチしている。(2009)
 
 
 
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相模原「モナの丘」赤く色づき始めた「コキア」

2020-09-29 09:26:13 | 公園・庭園
相模原市下溝にハーブの芳香に包まれた農園=農業生産法人「グリンピア相模原」が運営する農業体験施設「モナの丘」はある。「モナの丘」は広さ3.5haの広大な敷地に「農産物販売所」、「農業レストラン」、「ハーブ園」、「ラベンダー園」、「バラ園」、「バイオマス実験プラント」、「希望の花壇」、「キノコ畑」、「果樹林」、「バーベキュウ広場」等が配置されている。今「ハーブ園」、「バラ園」、「希望の花壇」エリアは色とりどりの「コスモス」が咲き乱れ、赤く色づき始めた50株ほどの「コキア」が競演美を披露中である。コキアは別名「ホウキギ」「ホウキソウ」、「箒草」、「箒木」と呼ばれる雌雄同株の一年草で、ふんわりとした草姿がユニークでかわいらしい植物である。目立たない花をつけるが、花びらはなく雄蕊5本めしべ1本があり、めしべの中に種ができる。コキアは最初は緑色の樹形をしているが秋になると紅葉しとても鮮やかで美しい赤に変化する。茨城県の「国営ひたち海浜公園」の広大な敷地にコキアを3万株植え付けられ、夏から秋の観光名所となっている。1株でもかわいらしく、美しいコキアだが、広い敷地に群生させたコキアは圧巻の光景である。コキアの種は山のキャビアと呼ばれる「とんぶり」で、茹でて食べる。コキアの枯れた枝を箒の材料に使われる。コキアは猛暑にも耐え花が少ない今の時期に重宝がられる植物である。(2009)
 
 
 
 
 

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座間「かにが沢公園」の「曼珠沙華」がクライマックス美へ!!

2020-09-29 09:04:10 | 公園・庭園
座間市緑ヶ丘に梅に桜、芝桜、今の時期は秋の代表花の彼岸花と四季の花が絶えない「かにが沢公園」はある。お彼岸も迎えやっと秋らしい季節となり、この時期に合わせて「天界に咲く花」といわれている「彼岸花」(曼殊沙華)が当園の西側の斜面と約350㎡と遊歩道に12万個も植栽されている。花色は赤、白、ピンクの三色で先週はやっと咲き始めたばかりで一分咲きにも満たなかったが今日はもう満開である。コロナ禍で「 曼珠沙華観賞の集い」が行われない事もあってメインの斜面は雑草に覆われ例年に比べやや寂しい状況で彼岸花の絨毯とまでに至っていないのが残念である。代りに遊歩道側は彼岸花ロードとなって数十人の来園者、鑑賞客で賑わっていた。「曼珠沙華」はおめでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくるという仏教の経典からその名がついた。花のある時に葉はなく、葉のある時に花はないということから「葉見ず花見ず」と呼ばれている。(2009)
 
 
 
 
 
 
 



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災いを防ぐ守り神「北向庚申神社」

2020-09-29 08:08:14 | 神社
座間栗原中央、座間総合高校の北側に庚申信仰、庚申塔を神体とした「北向庚申神社」はある。祭神は猿田彦命、青面金剛、帝釈天である。境内の由緒板によるとこの神社のご神体は明和8年(1771)に神栗原地区の人々が住民と通行者の安全を願い村はずれの北向き(鬼門)の辻に建立した厄払いの庚申塔である。初代の「庚申塔」は亀裂が生じ慶応4年(1868)に新しく庚申塔を建立し二基の庚申塔が北向きに並んで建てられた。北は人々に災いをもたらす方角といわれここに建てられた庚申塔は災いを防ぐ守り神として信仰を集め多くの安全祈願の絵馬が奉納された。この頃から近隣の町や村にも評判が伝わり昭和時代に入ると多くの参拝者が訪れるようになり大変賑わうようになった。昭和10年(1935)、地域の人々と信者の願いが叶い二基の庚申塔をご神体とした「社殿」が造られた神社である。(2009)
 
 
 
 
 

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