相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

相武台団地で「コスモス」と「ひまわり」が共演中!!

2024-09-21 07:23:51 | 
相模原市南区相武台に昭和40年かつての「住宅供給公社」が造成した「相武台団地」はある。80棟2800世帯が居住する大型団地である。団地内に唯一ある商店街も老朽化が進み唯一あった「横浜銀行」も撤退、閉店する店もあったがこのほど新しく温泉施設ができた。ここでは団地のイベントが行われる唯一の場所である。その広場一画の花壇では夏の代表花「ひまわり」がお馴染みの黄色の大輪を20個ほど、そしてすぐ傍では秋の代表花「コスモス」が数百輪超えのオレンジ色の花を披露し両者の共演が続けられている。「ひまわり」も「コスモス」もおなじキク科の植物。「ひまわり」の花は黄色で外側が黄色い大きな花びらをもつ舌状花、内側には小さい筒状花がびっしり並んだ花の集合体である。「コスモス」はアキザクラとも言い細い茎に何とも可憐な花姿がつける秋の代表花である。(2409)
 
 
 
 


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「峰山霊園」では「彼岸花」がやっと一分咲きとなってきた!!

2024-09-20 14:53:32 | 墓所・廟所
相模原市南区磯部、「自然散策の森」に隣接している大規模な相模原市公営の「峰山霊園」はある。当園は総面積16万㎡という広大な墓域敷地は日当たりも抜群で爽やかな風が吹き抜ける高台の豊かな緑に囲まれた平坦なエリアに立地している。墓域は31区画あり毎年一回募集を行っている。29/30区画奥の大群生地2000㎡に一万本近い「彼岸花」が植栽されており満開となると赤い絨毯を敷き詰めかのような幻想的な彼岸花ワールドとなる。一週間前、やっと数百本ほどの茎がにょきっと出始め数輪ほど独特の華奢な花姿を見せ始めばかりである。今日はもう数百輪が開花し一分咲き近くとなって独特の花姿を披露し始めていた。今夏は猛暑続きで開花が遅れている様である。来週からやっと30度を切る気温となりやっと秋への気配である。この花が開花期を迎えると、葉もなく地中から突然に花芽が姿を現す不思議さである。 その先端は見る見るうちに天に向かってまっすぐ伸び、大胆に反り返った花弁、突き出した雄しべ雌しべの神秘的で幻想的な花姿となり見る人を驚かせ驚かせる。秋のお彼岸頃に咲くこの「彼岸花」はサンスクリット語で「曼殊沙華」とも呼び、他に「天界の花」「天上の花」、「相思華」とも称されている。「彼岸花」の特徴は花が咲いているときは葉がなく、花のない時に葉が出てくるという誠に不思議な花である。(2409)
 
 
 
 
 
 
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「大蛇退治伝説」がある「渕源山龍像寺」

2024-09-20 07:22:08 | 寺院
古淵駅北西700m、境川沿いの龍像寺坂を左折すると長い板塀に囲まれた曹洞宗寺院「渕源山龍像寺」は鎮座している。慶応年間(1338~1341)に淵辺伊賀守が開創、天台沙門存光師が建立。その後、巨海才大和尚が曹洞宗の寺として再興した。寺伝に昔、龍池という大きな池に住んでいた大蛇が住民に悪さをしていたため、時の地頭「渕辺判官伊賀守義博」がその蛇を退治したという「大蛇退治伝説」があり寺名も因む。本尊は釈迦如来/聖観世音菩薩。重厚な「山門」を抜けると正面には木造の入り母屋造りの「本堂」、右手に「客殿」と「庫裏」、左手に「鐘楼」が建ち並ぶ。砂利を敷き詰めた境内には庭園風の植栽と石灯篭・岩周りにはあらゆる石仏、石造塔が見事に配置されている。本堂前に仏塔の一種「宝篋印塔」(墓塔・供養塔)と「十三重寶塔」、本堂左山手には<「顕彰碑」、「岡野家墓所と墓碑と墓誌」、「供養塔」、六角堂の「観音堂」が建てられている。「山門」左手には「六地蔵」と市の登録文化財である「徳本念仏塔」がある。その奥小丘にお釈迦様の一生を彫った「石版」と「七観音の石像」がある。かつて寺子屋を継いで「淵博学舎」が開かれたとある当寺は「武相観音霊場の第48番札所」である。(2409)
 
 
 
 
 
 

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源吾上人が開山の「源吾山顕正寺」

2024-09-19 07:27:32 | 寺院
相模原市麻溝台に日蓮宗寺院「源悟山顕正寺」は鎮座する。当寺は開山は明治30年(1897)で130年近い寺歴を誇る。本尊は釈迦牟尼仏。当寺は病気平癒を祈った「源吾上人」が観音様のお告げを受け山梨県の身延山日朝堂にて修業の後、故郷へ帰る時、東の方へ千箇寺参りをせよのとのお告げからここ下溝の地へ来られた時に篤信の信者を得て留まり開山という経緯を辿る。「山門」より入山すると入り母屋造りの「大本堂」、左前には「敬信殿」がある。堂内は「鬼子母神」、境内には鐘楼が建ち、一角に「金龍弁財天」が祀られている。(2409)
 
 
 
 
 
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新田開発の守り神「大沼稲荷神社」

2024-09-18 15:54:22 | 神社
相模原大沼には新田開発の頃(享保年間1734~)に創建と伝わる「お稲荷さま」が祀られている。祭神は旧市内では珍しい愛知県の「豊川稲荷」から分霊された「荼枳尼真天」という白狐に跨った女の神様である。今年も初午(新しい年の初めての午の日)の2月12日に「初午祭」がしめやかに行われた。新田開発の守り神から豊作の神、そして講が結成された嘉永年間には生業になっていた炭焼きや養蚕の商売繁盛の神となり集落の人々の厚い信仰を集めてきた。嘉永6年(1853)に講中から幟2本が寄進された記録(中里家文書)が残されている。昭和の初め頃まで続いていた講には、大沼独特の風習が語り継がれている。境内には庚申塔、軍人慰霊碑が建てられている。(2409)
 
 
 
 
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