1970年に茨城県初の共産党県議になった高橋清さんが亡くなられた。85歳でした。
私が、はじめて茨城県の高校教員として赴任したのは1969年4月であった。はじめて茨城県高等学校教職員組合の会議に4月の終り頃参加した。そのとき、とても歯切れよく話をしている方がいた。それが、水戸商業高校の高橋清さんであった。
その高橋さんが、翌年、1970年12月県議選に立候補することになった。
茨城県は、県議選挙が全国いっせい地方選挙でおこなわれない3つの県です。あと2つは、東京都、沖縄です。東京都と茨城県は、いわゆる黒い霧解散をしたため、いっせい選挙とずれることになった。
茨城県で共産党県議が誕生したことが、「あの保守王国茨城」で共産党県議が誕生したことが、全国の共産党を励ますことになり、いわゆる第一次共産党の躍進が始まった。1972年の共産党衆議院議員40名の時代が生まれたのです。
高橋清さんは、以後、連続6期、24年間共産党県議をつとめられました。
晩年は、息子さんのいる宮城県に住まわれていました。
個人の遺志により家族葬でおこなわれたとのことです。
冥福をお祈りします。