笠間図書館で、標記の本を借りてきた。私は、昔から、「差別」に関心を持っていた。
同じ日本人で、見た形では全く区別つかない人間を、出自で、「差別」できるのか、不思議でならなかったからである。
著者の角岡氏は、堂々と、「私の両親、祖父母、曾祖父母、全員がで育っている。四代続いた”生粋の民”である」と、名乗って、この本を書いている。
この著者にして、「民って何?」と言っているのである。
また、辞書からして、いい加減と言っている。私も、氏のように辞書を見比べたことはなかった。紹介する。
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広辞苑(岩波書店)
身分的・社会的に強い差別待遇を受けてきた人びとが集団的に住む地域。江戸時代に形成され、その住民は1872年(明治4年)法制上身分解放されたが、社会的差別は完全に根絶されていない。未解放。非差別。
新明解国語辞典(三省堂)
狭義では、不当に差別・迫害された一部のの人たちを指す。この種の偏見は一日も早くのぞかれることが望ましい。
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2つだけ、紹介したが、特徴ある辞書として有名な、「新明解」だけが、”不当に迫害された”、”早くのぞかれることが望ましい”と、編集者の願望が書かれていて、「人間の編集らしい暖かさ」を出している。
1963年生まれの著者が育った学生時代(198年代)は、解放運動の”糾弾闘争”の絶頂期であった。
その頃は、が生まれたのは、「江戸時代の近世政治起源説」がもっともらしく語られていた。
簡単に言うと、江戸時代は、「士農工商の厳しい身分があって、農民を納得させるために、エタ・ヒニンという、さらに下の階級をつくった」というものであった。
しかし、「」という言葉は、明治になってつくられた言葉で、江戸時代にあるわけがないことを知っていた私は、多くの人に聞いて回ったが、だれも明解に説明できる人はいなかった。
そのころ、仮説実験授業研究会では、板倉聖宣氏が「差別と迷信」という本を書き、私も差別問題を研究した。
私の今の勉強での結論は、どうも宗教が関係しているようだということくらいしか、分かりません。
今では、この理論を根拠に、多くのけが人、自殺者まで出してきた、解放同盟までも、この近世政治紀元節は、完全に否定している。
問題を同和問題というのは、昭和天皇が即位した際の勅語の「・・人心惟レ同シクシ民風惟レ和シ汎ク・・・・」からきているとのことです。
「」にも、いろいろな起源があり、一口には語れません。
九州・関西地方に多く、関東には少ないこと。関東でも、栃木・群馬・長野ではおおく、茨城は少ないこと。北海道・東北は、極端に少ないことです。
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さて、私は、いつも議会では、「同和対策」予算の削減を要求しています。多くの議員は、「菊池さん、それは触れない方がいいよ」と言ってくれます。
答弁者の職員も、しぶい顔をしています。
しかし、私は、「もう、差別は存在しないのだから、そのような予算はいらないのではないでしょうか」と言います・だれも反論できる人はいません。
長野県御調町では、「予算廃止」を掲げて当選した町長が誕生し、4000万円近くあった、関係予算を廃止しました。一般新聞は報道していませんが、しんぶん赤旗は、大きく取り上げました。
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